小話: 曙光の朱羽
静かな夜が更けていく。ここのところこの町はとても穏やかで、盗賊街などと呼ばれているのが嘘のような静けさだった。そんなユレクティムの町の一番高い場所に居を構えて、カヒコは今夜もわずかに憂鬱な気持ちで窓の外を眺める。
青の賢者を筆頭に色鮮やかな若いパーティが町を訪れたのは何日前のことだったか。さらわれた賢者を捜しに旅立った勇者と魔王は果たして無事であるのだろうか。うっかりするとそんなことばかり考えている自分に苦笑し、カヒコは「俺も年を取ったかな」と呟く。その時、屋根の上から物音がした。
「あ? 誰だ」
カヒコは鋭い目つきで窓を睨むが、そこにひょいと顔を覗かせた相手を見て警戒を解いた。
「何だ、お前か」
「何だって何だよ、せっかく弟子が久々に顔出してやったてーのにぃ」
そう言いながら窓から家の中を覗くのは少女とも少年ともつかない顔立ちをした、まだ10代だろう若い顔である。そして屋根から逆さまにぶら下がっているらしくその顔は上下が逆だった。明るい茶色をした長い髪は無造作に束ねられて頭の下に揺れている。
「で、オヤジ。お邪魔していい? オンナとかいない?」
「おお、いねぇいねぇ。つうか分かってて聞くなよ。ホントに可愛くねぇガキだな」
「へへっ、いやー久々にオヤジに会ったらからかいたくなっちゃてさーぁ」
そんなことを言いながらその若者はひょいと軽い身のこなしで窓から部屋の中に入る。朱色をした羽のようなケープの下に女性特有の膨らみはなく、それでやっと彼が少年であることが知れる。彼は朱い羽根を象ったピアスを垂らした左耳の裏をぽりぽりと掻きながら、ふと首を傾げてカヒコの顔を見やった。
「オヤジ、何かあったの?」
「あ?」
「顔色悪いよ。体調悪いとか? だいじょーぶ?」
そう言って少年は下からカヒコの顔を覗きこむ。カヒコはふうと溜め息をついた。
「お前もそういうところは鋭いな」
「まさか、ホントにどっか悪いの!?」
「違う違う」
カヒコは慌てて手を振って、縋り付いてきそうな少年を引きはがす。この少年、態度は軽いが人一倍心配性なのである。下手に弱みを見せようものならそれこそ一晩中でも甲斐甲斐しく世話を焼いてくるに違いない。お人好しと言えば聞こえはいいが、実際に必要なとき以外には邪魔なことこの上ない性格の持ち主なのである。
「おまけにお節介で早とちりときたもんだ……手に負えねぇぜ、ったく」
「もしかして、町の西側が崩れてたのが関係あるの? あっ、あそこ住んでたのって確か」
「あー、違う違う。ケンジならむしろピンピンしてらぁ。賢者様に脚まで治してもらったおかげでな」
「……賢者?」
「ああ。いや……あいつはそんなもんじゃねぇ。聖者だよ」
しみじみと言ったカヒコに少年は不思議そうに首を傾げて見せる。その時、外からカヒコの家のドアを叩く音が聞こえた。
「誰だー?」
カヒコが問いかけると、ドアの向こうからどこか控えめな声が返る。
『あー、俺だ。前に世話になった、ライセイだ』
「……ライセイ!?」
カヒコは思わず叫びながらドアを開けていた。そこには数日前に姿を消した聖者ライセイと、さらにその後ろに勇者ルウカ、魔王サワネ、そしてもう1人銀色の長い髪をした青年が立っていた。
「無事だったのか、ライセイ」
「心配かけたみたいで悪かった。この通り、何ともないから安心してくれ。あと、前に来たときに聞いた昔の仲間にも会えたからな。そのことも知らせようと思って来たんだ」
ライセイはそう言うと後ろに控えていた銀髪の青年をカヒコに紹介する。コズミと名乗った彼はどこかライセイに似た雰囲気を持っていた。カヒコはすっかり安心してライセイ達に笑いかける。
「いやぁ、本当に良かった。良かったな、ルウカ」
「はい」
カヒコの言葉に、勇者の少女は恥ずかしそうにしながらも幸せそうに微笑んだ。
4人が帰った後、物陰からそっと少年が顔を出してカヒコを窺う。
「オヤジ、今の……」
「ああ。ちょっと前に人捜しだっていって町に寄った賢者一行でよ。その日たまたま西の家が崩れて、その時に随分助けてもらったんだ。それがあのライセイってのがその夜だか次の朝だかに行方知れずになっちまって、それで俺もちっと心配していたってわけでよ」
「……そう、なの」
「どうした? 今度はお前の方が冴えない顔してんじゃねぇか」
「……ねぇオヤジ、あの女の子のこと“ルウカ”って呼んだよね」
少年は睨みつけるようにカヒコを見ていた。カヒコはそんな少年を見て、少しの違和感を覚える。どこか猫めいた黒目がちの大きな瞳にフワフワとした茶色い髪。それはあの勇者ルウカとどことなく似ていた。
「お前、あの子を知ってるのか? まぁ有名人ではあるが」
「有名? なんで?」
「1ヶ月前に大神殿で“天敵”の大発生があっただろ。それを収めた勇者の1人があの赤の勇者・ルウカだ」
「……勇者? るうかが?」
なんで。そう呟いて少年はわずかに俯いた。カヒコはそんな少年の様子に首を傾げ、問い掛ける。
「おいおい、どうしたんだよコウタ。俺の直弟子、この町期待の新星、“朱羽のコウタ”がそんなツラしてたんじゃ町の連中が泣くぜ」
「そうだね」
少年はそう答えるとニッと笑ってカヒコを見上げた。
「ボクは“朱羽のコウタ”だもんね。もう、この町以外に帰るところなんてない」
「……コウタ?」
「じゃ、オヤジの顔色も良くなったしそろそろ行くかなーぁ。それにしても義賊って大変だよね。狙う相手は金持ち限定。盗んだ金は自分のものにしない。おかげで毎日サバイバルだよ」
「おお、それが本物の盗賊の心意気ってもんだ。自分の欲に目がくらんだら真っ逆さま、一度堕ちちまったら二度と這い上がれねぇと思え!」
「分ーかってるよっ!」
うるさそうに、それでも楽しそうに叫んで、少年はまた窓から出ていった。カヒコはそれをニヤニヤしながら見送っていた。
少年はユレクティムの町で最も高い場所に立って町を見下ろす。そこからは宿屋の前にいる4人の姿がよく見えた。中でも彼の目に一番目立って映るのは彼よりも少しだけ濃い茶色の長い髪を持つ少女だ。彼女の髪に飾られた赤い羽根を見て、少年の顔は少しだけ綻ぶ。
「勇者るうか、かーぁ……なーんでそんなことになっちゃったのかなぁ」
風が少年の髪と服を揺らす。すると一瞬、ルウカが彼の方へと視線をやった。ように見えた。
その表情はどこか明るく。
「……ねぇるうか、そのオトコ誰。なんでボクじゃないオトコと仲良く旅なんてしてるの。なんでそんなに幸せそうなの。なんでボクのこと覚えてないの?」
覚えてるわけないか。そう呟いて少年は寂しそうに口元を歪めた。
「でも……まぁいいよ。ねーちゃんが幸せならおとーとも嬉しい、そういうもんでいいよ」
ボクのことなんて思い出さなくていい。
どうせ、本当はいるはずのない人間なんだから。
「また同じ夜の夢にいられるなら、ボクにはそれで充分。お盆とハロウィンにはちょっと向こうにも帰るから、そしたらまたお菓子たくさん用意しておいてね。あと、おかーさんが泣いたら慰めてあげてね。おとーさんもそろそろ年だし、あんまり無理しないように見張っててね。それからるうか、勉強も大変なのに勇者なんて余計大変だろうけど頑張ってね。ボクも頑張るから。もしもボクがるうかの役に立つことがあったら、その時はこっそり助けるからね」
ふわり、と少年は空に浮かぶ。
「あ、そうだ」
彼はそこでふと思い付いたように呟く。
「もしもあのオトコがるうかを泣かすようなことがあったら……夢枕に立ってやろーっと」
とてもいいことを思い付いたというように笑って、倖多は空の彼方へと飛び去って行く。やがて彼は“曙光の朱羽”と呼ばれるようになり、弱きを助け強きをくじく英雄的な義賊として名を馳せることになるのだが……。
それはまた、別の話。
執筆日2014/01/04