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第十一話 サムライガールは振り向かない


 怜はグラウンドを疾走しながらもチェックしていた自分のコンディションにほぼ満足していた。

 道場ではなく芝生の上とはいえ足捌きなどに乱れはない。敵陣まであと僅かであるが、かなりの速度で移動したのに呼吸は整ったままだ。腰に挿した日本刀までもいつもより軽く感じられる。

 間違いない。

 怜は確信した。今日の私に斬れない物は存在しない、と。


「っと、斬ってはまずいのだったな。刀も刃引きしてあるし、日本刀としてより棒術として戦わねばな」


 体調の良さと戦場の興奮に身を任せすぎたのか、ヒートアップしかけた頭を冷やす。試合用に刃引きしてある刀を持ち込んだのだが、怜の実力ならば薄い金属ぐらいたやすく切断できてしまう。殺傷能力においてはほとんどいつも帯刀している物と変わりはない。

 かえってこれで死者をださないようにと怜が自らを戒めねばならないほどだ。

 とは言え、怜には相手に怪我をさせずに無力化する技術も豊富に揃っている。現代日本で実戦派の武術を名乗るには、かえって殺し技よりも捕縛術などの方が重要度が高いとさえ言えるかもしれない。当然の事ながら、怜も一通り心得てはいる。


 だが、今回は通常の戦闘とはかなり勝手が違う。巨大木製ロボットと戦う事など、古流の技にも現代の最先端軍隊格闘技でもマニュアル化されていない。

 今日のこの戦闘から、ロボット対人間の戦闘研究が始まるのだ。

 その戦訓となるべき初陣を自らが務めると思えば、怜の薄く紅を塗った唇もほころぶというものだ。

 やはり武士として育てられたとはいえ、年頃の娘である。戦闘とは言え、大勢の衆目を集める場に薄化粧ぐらいはするのが常識だろう。

 もしも、これがジャングルなどのゲリラ戦であれば話は別だが、この開けたフィールドで身支度に目くじらを立てるのも無粋だと彼女は考えていた。

 そこまでは自分の事を考えていたが、敵陣が窺えるようになってくると自動的に意識が切り替わる。


 敵陣に存在する巨大ロボットは約十メートル先に一体。他の二体はこっちの陣に突っ込んでいったようだが、この際その二体の事は思考から外す。

 敵は目の前にいる一体のロボットだけ、そう思い定める怜の世界には自分と敵陣のロボットしか存在しなかった。

 この類稀な集中力が怜の最大の長所であり欠点である。

 一対一というように限定された状況においては最大限の力を発揮するが、第三者や突発事項に弱い。それは試合よりも実戦を重視する武術家としての怜にとっては、ある意味最も未熟な点かもしれなかった。


 観衆の声がふっと遠ざかり、自らの呼吸音とフィールドを踏みしめる音だけが鼓膜を揺らす。

 視界が狭まり、敵のロボットだけが輪郭をくっきりと際立たせて網膜に映る。

 ロボットが迎撃の為に体勢を変える軋みが聞こえる。旗への進路を塞ぐ為に両脚を大きく開いて重心を落とすのが感じ取れる。

 怜の集中は敵の動きをスローモーションにしていた。


 敵への間合いが十メートルにまで迫る。

 普段の戦いならば、まだ戦闘距離ではない。せいぜいが飛び道具などに警戒すれば十分でな間合いだ。

 しかし、敵の体長が三メートルを超えていると一歩の踏み込みだけで攻撃が届く可能性もある。通常の人間相手のように無雑作に接近してはいけないと、怜の皮膚感覚が警戒信号を送っていた。

 ここまでお互いの体格が違う戦いなど、古今の戦場にもなかっただろう。怜は培ってきたセオリーだけではなく、実戦の勘に従うのも重要だと感じていた。

 その勘に従い自分でも臆病に感じられるほど慎重に間合いをとる。


 そこに届かないはずの敵ロボットからの攻撃が襲ってきた。


 身長が人間の二倍であることを考慮し、攻撃可能範囲も二倍に設定。また踏み込みも当然二倍になるために更にまた倍に。

 そう怜が距離を測っている間に敵ロボットが攻撃をかけてきたのだ。

 だが怜は敵ロボットがいくら大きかったとしても、物理的に手足が届かない攻撃範囲外にいたはずだった。

 なのになぜ攻撃されたのか?

 答えは簡単――ロボットの怜への攻撃はまずロケットパンチから始まったのだ。 


「それは卑怯だろう!」


 思わず飛び出した己の罵声に怜は唇を噛む。言っても詮無い事だ。これほどの観衆の前で出す技が反則であれば一発で失格となる、そんな無意味な危険を冒すわけがない。

 ならばこの技というかギミックも審判のチェックを通過した物なのだろう。戦いが始まってから文句をつけるなど、なんという士道不覚悟か。敵の技よりも自分の甘さに腹が立った。

 瞬時に脳裏に浮かんだ後悔を強引に打ち消す間にも、鍛えぬいた彼女の体は勝手に回避行動をとっていた。


 正面から襲い掛かる巨大な拳。

 それは普通の人間のパンチなどのダメージを与える攻撃とは全く異なる、大質量のトラックなどによる衝突事故に巻き込まれるようなものだ。

 つまり、まともに貰ったらその場で終わりになる。ブロックするとか筋肉の厚い部位で受けて我慢するとかいった、人間の打撃防御のセオリーの幾つかは役に立たないのだ。


 防御できないのならば、避けるしか道はない。

 そう瞬時に察した怜は、すでに開始している体の反射的な回避に積極的に身を委ねた。武術やスポーツにおける見切りやディフェンスなどといった華麗な技術でなく、もっと原始的な――はっきり言えば無様でさえある、身をよじり尻餅をつくほど大仰な避け方。

 その原始的な避け方だからこそ、怜は唸りを上げて紙一重の位置を通り過ぎる巨大な拳から身を守ることができたのだ。

 触れていないはずの拳の風圧だけで、彼女の頬に鈍い痛みを覚えさせるほどの威力である。直撃したらどれほどのダメージか想像もしたくない。

 ――乙女の柔肌になんて事をするのだ! いや、それよりも本当に殺さないように威力調整をしているのか!? 怜にそんな疑惑を抱かせるほどだ。

 だが、その動物的な避け方の代償も大きかった。

 強引な回避のせいで体勢が戻しようもないほど崩れてしまったのだ。


 まるでど素人のように、尻餅をついたばかりか背中まで地面につけてしまう。

 柔道なら確実に一本取られるほど無防備な体勢を、一瞬とはいえ怜は晒してしまった。

 羞恥と恐怖が同時に怜の胸を焼く――羞恥は自らの至らなさに対し、恐怖は倒れてしまった為に次の攻撃への備えが遅れる事に対してだ。

 だが彼女の肌を粟立てた恐怖は杞憂であった。巨大ロボットはその動きを停止していたのだ。勿論それは一呼吸ほどのわずかな間に過ぎなかったが、怜が跳ね起きて再び中段の構えに戻るには十分な隙だった。

 ロボットが倒れていた怜に追撃をかけなかったのは、操作上やりにくかったのかそれとも殺してしまうとストップがかかったのかは判らない。

 怜に判っているのは、己が危機を乗り越えたという事実だけだ。


 正眼に構えたままじりじりと後ずさりして間合いをとる。今度は先程安全だと判断した距離からさらにワンステップ離れた地点だ。

 偶然とは言え怜の良い意味での臆病さが功を奏し、敵ロボットからの初撃をかわす事が出来た。

 だが、もう一度あの攻撃を確実にかわせるかと尋ねられたら、怜は首を横に振らざるえない。

 ロケットパンチを目の当たりにして怜が最も危機感をおぼえたのは、射程ではなく予備動作の無さだった。


 怜のような武術家達は『攻撃を見てから防御する』のではない。攻撃を目で認識して、防御行動を神経に伝達し筋肉が手足を動かして防御する――そんな事は人間の反射神経では不可能だ。

 だが、実際にはボクシングなどに代表される打撃系格闘技には高度なディフェンステクニックが存在する。

 それは防御をする側が、どのような攻撃されるのを予測しているからに他ならない。

 つまりパンチを撃とうとすると、その一瞬まえに拳や肘や肩が動く。その攻撃の『起こり』を見極めるのが防御側としては重要なのだ。

 だが、ロボットにはそれがない。


 当たり前の話だ、ロボットが癖や無駄な挙動を行うはずがない。ましてやロケットパンチは拳を銃弾に見立てた銃のようなものである。

 銃口を向けた状態で、発射するまでにどんな予備動作が必要だろうか? 

 怜にはいきなり拳が大きくなったとしか認識できなかった。

 結果論でしかないが、ロボットパンチは皮肉なことに、武術の奥儀の一つである予備動作をなくすという『無拍子』を実現させていたのだ。


 怜の目には立ち塞がるロボットが先程よりも大きく映っていた。

 勿論物理的な意味でのスケールではなく、プレッシャーによりそう感じとってしまったのだが。そして相手を実物以上に感じているというのは、気圧されているからに他ならない。

 怜は無表情を保とうと努力しながらも、きつく奥歯を噛み締めた。

 次に喰いしばった歯を緩め肺から息吹を行うことで冷静さを取り戻す。

 僅かにクールになった頭で、怜は改めて戦況を分析した。


 確かにあのロボットパンチは厄介だが、先程よりも間合いを広げている為に、直撃を貰って即終了といった無様をさらす事はない。

 何より、ロボットパンチで右拳が飛んでいったために左拳だけに集中すればいいのが……。

 そこまで思考を進めた瞬間、再び怜の背筋に氷片が走った。

 まずい、ロケットパンチの特性というのは第一が拳が相手に飛んでいくことだ。そして第二は――。


「戻ってくることであったな!」


 背後からの襲撃がすぐそばまで迫っていた。発射されていた右の拳が戻ってきたのだ。その帰り道に怜が立ち塞がっている位置関係になる。

 

 怜は振り返りざまに、至近距離まで迫っていた巨大な拳を日本刀で袈裟懸けの形で叩き落そうとする。

 だが、これだけではかなりの質量を持つ拳の進行方向を変えるには至らなかった。

 それは怜も計算づくである。袈裟懸けに刀を振った上半身の反動を使って、下半身を振り戻すように外へとずらす。刃引きした日本刀で拳を斬るのではなく押す感覚で体の回転と足を止めないように、グルンと音がしそうな体捌きの回避を披露した。

 

 ロボットパンチのブーメラン攻撃を避ける怜の動きは、発射された一撃に尻餅をついていたのに比べてはるかに洗練されていた。その代償として、拳に叩き付けた刀が半ばから折れてしまったが彼女に慌てるそぶりはない。

 怜はこの短期間のやりとりで自分のレベルが上がっていくのを実感していた。

 今の自分は武器長さが半分になった程度で動揺はしない。怜の唇は本人の知らぬ間に薄い笑みを浮かべていた。 

 ふふ、こいいう心境を明鏡止水っと言うんだったか――。怜にとって過去最高の精神状態は、駆け寄ってきた味方によって破られた。


「怜、大丈夫か? 助けに来たぞ!」

「なんでやってきたんだ、正義! 貴様の役目は自陣の防衛だろう!?」

「そいつは悟に任せてきた。そんなに動揺するなよ怜。刀も折れて気落ちすんのは判るが、俺が来たからには百人力だ。

 大船に乗ったつもりで俺を信用して、さっさとこいつを片付けようぜ」


 木刀を握ったまま器用にビッと右手の親指を立てる正義がこの場にいるのを信じられず、彼を凝視する怜に冷静さなど残っていなかった。自分が信じて旗の守りを任せた男が、なぜ持ち場を放棄してここで格好をつけているのか理解不能だったからだ。

 だが一瞬の自失の後に怜の顔に納得の色が表れ、正義の太い首に熱い視線を浴びせた。


「……ふふふ、なぜか一目見たときから妙に気になる男だと思っていたが。そうだったんだな、正義の首の形がなんとも試し切りに良さそうだったのか。

 ようやく理由が判ってすっきりしたぞ。では、そこで正座し、首を前へ」

「え、何だ、その介錯人みたいな台詞は」

「うるさい、事前の打ち合わせをオシャカにした者に慈悲など必要ないだろう。

 大丈夫、痛くない。ただ身長が二十センチほど縮むだけだ」


 二人が顔をつき合わせて言い争っている間に、気を取り直したのかロボットが構えなおす。すでにその右拳はロケットパンチが放たれる前と同じように装着されていた。同時に怜と正義もそれに応じ戦闘モードに移行する。

 流石にこれ以上ごたついているのはまずいと二人とも判断したのだ。


「と、とにかく悟の献身を無にせぬ為にも、こやつを手早く倒そう!」

「ああ、悟がやられる姿ってのは想像つかねぇが、こいつを倒すのは賛成だ」


 怜の声に正義も獰猛な笑みで頬を吊り上げて答える。あの小柄だが異常なタフネスを誇る少年が倒れる可能性など、二人には全く考慮してはいない。観客席にあるスクリーンにはなぜか満面の笑みで滅多打ちされている悟の姿が映し出されているが、この場には「志村、後ろ後ろ」と教えてくれる者はいなかった。

 実況の『あーっと、野際学園の悟選手、ノーガード戦法か! むしろわざと攻撃にさらされているような状態です! それでも笑顔を崩さない彼はどのような奥の手を秘めているのでしょうか!』という放送も耳に届かない。

 いや、二人の額には冷や汗が滲み表情が強張っているのだが、あくまで悟の苦境には気がついていない事にするつもりらしい。

 何かを誤魔化すように怜は声を張り上げる。


「で、では推参!」

「おお!」


 怜と正義はタイミングを合わせて巨大な敵へと躍りかかった。



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