第十四話 正義は必ず勝つ
巨大スクリーンに映し出されている、どこか満足げな笑みを浮かべ倒れ伏した悟の姿に、正義は衝撃を受けたのか膝をついた。
「そんな馬鹿な……」
芝居めいて見えるほどがっくりと四つん這いになった正義はいわゆる『真っ白な灰になった』状態だ。だが意外とすぐに立ち上がると、屈強な肉体に似合わないふらふらと夢遊病者のような頼りない足取りでどこかへと歩き出す。
いかにも敗残兵じみた彼の姿に気を留めるものは少なく、ほとんどの者は正義から目を逸らして誇らしげに折れた旗を掲げる栗林野高等科のロボットに賞賛の拍手を送っていた。
――そう、白い色の旗を守っていたロボットの操縦士さえも。
その事を確信したかのごとく正義は一転して洗練されたステップで、何度も手にしかけた敵チームの旗へスライディングすると今度こそ手中に収めた。
◇ ◇ ◇
この瞬間VIP席にいたある生徒会の会長が普段の冷静さをかなぐり捨てて「馬鹿! まだ終わってはいないぞ!」と叫んでいた。
そしてまたぶかぶかな白衣を着た幼女が「さすが私の製作物は見破られなかったね!」と薄い胸を張っていた。
◇ ◇ ◇
ロボットの首が正義の方を向き、無機質なその頭部にいぶかしげな雰囲気を漂わせる。
おそらくパイロットの考えは「勝負はついたのに、何やってんだこいつ?」といったところだろうと正義は想像した。
その余裕が――いや油断が命取りだぜ。
正義は唇を吊り上げると牙にも似た犬歯を覗かせて、獰猛な笑顔を作る。
「俺たちの勝利だ!」
歓喜の雄叫びを上げると右手の旗を地面に叩きつける。本来ならば両手でへし折りたいところだが、左手が不自由なのだから仕方がない。だが、片手でも一回叩き付けられただけで旗はうまく折れ、耳障りな金属音が流れ出す。
この時点でようやく興奮していた観客の何割かが正義の動きに関心を向けだした。その多くが「あの負け犬、何やってんだ?」というネガティブな反応ではあったが。
ロボットも可動範囲の少なさそうな武骨な頭部を捻り、大げさなジェスチャーで肩をすくめた。感情表現ができるとは妙な所にこだわりがあるロボットだと正義はこみ上げる哄笑をこらえ切れなかった。
くくく、こいつ自分が負けたと知ったらどんなアクションをロボットで表現してくれるんだか。
まるっきり悪役風な台詞を心の中で唱えながら、正義は自身のモットーを高らかに告げる。
「正義は必ず勝つ!」
その叫びに重なるように場内にアナウンスが流れた。
『ご覧のように野際学園の折葉 正義選手により栗林野高等科の旗が破壊されました。この試合は野際学園の勝利となります』
一瞬の空白の後、さっきの賞賛の歓声以上のボリュームで罵声が場内に轟いた。
「どういう事だ!」「栗林野のロボットが先に旗壊してたじゃないか!」「払い戻しが惜しくて無理矢理に野際学園の勝ちにするつもりか!」
口々に納得できないと抗議を叫んでいる。
純粋に不正を怒っている観客とギャンブルで外した者の大ブーイングである。
不穏な空気を察したのか、慌てて場内アナウンスが再開された。
『えー、判りにくかったようなのでこの試合の結果について解説いたします。
勝利条件は敵チームの旗を破壊する事になっているので、その条件を満たした野際学園チームの勝ちと判定されました。
先に栗林野高等科のロボットが旗を壊したように見えましたが、あれは無効であり実際には野際学園の旗は破壊されてないので勝敗には関係ありません。
したがって、正義選手によって敵の旗を破壊した時点で野際学園の勝利が確定し試合終了となりました。
よって、試合時間十五分三十四秒、オッズは九・八倍の払い戻しになります。お手元の勝利高校応援券を失くさないようにご注意ください』
ざわつく場内だったが観客は場内放送の内容を吟味しているのか、次第に雰囲気は落ち着いてきた。
騒然とした空気が収まったのを感じてか、アナウンスの声も慌てたものからどこか余裕を感じさせるものへと変化していく。
『なお、詳細はこれから行われるインタビューで勝利した野際学園の選手に語っていただくことになっておりますので、まだ納得いかない方は引き続き場内スクリーンに映される勝者インタビューをご覧下さい』
その言葉に競技場全員の視線が一斉に場内スクリーンへと注がれる。
巨大なスクリーンの中心に映し出されたのは、汗でリーゼントは完全に崩れてサングラスは失くしている正義だった。いつもより幼い雰囲気を持つ彼はカメラを向けられて自身の考えるかっこいいポーズをとっている。
普段は隠されている若干たれ目を細めて右手の親指を立てる正義は、まさに『いい仕事をした! 一杯やるか!』とでも言いたげなやり遂げた男の顔をしていた。
普段より幾分柔らかい表情の正義の頭を軽く叩き「良くやったな」と祝福するのは、あまり汚れた感じのしない怜だ。同じ戦場にいたはずなのに、ズタボロの正義とは好対照に乱れた道着もきっちりと襟を正して僅かな間に身なりを整えている。
そこによろよろと近寄ってきたのは、さっきまで集中して攻撃されていた悟と彼に肩を貸している一応はドクター役の千美だった。どちらも背格好は似たり寄ったりなのだが、ダメージを受けている悟よりも肩を貸しているはずの千美の方が足取りが危なっかしい。ただでさえ小柄な体格で大変そうなのに、大きすぎる白衣が十二単のように足元にまとわり付くのが千美の邪魔をしている。担架を準備している係員も協力したさそうだが、千美が「悟を運ぶぐらいあたし一人で十分! え? 無理だって? あたしを子供扱いするなー! がおー!」と威嚇しているので手が出せない。
なんにしろ勝利チームのメンバーがようやく集まった。
誰からともなく顔を合わせると「にしし」と含み笑いが漏れ出し、すぐに全員で大声での笑い声に変わる。正義の豪快なテノールに千美の透き通る高音と悟のまだ声変わりしていないボーイソプラノに怜の女性にしては低いアルトが珍妙な笑いのハーモニーを作った。正義がこれほど屈託のない大笑いをするのは目に怪我を負ったとき以来だった。
そんな和やかな雰囲気は無粋なインタビュアーによって破られる。
『えー、では見事に勝利を飾りました野際学園のメンバーのインタビューをお送りいたします。まずは皆さんおめでとう御座います。
失礼ながら野際学園の勝利を予想していた人は少なかったようで、オッズがそれを物語っていまいたが、それを覆しての勝利です。今のご感想は』
「ふふふ、僕が部長をやっていて負けるはずないじゃないか!」
「己の修行の成果を出せば、自ずと結果はついて来ると思っていた」
「巨大ロボットに蹂躙されるなんも素敵な、いや貴重な経験でした」
「くっくっく、正義は必ず勝つんだよ!」
各々が勝手にマイクに向けて興奮冷めやらぬ感情をぶつけてくる。皆が勝利でハイになっているようだ。
インタビュアーは勢いに流されないように一呼吸おいてから、冷静な声で質問をぶつけた。
『えー、喜びの声を有難うございました。それでは、ここからは今の試合を振り返って幾つか気になる点をお尋ねしようと思います。
ではまず皆さんが一番気になっているだろう疑問です。板井戸選手の守っていた旗は、あのロボットによって先に破壊されていましたよね? そうならば栗林野高等科の勝利のはずですが、認められずにあなた達の勝ちになりました。一体どういう事なのでしょう』
とマイクを突きつけられた番長部のメンバーの内二名は首を捻った。
「ああ、悟が倒れて旗を折られた時には敗北の責任をとるため、皆の介錯と切腹の覚悟を決めていたのだが」
「僕もちょっと意識を失くしかけててよく覚えてないんですが、あれってうちの勝利でいいんですか? それと怜さん介錯って痛いんですか?」
妙な事を尋ねる悟に対し怜は首を振る。
「いいや私の腕なら一瞬で何も判らない内に終わらせるのも可能だ」
「……ならいいです」
落胆した悟にさらに怜は首の捻りの角度を大きくした。おそらくは悟の求めている方向性とは違ったのだろう。もし一致していたらと考える正義はその想像を頭の中から蹴りだした。誰でも仲間の生首などイメージするものではない、ましてやその首が恍惚の表情を浮かべている所などは。
すぐに頭を切り替えた正義はインタビュアーに向き直る。
インタビュアーは怜と悟の掛け合いに目を丸くしていたが、一瞬で表情を引き締めると改めて正義にマイクを差し伸べる。
『では当事者である正義選手にお話をうかがいましょう。なぜロボットがあなた方の高校の旗を破壊した時に、栗林野高等科の勝利とならなかったのですか?』
「……まず試合前に配られた旗が破壊されたら負けになる。そのルールは曲げようがない。だからお前の質問は前提条件が間違っているんだ」
微かにとげがある質問に正義は慎重に答えた。ルール上の問題がない事は確認済みだが、下手に揚げ足を取られるのは避けなければならない。
「つまり、俺たちの旗は敵に取られても壊されてもいないんだよ」
正義のしてやったりの笑みに一拍おいた後、会場中から疑問の声が沸く。
実際に彼らは悟がロボットに倒された後、破壊された真紅の旗を見ていたのだから当然だろう。巨大スクリーンもインタビュー画面から、録画で悟がどこか幸せそうな顔でKOされた後の場面を流し始めた。
やり遂げた少年の顔を微かに恍惚に歪ませて悟が前のめりに倒れる。彼の頭が地面に触れるのとほぼ同時に、巨大な木製の掌が悟のすぐ側の地面に刺さっている旗を掴み取る。
そして、そのまま見上げるほどの高さまで手にした旗を掲げると――即座に握りつぶし、破壊された旗からは金属音が響き渡る。
どこから見ても野際学園の敗北の図にインタビュアーが再び正義にマイクを突きつける。
『今の映像をご覧になれば、正義選手の「旗を取られても壊されてもいない」発言に納得できる方は一人もいらっしゃらないでしょう。どういう事か説明をお願いします!』
次第に語気が荒くなる彼女に辟易し始めていた正義は、もう焦らすのは止めようと表面上はにこやかな笑みのままで考えた。
「まあ、そんな風に引っかかってくれたら俺も嬉しいぜ。お客さんも焦れてるみたいだし、さっさと種明かしをすると『悟が守っていたのは俺達に配布された旗じゃなかった』って事さ。つまりあの巨大ロボットが壊したのは偽者で、本物の旗は――」
と一拍の間を置いて正義はガチガチに固められた左腕のギプスから赤い旗を取り出した。
「壊される事もなく、ここにある」
正義はウインクして右手で旗を掲げた。その手に翻る旗は紛れもなく試合前に野際学園に渡された物だ。
混乱の面持ちで正義の持つ旗を見やっていたインタビュアーは、呆然と口を開きっぱなしにしている。
『じゃあ、あの映像の中でロボットに壊されていたのは一体何なの?』
明確な質問というわけではなく、思わずこぼれたような疑問にも正義は律儀に答えを返す。
ちらりと隣に立つ白衣のちびっ子に目をやると、ギプスを右手で軽く叩く。
「俺のこのギプスはうちの部長の特別製でな、怪我を保護するだけじゃなくて武器を仕込めるようにもなっているんだ。
だから俺は頼んだのさ、赤い色の旗を仕込みギプスの中身にしてくれってな。つまり、ロボットが勘違いして壊したのはうちのチームの旗ではなく、俺が武器として持ち込んでいた旗だったのさ」
「うんうん。正義がギプスに旗を仕込んでくれって頼みに来たときは、ギプスから万国旗でも出して観客からおひねりを貰う作戦かと絶望しかけたよ。囮にするって聞いてようやく納得したけどね」
とふんぞり返っている千美だが、彼女は旗を仕込む最後の瞬間まで「ロケットギプスパンチィ……」と未練たらしく呟いていた。戦闘中でも怜が不利になった時でさえ「おお、木製なのにロケットパンチを撃てるとは! 向こうの製作者もわかってるね!」と大興奮していたのだ。彼女に限らずマッドが付く科学者にはロケットパンチに何か思い入れでもあるのだろうか?
そんな事情はともかく、千美の協力がなければこれほどうまく囮作戦が機能しなかったのも確かだ。
「そして、仕込んだ旗を開始直前に俺たちの陣地に刺した後は、本物の赤い色の旗をそのギプスの空いたスペースにはめ込んで俺が保管していたって訳だ」
「つまり、試合開始前からボク達の作戦は始まっていたって事だね!」
かなり身長差のある二人が無理矢理肩を組んで「うひひ」と口元を緩めている。いたずらが見事に成功した腕白坊主のような姿に毒気を抜かれかけたインタビュアーが、必死に気を取り直す。
『で、では試合前からあれこれ仕込んでいたって事なんですか!? それはルール違反なんじゃないですか?』
「「どこが!?」」
正義と千美が声を揃える。二人とも「何言ってんだこいつ」と怒りより疑問を顔に浮かべている。
「俺はちゃんと試合前に武器のチェックは受けたぜ、それで問題ないとお墨付きをもらったんだ。ま、当然だわな。中に衝撃を与えると鳴るブザーの入っただけの旗を仕込み武器としてギプスに入れておいただけなんだからな」
「うん、そうそう。『たまたま』仕込み武器に選んだ得物が『偶然にも』うちの高校の旗とそっくりだったんで、入れ替えて保護していただけだよ! 仕込む旗は何種類も準備していて前の試合を観察してできるだけ良く似た外見の物を選んだり、試合前にごねてこっちが用意していた色の旗に変えさせたりしたけれど何一つルールに反してないはずだよ!」
と思いっきり内幕を暴露する二人だが、グレーゾーンではあるが確かにルール違反ではない。
冷や汗を流すインタビュアーは固い笑顔のまま上からの指示を待つが、いつまでたっても連絡は来ない。
仕方なく何かを振り払うような大声で観客に告げた。
『では勝利した野際学園のメンバーに大きな拍手を!』
観客は半ばやけくそ気味に張り上げられた声に戸惑いを隠せなかった。だが無邪気に自分達に手を振る野際学園のメンバーに毒気を抜かれてしまう。
やがて、まばらにぱちぱち……と音が響き始めると、次第に大きくなり会場中が拍手に包まれた。
湧き上がる拍手の渦の中で、野際学園番長部のメンバーは笑顔のハイタッチを交わし合った。