第八話 そうだ交渉はこうしよう
正義は右手の親指を使い器用に同じ右手の人差し指から順番にベキバキと鳴らした。指が太い為か初めて聞く者には「それ、鳴らしてるんじゃなくて指を折ってるだろ?」と勘違いされるほど大きな音がする、気合を入れる時の彼の癖だ。
番長部の皆も「何故に今ここで右手まで壊す?」とぎょっとした顔をしているが、それにかまわず気合を入れ終えた正義は委員会室の扉をその拳で乱打する。
これは正義にとってはノック代わりのつもりだ。かなり強引で乱暴な行為だが、彼にとっては番長を目指す男としての譲れないキャラ付けなのだ。
「頼もうー!」
許可が届く前に正義はドアを開けた。もっともこの部屋の中は窓から丸見えで、入っても支障はないことを一応は外で確認しているのがまだ正義の線の細い所だろう。
その無礼な入室にびくりと反応した室内の人間は皆『実行委員会』の腕章をしている。だが、その中で唯一平然と冷たく整った顔を崩さなかった少年は、栗林野高等科の制服であるブレザーを身にまとっていた。
「ずいぶんと礼を失した来客だと思えば、もうすぐ試合の始まる野際学園番長部の出場選手達ですね。ようこそわざわざ招いてもいないのにご足労いただきました。
老婆心ながら忠告させていただくと、早く会場へ行かないと失格になってしまうのではないですか?」
慇懃無礼という言葉を擬人化したような態度で、栗林の制服の少年は椅子から立つ素振りも見せずに口だけで歓迎する。
その少年以外の実行委員は眼中に無いように正義が「てめぇは誰だ?」とガンをつける。サングラス越しとはいえ下手なヤクザ以上の迫力を持った詰問にも、またも彼は動揺する素振りはない。
「誰だと尋ねる前に自分の名を名乗りなさいと諭すべきなんでしょうが、あいにくとあなたがた全員のお名前を存じているものでそう言い辛いですね。
では、こちらだけでも礼儀正しく自己紹介させていただきましょう。栗林野高等科生徒会会長『浦賀 有人』です」
有人は名乗りと共に馬鹿丁寧に一礼する。同時に何か口を開きかけた委員達に黙れとでも言いたげに手で制す。
その人を食った態度にちょっと腹を立てかける正義だが、さすがに自分が強引に押しかけてきたのは判っている。ここは我慢だ、と無事な右拳を握り締めた。
「まあ、こっちを知っててくれるんなら話は早ぇな。
実は最終チェックに来た委員会の子が、俺達への説明途中で具合を悪くしちまったんだ。おかげで俺達はどうルールが変更されたのかも、まだはっきりと確認してないんだ。だから実行委員会室に来たんだが、お前はなんでここにいるんだ?
実行委員会は中立のはずだろ? 一方の生徒会長だけが委員会室へ入室を許可されてるってのはおかしいぜ」
そう確かに立場上実行委員会はどちらかの高校に肩入れしてはいけないという建前になっている。
勿論、裏ではギャンブルやお金の配分がなされている勝負に、そんな綺麗事が通用するかは疑問だ。しかし、相手高校に一方の生徒会長を優遇している現場を目撃されるのはまずい筈だった。正義はそこを突いて自分達に有利に交渉を運ぼうとしたのだ。
しかし、有人は守勢にまわってもその冷静さは変化しなかった。
「何を誤解しているのか知らないが、僕は今ここに最終チェックが終了したと報告に来ただけだ。君達が疑うような後ろ暗い事は何一つない。もし何か疑問があるならば、ここで文句を言うよりも証拠と共に訴え出ればいいだろう」
表情筋が一ミクロンも動いていないんじゃないかと錯覚させる無表情さで切り捨てる。
だが正義も引くわけにはいかない。ここで引いたりしたら勝算が消えてしまうのだ。
「確たる証拠が無いってのはその通りだが、今ここで問題にしているのは『実行委員会室でなぜか栗林野高等科の生徒会長と俺達が対決している』って事だ。今回のあんたらはあのロボットをはじめとしてグレーゾーンを踏み出しているのに、お咎めなしってのは不公平すぎる何か裏があるんじゃないかともっぱらの噂だぜ。そんな時に、試合開始直前の実行委員会室で俺たちが対峙している。
こいつはどう考えても不正をしようとしたあんたら栗林野高等科の尻尾を掴もうとしていると思われるんじゃないか?」
「思われたとしてもかまわないね。あなたがたや第三者にどう邪推されようと証拠がないならば下種の勘繰りでしかない。
僕がこの部屋を失礼すれば、公式に残る事実としては野際学園が実行委員室へ乱入しただけとなる。当然ながら試合は我が校の不戦勝になるだろうね」
腕時計にちらりと視線をやり時刻を確認すると、有人は「残念だよ、僕も我が校の試合の観戦を楽しみにしていたのだが」と少しも表情を崩さずに述べた。
「まあ、ここに来たのが俺達だけならそうなるだろうな」
淡々と挑発を繰り返す有人に負けず劣らず正義も静かに答えた。なぜなら先程呼んだ応援がやっと到着したからだ。
どたどたと騒々しい足音と共に栗林野高等科と野際学園の両方の制服が入り乱れて駆け込んできた。その中には正義が写真で確認していた対戦相手の姿もある。
「浦賀会長! ご無事ですか!」
「矢張部長! 誘拐されかけたとか!」
「九里林が実行委員会と黒い取引をしてるとか!」
口々にメールで受け取った情報を確認しようと叫びあっている。
正義は血相を変えているギャラリーに見えないよう歪んだ笑みを浮かべると、「どうする?」と尋ねるように有人にガン付けを開始した。
まだ正義達がこの実行委員会室にいるのは説明しやすい。試合に出る選手としてルールの確認など直接交渉しなければならない場合もあるからだ。
まあ、出場選手全員が試合直前に集まっているのは訝しいが――まあ許容範囲内だろう。
だが、有人の場合はそうはいかない。さっきも正義が言ったように建前上は無関係な第三者であるはずの生徒会長が、実行委員と接触する必要性は皆無なのだから。
下手な対応ではまさに実行委員会と裏取引をしていたのが露見してしまうかもしれない。
おそらく有人もそう考えているのだろう、集まってきた人々に一瞥も与えずに正義だけを睨みつけている。
ここらへんが落としどころだろうと正義も判断した。これ以上追い込めば自分達の行為も問題にされる可能性が高く、そして控え室に来た実行委員会の娘にした事などばれてはマズイのはこちらも同じだ。だからこそ、これだけのギャラリーがいる前で言質を取って即終了しなければならない。
「浦賀会長、皆が何か誤解しているみたいだぜ。俺達がここに集まったのは別に物騒な用件じゃなく、ただルールの範囲が曖昧だったから確認していただけってちゃんと言っておかなかったのかよ?」
「む……」
正義が何を言い出すのか警戒していたらしい有人が眉根を寄せた。ここで正義の言葉を肯定するか否定するか判断に迷っているのだろう。その迷いを解く時間を与えないように正義が口出しする。
「ま、みんなわざわざ集まってきたんだ。これ以上時間をかけて余計な心配を増やすこともないだろう。
そこで俺達からも二つの条件をだすから、それを飲んでくれればいい」
「その二つとはなんだね」
とりあえず条件だけは聞いておこうというのか、顎をしゃくり有人が促す。
「まず、フィールドの範囲を今まで同様競技場一杯にすること。そしてもう一つは……そうだな俺達の陣地の旗の色を赤にしてくれ」
「フィールドの設定は委員会の管轄で僕達には口出しができない。そして旗の色も赤でも白でも変わらないはずだ、変更はいらないだろう」
有人は感情を交えずに二つとも却下した。
「じゃあ、フィールドの問題は委員会に抗議するとして、旗の色を変えるぐらい簡単にできるだろう? それとも、できないのか?」
「どういう意味だね?」
正義の何かを探っている態度に、眼鏡を光らせてクールに対応する有人。両雄の間の帯電しているような空気に、集められた人々も実行委員も誰一人口を挟めない。
「こちらに何の連絡もましてやくじ引きさえなしで、いきなり『野際学園の保持する旗は白』と決め付けられるのは納得できないんだよ。それって本当に公平なのかと疑ってしまう。
もしかすると敵の持つ赤い旗は、俺達が壊してもセンサーが不調とかで旗が破壊されたとは認められずに勝てない仕様になってるんじゃないのか? とか邪推してしまうな」
「そんな事をするはずがないだろう」
不快気に頬を歪めただけで有人は動揺の欠片さえみせないが、周りのギャラリーからはひそひそと囁きが起こっている。
それよりも実行委員が怯えたように挙動不審な態度をしているのが正義にとっては好都合だ。有人もこんな周りから監視されているような中でてんぱってる奴らと一緒に交渉を続けたいと思わないはずだ、必ず妥協してくると正義は確信した。
その推測通り有人は氷のオーラを撒き散らしながら軽く頷いた。
「旗の色についてはこちらが白という事でかまわんが、フィールドは委員と相談してくれ。正直旗の変更程度はここの実行委員と当事者のチーム同士の話し合いで済むだろうが、フィールドの問題はもっと上の判断によるものだから無理だろう」
「ふむ、フィールドはサッカーコートに限定は覆せないか……」
有人の言葉にサングラスを右手で押さえ、表情を隠しつつつつ正義は考えを巡らせた。有人の言う通り、戦うフィールドの問題は今ここでやり直せと抗議しても却下されるだろう。それは予想の範囲内だ、だからこそそれ以外で不利になる要素は消しておかなければ。
「判った、フィールドが狭くなるのはこちらも受け入れよう。しかし、旗の色をうちのチームが赤という事と最終チェックはしっかりとクリアして試合に臨んだのは明記しておいてくれよ。
試合に勝利した後で『委員会からルール違反で失格のお知らせ』とか卑怯なまねはしないでくれ。まあ、ここまでギャラリーがいる中で釘を刺しておけばそんな恥ずかしい仕業もできないだろうが」
ほとんど喧嘩を売っているような正義の言葉に、有人よりも実行委員達のほうが顔をしかめた。おそらくは面子をつぶされたと思っているのだろう、憎々しげに正義を睨みつけている。
そんな委員に視線も与えずに有人は正義だけを観察していた。
「ふむ。誤解があるようだが、うちの学校は後から不当なクレームをつけるような下品な行為はしないよ。もちろん正当な抗議ならばさせてもらうが、正義君の言っているのはそういう意味じゃないだろう? わが校と実行委員の癒着など存在しえないのに、不当な失格などありえるはずもない。
それと、なぜそんなに旗の色にこだわるのかね? 確かに事前に色を指定したのは不注意だったが、千美君などにチェックさせれば大丈夫だろう?」
「ロボットが赤だと三倍速くなる」
「は?」
正義のぼそっとしたつぶやきに対し有人は珍しくとまどいを隠せなかった。
「ロボットが赤い色を持つとパワーアップするっていうジンクスがあるんでな、悪ぃが赤旗は俺達に持たせてもらうぜ」
「うんうん、ロボットに赤はヤバイね」
真剣な面持ちの正義とそれに同意する千美に有人は毒気を抜かれたようだった。駆けつけてきた栗林の番長部部長とアイコンタクトを交わしても部長の瞳からは「俺達が負けるわけありません」としか読み取れない。
しばらく俯きかげんで計算していたようだが、デメリットは発見できなかったようだった。「好きにしたまえ」と正義達に吐き捨てる。
ガッツポーズをとった正義はさらに実行委員達にも念を押しておく。
「じゃあ、栗林野の会長さんのお許しも出たことだし、俺達野際学園が赤い旗を所持して栗林野高等科は白い旗のスタートでいいな?」
「……当事者どうしが合意しているのなら、委員会としては口出しをすることはない」
苦々しげだが、有人が許可しているのにこの委員が駄目だしをするはずないとの正義の予想通りだった。ここまでのやりとりを衆人環視の中でやれたのは大きい、これでは試合後に反故にできないだろうと正義はほくそ笑む。
「ずいぶんと御機嫌のようだが、小学生ではあるまいし旗の色を変えただけでそんなに満足かね?」
冷笑する有人にも正義は胸を張って返答する。
「ああ、これでうちの勝利が確定したんだから喜んで当然だろう」
「……戯言を」
さらに強まる冷気の中で、芝居がかったポーズで正義がリーゼントを右手で尖らせて決め台詞を放つ。
「栗林野高等科の負けである。勝つつもりならなぜ赤い旗を捨てて白旗を持つのか」
「ふむ、宮本 武蔵の巌流島で言ったとされる有名な台詞のもじりだな」
流石に剣客や時代劇に詳しい怜が補足する。
それに続いて正義が語りだした。武蔵の場合は鞘を放り出した小次郎に対し『勝つつもりならなぜ鞘をすてるのか』と突っ込み、『え? 捨ててないよ、ちょっと邪魔だから置いただけ』とボケたつもりのない小次郎が反論しようとする一瞬の隙を突いて倒したという話術で勝利した有名なエピソードだ。
それを踏まえここでの正義の台詞を解説すると、白旗を掲げるのは負けを認めた時だけである、だからもし本当に勝つつもりなら白旗を持つのはタブーであり拒否するべきなのに栗林野高等科はそれを認めた。つまりそれは敗北を認めたという事である。
そんな三段論法にもなっていない理論をとくとくと述べる正義に、当然の如く皆が怒涛の反論をしてきた。
「正義君、白旗を掲げるのは敗北を認めた証と言うが、栗林野高等科の所持する旗が白なんだから最終的に君達が白旗を目指すんだよ」
「それにあんたが無理矢理白旗に変えたんでしょ! 自主的じゃないから関係ないわよ!」
「というか、巌流島の対決の解説もおかしい! 武蔵と小次郎の高度な心理戦をボケと突っ込みでまとめるな!」
目論見が外れ非難轟々の中、正義は同様をサングラスの奥に隠し不敵な笑みを作る。
「け、計算通りだ」
「この状況が計算通りなら正義も僕と同じMですね」
唯一の味方が嬉しそうな悟だけになりそうな正義だった。