連隊長マリウナ・ガロル
透けるほど薄いハイネックの白い下着。
学ランに似たタイトな黒いジャケットとズボン。
ダブルストラップの茶色いショートブーツ。
別室で着替えを済ませ、俺はいよいよ王の間へとやって来た。
――といってもここは依然としてダンジョンの中。
城へ案内されると思っていたのは俺の早とちりだったらしい。
これはなかなか、壮観だな……。
たぶん50メートル近く、真っ直ぐに伸びていく真紅のカーペット。
その左右にずらりと並んだ、胸に手を当てひざまずく剣士たち。
小高くなった最奥部で、遠目にも威厳を放つ巨大な玉座。
これぞ王道ファンタジー的な光景――。
その中を歩きつつ、しかも主役が自分であることを思うと激しく胸が高鳴る。
「父上、伝承に謳われし千命の勇者、ハナオ・カトー様をお連れ致しました」
広間の中央を過ぎたあたりで立ち止まると、姫は凛とした声を響かせた。
少しふわふわしていた気持ちが一気に吹き飛んでいく。
俺も慌てて足を止め、ひざまずいて頭を垂れる。
う……。
何か、すげー数の視線を感じる……。
緊張気味に赤いじゅうたんを見つめていると、太くよく通る声が聞こえてきた。
「アロムよ、このお方が勇者というのは間違いないのだな……?」
「はい。すでに一度、転生されるご様子をこの目で確認しております」
剣士たちからどよめきが漏れると、姫はそれを制するように言葉を続ける。
「また、来路にて遭遇したデデトロを圧倒的な速度で翻弄されました」
「相応の武具さえお持ちだったなら、初撃にて討ち取られたに違いございません」
今度はどよめきの中から喝采も聞こえてくる。
この反応からして、デデトロはかなりの難敵として位置づけられているらしい。
もしも勝っていたら、どれだけの評価をされたんだろうか。
うーん、今さらながら悔しくなってきたな……。
「!?」
ふと気を抜いた俺の視界に白い高級そうな靴が現れた。
かと思うと、さっきのバリトンボイスが至近距離から降ってきた。
「お顔を上げて下さい、勇者ハナオ・カトー様」
「……はっ!」
ドキドキしながら、言われたとおり顔を上げる。
「……」
アロム姫が母親似なら、国王は普通のおっさんの可能性もあると思っていた。
微妙にメタボで、微妙にハゲてて、どこにでもいるありふれた中年男性。
要するに俺の父親に王冠を載せガウンを着せた程度の感じかもな、と。
で、実物は――。
いや、とんでもねえ……。
オヤジ好きの属性なくても女子大生イチコロ(死語)だろ……。
年はたぶん40半ば、身長は180あるかないかの細マッチョ体型。
肩まで伸びた少しラフな黒髪、すらりとした鼻梁、その下の手入れされた口ひげ。
ややツリ目の蒼い瞳は、落ち着いた中にもどこかぎらついた光を宿している。
「私はザルツ・ラフライン。この神聖ロインタールの国王を務むる者」
王との謁見――。
それは転生、召還問わず、世界を超えてきた者にとっての一大イベント。
ここでのふるまい方ひとつで、その後の攻略ルートが大きく左右される。
俺の場合はもともと主導権の駆け引きをするつもりはなかった。
どうしても譲れない点だけは主張して、あとは基本従いますよというスタンス。
とはいえ、ここまで相手の雰囲気に呑まれてしまうのは想定外だった。
「本来であれば国を挙げて歓待すべきところ、礼を尽くせず申し訳ありません」
「そ、そのようなことは、どうかお気になさらずに――」
「よし、では気にするのはやめよう」
え……?
王は豪快に笑うと、面食らっている俺へすっと手を差し伸べた。
「私は堅苦しいのはあまり得意じゃないのです。さあ、ハナオ様も立って」
え、いいのかな……?
さりげなく後ろを窺うと、アロム姫は苦笑いのような表情で小さく頷く。
じゃ、じゃあ……。
おそるおそる右手を上げると、熱く大きな手の中に包まれ力強く引かれる。
ひゃっ……!
俺は思わず心の中で黄色い悲鳴を上げてしまった。
いや、これはあれだ、仕方ない。
こんなイケてる中年に今まで出会ったことなかったし、うん。
「こんな振る舞い、妻がいたら何を言われたことか……」
向かい合ったザルツ王はおどけたような笑みを浮かべている。
それでもやっぱり目力がハンパない。
「その妻は療養のため出国中なのでいずれご紹介を。子は娘が三人で――」
え、三人……!?
「左が長女のクラナ、右が三女のモニです」
王のすぐ後ろには、いつの間にか二人の女性が控えていた。
優雅な仕草で順にお辞儀をされ、俺も慌てて深く頭を下げる。
クラナ姫は王に似た切れ長のツリ目で、片サイドの三つ編みを胸に垂らしている。
何となくアンニュイな雰囲気をまとっていて、近寄りがたい感じがしないこともない。
モニ姫は内巻きのセミロングでややタレ目、快活そうな笑みを浮かべている。
その下の推定Eカップのけしからん膨らみを無視できる男はいないはず。
タイプ的には真逆に近いけど、二人とも目を引く美形であることは同じ。
おそらく王妃も相当に綺麗な人に違いない。
身分とか不倫とか年齢差はこの際置いておいても――。
ノーチャンだよな……旦那がこの人じゃ、俺なんて……。
ザルツ王は無駄にいじける俺の背後に目をやった。
「そして、それは次女アロム……ご存知ですな?」
「はい……ここまでとても良くしていただきました」
ちらりと視線を送ると、姫は照れたような笑みを浮かべる。
「もったいないお言葉です、ハナオ様」
次女か……。
ハーレム的な展開も期待してるけど、俺が最後に選ぶのはたぶんこの人だ。
結婚しても国にガチガチに縛られることもないし、良かったな。
未来の明るい夫婦生活へ思いを馳せていると――。
「お疲れだろうし、細かい話はまた明日に。今日は一点だけご意思の確認を」
王の顔がぐっと引き締まったのを見て、俺はごくりと唾を飲んだ。
「この大陸は本来の調和を失い、今や戦乱や災禍が広がる一方です」
「我らを照らし、導く希望になっていただく、そのお覚悟はあるだろうか?」
誇らしい気持ちと、胃がきゅっと痛くなるような思い――。
いや、召還されるってのは基本こういう役目を負うパターンだけどね。
このシチュエーションで、この王様から、はっきり言葉にされるとそれは重いでしょ。
俺は小さく深呼吸してから、声を張って答えた。
「この身に宿りし千の命、世の安寧のためにすべて捧げます!!」
「おお、なんと力強い……皆の者、聞いたか!? 誰のお言葉か!?」
王の問い掛けに、剣士の一人が節をつけて高らかに返す。
「貴名ハナオ・カトー! 希望の勇者!」
直後から他の剣士たちも唱和していく。
「貴名ハナオ・カトー! 希望の勇者!」
「貴名ハナオ・カトー! 希望の勇者!」
えーと、こういうの何て言うんだったっけ?
チャント……?
まあとにかく気持ちいいな、ぐふふ……。
まだまだ聞いていたかったのに、それはたった一人の口上で打ち消されてしまった。
「陛下、第二連隊長マリウナ・ガロル、上申のご許可を賜りたく存じます!」
声の主は褐色の肌の女剣士。
連隊長というと、きっとそれなりの地位なのだろう。
他には見られない、鎧に施された装飾やマントの着用からもそれは窺える。
「……許可する。申してみよ」
「はっ。この場におきまして私とハナオ・カトー様との試合をご承認願います!」
ちょっ……。
いや、急にこの人何言ってんの!?
一瞬にして静まり返る空気、それを打ち破ったのは我がアロム姫だった。
「マリウナ、勇者様に対しそのような非礼……許しませんよ!」
すごい迫力……。
これまで俺が見てきたのと全然違う厳しい表情。
明らかに年上の武人を喝破するとか、王女としての意識の高さがなせる業だな。
ただ、マリウナという女剣士も中々で、直立したまま少しも退く様子を見せない。
「自分に勝機があるなどとは毛頭考えておりません。私はただ――」
「ハナオ様に我々の戦力を把握いただく一助になると考えたまででございます」
アロム姫も即座に反論する。
「それが今この場でなくてはならない理由があるのですか!?」
ザルツ王は無言で右手を上げ姫を制すると、その視線をゆっくり俺へと向けた。
「陛下、私は構いません。マリウナ殿との試合、お受け致します」
躊躇もなく答えると、広間にどよめきと歓声が湧き起こる。
「ハナオ様!」
アロム姫は後ろから詰め寄ると、俺だけに聞こえるよう声量を落とした。
「あれはこの国で五本指に入る手練れ、不遜な動機があるやもしれません」
近い……。
かすかに腕に当たってるの、胸、だよな……?
そしてこの甘い香りときたら……。
「もしそうなら、なおさら受けるべきでしょう」
思わず抱き締めてしまいたくなる衝動と戦いながら、精一杯見栄を張る。
「わだかまりを解くのに、早過ぎるということはありませんから」
「ハナオ様……」
何だかんだ理由をつけて回避することもできたイベントだとは思う。
でもそうなるとこの場にいる全員の心証を悪くしかねない。
第一印象を払拭するのが大変なのは人生経験として知っている。
「承知致しました。どうかお怪我などなさいませぬように……」
心配そうに俺を見つめる姫の瞳はじんわりと潤んでいる。
いくらマリウナが手練れとはいえ惨敗でもすれば――。
俺への期待感は大幅に萎み、こうして連れてきてくれた姫の面目も潰してしまう。
とはいえデデトロ戦の感覚を思い出せば、対人で圧倒される気にはならない。
まあ、やってみるさ。
□□
剣士たちは列を崩し、広間の中央にぽっかりと丸いスペースをつくった。
薄手のスケイルアーマーを装備した俺はその中心にいる
そして目の前にはこれから剣を交える短髪の連隊長殿の姿。
うーん、結構ずっしりくるな……。
得物は両者とも同じバスタードソード。
剣身も柄も長く、全部で1.5メートルくらいあるからその分重い。
慣れない今は両手持ちじゃないとまともに扱えそうにない。
「始めっ!」
玉座から発せられた号令で軽く剣を交差させ、すぐに離れる。
「……」
「……」
距離は約4メートル。
マリウナの構えはゲルマンスタイルのフォム・ダッハに近い。
肩幅に開いた足、軽く落とした腰、真っ直ぐ上を向く切っ先――。
無駄な力が抜けた、熟練者のオーラを感じずにはいられない。
そりゃそうか、この国で五本の指に入る剣士だもんな……。
短い前髪といい、鋭い眼光といい、男勝りってレベルじゃねーな。
乱れそうになる呼吸を何とか保ち、自分に言い聞かせる。
とにかく、最初は防御に専念しよう。
アジリティを生かして何とか全部さばききってやる。
そして動きの種類とリズムが読めてきた段階で攻撃に転じるんだ。
じりじりと詰まった間合いは2メートルあるかないか。
もう十分に射程内だ。
自分から動き出したい気持ちをじっと抑え、『見る』ことに集中する。
キタっ……!
マリウナの鋭い踏み込み――。
からの強烈な上段斬りを受け止めた瞬間。
右肩を絞って手首を返そうとするのがスローモーションのように見えた。
逆方向に斬り下ろしてくる――。
確信と同時に、俺は大きく前傾して右足を思い切り蹴り出した。
あとは頭の中に浮かんでいるイメージを正確にトレースするだけ。
1秒後、俺は女剣士のがら空きの左脇腹に水平斬りを叩き込んでいた。
「ぐっ――!!」
呻くような小さな悲鳴。
まだ続けるか……?
素早く反転して構え直した途端、王の声が響き渡る。
「そこまで!」
「……」
マリウナはぴくりと肩を震わせた後、静かに剣を下ろした。
「感服致しました……」
「いや、偶然読みが当たっただけですよ」
彼女の表情には悔しさと清清しさ、その両方が交錯しているように見える。
まあ何にしても、これである程度は認めてもらえたよな……。
ほっと息を吐くと、固唾を呑んで見守っていた剣士たちから拍手が沸き起こった。
ガッツポーズのひとつでもしたいところをこらえ、俺は握手のために手を差し出す。
「これからよろしく、マリウナ・ガロル殿」
「……はい、勇者ハナオ・カトー様」
俺の手を握った瞬間、マリウナは顔をしかめた。
え?
脇腹を押さえた彼女の指の間から、わずかに赤いものが滲んできている。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ご心配には及びません。浅い傷です……」
すぐにアロム姫と数名の剣士が駆け寄ってきた。
「マリウナ、早く別室で手当てを。お姉様!」
現れたクラナ姫はこくりと頷き、肩を借りて下がっていくマリウナに同行する。
「……」
後ろ姿を半ば呆然と見送っていると、アロム姫が隣にやってきた。
「失礼ながら、ここまで短時間で決着をお付けになるとは思いませんでした」
「いえ、それより、マリウナ殿に負傷を……」
「ありえた結果です。ハナオ様がお気に病むことではございません」
穏やかな口調のままきっぱりと断言する様には気品が漂う。
何だか一気に気持ちが軽くなったな。
さすがは俺の未来の嫁……。
その時、太い声で後ろから名を呼ばれた。
「ハナオ様――」
あ、やべ……背中向けちゃってた……。
俺は慌てて玉座の方へ身を翻し、片膝をついた。
「見事なお手並み。その剣が正しい未来をも切り開いてくれると信じています」
「御心のままに」
俺はここぞとばかりに一度は言ってみたかった台詞で応じた。
「ではアロム、ハナオ様にできるかぎりのおもてなしを」
「はい、父上。それではお部屋にご案内致します、ハナオ様」
王に一礼して退出しようとすると――。
「貴名ハナオ・カトー! 希望の勇者!」
どこからか第一声が上がると、口々にチャントが広がっていく。
見ると剣士たちは全員、手にした剣を高らかに掲げている。
「貴名ハナオ・カトー! 希望の勇者!」
「貴名ハナオ・カトー! 希望の勇者!」
うわっ、これ最高すぎ……。
体にぞくぞくと震えが走って止まらない。
「ハナオ様……」
俺の横顔を覗き込むように小首を傾けるアロム姫。
その口元にも嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
まあ、とにかく、あれだ。
掴みはばっちりオッケーってことだな。
よし……!
「貴名ハナオ・カトー! 希望の勇者!」
「貴名ハナオ・カトー! 希望の勇者!」
俺は確かな手ごたえを体感しつつ、王の間を後にしたのだった。