紅い月夜と十字架少女
ーここは桜田町。
閑静な住宅街が広がるこの街を包みこむように、不気味に大きく紅に燿る月が照らしていた。
その異様な光景になじむように、団地の屋上にひっそりと佇む少女の影があった。
黒ずくめの少女の髪は今宵の月と同じ赤銅色で、生暖かい風に靡く長いツインテールの、十字架の髪飾りが妖しい光を放っていた。
「・・また血生臭い戦いになりそうだ」
少女が呟くと、さっきまでの静寂を引き裂くように獣の唸り声がぽつぽつと生まれた。
呪いの言葉を放っているような、低く禍々しい唸り声は彼女の周りを囲み次第に大きくなっていた。
彼女は石になったように立ったまま、敵の気配の在り処を探した。辺りには獣の匂いが漂った。
「どうやらお前ら、人間をやめたベーゼ(琺狼鬼)だな。哀れな奴だ」
彼女の哀れみ風の煽りに応えるかのように、赤い光がぽつぽつと現れた。
ベーゼという異形はぞろぞろと真っ赤な一つ目の二足歩行した狼という姿を現した。
「十字架の女・・殺す!」
一匹が言い放つと、数十匹もの仲間が唸り声を上げて一斉に少女に襲いかかった。
・・・
「赤い月、瞬君もみてるかな」
その頃、そんなことも露知らず大きな瞳をきらめかせながら、桜色のパジャマを着た栗色のショートヘアの少女は窓辺でこの紅い満月を眺めていた。
この少女の名前は、春野 めい。
桜田中学校一年の特別なことを書きようがない、どこにでもいる普通の女子生徒だ。
めいはクラスメートの黒羽 瞬のことを想い、センチメンタルな気分になっているところだ。
彼の眼鏡越しに見える切れ長の目を思い浮かべて溜息をつき、不器用そうな細い指で窓の縁をゆっくりなぞった。
すると、急に原因不明の停電が起こり、街中が暗黒に包まれた。
「何が起こったの?」
まだ目が覚束なくてぼんやりとした月明かりの中、急にめいの目の前に例の赤髪の少女が飛び出し、両肩を強く掴んだ。
「仕方ねえ、こいつにするか」
乱暴な口調の少女は抵抗もさせる間もなく無理矢理めいの唇を奪った。
生暖かい感触がめいの唇に触れた。一体、自分に何が起こったのか、理解が追いつく訳もなく呆然とした。
すると、二人の周りに眩い閃光が現れ、めいは一瞬気を失った。
再び目を開けると、どこまでも真っ白な空が広がる自分以外誰もいない桜田町だった。
「なによ、これ!」
気が付くとめいは白い大きな十字架を体に巻いたようなバトルスーツを着て、赤銅の十字架形の細い剣を握っていた。
「ここはどこ?それに私はどうなったの?」
めいはひどく混乱した。
すると、諸刃から傷だらけの少女が映し出され、焦った表情でめいに訴えかけた。
「お願いだ、俺と闘ってくれ。お前がいるのはアヤカシ界。敵の妖力の部分が住み着く世界だ」
「なんのことよ。それより元に戻してよ」
すると例の黒い異形が煙のようにめいの周りを囲み、姿を現した。
「物わかりの悪い女だな・・説明は後だ。あと、お前は俺の武器になったからな。使わせてもらうぜ」
「武器…?なにそれ。私、武器にされたってこと!?」
「その持ってる剣があるだろ。これは俺の妖力が形になった紅月剣。俺もアヤカシ界では武器だ」
「お前ら・・話が長い」
邪悪な敵がめいのところに向かって咬みつこうとした。
「こいつらは情け容赦なく襲ってくるから気を付けろ」
めいはとっさに十字架のような剣をメクラ鉄砲に振り回した。
それがたまたま命中し一匹が煙のように消えた。
未知なる敵を前に恐怖と興奮を抑えるため、呼吸を整えた。
「とにかく、この剣を使ってこの化け物を倒せばいいのね」
「そうだ。あいつらはまだ下っ端だ。お前でも倒せるはずだ」
めいと少女はそれぞれの世界にいながらも、息を合わせてどす黒い敵を倒していった。
少女も華奢な体系に似合わず、身長より大きな十字架の剣で敵をなぎ倒した。
アヤカシ界は重量がほとんどないのか、武器になっためいの身体能力が上がったのか、軽やかに建物を飛び越えて行った。
ついには宙返りをしながら敵を斬ることもできるようになった。
「ちょっとコツを掴んだみたい」
「初めての割にやるじゃんっ」
剣から少女の感心する声が聴こえた。
最後のボス格となる一匹ははるかに大きく、他よりずば抜けた瞬発力を持っていた。
さっそく攻撃され、ボロボロになっためいはその場に倒れこんだ。
ベーゼはにやりと笑い、めいの首を掴んだ。
「おいっしっかりしろ」
少女が紅月剣で何度斬っても煙を斬るようで、敵はびくともしなかった。
(畜生!あの女がとどめを刺してくれたら・・)
「人間、ベーゼの餌・・餌の分際で十字架族のアンク(化身蛹)になるとは」
首を絞められためいは必死にもがいていた。
(またわかんないこといってるよ・・わたし、訳わかんない敵に殺されちゃうのかな)
すると、めいの体から謎の力が湧き出る感覚が起こった。
謎の力に任せて敵を突き飛ばし、いつの間にか手に持っている紅月剣の切先を空に向けた。
そして思いつくままに呪文めいた言葉を発した。
「この世を犯す邪悪な鬼よこの世を守る十字架のもとに妖界の彼方の闇沼に去れ」
それはベーゼを倒す言葉だったのか、敵の体から亀裂が入り眩い光が漏れてきた。
「現界の女め・・覚えてろ」
敵は唸り声を上げて砂のように消えて行った。
「わたし、敵をたおした・・の?」
まだ、めいの背後から被さるように紅月剣を握る者がいた。その手は氷のように冷たかった。
「誰?」
振り向くとシルクの布を一枚巻いた悲しげな顔の美女の姿が見え、彼女はめいの背中を押した。
地上12階のマンションから叫びをあげて落ちてゆく間、この敵か味方かわからない女のことで頭がいっぱいだった。
すると今までなかった大きな扉が空中で開かれたと同時に女の優しい声が聴こえた。
「あなたは・・世界を救う鍵」
めいが目覚めると、そこはもと居た自分の部屋で、少女は窓辺で月に照らされる髪を靡かせながら振り向いた。
「起きたか、俺はヨルミア・ロッサルーン。みんなからはヨミって呼ばれてる」
彼女と友達になれる気がしためいは微笑んだ。
「私は春野 めい。よろしくねヨミ」
と言ってヨミの手を取ろうとしたが、つんとした顔で振り払われた。
「それにしても今回の敵は雑魚だったな。正直、あんな敵ひとりでも勝てたわ」
めいは急に悪態をつきはじめたヨミにカチンときた。
「はぁ?何よ、助けてくれって言ってたくせに。勝手に訳わからない世界に飛ばされて変な敵と闘わされた身になってよ」
「そんなこと言ったって・・誰だってよかったんだよ。ホントは棒切れでもあったら使ってたぜ。なかったからお前を使っただけで・・」
勝手なヨミの言い分にめいの怒りが頂点に達した。
「なによ、かわいくない、チビのくせに」
「ち・・チビだとぉ!?」
チビ呼ばわりされ顔を真っ赤にしたヨミは屋根から屋根へ飛んでどこかに消えた。
「覚えてろ貧乳!」
近所中にこだまするヨミの罵倒にめいの腹が煮えくり返り「貧乳で悪かったわね、サルチビ!」と叫んだ。
次の日、めいは昨晩の出来事に腹を立てながら、教室に向かった。
「おはよう、どしたの朝から不機嫌そうに」
クリーム色のブレザーに赤と濃紺のチェックのスカートという制服を着こなしたポンパドールの女子生徒が声をかけた。
めいは口をとがらせ、制服の紅いリボンをいじりながら答えた。
「ねぇ、エリカ聞いてよ~昨日ね・・」
めいが友人のエリカに昨日のことを話す前に始業のチャイムが鳴った。
担任は20代後半の女性教師で、紺色のジャージを穿き中学生に刺激が強すぎるくらいの胸をシャツからはみだしていた。
「おはよう、クソ生徒ども」
誰もが振り向く美女なのに口が悪いのが玉に傷だ。
「おはようございます。天原先生」
すると、ひとりの男子生徒が立ち上がった。
「せんせ~スリーサイズは何センチですか?」
さっきまで女神のような天原先生の顔が急に鬼の形相に変わり、男子生徒めがけてチョークを投げた。
運よく避けた男子生徒の背後の壁にチョークが煙をあげて刺さっていた。
「さて、今日からこのクラスの仲間になるヤツが来ている」
(ヤツって・・転校生に向かって)
めいは苦笑いした。
天原先生に呼ばれた小柄な少女は、めいを見つけるなり舌を出すふりをして教壇に立った。
制服を着て、ツインテールをお団子にしている以外、明らかにあのヨミだった。
「魔界乃中から転校してきた夜宮 ヨミです。みんなよろしくね~」
あまりの美少女ぶりにクラス中がどよめきだす中、めいは不機嫌そうにかわいくないと呟いた。
「夜宮は春野のいとこで、今日から春野の家で居候になるそうだ」
「・・ちょっ、せんせ・・」
勝手にヨミが自分の身内になって、さらに居候させられることになっているめいは動揺のあまり口をパクパクしたが、言葉にならなかった。
「席はそだな・・春野の隣でいいか」
先生に言われ、機嫌よくめいの席に向かおうとする途中、ある生徒と目が合った。
その瞬間、ヨミの瞳が血潮が吹き出しそうな紅に染まった。
二人は殺気を放っていたが誰も気づく者はいない。
ヨミは気を取り直してめいの隣の席に座り「めいさん、よろしくね」と笑んだ。
めいはさらに機嫌を悪くし、しらじらしいと口パクをした。
美少女のヨミは瞬く間に校内の人気者になった。
体育の授業中、めいと友達はマット運動をさぼって跳び箱にもたれかかり、人だかりに囲まれたヨミを遠くで見ていた。
「めいってこんな可愛いいとこいたんだ」
腕を組んでエリカは言った。
「それにしても、人並み外れた身体能力だな」
もう一人の友達の万智が、バック転連続三回転に成功したヨミに拍手しながら言った。
「なんでみんなヨミのことを褒めるのよ、あいつぜっんぜんかわいくないんだから」
「これってやきもち?」
エリカはふてくされるめいをからかった。
「なによ、二人して~そんなんじゃないからっ」
放課後、隣を見るとヨミの姿が消えていて、めいは嫌な予感がしたので急いで家に帰った。
・・嫌な予感は的中した。
リビングでめいの母がヨミにお菓子を出して談笑していた。
「あら、ヨミちゃん。大きくなったわね」
またぶりっ子モードでヨミは返事した。
「はい、おばさま。もう中学一年になりました。あたしのお部屋は二階でよかったかしら」
「そうね、急に連絡が来たものだからちゃんと掃除できなくてごめんね。汚い所だけどゆっくりして」
めいは不気味なくらいにヨミのことを可愛がる母に怒った。
「お母さん、ヨミは違うの。この子は赤の他人なんだからっ」
「何言ってるのよ、あんたが小学校に入るまでずっと遊んでたじゃないの」
めいは身に覚えのない思い出話を延々と聞かされ、やっと事の原因に気がついた。
そして、諸悪の根源がいる自分の部屋の向かいに殴りこんだ。
「ちょっと、おかあさんの記憶いじったでしょ」
漫画を読みながらくつろいでいたヨミはめいの方を見てにんまりと笑った。
「お前のおふくろだけじゃねぇぞ。めいの関係者全員の記憶を改ざんしておいたから安心しろ。もう誰も俺が赤の他人だってこと信じねぇから」
舌を出すヨミにむかっとした。
「もう晩御飯できたから二人とも食べましょ」
一階からめいの母の声がした。
「あら、おばさま。あたしがお手伝いしますわ」
ヨミはめいの肩を叩き、急いで台所に向かった。
「そんじゃ、そういうことだから」
完全に敗北しためいはその場でへろへろと倒れこみ、ははっと力なく笑った。
ー戦いはまだまだ続く。




