勇者には向かない魔法剣
事務方が喧々諤々と細かい文言について揉めた後――。
条約文書の調印式はさすがに厳粛な空気の中で執り行われた。
合意内容にはグロミド軍の撤退条件に勇者(俺)の身柄引渡しが含まれる。
ただしこれには附則があり、確定事項ではない。
俺が試合でグロミドの近衛隊長に勝てば、撤退は無条件で行われることになる。
□
調印式のために集まった文官はすべて退出し、長いテーブルも外に運び出された。
「ハナオ様、大変お待たせ致しました。ご準備の方はよろしいでしょうか?」
「はい」
ストレッチと軽いランニングを終えて、体の方はだいぶ温まっている。
二人の王が待つ広間の中央へ、俺とコーデリオンは反対側から歩み寄っていく。
「……」
やがて2メートルの距離で向かい合うと、サイズの違いをあらためて実感する。
身長差は約20センチ、リーチの差はたぶんそれ以上。
細身だけどしっかり鍛え抜かれた体だというのは鎧の上からでもわかる。
さらに俺へ残念なお知らせ。
今、それぞれの足元にこれから使用する武器が安置されているわけだが――。
「……」
コーデリオンのグレオン・シリーズ『回顧』はエストックタイプの長剣だった。
針状になっている剣身は1.5メートル以上ありそうに見える。
俺の『白濁』はマニアックな小剣グラディウスなので、ここでも格差が激しい。
もうついでにゲス顔で訊いてしまいたくなる。
やっぱあれですか、あっちの方もずいぶんと長いんですかね、と。
「ハナオ様、どうかされましたか?」
あ……。
今、初めてまともに声を聞いた気がする。
甘いマスクにふさわしい、柔らかい耳当たりのテノールボイス。
「……いえ、大丈夫です。良い試合をしましょう」
「はい、よろしくお願い申し上げます」
コーデリオンは小さく笑みを浮かべると、胸に手を当てて頭を低くした。
むぅ……。
こんなハイスペックなお兄さんに敬意を払われると、自尊心がヤバいな……。
精神的な快感は何気なくまたエストックに目をやった瞬間、吹き飛んだ。
「……」
斬撃もイヤだけど、刺突系ってのはまた違う怖さがあるよな……。
俺はあらためて自分の防具の隙間を確認してみる。
脇、肘の裏側、太ももの下半分――。
最低限ここだけは突かれないようにしないと……。
気を引き締めて唇をぎゅっと結ぶと、ミラン王が一歩前に出てきた。
「さて、それではルールを確認しておきます」
「どちらかが自ら負けを認めるか、完全に戦闘不能に陥った時点で試合終了です」
「頭部への攻撃は反則となり、故意でなくても即敗北が確定します」
「また、私かザルツ王が終了を宣言した際は速やかに戦闘を中止して下さい」
「宣言したのが私ならコーデリオン、ザルツ王ならハナオ様の敗北扱いとなります」
「ただ――」
ミラン王はにやりと口角を上げ、すぐ後ろを振り返った。
「先ほどのお話のとおりなら、私たちが水を差す可能性はありませんよね?」
「ないと断言はしません。極力自然な決着を望むということです」
「……」
苦笑して肩をすくめるミラン王の横にザルツ王が並ぶ。
「立会人はこちらのロクタフとし、反則行為の判定と、場合によっては介入も致します」
ひざまずく老戦士の前には幅広かつ肉厚のブロードソードが置かれている。
彼もグレオン・シリーズの使い手だと聞いたのはついさっきの話だ。
「重大なお役目、しかと務めさせていただきます」
「よろしくお願いします」
俺とコーデリオンの声が重なった。
「ハナオ様、私たちは玉座の台上より観覧させていただきます」
「はい」
「お邪魔をせぬためとはいえ、高みから見下ろすことをお許し下さい」
「問題ございません。どうかお気になさらずに」
二人の王がゆっくりと広間の奥へ歩き出すと、クラナ姫とモニ姫もその後に続く。
「……」
アロム姫は何か言いたそうな顔でしばらく俺を見つめた後、一礼して背を向けた。
「……」
絶対勝ちますなんて約束できないけど、2ヶ月も貴女と離れたくはない。
何とか頑張るので、どうか見ていて下さい……!
俺が熱い決意に胸を震わせていると――。
「……?」
アロム姫が視線を落としているのを確認してから、モニ姫が振り返った。
そして、ピンク色の舌を突き出して妖しく微笑む。
「!?」
実際に発音されたかのように明確なメッセージが伝わってくる。
『もしも勝てたら、またしてあげますわ』
ぐぬぬ……。
こ、こっち見んな、小悪魔め……!
あの悪戯なキスのせいで俺がどれだけビクビクさせられたことか……!
「……」
乱された心を何とか整えながら、俺は試合開始の号令を待った。
□
「始めっ――!」
ザルツ王の低音が王の間全体に響き渡った。
「……」
「……」
二人同時に足元から剣を拾い上げ、いったん間合いを空ける。
距離は……3メートル強。
お互いに相手の利き手の方向、つまり右側に回り込むように動き始めた。
「……」
「……」
やっぱり、最初から攻めては来ないか……。
コーデリオンの魔法剣の加速効果には3段階あると聞いている。
つまり、時間が経てば経つほど俺は不利になってしまう。
少し剣捌きを見てからにしたかったけど、こっちから行くしかないか……。
□
静かなペースで試合が始まると、ミランは斜め後ろに立つアロムに尋ねた。
「アロム姫はどちらが勝つとお思いですか?」
「それは……ハナオ様です、もちろん」
語調が強くなる前の妙な『間』にこそ彼女の本音が隠されている。
ミランはそう悟り、軽く目を閉じて笑った。
まあ、無理もないさ……。
グレオン・シリーズの使い手の中でも最強を謳われる戦士、コーデリオン。
恵まれた体格、卓越した剣技に怜悧な頭脳まで備え、しかも百戦錬磨。
そんな全幅の信頼を置く近衛隊長が負ける姿はミラン自身にも想像がつかない。
ただ――。
「へえ……」
自分から仕掛け始めたハナオのスピードはコーデリオンを凌駕していた。
俊敏なモンスター相手ならともかく、対人でこんな状況は見たことがない。
ただし、技術には雲泥の差がありそうだ。
加速魔法が第2フェーズに入れば決着は時間の問題だろう。
しかし、お前が本当に勇者なら俺の予想を超えてみせろ。
俺が擁する瞬駆のコーデリオンを床に這わせてみろ。
グロミドの若き国王の瞳が爛々と強く輝いた。
□
「くっ――!!」
アジリティでは俺が上回っているのにどうしても『白濁』を直撃できない。
何とか鎧の上っ面をかすめるのが精一杯だ。
これが経験の差?
それとも俺の攻撃が単調すぎる?
気になることはもうひとつあった。
「……」
『回顧』の剣身の根元がオレンジ色に発光し、その範囲が少しずつ上へと伸びていく。
まるで何かのゲージみたいだな……。
もしかして、あの光が先端まで達したらタメ攻撃ができるとか……?
「……」
よくわからないけど、とにかく早めに一発当てとかないとヤバそうだ。
俺は攻撃をペースアップすることにした。
「うおぉっ……!」
「……」
「はあっ!」
「……」
鋭い金属音が絶え間なく響き続ける中、気がついた。
コーデリオンの対応には無駄がない。
一撃一撃の角度と強さを見極め、『止める』、『逸らす』、『鎧で受ける』を選んでいる。
労力を必要最小限に抑え、俺とのスピード差を無効化しているわけだ。
くそっ、だったらどうすればいい……?
「はっ――はっ――」
焦りばかりが募り、もう呼吸がだいぶ苦しい。
「!」
気がつくと、オレンジ色の光はもう剣身を覆い尽くす寸前になっている。
「……」
警戒しながら後ずさると、間もなくエストックの輝きはすべて消え去った。
で――?
俺の視界にはこれといった変化は何も感じられない。
ただ、コーデリオンが小さく深呼吸した直後――。
「!?」
5メートルあった距離がいきなり2メートルに縮まった。
「くっ……!」
一撃目ははじいたものの、二撃目は脇のすぐ下をかすめ金属片が数枚吹き飛ぶ。
この速さ……今までずっと様子見してたのか……?
いや、違う……たぶん加速のレベルが上がったんだ。
あの光が魔法効果のプログレスバーだったとすれば納得がいく。
完全なる攻守逆転――。
今度は俺が厳しい攻撃に晒され、防御一辺倒になる。
「はっ――はっ――くっ……!」
ただし、俺にコーデリオンのようなディフェンス技術はない。
1秒ごとに飛んでくる切っ先すべてに最大の注意を払って対応していく。
何か打開策を考えるには余裕がなさすぎる。
このままじゃジリ貧なのはわかってるのに――。
□
スピードアップしたコーデリオンの前に無傷でいられたのは30秒足らず。
「がっ……!」
その後少しずつ防具の隙間にダメージを受け始めた。
傷は浅く出血も少ないとはいえ、2箇所、3箇所となってくると影響は大きい。
それぞれが共鳴するようにじんじんと疼き、体に力を込めた瞬間には激痛が走る。
「はあっ――はあっ――」
少しずつだけど、イメージと体の動きにギャップが生まれてきた。
一方コーデリオンの表情は最初から変わらず、スピードには上げ幅を残している。
まるでサイボーグと戦っているようで、恐怖と絶望感がじわじわと広がっていく。
もう投げ出してしまいたい。
負けを認めて楽になりたい。
それでも、勇者としてのプライドが紙一重で気持ちを繋ぎ続ける。
くそっ……!
半ばやけくそ気味に繰り出した俺の前蹴りはあっさりとかわされた。
その拍子に左目を隠していた前髪が跳ね、一瞬だけその下が見えたのだが――。
「!?」
コーデリオンはなぜか左目を固く閉じていた。
それ、まさか邪眼だとか言わないよな?
もしかして失明してる……?
いずれにしても、そのまま閉じているつもりなら――。
俺は右回りに動いていたのを逆向きに変えた。
「……」
コーデリオンに動揺する様子は見られない。
変わらずテンポよく、上下のコンビネーションを織り交ぜて剣を突いてくる。
ただ――。
若干だけど攻撃の精度が落ちたのを感じる。
やっぱり左側は視界が十分じゃないのかもしれない。
まあ、俺が一方的に攻められてる状況は変わらないけど……。
「はあっ――はあっ――」
『回顧』の魔法ゲージはもう半分以上溜まっている。
もう一段階ギアチェンジされたら俺は絶対ついていけない。
リスクを冒してでも今、攻めなきゃ……。
よし――!!
覚悟を決め、相打ち狙いで距離を詰める。
「うおおぉっ――!」
コーデリオンは至近距離でも長い腕を器用に折りたたんで弱みを見せない。
危なげなく守り、防具の隙間を正確に狙ってくる。
「――ッ!」
俺の傷だけが着実に増えていくけど、今までと同じく深刻なものじゃない。
気合で何とかカバーできるレベルだ。
手加減してる……?
でも、今はそれだけじゃないはず。
コーデリオンからすれば間違っても俺のラッキーパンチをもらいたくない。
無理にKOを狙って隙を作るより、回転率を上げてコツコツ削ってくるつもりなんだろう。
「……」
分の悪い根比べだな……。
でも、最悪こっちは死んでもまた復活できる。
逃げずに付き合ってやる!
「ぉああああああ――!!」
とにかく足を止めず左に回りつつ、『攻撃は最大の防御』を貫く。
たった一撃、かすり傷でもいいんだ!!
恐怖を振り払い、さらに一歩踏み込んだ瞬間――。
「!」
コーデリオンの太刀筋が急にスローモーションに見え始めた。
この感覚はマリウナに勝った時と同じだ。
右肘の裏を狙った突きを腕を下げてかわし、そのまま膝の上を切り下ろす。
あとはこのイメージをしっかりトレースして動けば……!
よし! 『吸精』いける!!
ようやく俺の魔法剣の本領発揮キタコレ――!!
「!?」
完全に捉えたと思ったのに、手応えがない。
それもそのはず、俺の『白濁』は何もない空を斬っただけだった。
何で、だよ……?
前のめりにバランスを崩すと、左の太ももで赤い円が直径を広げていく。
今までよりかなり深い傷だ。
「がっ、く……!」
俺はコーデリオンの加速が最終レベルに達したことを悟った。
ここはいったんできるだけ距離を取ろう――。
痛みをこらえ、剣を構えたままバックステップする。
「!?」
3メートル程離れたはずが、コーデリオンの気配はすぐ背後にあった
とっさに体をひねったものの、エストックの切っ先が俺の右脇を切り裂く。
「ぁぐっ――!」
□
「お父様、もう……!」
「……」
詰め寄るアロムを無視し、ザルツは黙って試合を見守っている。
「これ以上はハナオ様のお怪我を徒に増やすだけです! どうかご決断を!」
□
アロム姫が何か大声を出したのが耳に届いた。
ちゃんと聞き取る余裕はないけど内容は想像がつく。
「止めるな……」
ほとんど無意識のうちに言葉がこぼれた。
「……」
コーデリオンは構えを解いて静かに後ずさる。
「この試合、絶対に止めるな!」
「ハナオ様……しかし――」
「もし止めたりしたら、勇者なんかやめてやる! この世界だって救わない!」
「ハナ、オ様……?」
ああ――。
バカだな、何をこんなに熱くなってるんだ……?
俺の今後2ヶ月の居場所を決めるだけの試合なのに……。
勝つ可能性なんて、もうほとんどないくせに……。
「コッド、何を見ている!」
突然ミラン王の怒声が響いた。
「最後まで戦い抜け! ハナオ様への無礼は許さんぞ!」
「……はっ」
コーデリオンが臨戦態勢に戻ったのが視界の端に映る。
このまま棒立ちしてれば、3秒後には体にいくつも余計な穴が加わるはず。
体力も尽きかけてる今、そこできっと試合は終わるだろう。
何とか吸精しなきゃ――。
いや、いっそ視点を変えてみよう。
速いって、いいことずくめなのか?
車の事故ってスピードの出し過ぎが原因のこと多いよな……?
「……」
□
ミランは目を見開いた。
なんとハナオは迫り来るコーデリオンに向かって『白濁』を全力で投げつけた。
まさか……!?
グレオン・シリーズに限らず、魔法武具は原則所持していてこそ効果を享受できる。
ハナオからすれば完全に劣勢の中、『吸精』で活路を切り開くしかない場面だが――。
人体の限界を試すような速度で疾走しながら、コーデリオンはほんの刹那迷った。
右胸に迫る短剣に、スケイルの装甲を貫く力があるのか、どうか。
「……」
彼は結果としてエストックを振るってそれをはじき飛ばした。
選択の是非は別として、コンマ数秒の隙が生まれたのは事実。
「!」
そしてその隙を狙っていたハナオが今、『回顧』を両手で掴んで引っ張っている。
「くっ――!」
意表を突かれて離しかけた柄を、コーデリオンは何とか握り直す。
「……」
ハナオは力比べしようとはせず、すぐに手を離して『白濁』の元へと駆けた。
勇者よ、そうきたか……。
ミランは目を見開き、興奮を抑えきれないように小刻みに震えている。
加速フェーズのリセット――。
わずか一瞬でも剣を手放したことで、コーデリオンの魔法は初期化されてしまった。
武器を奪い取るより、おそらくこちらが真の狙いだったはず。
あの窮地で発想しただけでも非凡だが、実際にやってのけたのだから恐れ入る。
とはいえ、これで流れがハナオに傾くかといえばそうでもないだろう。
確かに試合開始の段階ではスピードでコーデリオンを上回っていた。
ただし、今は互いのコンディションがまったく異なる。
加速魔法による心身の消耗はあるにせよ、コーデリオンの余力は十分。
一方のハナオはいくつもの負傷を抱え、肉体的に相当厳しそうだ。
残念だが、大勢は変わらない。
勝つのは俺のコーデリオンだ。
それでも、十分に楽しませてくれた。
「ふふっ……」
ミランのハナオに対する興味は、勇者の肩書きと異能を抜きにして高まっていた。
□
『回顧』がまたオレンジ色に光り始めたってことはつまり……。
「よし……」
確信はなかったけど、これで最低限の目的は果たせた。
後は――。
残る体力を振り絞ってワンチャンに賭ける……!
俺は疾走し、エストックの間合いに入る直前でスライディングした。
そのまま長い脚の間へ仰向けで勢いよく滑り込み――。
「うぉおおおおおお!!」
防具のない右の膝上めがけて『白濁』を思い切り突き上げた。
コーデリオンは完全に不意を突かれて棒立ちになっている。
ふははっ――!!
どやっ!!
優男の精力、がっつりいただいて大逆、転……。
「……」
あれ……?
肩を浮かせて思い切り伸ばした俺の右腕の先端――。
その切っ先は確かにコーデリオンのズボンを貫いているのだが――。
体にはぎりぎり届いてない……?
くっ、でもあと数ミリ押し込みさえすれば……!
「……」
ウソ、だろ……。
俺の体はもう、そのわずか数ミリすらも言うことを聞かなかった。
「!」
コーデリオンが我に返ったように素早く俺から離れる。
――と同時にグレオンの歌声がぴたりと止まり、手から魔法剣がこぼれ落ちた。
ああ……。
終わり、か……。
「そこまで!!」
ザルツ王の声より早く、駆け寄ってきたコーデリオンが傍でひざまずく。
何か言っているみたいだけど、声がずいぶん遠く聞こえてよくわからない。
ただ、その顔には大量の汗が浮かび、はっきりと疲労の色が見て取れる。
「……」
そっか、意外と必死にやってたんだな……。
まあ実際、機械なわけないんだし……。
ていうか……。
相手の股間に潜り込んで、下から精力を奪おうとする俺ワロタ。
他に何も思いつかなかったとはいえ、勇者としてどうなのよ……?
「……」
全身から力が抜け始め、視界が白く濁っていく。
ああ、これで3度目か……。
今度もちゃんと生き返れるんだろうな……?
若干の不安を抱えたまま、間もなく俺の意識は完全に途切れた。