小話: しらゆきサロン
なんだ、これは。俺は目の前に広がる光景に呆れる。まるで、そうだな……まるでこじゃれたカフェか何かのような。白い壁に白い天井。白い窓枠の外に広がるのは一面の銀世界。眩しい白に染め上げられた室内には同じく白一色の椅子とテーブルが3つずつ用意されている。そのうちの1つを占領している先客が俺の神経を逆撫でする。
いや、神経なんてものはただの幻想だ。俺達はもう、そんなものに縛られるものではなくなっている。だというのに腹の底から湧き出すこのムカつきは何だ? 本当に、お前を見ているだけで俺はこんなにも嫌な気分になる。その気分すらも信じがたいというのにだ。
馬鹿げた話じゃないか。
「……いつまでそこで突っ立っているつもりですか。邪魔ですからとっとと座ってください」
つっけんどんな言い方は俺の知っているお前とは少し違うな。そう思いながらも俺は奴と背中合わせになるように置かれた白い椅子に座る。言葉を交わすことも面倒で、そもそも言葉などもう忘れてしまった。それでいいと思っている。どうせ全てはもう終わったことだ。
「終わりましたね」
ぽつり、とお前は言う。俺に言っているのか。俺が言葉を返すとでも思っているのか。それとも、返る言葉を期待していなくても言葉を発することができるのか。未練がましい奴だよ、お前は。
「長かった。私はもう、ほとほと疲れ果てました」
はあ、と大きな溜め息をひとつ。そうか、それはお疲れ様なことだ。疲れる、とは何だ?
「揃っているね」
不意に俺達の間に割って入ったのは幼さを残した女の声だった。聴き覚えはない。俺はあるかどうかもよく分からない首をひねってその声のした方を見る。そこにはふさふさとした長い黒髪に海を映したような青い瞳をした、13・4歳くらいに見える少女がいた。
俺の記憶とやらの中にはないが、この手の外見には覚えがある。漆黒の闇のような髪に青い惑星の瞳を持つのは“神”と呼ばれる連中に違いない。ああ、そうだ。俺やお前を作ってクソ面白くもない遊戯をさせたあの連中と同じだ。胸糞悪い。
「お疲れ様でした。柚木阿也乃さん、浅海柚橘葉さん。そしてようこそ、しらゆきサロンへ」
「しらゆきサロン? 何ですか、それは」
面倒くさそうにお前は言う。面倒なら無視を決め込めばいいものを。どうせ“神”のすることなんてろくでもないんだ。それは俺もお前もこの150年で嫌っていうほどに理解させられたじゃないか。それでもそいつの話を聞くのか。……ご苦労なことだな。
「ここはあなた達みたいな人の休息の場所だよ。私はゲンタさんからここの管理を言いつかっています。名前は……あった方がいいならリュシィと呼んで」
「リュシィくん、ですか。ゲンタ……それは私の受け持った世界を作りたまいし“神”、ギーズ……彼のことですね」
「そう。でもゲンタさんはその名前で呼ばれるのはあんまり好きじゃないんだって。だから私はいつもゲンタさんって呼ぶことにしているの」
「なるほど」
「飲み物はいる? 色々用意してあるよ」
「いいえ、結構です。それで、我々がここにいなくてはならない理由は?」
お前の刺々しい声に苦笑するリュシィを、俺はちらりと横目で見る。ああ、そうか。こいつは“神”だがどうもあのガキに似ている。その目は絶望と、その先の選択を知っている。“神”のくせに、ろくでもない奴だ。
「理由はゲンタさんに聞いて。でも、私も少しあなた達と話をしてみたかった。ねえ、“世界”を失った今、あなた達はどんな気持ちでいるの?」
「嫌味ですか」
「違うよ」
「そうとしか聞こえません。ああ、それとも貴女にとって我々は嫌味を言うほどの対象ではないということですか。どうせ我々に与えられた“世界”などただの」
ぴたり、と時が止まる。リュシィがお前に突き付けた抜き身の剣がぎらりと光る。幼い姿の女神は青い瞳に慈悲深い微笑みをたたえて告げる。
「それ以上は許しません」
「……」
「ゲンタさんと、そして私達の尊い兄様の世界を馬鹿にしないで」
「ですが、それも虚像です」
「それでも。失われた世界を模してそこに生きる生命を慈しむことでしか慰められない想いもあるの。そういう心を持っているから、ゲンタさんは身を削ってこの実験を続けているの」
「傲慢だ」
「そうだね」
「所詮彼も、“世界”を失った寂しい“神”の1人に過ぎないでしょうに」
そう言うとお前は席を立ち、リュシィの突き付けた剣をうるさそうに払いのけてふらり、と歩き出す。その姿が霞のように消えていくのを見送って、俺は短く息を吐き出した。は、と小さな声が漏れる。
「やっと逝ったか」
意外なほどにするりと出た言葉に俺は驚き、それからああと納得する。俺はあれと同じ空気を吸いたくなかったらしい。我ながら面倒な性格だと呆れるよ。
「あの人はあれで納得できたみたいだね」
「ゆきの奴はとうに飽きていたのさ。どうせ勝っても得るものなんざ何もない遊戯だ。終わりの時が来れば俺達はお役御免だと初めから分かっていたことだろう。お前達にとっては人間も俺達も変わりない、ただの実験生物だ」
「あなた達は生物じゃないよ」
「ああ、そうだな。じゃあただの試験用データだ。ろくでもない話だ」
「あなた達は概念。人間がより良い世界を選択していくための、遊戯の指し手という概念。ゲンタさんがあなた達に課したのはそういうものだよ」
……概念?
「そう。この宇宙を超えて、遥かなる父をも超えて、全てを内包する概念という考え方の中にあるもの。人間の心の中にある、想像の力。あなた達は人間の中にいて、人間の外から世界を規定する概念なの」
「意味が分からない」
「全ては回り続ける。ぐるぐると回る人間と、世界と、宇宙と、空間と、そして概念。私達はその中で“神”という役割を持って存在しているけれど、それすらも全ては概念の中のもの。そしてその概念を産んでいるのは他ならない人間。玉子が先か鶏が先か、それは誰にも分からないけどただひとつ確実に言えるのは、あなた達は確かにここにいるということ」
俺の目の前にいつの間にか白以外の色が広がる。それは昏い宇宙に浮かぶ青い惑星だ。時が瞬く間に過ぎていく。俺達がいた150年という時間すらも矢のように行き過ぎて、やがて青い星は赤黒く濁っていく。死んでいく星の中に熾火のように光る核が見える。そこに膝を抱えてうずくまる、黒く長い髪を持つ1人の“神”の姿が見えた。あれは朝倉医院の変態幽霊か。
「なんだ、あの体たらくは」
「あなたが受け持った“世界”の元の姿っていえばいいのかな。兄様は父から受け取った核をもとに世界を作ったけれど、全然うまくいかなかった。自分の姿に似せた人間っていう生き物を作って、核の生み出すエネルギーも使えるようにして、彼らが繁栄できるように色々やってみた。でも駄目だった。あのね、どうやっても人間はいつの間にか、自分達で自分達の世界を壊しちゃったんだって。それで兄様はもうすっかり嫌になっちゃった」
「……馬鹿げているな。そんな世界のコピーを俺に押しつけやがったのか。道理で面倒でどうしようもない世界になるわけだ」
「だけどあなたはその世界をよりよいものにしようとした」
リュシィはどうやら本気で言っているらしいが、俺にしてみれば滑稽でしかない。よりよい? ははは! 人間の生への執着が醜い“天敵”を産み、見せかけの希望を現実の絶望に塗り替える。そんなことばかりを繰り返して進歩しないあの世界をどうすればよりよいものにできるっていうんだ。確かに退屈ではないが、それだけだ。あそこで足掻き続ける人間の姿は、どうしようもなく馬鹿馬鹿しくて、そして。
「そして」
「そして?」
「そして、ああ……そして、な」
リュシィは優しい目で俺を見ている。俺もゆきも母親というものを知らないが、もしいるとすればそれはこんな目で俺達を見るのかもしれない。なるほど、さすがに女神という奴は。
「言うと思うか、俺みたいなひねくれ者が」
「言わせたかったな。そしてゲンタさんと兄様に教えてあげようと思ったのに」
「答えが分かっているならお前が勝手に伝えればいい。捏造だろうがな」
「天邪鬼な人だね」
「俺はヒトじゃないぜ」
「うん。でもね、あなたは人間から生まれて、人間を育む概念だから」
いつの間にか俺とリュシィは白一色のカフェの中に戻ってきていた。勝手なことだ。
「しらゆきサロン、か。おい、リュシィ」
「何? 阿也乃ちゃん」
「俺達の他にもまたここに来る奴がいるのか。一体お前らは何人の“一世”を使ってこの遊戯を仕組んでいるんだ。そうやって愚かで哀れな人間どもに何を選ばせる。それはお前らの勝手な押し付けじゃないのか」
「そうかもしれないね」
リュシィはまるで悪びれた様子もなく微笑んで言いやがる。そうか、それが“神”とかいうものなんだな。ふざけた話だ。俺達を、そして人間を本当にただの実験の材料としか思っていやがらない。この、俺の怒りすらも。目の前が真っ白になるような感覚も。
全てがこいつらに作られ、こいつらに操られ、こいつらの手で消される。俺は。
俺は、もう何も。
「阿也乃ちゃんは本当に、人間に近い“一世”だね」
リュシィの声が酷薄に響く。真っ白な視界にうっすらと見える椅子とテーブル。サロン、という呼び名に相応しい穏やかで和やかな光景の中で黒髪の闇が俺を見据えている。
「阿也乃ちゃん、私はね。人間に世界を奪われた女神なんだ。だから私はゲンタさんと違って人間が大嫌い。だから多分、あなたのことも好きにはなれないと思うんだけど……どうかな? あなたはどう思う?」
ふざけやがって、このアマ。女神? クソ食らえだ。俺は。
俺、
は。
意識、というのは何のことだったか。俺、というものは何か。砕けていく、散らされていく、おれというなにかだいじだったはずのものがどこかへきえていってみえなくなるかんじられなくなるきれいなものがどこかにあったきがしてそれももういみがわからなくなってことばはどこにものこらないとし
「 」
「……すごい執着だね。しらゆきサロンでここまで自我を保てた“一世”はあなただけだよ、阿也乃ちゃん。ゲンタさんにはちゃんと報告しておくね……あなたはあなたに与えられた“世界”を、そしてそこに生きる人間を心から想っていたって。ねえ、きっとあなたならいい女神様になれたよ。私みたいな残酷なのじゃなくて、きっと」
……遠ざかる、女神の声と気配。どこにもいない俺が、ただ白を感じながら“想う”。
さようなら、俺の世界。
もう二度と会えない、いけすかなくて、とんでもなくて、しょうもなくて、いかれたあの時空よ。
執筆日2014/10/11




