第二話 番長戦争とはなんぞや?
スパーリングを終え、運動で出たのとは違う冷や汗を拭く。本来の正義ならば、たかだがこの短時間程度で汗が噴出すほどスタミナを消耗するはずもない。
正義にとっては肉体以上に精神的疲労の方が大きかったのだ。
悟はそんな試合後の疲れなどまったく表さずに、まだ頬を赤く染めにこにこしている。……できるだけこいつには近づかないでおこう。正義は決心して拳を握り締めた。
「ひどいなぁ。そんなに警戒心バリバリな態度をとる事もないでしょう」
「……俺は個人的には偏見が少ない方だと思っているが、殴られるのを喜ぶ奴とは分かり合えないぜ」
正義にばっさり切り落とされた悟は童顔を俯かせた。
「僕だって昔からこんな性格じゃなかったんですよ」
「へー」
「まだ小学生のころでしたが、その時から背の低い僕はいじめの標的でした」
「へー」
「毎日目立たない所に青あざを作っていた当時は、自殺さえ考えていましたよ」
「ほー」
「そんな時に思ったんです。どうせ死ぬような思いをするなら、格闘技でも習って厳しい修行で苦しんだ方がましだと」
「へーへーほー」
「与作は木を……、真面目に聞いてくれませんかね」
さすがに不快気味に眉根を寄せる悟に、正義はいくらなんでも冷たすぎたかと反省した。これから同じ部活動をするのにあまりに息が合わないのもまずいだろう。
軽く頭を振ってクールダウンさせると、悟に向かって僅かに頭を下げる。
「悪かった。他人の苦労話を聞くのは苦手なタチなんで聞き流していたが、これから仲間になる相手に対しては失礼だったな。
真面目に拝聴するから続けてくれ」
「ええ、判ってくれればいいんです。
――それで近くにあった中国拳法に入門したところ、僕には才能が埋もれていたらしくめきめきと実力が上がりました。攻撃の技は未熟なままですが、防御の技は天から才を与えられていたようです――僅か三年で敵の攻撃を受けても無効化する技術の最高峰である硬気功を習得するほどに。
それと同時に同級生からのいじめもなくなりました。別に拳法で復讐したわけでもありませんが、大人の一撃を跳ね返すだけの功夫を修めた僕にかかってこようとする根性はいじめっ子にはなかったみたいで」
「うん、感動的な成長物語だが、それと悟のM性癖とは関係ないよな」
悟はやれやれといった風情で正義を見つめた。
「だから、その硬気功の修行中に悟ったんですよ。いじめを見てみぬふりをしていた担任の先生の台詞『殴られるより殴った方が痛い』はどこかであなたも聞いたことがあるでしょう? またその先生の口癖の『これは体罰ではない、愛の鞭だ!』とい名言も。
そして体で悟りました、愛って痛みを伴う物だ、と。その悟りを得てからはどんな攻撃にも笑って耐えられるどころか気持ち良くなって『もっともっと』と要求するようになりました。
そうなるとおかしな事に攻撃を続ける気力を失うようです。僕としてはノーガードでパンチもキックもウエルカム状態なんですけどねぇ。
つまり相手の愛の鞭を避けなければ、僕が攻撃をせずとも相手は勝手にスタミナと精神を消耗していくんですよ! 相手からは愛のエネルギーをもらい、そして僕は相手を傷つけることなく勝つ! すばらしいと思いませんか!?」
「思わねぇし、その先生に騙されてるだろ。そいついじめをほっといただけじゃねえか」
「な、ガンジー師から続く無抵抗主義を馬鹿にするとは! 許せません、足腰が立たなくなるまでやってやります。さあ来い! というより頼むから来て! はあはあ、もっと攻撃をあなたの愛の鞭を僕に!」
「断る。お前のプレイに参加したくなんかない。だから息を荒げるな」
悟はサッカー選手が審判に詰め寄る時のように、ノーガードどころか背中に手を組んで胸で正義を押す。正義は完全に明後日の方向を向き、肘でぐりぐりと相手の腹を押し返している。
そんな正義と悟の間の微妙な緊張感に気づくことなく、千美はにこにこと二人を手招きをした。
「二人とも良く頑張ったね! 特製のスポーツドリンクをプレゼントだ!」
と両手に持ったグラスを渡した。そのグラスごと冷蔵庫にでも入っていたのかひんやりとして、ほてった掌に心地よかった。……中身を気にしなければ。
「このスポーツドリンクってなんなんだ? 炭酸じゃなさそうなのにごぽごぽ泡が湧いてるし、蛍光色のピンクに刺激臭までしてやがる。これ本当に飲めるのか?」
「だ、大丈夫だ! 確か命に別状はないはずだ!」
「全然信用できねぇな」
正義がグラスを傾けて、ほんの一滴だけ中身絨毯にこぼすとそこから煙と刺激臭が立ち上った。
「何が大丈夫じゃー!」
「あ、あれ? マウスの実験では成功したはずなのに!」
と千美は予想外の事態だったのか驚愕に目を見開いた。そして何かに気づいたかのように、あたふたと白衣の内ポケットからガラス瓶に入ったどろりとした緑色の液体を正義の持つグラスの中へと注ぎ込んだ。
グラスの中は一瞬激しく煙を上げて反応したが、すぐにおさまってみるとそこには透明の液体だけが残っていた。
幼女は幼い丸顔にやりとげた漢の表情を浮かべて「ふう」と額の汗を拭う。
「さあ、どうぞ! 今度こそOKだよ!」
「飲めるかー!」
正義はグラスを全力で投擲した。かなりのスピードで壁にぶつかったグラスは甲高い音を上げながら破壊された。「アルファ二十七号ー!」と叫びながら涙目で膝を突いた千美は、
「き、貴様! まだあれだけしかない貴重な試作品を飲まずに投げ捨てるなんて、それでも人間か!」
「だったらお前が飲め!」
「少女に記憶を消す薬を勧めるなんて、何て外道! 一体何をするつもりなのか、番長部の部長として見逃せんぞ! さあ、怜よこの正義って男の頭を斜め四十五度の角度で叩いた後、お前も悟もこのドリンクを飲むのだ!」
まさか自分達にまで飛び火するとは思わなかったのか、怜と悟まで表情を引きつらせた。特に怜は辺りをきょろきょろと見回した後で、何かを誤魔化すように叫ぶ。
「そ、そうだ! 正義をここに連れてきたのは、番長部の部活動を説明しにきたのだった。さあ、千美部長はドリンクの追加なんて忘れて、新入部員に説明を!」
「はあはあ、さすがに僕もあの薬は飲みたくないねぇ。というわけで部長は正義さんへの説明役をお願いします」
二人に駄目だしをされて千美は唇をかんでうつむいた。影になって表情は窺えないが「せっかくピーチ味にしたのに……」との恨み節がもれているが、怜と悟は華麗にスルーして正義に椅子を勧めた。
まだぶつぶつ呟いている幼いマッドサイエンティストを気にしながらも、正義はクッションの効いたソファに腰を下ろす。くつろいだ姿勢になって初めて自分の体が疲労していることに気がついた。
これは軽いスパーのせいではなく、転校とこの番長部とやらに連れてこられた精神的ストレスの為だろう。
なんとか精神的再建を果たしたらしい千美が改めて白衣に包まれた矮躯の胸を張る。
「とにかく歓迎するぞ正義! 君がいないと今度の番長戦争は不名誉な不戦敗になるところだったぞ! その勇気に僕らは敬意を表す!」
「あ、ああ。ありがとう」
反射的に頷いた正義はずっと棚上げにされていた疑問点を口にだした。
「さっそくなんだが、その『番長部』とか『番長戦争』ってのがなにか教えてくれ」
「うむ。正義は基本的事情を知らないまま入部を希望したらしいな。手早く言うと『番長戦争を行う組織が番長部』ということになるのだ! ……ああ、ちゃんと説明するって」
正義にあわてるなと手で制し、千美は悟が目の前に差し出したグラスをあおった。
「まず番長戦争だが、これは各高校がトーナメント形式で戦う試合のようなものだ! この結果が県内の各高校の予算配分や優遇措置などにかなり濃厚に反映されるのだ。……うむ、このジュースはピーチ味で美味しいな!」
「あ、それ僕がさっき部長から手渡されたヤツです」
悟が手を上げると、千美は口から飲みかけた液体をマーライイオンの如く吹き出した。
「何を飲ませるのだー! 僕の作った試作品のアル……えっと、試作品? って何? それよりここは何処? 僕は誰?」
「部長ー! 全然覚えてないんですか!? ここはベルサイユ宮殿で、あなたはマリー・アントワネットですよ」
「え!? そうなの! じゃ、お腹が減ったからパンちょうだい」
「パンはありません」
「パンが無ければ乾パンを食べればいいじゃない!」
「災害時には正しい心がけかもしれませんが、ここに準備はしてませんよ」
「じゃあ、パンが無ければパンケーキを食べなさい!」
「惜しい、正解まであと少しです」
きょろきょろ辺りを見回す千美に大騒ぎを助長する悟。怜は正義に対してため息をつくと腰の刀に手を伸ばした。
「まあ、その、千美部長はお忙しいようだから私の方から説明させてもらうが、正義はこの部室内での事は秘密にできるな?」
「勿論だ。だから首筋から刀をどかしてくれ」
「物分りのいい新入部員で結構な事だ」
納刀する怜からは一片の罪悪感も無い。この部活では薬も抜刀も大した出来事ではないらしく、説明の方を優先するようだった。
「部長がさっき言ったように、校区内の高校における予算の分捕りあいや揉め事の決着なんかを『番長戦争』によって代理で決着させる訳だ。もちろん各校とも自分達が有利になるよう腕利きの生徒をその任に当てるのだが……」
怜は嘆かわしげにかぶりを振る。
「我が校の伝統に生徒の自主性を重んじるというものがあってな、他校がどんどん『番長戦争』における戦力増強に努める中で唯一放任していたのだ。
その為に『番長戦争』に志願する者達で『番長部』を作って部活動という形で自主参加していた。だが年々部員は減少の一途を辿り、とうとう今年は必要参加人数を割り込み番長戦争に参加はおろか廃部まで覚悟せねばならなかった」
だが、と怜は表情を柔らかくして正義の肩に手を置いた。
「事情を知らなかったとはいえ、正義が来てくれたおかげで出場辞退という不名誉は回避できた。助かったぞ正義」
正義は苦笑いしかできない。きゃんきゃんわめいている二人の子供はともかく、この怜は本気で学校の事を案じて彼の入部を喜んでいるらしい。
自分には部活動などするつもりは一グラムもなかったが、それが番長のやるべき仕事ならば選択の余地はない。
「わかった、俺もその『番長戦争』とやらに参戦しよう」
正義の承諾に、怜は勿論のこと千美や悟までが嬉しそうに肩を叩く。
「ふむ、正義ならば必ずや助太刀してくれると信じていたぞ」
「正義さんなら熱い信頼で結ばれた仲間になれますよ。はあはあ」
「よく判らないけど僕も仲間が増えて嬉しいよ! あ、ところでこのジュース飲まない?」
おそらくは忘れてしまって悪気がないのだろうが、千美に勧められた飲み物を丁重に断り話を元に戻す。
「だったら『番長戦争』ってのは学校対抗の喧嘩って事でいいんだな?」
「うん! だいたいそんな感じだね! 普通の喧嘩と違うのはルールと人数が実行委員会で決まっていることぐらいだよ」
と正義の認識に千美が太鼓判を押してくれる。よし、ここはきっちりルールと人数を確認しておくべき場面だな。
「じゃあ、そのルールと参加人数を教えてくれ」
「ああまず『番長戦争』の参加人員だが、実戦部隊が三名に監督役やマネージャーも必要とされている。あいにくうちはお前をいれてようやく実戦部隊員が三人で補欠もなく、他の監督とマネージャーにマッドサイエンティストも千美に兼任してもらっているのだがな」
「にしし、ほら僕って百人力だからね!」
と自慢げに白衣に包まれた薄い胸を張る幼女。お前は現在進行形で記憶を失ってるんじゃないか? と突っ込みたくなったが、何とかこらえた正義は「よろしく頼むぜ」と会釈をした。
その大人の対応がお気に召したのか、千美が悪戯っぽく目を細める。
「うん! 素直でよろしい! たまに見た目だけで僕を見下す愚か者もいるけど、正義がそんな奴じゃなくて安心したぞ!」
「そいつぁどうもありがとうよ。で、次にルールってのはどんなのだ? 公式の試合ってことは、喧嘩じゃなくて総合格闘技みたいなスポーツ的な物になるのか?」
正義の疑問に千美はプルプルと首を振る。
「基本的なルールは相手を殺さないように処置――つまり怜の日本刀を刃引きしてるようなもの――をしてたら武器も目潰しなんかの喧嘩殺法も全部オーケーだね!」
いや、刃引きをしていようが峰打ちだろうが日本刀で斬りかかられりゃ当たり所が悪けりゃ簡単に死ぬぞ。学ランの下に再び冷たい汗をかき始めた正義に、怜が補足説明をする。
「ボクシングなんかは試合中の事故ならば責任は問えないそうだが、この『番長戦争』においては死者を出したら抗議する余地なく死に至らしめた高校が厳罰に処される。最悪のケースでは廃校処分もあるようだ、したがって戦争中に殺される確率はゼロに近い」
「そうなのか。ちょっと安心……いや死ぬ危険性が少ないのは判ったが、重傷なんかはどーなってんだ?」
怜と千美と悟が一糸乱れぬ動きで目を逸らす。まるで「右向け、右!」と号令を受けたような態度だ。
「全員そろってそっぽを向くなよ! 今まで怪我人ぐらい出たんだろう?」
「し、死者は出てないぞ。うん……目を覚まさない人もいたけど」
「そ、そうだよ! 僕もいるから、多少の怪我なら心配ないって! 脳さえ無事ならどうとでもなるよ!」
「戦場の傷なら男の勲章ですよ。できるなら僕が変わって苦痛を引き受けてあげたいぐらいです。きっと凄い悟りが開けそうな苦痛なんでしょうねえ」
必死に視線を合わせようとしない少女が二人と、別の世界を見つめてうっとりしている少年にこれ以上の追求は無意味だと感じずにはいられなかった。
「じゃあ殺傷兵器以外はほとんどが使用可能ってことかよ。ほとんどルール無用じゃないか」
「あ、でも勝利条件については厳格なルール適用があるんだよ! 一回クレームがつけられたらしくて、その教訓から弁護士を交えたルールブックが毎年配布されるようになったんだ!」
「そういえば、今年も速達とメールの両方で来てましたね。公平を期す為に毎回勝利条件が変更されているんですが、今年は確か……ビーチフラッグと棒倒しをミックスしたようなものでした。
とにかく敵陣にある旗を先に破壊したチームの勝利です。もちろんその邪魔をする相手チームとは戦闘になるでしょうが、例年通り殺さなければ問題無いようですね」
さりげなく法治国家としては恐ろしいルールを解説されたが、そこらへんを四捨五入すると何をしてでも敵の持つ旗を奪取すれば勝ちになるらしい。
番長になるための喧嘩は上等だと覚悟はしていたが、なぜこんなにハードなビーチフラッグに参加する事になっちまったんだろう。正義はまだ戦いが始まってもいないのに頭痛を感じだしていた。