EP0 黒い男と白い少女
彼に出会ったのは偶然の産物だった。
ありきたりな交通事故。身体が衝撃のまま吹っ飛ばされて意識は途切れる。痛みを感じなかったのが救いなのか俺は何の前触れもなく人生に終わりを迎えた。
声が聞こえる。
『あぁ、ぐちゃぐちゃじゃないか。これでは使えないな』
『損傷は激しいですが、若い肉体なので使える部分もあるかもしれませんわ』
男と女が聞こえる。
何の話をしているのか。
俺は重い瞼をゆっくりと動かした。曇り空が視界一面に広がっている。まだ、生きているのか?俺の身体はトラックに吹き飛ばされたはずだった。
『目を覚ましたみたいですわ』
女がこちらに気がついて覗き込んでくる。落ち着いた話し方とは正反対の随分幼い顔があった。真っ白な髪に真っ赤な瞳。これは夢なのかもしれない。
『ここは、どこだ?』
唇を動かすことすら億劫だった。それでも疑問を口にする。
『ここは、三途の川ですよ』
男が返事をする。やっぱり死んだのか。どうしようもないやるせなさがこみ上げて、両目から涙になって溢れてくる。
『感傷的な男性ですね。人間はいつか死ぬのに。』
男はやれやれと溜息をついて面倒くさそうに話しかけてくる。
『それでもあなたはとても運がいい。アルビノ家からあれをとってきて』
アルビノと呼ばれた女…の子が、頷いてどこかへ消えた。代わりに男が覗き込んでくる。立ったまま覗き込んでいるので顔は少し遠いが真っ黒な髪に真っ黒な瞳、真っ黒な着物。
死神とは彼のことを言うのか。死が似合う男が口角を上げていた。
『いつまで寝転んでいるんですか?そろそろ起きあがれるでしょう?』
『俺は、事故で、吹き飛ばされて』
しどろもどろになる回答に男はまた溜息をつく。
『ここは三途の川で、あなたは魂だけの存在です。実体こそ無けれども肉体と変わらない見た目を保っていますよ』
そう言われて俺は首だけを動かして自分の身体を見る。確かに、服装は真っ白な着物だが見慣れた自分の身体があった。右手を動かして顔の前で閉じたり開いたりしてみる。感触もあった。ようやく、ゆっくりゆっくりと身体を起こしてみる。少しふらつくが何も変わらないように見える自分の姿があった。
『生きて、いるのか?』
『いいえ、肉体は死んでいますよ。あれだけの事故なら普通に助からないでしょうね』
『そんな、まだ!死ぬわけにはいかないんだ!』
『だから、あなたはここにいるんです』
腰に差した扇を勢いよく開き、男は口元を隠す。
『未練のある人間しかここにはこられない。彼岸の果てにあるこの川は現実と夢を繋ぐ唯一の場所。僕は死者を導く渡し人、黒曜と申します。以後お見知り置きを』
一礼をして歌うように軽やかに男は喋る。口角を上げてはいるが、微笑んではいない。目は笑っていない。
『俺を連れて行くのか?地獄か天国に』
質問に男は笑みを深めるばかりだ。
『いいえ、あなたにお願いしたいことがありまして。川を渡るか現世に戻るかはあなた次第、ですね』
背中を一筋の汗が伝う。
『どういうことだ?』
『あなたは死ねない理由がある。現世に戻るためには何でもしますか?』
脳裏に1人の子供が写る。そうだ。死ねない。まだ死にたくはない。1人にしたくない。
『何でもする。戻れるのなら』
『決まり、ですね』
男は答えを聞いて更に笑みを深くした。ちょうど女の子が戻ってきた。男の後ろにある小さな一軒家から右手には紙の束を抱えて左手にはなにか袋を持って。改めて見るとだいぶ幼い子どもだった。髪の色のせいで年齢不詳のような雰囲気を持っているが背格好から小学生くらいにも見える。黒いレースのワンピースが更に女の子の肌の白さを際立たせる。
『ちょうどいいところに帰ってきてくれましたね。それでは、続きを話しましょうか?』
女の子はこくんと、首を大きく縦に振るだけだった。
『最近まで天国と地獄もお互い協定を結んでいたんですけれど、権力争いやら内部分裂やらでまた雲行きが怪しいんですよねぇ、それで三途の川協会も中々人手不足でして、更には死者の数が急増という悪循環なんですよねぇ』
目が覚めたのは曇り空と巨大な川。周りは霧に囲まれた薄暗い砂利道が続く。そんな中で国民的某キャラクターの顔が前面にプリントされたレジャーシートをひいて座布団の上に座っていた。目の前にはショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブランなどの十数個ものケーキが敷き詰められた白い紙の箱が置かれている。女の子、アルビノは俺の手元から空になったマグカップを取って水筒から温かい紅茶を注ぎ込んでくれた。
『あ、ありがとう』
『どういたしまして。ケーキのおかわりは?』
魂だけでも味覚は残るらしい。甘党ではないのでケーキひとつですら、胃が重たいので遠慮しておいた。
男、黒曜は最近の天国と地獄の内部事情を延々愚痴り続けている。その姿は居酒屋で酒を飲むサラリーマンのように見えてくる。手元にはケーキを肴に、日本酒が注がれたお猪口がある。わかったことはひとつ、どこも事情は似たようなもんなんだなと。
『それでですね!僕は食事に誘ったのに!3時間も待たされたんですよ!』
いつの間にか恋愛話に変わっていた。見た目年齢は20代前半程なのに苦労しているらしい。アルビノは慣れたことなのか黙々とケーキを頬張っている。
先程までのシリアスな雰囲気などほったらかしにして、俺は遠い目をしていた。
『そういうことなんですよ!わかりましたか?』
『え、あ、わ、わかりました……』
そして、いつの間にか話が終わる。とりあえず、頷いた。触らぬ神に祟りなし、だ。
『あなたならきっと受け入れてくれると思いました』
初めて笑顔を見た。意外と悪くない人なのかもしれない。勘違いをしていただけで。
『それでは、いってらっしゃい』
知らぬうちにお猪口が黒い扇に変わる。ぱちん、と音を立てて閉じた時には俺は足元にあいた黒い穴に落とされていた。驚いて手を離したマグカップはアルビノがしっかりキャッチしている。
『それでは、詳しいことはまた連絡しますね〜』
『ちょ、なんのことだぁぁあ!』
円を描いた光の中の黒曜に無邪気に手を振られて、姿はどんどん小さくなっていった。伸ばした手は虚しく何も掴めずに意識は闇に飲み込まれていく。