ライフバージン喪失
出口へとよたよた歩き出すと、すぐに姫に呼び止められた。
「ハナオ様、お靴の用意はございますので……!」
手渡されたのは、足の甲と足首をそれぞれベルトで固定するタイプのサンダル。
ソールは結構厚みがあるけど持った感じはかなり軽い。
「ありがとうございます」
足のサイズをほぼ選ばない構造で、履いてみると実際ぴったりフィットした。
二歩三歩と歩いてみた感覚もかなりよさげ。
指先が露出してるし明らかに戦闘には向かないけど、今はこれでいいんだろう。
「ハナオ様、申し訳ございませんがお手をお借りできるでしょうか?」
振り返ってみると、姫は俺が出てきた棺桶(?)の蓋を閉めておきたいらしい。
「はい、初めての共同作業ですね」
「今、何かおっしゃいましたか……?」
「いいえ、何も」
いくつもの冒険と恋愛を経て、やがて年老いて寿命を終えた時――。
俺はまたきっとこんな箱の中に帰ってくるんだろうな。
まあ、何十年も先の話だけど……。
■
いよいよ部屋を出てみると、意外性も何もない光景が広がっていた。
ざらついた岩肌の通路がだらしなく左右に伸びている。
状況から察するに、ここはおそらく城の地下のダンジョン。
王族専用の秘密ルートか何かで直接城内のどこかに繋がっているはず。
「……」
「……」
通路は壁の燭台に挿された松明で照らされている。
でも設置の間隔がかなり長いので、ランタンなしでの探索は厳しそうだ。
「……」
「……」
むーん……。
歩き出して数分経つけど、まだ一言も会話がない。
あれだよな、『ダンジョン内の廊下は喋らない』的なルールないよな?
別に怒ってるわけでもないだろうし、俺の方から……。
思い切って話し掛けようとした途端、姫はぴたりと立ち止まった。
「……アロム姫?」
少しドキドキしている俺に向き直ると、姫は深く頭を下げる。
「ハナオ様、大変申し訳ございません。ひとつ前の岐路で道を誤りました」
「あー……」
何とかこらえようとしたものの、俺は我慢できずに軽く吹き出してしまった。
「ハナオ様……?」
「いえ、すごく自信に満ちた足取りで、全然間違える雰囲気じゃなかったので……」
「申し訳ございません……」
「あー、いえ、本当に気にしないで下さい」
来た道を戻り始めてすぐ、姫は小さくため息をもらした。
「確かに覚えているはずの道順なのですが、やはり緊張しているようです……」
「緊張、ですか……?」
「はい。勇者様がこんなにお近くにいらっしゃるかと思うと、どうしても――」
恥ずかしそうに眉を寄せてちらりと流し目とか、マジ反則なんですけど。
相手はローブの下全裸でサンダルだけ履いてる変態さんですよ?
そっちが緊張するって言うならこっちも緊張させますよ、主に下半身をデュフフ。
ゲス顔は心の中だけにとどめ、爽やかに微笑む俺氏。
「私だって人間です。どうかあまり勇者とか意識しすぎないで下さい」
「はい……なるべくハナオ様にご迷惑をお掛けしないように――」
「あー、逆です。むしろ道を間違い続けて下さいって言っているんです」
きょとんとした顔になった後、姫の頬がゆっくりと緩んでいく。
「ハナオ様、それにしてはこのランタンが邪魔になります」
「うーん……勇者にそれを壊す勇気はなさそうです」
二人で笑い合うと、かすかに肩が触れ合った。
何となく最初の小さな壁を壊せたような気になる。
ここからは多少気軽にいろいろ話せそうかなと思った矢先――。
「――っ!」
姫が小さく声を上げて立ち止まった。
「どうしまし――」
ああ……。
姫の答えを待つまでもない。
約10メートル先の角から現れた巨体が、松明の炎に浮かび上がった。
青とか緑とかそっち系の体色。
大きく裂けた口から覗く発達した牙。
やや猫背でゴリマッチョな上半身、長くて太い腕。
「デデトロ……中レベルのモンスターです!」
「あの、ここって、あんなのが徘徊してたんですか……?」
普通に考えればダンジョンにモンスターは付き物。
だけど王女が一人歩きして来るくらいだから、安全なものとばかり思っていた。
「いいえ……今までは一度も……」
姫は少し呆然とした様子で首を振って答える。
2メートルを優に超える怪物は俺たちを敵と認識したようだ。
歩くペースを上げたかと思うと、短めの足をフル回転させて迫ってくる。
どうする?
まあ、重要なイベントには違いないよな。
姫の信頼を勝ち取るためにも、この世界での俺のポテンシャルを知るためにも。
「アロム姫、何か武器になるものは!?」
「このようなものしか……」
「……」
……うーん。
受け取ったのは護身用と思われる短剣。
これはさすがに無理ゲーなんじゃ……。
「ハナオ様、後退して迂回する道もございます」
ザコではないとはいえ、チート全開の勇者様なら難なく圧倒する相手だろう。
だけど今の俺にチートの実感はないし、武器は短剣だけ、魔法の心得もない。
ていうか、そもそも魔法が存在する世界なのかな、ここって。
考えてる間にも距離はどんどん詰まり、もう5メートルを切った。
たぶんもう数秒であいつの間合いに入る。
俺一人ならともかく、姫をつれてじゃ逃げても絶対追いつかれるな……。
「……」
いやな汗が吹き出す。
ごくりとつばを飲む。
そしてようやく気がついた。
姫は俺のすぐ後ろにじっと寄り添ったまま動こうとしない。
さっき会ったばかりなのに、こんなに信じてくれてるんだ……。
自分を置いて逃げたりしないって。
格好だけつけて瞬殺されたりしないって。
「……」
やっぱりここは大事なイベントだわ。
ゲームだったら絶対セーブしときたいくらいに。
「アロム姫は下がって隠れていて下さい。軽く交戦して様子を見ます」
「はい、どうかお気をつけて、ハナオ様!」
どうかお気をつけて、か。
はははは。
美少女プリンセスからこんなお言葉たまわっちゃえば、あれでしょ――。
モチベ100倍でしょうがあああっっ!!
青黒い巨体に向けて疾走する。
我ながら速い。
漫画だったら無数の集中線が俺の背中に伸びてきてるはず。
グガウゥルゥウウウウウウ!!
片仮名にしづらい唸り声とともに、ぶっ太い腕で俺をなぎ払おうとする怪物。
それをスピンして華麗にかわし、さらにステップインして懐へ入り込んだ。
俺は確信した。
あります。
チートはあります!
デデトロの攻撃は想像以上に速かった、と思う。
でも余裕で見切ることができたし、体をミリ単位で自由に動かせる。
問題は――。
えぐるように全力で腹を切り裂いたつもりが、傷はうっすらと細く出血もない。
たぶん紙で指を切った程度のダメージ。
むしろ柄を握る俺の手の方がじんじんと痛んでいる。
こいつ、固すぎだろ!
となれば――。
狙うのは目しか!
二撃目は跳躍して回避、空振りしたヤツの腕を蹴ってその頭部へと迫る。
ああ、すげえ……。
今、主観とサードパーソン、両方の感覚が並列、補完しあってる。
俺はゲーム内のPC自身であり、それを操作するプレイヤーでもあり。
すなわち神が定めし運命(仕様)から解き放たれた存在――。
つまり、この世界の何者にも負けるわけがない。
くうぅうっ、きもってぃいいいい……!
俺の内側で暴れるようにほとばしる快感――。
その名はたぶん、全能感。
「うぉおおおおっ!」
宙空で体をひねり、赤く光る目に切っ先を突き立てようとした瞬間――。
「ハナオ様、デデトロには毒が――!」
「え?」
姫の叫び声と同時に、目の前の怪物はぐぱあと大きく口を開けた。
「!?」
薄汚れた牙と舌の合間から吹き出された熱風が俺を包む。
「くっ……くっ――!」
くっせえええっーーーー!!
おぉおおっおおえええええええぇええっ!!
生ゴミをじっくりコトコト煮込んだような悪臭に気が遠くなる。
「ぐっ……」
何とか体勢を立て直して着地したものの、毒の回りは早い。
視界はかすみ、心臓が飛び出るほど鼓動が激しい。
やべ。
息苦しい。
体に力が、入んね……。
震える右手から短剣がこぼれ落ちた。
これ以上は無理、逃げなきゃ……。
あ……待てよ。
それとも、あれか、何か奇跡的な能力に目覚めるフラグ?
あるいは、えーと、もうひとりの勇者(美少女)が……。
「ぶぐっ!!!」
スイーツな幻想を切り裂く無慈悲な一撃。
俺の口から不細工な悲鳴と赤い液体が飛び散る。
顔、胸、腹。
3か所同時に激痛と焼けるような熱さが突き抜ける――。
人型モンスターのツメ攻撃とか、地味に強すぎ。
「ひめ、にげて……!!」
そう叫んだつもりでも、どこまで声になったか。
俺は受け身も取れず、前のめりにどさりと倒れた。
意識はどんどん狭く小さくなる。
ああ、マジかよ。
終わり?
俺の異世界、文庫で何ページ分?
上から落ちてくる感じは、あいつの足……。
ははっ。
それ、もう、死体蹴りじゃ――。
ね……。
「ハナオ様ぁあああぁあっ――!!」