第六話 俺の左目が疼くんだ
「――で君の意見はどうだね番長部部長殿」
縁なし眼鏡が冷たい印象を与える硬質の男が尋ねる。その声もまるで人間味や温かみを感じさせないものだ。
問われた番長部部長と呼ばれた体格のいい少年は気圧されたのか、慌てたように立ち上がって答えた。
「はい。先程報告のあった新入部員の件ですが、病院からのリークによると骨折で全治二ヶ月は間違いないそうです。
あの野際学園が番長戦争を辞退せずにエントリーしたのは想定外でしたが、敵としては実質二人。巨大ロボット『木人号』を擁する我が校が気にする事は無いと考えますが、いかかでしょうか会長」
「ふむ」
番長部部長の自信に満ちた報告に会長は腕を組み椅子に深く背を持たれかけた。
どことなく失望したような面持ちで、彼の放つ冷たい雰囲気が更に強まった。
「確かにかの転入生『折葉 正義』君が左腕を負傷したのは事実だ。しかし、それだけで勝利は確実と警戒を緩めるのはよろしくない。
元々戦わずに済んだはずの敵と一回戦を戦わねばならなくなったのだよ、敵を過小評価して足元をすくわれるのは愚か者のすることだ。
部長が折葉君の加入を察知したならば、負傷の情報だけでなくもっと詳細な彼に関するデータも調べておくべきだったな」
組んだ腕を解いて引き出しからファイルを取り出した。表紙にはでかでかと『折葉 正義データファイル』と大書してある。
「うちの報道部の精鋭が作成した、転校前の高校や中学での情報だ。残念ながら副会長の楽観とは裏腹に軽視できる人物でもなさそうだな。
調べただけで小さいながらフルコンタクト空手とアマチュアボクシングの大会で優勝経験がある」
「本当ですか! もしそんな人物なら噂でも聞いたことがありそうなものですけど」
「その質問に対する答えまで書いてある。彼は高校入学以来一切の対外試合に出場していない、それが名前が知れていない理由だろう。
その理由も判明した。彼はボクシングの練習中に事故で左目を再起不能――いや少なくとも公式試合の許可が下りないほどの後遺症を患っているのは確認できた。
彼がサングラスを愛用しているのも左目の異常を隠すため。右利きなのにサウスポースタイルに変更したのもできるだけ視野を確保しようとしての行動だろう」
だが、相手に弱点が知られていればそれらの小細工も無駄になる。そう会長は弱点を調べられなった部長を突き放しながら冷ややかに断じた。
「折葉 正義君と対峙した部員は彼の左サイドから――僕達からしたら右手側の死角から攻めるように通達を徹底しなさい」
告げられた番長部部長の顔にははっきりと読めるほど『そこまでしなくても』と書いてあった。その表情に一瞬眉をひそめる会長は誰にも聞こえないように「だから貴様らは脳味噌まで筋肉なんだよ」と一人ごちる。やはりここは彼らには内密に幾つか手を打っておくべきだ。
すぐに冷徹な仮面を被り直した会長は、視線を目の前の少年から正義と他の番長部部員のファイルに移した。
「他の三人のメンバーも一癖ありそうな連中ばかりだ。いくらうちが開発した『木人号』が優秀だといって手を抜くべきではない。こちらからも幾つか手を打たせてもらうが、君達は知る必要の無い事だな。
では、これからも『番長部』の一層の努力を期待する。生徒会としての意見はそれだけだ」
九里林野高等科生徒会長――浦賀 有人は、相手の反応など一顧だせず要求を突きつけた。
◇ ◇ ◇
「それで正義は本当に出場できるのかい? 土壇場に来て『やっぱ無理でした』なんて言われたら、僕の開発した薬品を一気飲みさせるからね!」
「……大丈夫だ。この怪我が治らないでも出場はするから安心してくれ。そしてその極彩色の薬もどっかにやってくれ」
何べんも自分の意思を確かめる千美にいささか辟易して正義は右手で頬をかいた。
まだ部員になって日が浅い正義の覚悟を危ぶんでいるのだろうが、彼にとっては余計な心配に過ぎない。そんなことより、治療薬か武器を開発しろと思うが口には出せない。
もし千美にそんな言葉を聞かれようものならば、喜んで正義を被験者にした開発実験が始まってしまうことを理解していたからだ。
そんな心配性な彼女の不安を払拭するために、部室の中に他に誰もいないのを確認して口を開く。
「この程度の怪我で諦めるぐらいなら、この左目をやっちゃった時に戦う事を諦めるぞ。それに大体まず番長になるのが激戦区と言われるこの学園にも転校してこないだろ」
ふっくらした頬を引き締めた千美は僅かにうつむくと下唇を噛んだ。
「その、やっぱり正義の左目は視力が戻らないの?」
「まあ、何とかぼんやりと形を感じ取れる程度だ。だが、それよりまずいのは光に過敏になりすぎてサングラスが手放せねぇ事だな」
ますます深く顔を伏せる千美に、正義の方が悪役な雰囲気になってくる。
「おいおい、千美はうちの部活のチームドクターでもあるんだから俺のカルテぐらい手に入れてだろ。そんな『聞いてびっくりだよ!』って驚いたような顔しないでくれ。それにお前に作ってもらったサングラスは、薄型・軽量で光も銃弾もしっかりガードって優れもんだったぞ。
これだけでも十分助かってるんだから、今更同情するよりは次の戦いをどうするか建設的に考えようぜ部長さん」
「うん」
千美は俯いたままこくりと首を縦に動かした。こうしているとまるっきり小学生だな。
そう正義が油断したのを見計らったように、千美は顔を伏せたまま眼鏡だけを不気味に光らせた。
「うんうん。ポジティブに考えるよ。そうだよね、その左目も見えなくて元々ならそれ以上どうなったって……。正義、左目の改造させてくれないかな、義眼からビーム発射とかに興味ない?」
「お断りだ!」
正義の拒否に千美は「ちっ」舌打ちした。無駄に前向きというか余計に暴走しだしたような気がするが、正義にとっては負傷した目を気遣われるよりもマッドサイエンティスト特有のうずうずした反応の方がはるかにマシだった。
転校する以前の高校では部活中の事故で負傷したという事もあり、学校中から腫れ物のような扱いだった。
そんな周囲の環境も自分に刻み込まれたトラウマも、全てをリセットする為に激戦区と名高いこの校区を選んだのだ。
多少、いやかなり正義の想像とはかけ離れていたがこれはこれで自分を取り戻すには良い環境だ。
目が見えないのは不利ではあるが、健常者に絶対にかなわないわけでもない。表向きの理屈ではそうなっている。だが、現在の格闘技のルールの多くでは正義は参加することすらできないのだ。
今まで積み上げてきた努力の全てが無に帰すのが正義には我慢ができなかった。
隻眼の柳生 十兵衛は強かったんだろう? じゃあ、俺も片目で弱いかどうか試してくれよ! そう叫んでも誰も相手にしてくれない。
自分の視力の問題で負けるのは仕方がない。だが、参加さえ許さないルールに敗れるのは御免だった。
重度の網膜剥離を患った人間に戦いを許可しない。そういう条文の正しさは正義にも良く判る。ただ、その正しさの範囲内に正義がいなかっただけで、それが彼の譲れない部分と衝突したのだ。
正規のルートがないなら裏道を探すまでだと隻眼のハンデを補う方法を考え、ストリートファイトで実践してきたのだ。そうやって戦えると自信を取り戻してこの高校へとやってきた。今更、番長戦争が怖いからと逃げる選択肢は正義には無い。
元々は恵まれた体格と才能に頼ったパワーファイターだった正義が、小細工とフェイントを多用するサウスポースタイルに変えるまでどれほどの汗を流した事だろうか。
あの時ほど不安で未来があるか判らない修行を乗り越えて戦える場に立った今、実戦の相手が巨大ロボットだろうが自分の腕が折れていようが彼にとっては些細なハンデにすぎない。
……いや、些細ってのは言いすぎだが、正義の頭の中ではこの状況でも勝つ確率を最大限に高める作戦を構築中だった。
「でも、正義の左目の事を怜にも悟にも伝えておかなくても本当にいいの?」
「ん、ああ、コンビネーションを重視する競技ならともかく、今回の作戦では俺は遊撃の役割だからな。こんな直前に左手の骨折だけじゃなく、左目までハンデをしょっているとバレたら不安にさせるだけだろう。
ただでさえ勝算は薄いのに試合中に俺の心配までさせたらまともに戦えないぞ。
右目だけでも戦えると証明するには、現実に今回の対巨大ロボット戦を勝つのが一番だ。勝って『実は片目が見えねーんだけど、ちゃんと戦えるし勝てただろ』と二人に説明しよう。そうして初めてハンデがあっても仲間と認めてもらえるはずだ」
正義にとって戦う前に左目の事を知られるのは、敵には勿論の事だが例えチームメイトであっても避けたかった。
自分が未だに戦えるのかを確かめるために試合に出るのに、敵や味方がハンデにより攻撃や指示に躊躇があっては意味が無い。あくまで自分が一人のファイターとして通用するかどうかが知りたいのだ。
「それにしても、左手左目が使えないとなると問題山積みだよ。まして相手が巨大ロボットだなんて……! く、できるならこちらもロボットで対抗したいぐらいなのに、時間と予算が許さないのが恨めしい!」
「いや、いきなりロボットのパイロットになってくれと言われても、サードチルドレンでもない俺は断るけどな」
一応パイロットへの着任は拒否してから、正義は疑問を投げかける。
「今度の敵の巨大ロボットって、番長戦争のルールに抵触しないのか?」
「うーん。あれって本当にぎりぎりでグレーゾーンに留まってるんだよね」
舌打ちした千美が眼鏡をかけなおして咳払いを一つ。まずい、長くなりそうだと逃げ腰になりかけた正義に講義を始めた。
「この番長戦争における武器のルールは結構定義が曖昧なんだよね。『己の力によらずして敵に戦闘不能なダメージを与える物』と『己の力によらず行動可能な物』以外の武器を一つって事だけど、解釈のしようでどうとでもとれるから常識の範囲内で審判が判定するんだよ。
まあ、簡単に言うと銃火器や自動車なんかの引き金やを引いたりアクセル踏むだけで殺傷能力を持つのは駄目って事だよ。
どうしてなのかは諸説あるけど、たぶん主催者の趣味って説が今のとこ有力だね。
で、あの巨大ロボットは意外かもしれないけれどそのルールを破ってないんだ。
納得いかない顔しているね。ボクも初めはそーだったよ、あいつらだけがえこひいきされているんじゃないかと文句がでたよ。
ところでえこひいきをする教師とかって、エコひいきって書くとなんだかとっても地球に優しい先生っぽくなって何だかおかしいね!
あ、ごめん話が逸れたね。
とにかく開示された情報によるとあのロボットは動力がエンジンなんかじゃないみたいなんだ。だから名目上はロボットじゃなく、カラクリ人形に区分されているんだって。そして操縦は手動だからルール上はぎりぎりセーフって見解なんだってさ」
じっと耳を傾けていた正義が不服気に口を尖らせる。
正義にとっては腕試しの場と考えていたのが、スーパーカラクリ大戦になったのだ。「そりゃ詐欺だろ」と文句を言いたくなるのも当然だろう。
「だからってあんなに巨大で複雑なギミックがOKなのは納得いかないぞ」
「大きさは関係ないよ。刀を例にすると刃引きをしていれば短刀でも斬馬刀でも同じ扱いだしね。部品の数にしたって日本刀を分解すると幾つになるか知ってる? 部品の名称だけで三十もあるんだよ。もっと単純な例だとボクシンググローブを武器に選んだ人もいたけれど……ボクシンググローブは両手で一組でしょう? まさか武器は一つだからグローブ一個で片手だけって訳にもいかないし、そこらへんは常識で判断するんだ。
そしてあのカラクリ人形も同様に、部品が組み合わされて大体一個とみなされているんだ。この辺の大会本部の判断には相手校がなにやらリベートを渡したとか噂が立ったけど、結局未確認なんだよ……。
でも、そこから幾つか興味深い事実が推測できるね!」
「へえ、何だよ?」
得意げに薄い胸を張る千美に正義が律儀に相槌を打つ。
「あのカラクリ人形はエンジン無しで動かしているけれど、ゼンマイ仕掛けや歯車の組み合わせだけならあそこまで複雑かつ反射的な挙動をしたらすぐ止まってしまうはずなんだよね。
つまりあのカラクリは自転車みたいな人力で動かされているんだよ!」
「な、何だってー!」
ノストラダムスの大予言を聞かされたMMR隊員ばりに驚いた正義の反応に、千美はご満悦のようで眼鏡の奥の目を猫の様に細めた。
マッドサイエンティストとしては敵の能力の解説などは「こんな事もあろうかと」と秘密兵器を出す場面に並ぶ見せ場だろう。腕組みをして「うんうん」と頷いている。
一方の半ば義務感にかられて、驚くリアクションをし終えた正義は眉を寄せる。
「それで人力で動かしているのは判ったから、対策はどうすればいいんだ?」
「え?」
千美は細めていた目をきょとんと見開いた。敵の分析と解説をするのに頭が一杯で味方の作戦に生かすまで頭が回っていなかったようだ。
だが、敵の情報は重要とはいえ、生かすことのできなくては意味が無い。
やはり正攻法での勝利は望めないなら、自分で勝利へのシナリオを描くしかないと正義は覚悟した。
そのためにもまずは、
「相手校栗林野のデータが必要だ。特に番長戦争に出場する選手て監督、それに生徒会役員と校長と理事長なんか趣味や経歴に住所や携帯の番号にメールアドレスまで手に入る情報は全部まとめてくれ」
「……それはかまわないけど、非合法な手段をとるつもりはないよね?」
眼鏡越しにジト目で確認してくる千美に「そんな事するはずないって」と胸を叩いて請合う。
「じゃあ、今まで収集してきたデータをまとめてくるよ。……それと正義の事を仲間として信じているけど、もし警察に捕まったら『番長部は無関係です』って証言してよね。まあ、その時は正義が番長部に入部していた事実は無かった事になってるけど」
「俺のデータを抹消するプログラムを組みながら『信頼してる』ってのは勘弁してくれ」