彼我の境界と連鎖
暗い……。
息苦しい……。
…………。
「ぷふぁっ!!」
目の前の闇を思い切り突き飛ばすと、ガタンと何かが転げ落ちる。
そして視界が少しだけ開けた。
「……」
屋内……なのか?
見上げている岩肌はろうそくか何かの淡い光で照らし出されている。
「……」
あれ、デジャヴュ……。
ていうか、俺死んだんじゃ――。
「……」
あー、はいはいはいはい。
そういうことですね。
俺はしたり顔で上半身を起こした。
岩盤に囲まれた縦に長い部屋。
真ん中には祭壇があって、火のついた太いろうそくと果物か何かが並んでいる。
その向こうの一番端にある四角い穴が出入り口。
俺は部屋の奥の棺桶の中、背後にキモい人形盛りだくさん――と。
ざっとロケーションを確認したかぎり、何も変化は感じられない。
つまり……。
死んだと思ったら召還された直後まで時が戻ってる件。
これはどう考えてもループものですわ。
もう間もなく、ここにローブをまとったアロム姫がやって来る。
テンプレどおりなら、俺以外は誰も時間のループには気がつかない。
だから姫はきっとまたこう言うんだろう。
「誰かいるの……? ……勇者様、でしょうか?」
はぁっ……。
一読者、あるいは一視聴者として楽しむだけでよかったんだよ。
俺的には中の人になりたくないジャンルナンバーワンだったのに……。
同じ時間を何度も体験するなんて、精神病むに決まってるんだから。
……とまあ、文句を言ってても仕方ない。
とにかく、早くループから抜け出す突破口を見つけなきゃ……。
とりあえず1周目の流れを軽く振り返って整理しておこう。
1.俺はこの部屋でアロム姫に出会い、国王との面会を了承する。
2.二人で部屋を出て通路を進んでいると、姫が道を間違える。
3.デデトロというモンスターに遭遇、迷った末に戦闘を選択、負けて死亡。
気を失いかけるほどの毒の息、一発で致命傷レベルのツメ攻撃――。
くやしいけど、少し思い出すだけで体に震えが走る。
このままにしておくとトラウマになりそうだし、早くリベンジしないと……。
よし、2周目の今回はあのデデトロに勝つことを第一に考えよう。
いや待てよ、負けイベントの可能性を考慮して逃げておくべきなのか?
見つかった時点でアウトなら、姫が道を間違えないように注意してないと――。
あれこれ考えを巡らせていると、部屋の外から足音が高らかに響いてきた。
ん……?
これ、姫……だよな?
さっきはこんな走ってきた感じじゃなかったけど……。
「ハナオ様っ!? よかった……!」
「えっ!?」
駆け込んできた姫はそのまま俺のすぐ隣りで崩れるように座り込む。
「きっと復活して下さると信じていました。でも、それでも……」
俺をまっすぐ見つめる瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「みずき……」
「えっ?」
「あっ、ああ、ええと、何でもありません!」
いくら似てるとはいえ、妹の面影をこんなに何度も重ねたりするもんか?
正直うっすら自覚はあったけど、こっちの世界に来てあらためて気づいたわ。
俺、シスコンなんだな……。
まあ、このショックは後でじんわり受け止めることにしよう。
今は現状分析が先だ。
姫は最初からワンピース姿で、俺の名前を知っている。
俺を見て安心したのは、たぶんデデトロに無残に敗れたのを見ていたから。
ここから導き出される結論はひとつ。
「私は、何とか一命を取り留めたんですね……」
ループなんてなかったんや……。
俺は心の中で乾いた笑いを漏らした。
「いいえ……ハナオ様は先ほど確かに逝去され、そして復活なさったのです」
「え……」
復活……?
魔法かな?
それともエリクサー的な?
まあ、何にしても――。
一度死んだら即ゲームオーバーじゃないのは気が楽でいい。
そう考えると、元の世界ってやっぱハードモードだよなあ……。
「そういえば、姫の方はどこもお怪我はなかったですか?」
雰囲気からすると問題なさげだけど、急に心配になって俺は尋ねた。
ループものじゃないなら、やり直しは利かないわけだし……。
「無事でございます。あの後、デデトロはふらふらと混乱した様子だったので……」
「そうでしたか……申し訳ございません。これでは到底勇者だなんて――」
「いいえ」
姫はきっぱりと首を振ると、甘く優しい微笑みを浮かべた。
「あのデデトロに対し一歩も退かず戦っておられましたし……」
「最後は深い傷を負いながらも私の身を案じて下さいました」
「強さと愛を兼ね備えたハナオ様こそ、世界が、そして私が待ち望んだ勇者様です」
うわ、天使すぎる……。
ウソみたいに澄み切った緑色の瞳に、俺のバカ面がぽっかりと浮かんでいる。
気の利いた言葉が思い浮かばないのは、19年間彼女なしの俺だからじゃない。
この場にいれば人気イケメン俳優だって絶対硬直するはずだ。
そのくらいアロム姫のかわいさは神がかっている。
「いえ、私は……あ、えーと……」
声はかすれちゃってるし、顔はたぶん真っ赤だろうな。
だけど、別に勘違いはしてない。
姫にあるのは恋愛感情じゃなくて、憧れとか崇拝とかそういう気持ちだ。
今はそれで十分。
失望させないようにこれから結果を積み重ねていくのみ。
そしていつか本物の勇者になる頃には、俺を一人の男として愛し始め――。
「ハナオ様、私の心と体すべてを捧げます。お受け取りいただけますか……?」
みたいな。
「ハナオ様、どうかされましたか? もしかしてお体の方が……」
「いえ、お体もお心も両方ともありがたくいただきます」
「え……」
「――ああ、元気です! 心も体も! ははは……」
あぶない。
妄想もほどほどにしないとだな。
でも実際のところ体調にはまったく問題がない。
逆に何か副作用でもあるんじゃないかと気になるくらいに……。
「どなたがどんな方法で生き返らせて下さったのか、姫はご存知ですか?」
「……そうですか。お気づきではなかったのですね」
姫は少し意外そうにそう言うと、俺の背後に目をやった。
ん……?
視線を追って振り返ってみると――。
あ……。
陳列されている数百体のうち、一番左下の人形が粉々に砕けてしまっている。
「ハナオ様が復活なさったのは御身に宿るお力のためです。ただ――」
姫はその崩れた人形の前まで行くと、愛おしそうに両手ですくい上げた。
「私どもがご用意した依り代も、大事なお役目をいただいているようです」
「依り代……?」
これってただの人形じゃなかったのか……。
「……」
あらためてひな壇を見回しているうち、ある可能性に思い当たる。
まさか……。
半ば呆然としながら立ち上がった俺の耳に、凛とした姫の声が届く。
「この大陸でもっとも古い伝承の一節にこうあります」
「大樹の理揺らぐ時、この地に降り立つは、人にして千の命を持つ勇者なり」
千の命……!
我ながらすごいチートだな……。
「……」
「……」
訪れた長めの沈黙――。
俺は自分に与えられた能力の重さを噛み締めている。
そんな俺に共感したのか、姫も静かに立ち尽くして……ない。
むしろ落ち着かない様子で体を小さくくねらせている。
「!!」
ってそうかあああ!
俺また全裸ですやん!
はぁああああああっーーー!
すぐにでもしゃがみ込み、ぐっと膝を抱えて小さく小さくなりたい。
そんな弱い気持ちを抑え込み、むしろ胸を張って心の中で叫ぶ。
システム的な全裸だから恥ずかしくないもん……!
しかし、この後どうする……?
もう姫にローブは借りられない。
まさか、そのワンピースを脱いだりなんてしませんよね、チラリ……。
「あの……もしも、ハナオ様さえよろしければですが――」
姫の細い指が腰のベルトをぎこちなくなぞっている。
うああっ、マジか!?
身長差は10センチもないし、サイズ的にはたぶんいけますけど……!
でも……。
「そ、その下はもう、下着、ですよね?」
「……はい」
可憐に恥じらう横顔を盗み見ながら、その下着姿に思いを馳せる。
普通にブラとパンツなのかな、それともシミーズ的なアレか?
言うても異世界だし、紐ビキニみたいなサプライズもあり得るか……。
まいったな。
薄暗いダンジョン、そんな無防備な格好で隣りを歩かれたらどうなるよ?
俺の方はノーパンでワンピース着てるわけだろ?
一番無難なケースでも、新しい属性を手に入れてしまうに違いない。
「えーと……あっ!」
俺は部屋の中央の祭壇まで走り、載っている用具をすべて床に移した。
そして掛けられていたビロードみたいな布を手に取り、くるりと腰に巻く。
しっとりとした繊細な感触に包み込まれる俺の下半身。
「これでいいです」
姫に向き直ると、すぐに目を逸らされてしまった。
まだ直視できるレベルには足りないらしい。
「そう、ですか……承知致しました。あとはお靴ですが……」
ああ、そうか。
サンダルも前の俺が履いていってもうないのか、う~ん……。
「私の方は喜んでご提供致しますが、さすがに靴は失礼かと……」
姫の靴はかかとが低く歩きやすそうでいて、フォーマルさも漂わせる一品。
失礼なんてことは全然ないけど、そもそもサイズ的に厳しそうだ。
もし履けてたら、絶対おいしいイベントが発生してただろうけど……。
「あ、あの、重かったらすぐに降りますから、ご遠慮なくおっしゃって下さい」
「私にとってはちょうどいい重さです。ずっとこのまま背負っていたいくらいに――」
「今すぐ取り消して下さらなければ、そのお言葉、信じ続けてしまいます……」
むぎゅうぅ。
俺はにやけそうになる頬をさりげなく押さえて答えた。
「どうかお気遣いなく。裸足で大丈夫ですから」
「ご不便をお掛けし本当に申し訳ございません……」
「いいえ。それではまいりましょう、今度こそ国王陛下の元へ」
□■
薄暗く、見た目の変化に乏しいダンジョン内部を姫と進む。
腰布一枚で寒くないのはいいとして、ゴツゴツした床は裸足に優しくない。
まあ、こんな装備で楽に攻略できるダンジョンなんて存在価値ないけど――。
「……」
言葉に出すのが怖くてかなり躊躇した後、俺はついに切り出した。
「前の私の遺体は、そのまま残されているのでしょうか……?」
あの場所は姫が道を間違えた先で、普通に順路を行けばもう通ることはない。
「それは……申し訳ございませんが、私にもわかりかねます」
そうなのか……。
伝承とやらに何か記述があるかもと思って訊いてみたんだけど……。
「後ほど確認に行かせ、ご遺体があるようなら謹んで葬送させていただきます」
「……寄り道してもいいですか? サンダルを回収できるかもしれませんし……」
俺の中には自分の遺体と向き合うことへの好奇心と義務感が交錯していた。
「承知致しました。ハナオ様がそう望まれるのであれば……」
「ありがとうございます」
今は完全な丸腰だし、姫を危険に晒すようなことはもうしたくない。
もしまたデデトロに遭遇することがあれば、すぐに引き返そう。
俺はそう決めていた。
□■
しばらくして、姫は静かに足を止めた。
「ハナオ様、この先でございます」
松明の近くではないので、視界は良好とはいえない。
ただ、通路の前方に何かが横たわっていることだけは何となくわかる。
「では、アロム姫はここでお待ち願います」
「はい。ランタンは……お持ちになりませんか?」
「ええ、結構です」
どう見ても10メートルもない距離を、やけに長く感じながら歩くと――。
「……」
遺体は案の定ひどい有様だった。
肩から上は数回に渡って踏みつけられたらしく、原形を留めていない。
赤黒い血溜まりに浮かぶ、まるでボロ雑巾のような敗者の成れの果て……。
俺はすぐに視線を逸らし口元を押さえた。
込み上げてくる吐き気と、よみがえる戦闘中の記憶。
焦り、恐れ、激痛、諦め、絶望。
連続する負の感情、その前に俺を支配していたのは――。
全能感。
あんなハイテンションは今まで味わったことがない。
劣等感は全部吹き飛んで、自分の『生』そのものが最強の武器に思えた。
その直後に死ぬというのが笑えるような、必然のような……。
覚悟してもう一度視線を戻す。
不思議な感覚だな……。
この遺体は俺であって、『彼』だ。
いつか俺もこんなふうに、新しい俺に見下ろされる『彼』になるのかも……。
まあ、できればもう死にたくないけどね。
目を閉じて手を合わせ、俺はきびすを返した。
足の裏はひりひり痛みだしてるけど、まあ仕方ないか。
調子に乗ったあげく、無様にやられた未熟な勇者――。
でも、かろうじて残った人としての尊厳くらい残しておいてやりたい。
「……」
裸足のまま戻った俺を見て、姫は一瞬何か言いかけてすぐにやめた。
代わりに浮かんだ控えめな微笑みは、俺の気持ちをそっと和らげる。
「お待たせしました、アロム姫。行きましょう」
「はい、ハナオ様」
姫を迎えに来た王国兵士たちと合流できたのは、それから間もなくのことだった。