第十話 体重差百倍との戦い方
澄み渡った空の下にスターターが手にした銃の引き金を引いた。どう見ても陸上競技用の音だけが出る代物ではなく、日本警察が配備しているリボルバーよりも一回り大きい『本物』のようだったが、集まった人々の誰もがそんな些事に拘ったりはしない。
満員の競技場に号砲が鳴り響き、ここにようやく正義達の番長戦争の口火が切られた。
轟音を聞き届けると正義は空手の息吹で呼吸を整え、手でもてあそんでいた真紅の旗を自陣に突き刺した。これを破壊されなければおそらく負けはないはずだ。
ちらりと無事を祈るように旗に目をやるが、すぐに視線を厳しく変えて正面に移す。
敵陣までの距離は約百メートルもあるのに、大きなロボットが三体もいるせいで正義の持つ距離感と常識が狂いそうになる。
これからあの巨体に挑むかと想像するだけで彼の体には鳥肌が立った。
そんな正義の高ぶりや悟の熱い吐息、更に満員の観客からの大声援にも怜は動じる気配はまるでなかった。むしろ空気を震わせる歓声をはね返すようにスッと背筋を伸ばしている。
これから日課の稽古だと言っても納得するほど、彼女の体からは気負いが感じられなかった。
「では手筈通りにいくぞ。二人は旗を死守してくれ」
怜が正義と悟に一声かけて駆け出した。彼女の走り方は上下動が少ないために、大地を蹴ると言うよりもすべるような印象を与えながら右手のタッチラインに沿って敵陣へ迫っていく。その挙動には巨大な敵と相対する動揺の気配は欠片すら無い。
怜の度胸に感心した正義は自分の役割をもう一度思い出していた。
序盤はまず守りを固め、敵の行動を観察する事。
敵は何しろ木製の巨大ロボットという代物である。大きさや重さはある程度推察はできるが、他のスペックは全く判らない。最悪、敵のロボット全機が猛スピードでこちらの陣地に突っ込まれて防戦一方になる展開も考慮しておかねばならない。
そのために遊撃である正義を、まずは防御として自陣においておく作戦を採用したのだ。
敵の初手やいかに? とじっと目を凝らしていると、怜の接近に対してか敵陣にも動きがあった。一体をその場に残し、二体のロボットがフィールドの中央を通る最短距離でこっちへと突っ込んできたのだ。
「ここまでは想定通りってとこだな」
「ええ、彼らがくるのが待ちきれませんよ」
正義と悟が各々感想を洩らす。確かにここまでは戦前の想定通りに敵は動いてくれている。
栗林野からしてみれば、戦力はロボットも含めると圧倒的に自分達が上である。だとすれば危ない橋を渡る必要はなく、安全に優勢から勝利に結び付けたいはずだ。
ならば戦力が上の場合の定石は、奇策に陥れられないように正面からの戦いにする事――つまりこの状況ではこっちの選手一人に対して向こうも一人を当て戦力の不均衡をなくす作戦――が基本戦術となるのは予想していた。一対一での戦いに絶対的自信を持っているからこそ、こちらのフォーメーションを鏡写しにすることで『間違い』や『番狂わせ』が起こる可能性を減らしているのだ。
戦力が上のチームのとる王道でもある為、野際野学園番長部にとっては攻めるべき隙は少ない。しかし、少ないだけでゼロではないと正義は舌でちろりと唇を湿らす。
この相手の作戦を受けて立つ栗林野の『横綱相撲』にもいくつかつけ込める点があると正義は気がついていた。王道と言えば聞こえは良いが、裏を返せば読みやすくもある。
まず相手は速度についてそれほどのアドバンテージを持っていない事が、この戦術をとったことから理解できる。もし、敵がロボットの破壊力や耐久力ほどに速度にも自信を持っていれば有無を言わさず全員でこっちに突っ込んできたはずだ。例えその奇襲をいなされたとしても、こちらを凌駕するスピードがあれば素早く自陣に戻り体勢を立て直すのは容易である。
そうせずにこちらに合わせたと言うことは、移動速度においては正義達の方が有利か悪くても五分だという計算が成り立つ。
ならば正義達にとってもとるべき道はいくらでもあるということだ。
土煙を上げて接近するロボット二体を観察しながら、正義は前に出した右手と右足でリズムをとっていた。ただ見つめているより、自分でタイミングを計りながら待っている方が相手の速度も判りやすい。
今回は巨大ロボットという規格外な相手の為に相対距離が測りづらいが、それでも相手のスピードは人間を相手にしてきた時とさほど違いは感じない。正義は十分に対応可能なスピードだと判断し、僅かに胸を撫で下ろした。
正義は隣に立つ半裸の少年に注意を移すと、悟は緊張のせいかブルリと身を震わせていた。それどころか敵の接近に連れて徐々に呼吸が激しくなっている。
このままではまずい。リラックスさせたほうがいいと正義も思ったが、既に敵のロボットが警戒するべき地点にまでやってきている。もう、コミュニケーションをとってリラックスさせるのは不可能だ。
内心で舌打ちする正義だったが、悟の体の震えが怯えから来るものでもなく武者震いでもないことに気がついた。こいつ、肌をピンクに染めて興奮してやがる。その震える唇からは「こんな大観衆の前であんなに大きいの……早く来い」と何を妄想したのか、はあはあ喘いでいた。
よし、悟の事は気にしないで自分に集中だ。せわしなく桃色の吐息をつく相棒を見なかったことにして正義は改めて接近するロボットに目を凝らす。
しかし、敵のロボットが近づいてくるのを待ち受けるなんて、良く考えたら凄いシュチエーションだよな。格闘技の訓練ならさんざんしてきたのだが、正義はこの学校に転入するまで対ロボット戦闘など想像した事もなかった。
もし敵のロボットがアニメ並みの性能を持って機敏に動くのならば勝ち目はないが、人間と同等のスピードしかないならこっちにも勝機はあると自らを奮い立たせる。
正義が考え出した作戦の一つが『二足歩行ロボットのバランスの悪さ』を突く方法だ。
現在迫り来るロボットは人間の体のフォルムからすると不自然なほど足裏が大きい。これは接地面積を少しでも稼ごうとする計算と、デザイン上の格好良さの妥協の産物なのだろうがそれでもまだ十分とは言い難い。
バランサーなどは当然あるだろうが、転ばせるのは人間の力だけでも十分だと千美も保障してくれていた。
どうせなら二足歩行ではなく、戦車型のカラクリにすれば良かったのにと試合前に正義は指摘したが、千美は頷かずに「技術者のこだわりだね」と逆に相手側のロボットのデザインを評価していたようだった。
皆馬鹿ばっかりだなと正義は厳つい顔の頬をゆるめた。ま、もっとも馬鹿なのは――
「正面からロボットとやりあう俺だろうけどなー!」
弱気や迷いをを吹き飛ばす勢いで雄叫びを上げる。色々とうじうじ考えていたが、こんな滅多に体験できない戦いを楽しまなければ後悔するってもんだぜ!
脳味噌の中まで戦闘の興奮に染められた正義は、自身の身長の三倍はあるロボットへと踏み込んでいった。
そして、後悔した。
正義がさすがに正面からはまずかったと悔やんだのは、ロボットの蹴りを受けて宙で二回転している最中だった。
ロボットは身長が高いだけに歩幅も広く速度はあるが、やはり走る動きそのものは単調で機械的な為に判りやすい。
ロボットの足運びのリズムを読んだ正義は、その前に出た足を全力の前蹴りで迎撃した。破壊力では回し蹴りに一歩譲るが、前蹴りのストッピングパワーは蹴りの中では最上位に位置している。そのために右手に持った木刀での攻撃よりも前蹴りを選択したのだ。
だが、会心の一撃にもロボットは反応をしなかった。正義も今までの体験から、ここまでいい蹴りが入った場合は相手は骨折か最低でも動きが止まるものだと考えていた。相手が人間ではなくロボットだと判っていてもなお、一瞬相手のダメージを測ろうと凝視してしまう。その隙とは言えないほどの隙、ほんのコンマ数秒にも満たない微妙な次の行動へ移るまでのロスがロボットの攻撃を避けきれなくしてしまった。
二足歩行のロボットは安定が悪い、これは間違いの無い事実である。
だからこそ正義の攻撃は下半身に絞ったものだったし、ロボットからの攻撃はパンチだろうと予測していた。
まさか、美しいフォームのキックが放てるほどバランサーが優秀だとは正義や千美ですら考えていなかった。ロボットは正義の蹴りに防御行動をすることなく、蹴られた足をそのまま上へと振り抜くようなカウンター気味の綺麗な上段前蹴りを打ったのだ。
想定外のキックが攻撃後に一瞬動きが止まった正義を襲った。
かわしきれない、そう悟った正義は自ら蹴り飛ばされる上方向へジャンプして衝撃を逃がそうと試みた。
右腕でかざした木刀でのブロックと胴体と一体化した左腕のギプスまで総動員してショックを抑え、さらにロボットの足に乗っかるような感覚でキックの威力を殺そうとしたのだ。
だが甘かった。後悔した。
新幹線がぶつかってくるのにどれほど柔らかく受身をとったって無駄であろう。それと同様にトン単位の重量を持つ足に蹴られて無傷で済まそうと思ったのが間違いだったのだ。完璧なまでの受けをしたはずの正義の体は、突き上げる暴風の如きエネルギーに跳ね飛ばされていた。
二転三転する視界の中で正義はようやく悟った。
ロボット、パネェ。
厨二的思考のまま正義は地面に叩きつけられた。
口に入った砂を「べっ」吐き出す。よし、唾に混じっているのは砂だけで出血はしていない。
跳ねるように立ち上がったが、あれだけ派手に吹き飛ばされたにもかかわらず正義はしっかりと踏ん張れた。よほどうまく飛ばされたらしい。
眩暈がしないのを幸いに正義は自分の肉体をチェックする。
見た目ほどダメージは深くない。直接キックを受けた両手も無事であった。特に左手のギプスを心配していたが千美特製の材質はヒビ一つ入れられていない。折られていれば全て終わっていただけに戦闘中にも関わらず安堵の吐息が洩れた。
正義が脳内で忙しく自身のダメージを測ったのにかかった時間は約一秒。普段なら悪くないタイムだが、戦闘中においては勝敗を左右しかねない時間だ。
事実戦闘態勢を取り戻した正義の目に映ったのは、旗に向かって突進する二体のロボットとそれに立ちふさがる少年の姿だった。
「馬鹿野郎! 正面に立たずに逃げるんだ!」
駆け寄りながら悟に叫んだが、聞こえていないのか正義のアドバイスに反し悟の体は旗の前から動こうとはしなかった。
ロボットと比較するとまるで大人と子供以上――いや虎と子猫ほどのサイズの違う衝突に、多くの観客は悲劇を予期し目を逸らした。
だが目を逸らさなかった人間の一人、正義は奇妙な光景に息を呑む事になった。
小さな半裸体の少年が二体の巨大ロボットを完全にブロックしているのだ。ロボットは明らかに重心を前にして進もうとしているのに、足がグラウンドを空回りするだけで全く前進はしていない。
合成かCGのようなバランスを欠いた現実感のないぶつかり合いだった。
一拍遅れて競技場内にざわめきがおこる。一般常識からして巨大ロボットと少年が互角のぶつかり合いをするのは有り得ない、その有り得ない光景を目にした観客の驚嘆の声だ。
ざわめきの中、衝突現場に接近する正義はその奇跡の種を理解していた。
悟は前傾姿勢になり足首まで地面に突き刺さったようになっている。そのおかげで踏ん張りは増し、力を込めやすくなっている。更に両者の身長差が開いている為にどうしてもぶつかる時に、ロボットが悟の上にのしかかる様な斜め上からの衝撃になっている。その力の向きはちょうど悟の足が地面から生えているのとほぼ同じ角度だ。
これでは悟が弾き飛ばされるどころかむしろ地面に食い込ませてブレーキがかかりやすくしているはめに陥っていた。
だが、もちろん種はそれだけではない。
悟の持つ『硬気功』がロボットの突進を受け止めるだけの非常識なまでの錬度があっての話だ。
「ナイスブロックだ悟!」
さっき怒鳴った内容など忘れて、正義は悟に駆け寄ると親指を立てて褒めだした。
「お前ならこのぐらいやってくれると信じていたぜ!」
「いや、正義は僕に逃げろって言ってたでしょうが。でもまあ、僕が敵の攻撃から逃げることなど有り得ませんがね」
ふふふと悟は含み笑いを洩らす。その表情には、現在進行形でロボットの前進をストップしている苦痛の影すらない。いやそれどころかどこか恍惚とした色さえ浮かんでいる。
正直な話、悟の性癖は正義には理解不能だが彼の戦闘能力に疑問の余地はない。実戦の場で敵二体を拘束しているという「結果」を出しているのだから。
比較して一撃で吹っ飛ばされた俺の立場は――想像して正義はぞっとした。このまま終われば二度と戦う事など出来なくなるかもしれない。
恐怖が正義の頭を加速させ、どうすれば勝利の確率が上がるかを一瞬で弾き出した。
「ここは悟に任せた!」
「え、ちょっと待ってくださいよ。僕一人で相手するんですか?」
実に最もな悟の返事に対し正義は答えに窮した。この場所で敵のロボットに聞かれながら作戦を話す訳にもいかない。
二体を食い止めながらこっちを見つめる悟になんと言うべきか頭を捻る。
出来るだけ自分に非のないような台詞を正義は考えるが、とっさにそんな物が見つかる訳もない。仕方なく伝達ミスにしようと口を開く。
「あーあーあー、聞こえない」
「絶対に聞こえてるでしょう! 大体……む!」
威勢よく正義を責め立てようとしていた悟の顔が険しくなったのは、彼が受け止めていた二体のロボットが改めて前進しようとしただけではない。
敵陣で戦っているはずの怜が「それは卑怯だろう!」と叫ぶのを巨大スクリーンで確認したからだ。
スクリーンに映し出された怜は尻餅をついて白皙を泥で汚していた。今までの部活の訓練でさえ彼女が息を乱す姿など見たことがない正義は、これは非常事態だと背筋に氷が走るのを感じた。
今こそ世話になった彼女を救いにいくべきだ。
悟を見捨てるんじゃないかという葛藤はすでに終えている。後はいかに悪印象を観客に与えずにこの場から消えるかだ。
そんな正義の悩みは悟によってすぐに解消された。
「さっきの話は了解しました。正義はすぐに向こうに行って怜を助けてください」
苦しげに喰いしばった歯の間から、かすれた声でそう伝えられたのだ。悟は敵の二対のロボットに押し込まれかけている危険な状態で、なお自分ではなくチームメイトの方を優先しろと言っているのだ。
数秒前までは見捨てる気満々だった正義だが、さすがにこの状況では置いていっても大丈夫か危ぶんでしまう。
「判ったが、本当にお前は大丈夫か?」
「ぐ、大丈夫に決まっているでしょう! はあはあ、僕のことなんか構わずに……、あっ、く、先にいってください!」
頬を赤く染めて苦しげな表情とかすれた声の懇願に正義もついに決断を下した。
「よし、判った。怜のことは俺に任せて、悟はここを守ってくれ!」
正義の冷徹とさえ言える「見捨てる」宣言にもかかわらず、悟は今までの番長部の活動では見せたことがないほど男くさい笑みで歯を覗かせた。
「別に守るのはかまわないけれど、倒してしまっても構わないんでしょう」
「いや、その台詞は死亡フラグだから。聞いた後で置いていくの、すげぇ罪悪感持っちゃうから」
飛び出そうとした足を思わず止めて、悟の『消えていく男の残したカッコいい台詞集 赤い弓兵編』から選んだような台詞に突っ込んだ。
「そんなつまらない罪悪感なんか、はうっ、捨ててください! 僕の屍を超えて、あっ、い、い、行ってください!」
「悟、お前……」
悲愴な叫びに一瞬悟に近づいて声をかけようとした正義だが、ぐっとこらえて背を向けた。
「格好良い死亡フラグを立てているんだか、自分のプレイの邪魔をするなと怒っているのか知らんが、この場は任せたぞ!」
返事も聞かずに正義は怜と残り一体のロボットが対峙している敵陣へと駆け出した。逃げ出すんじゃないからねと誰にともなく言い訳しながら。
勿論後ろから届いてくる「誰がプレイだなんて、あ、そこは駄目です」「そんな事されたら、うっ」「はあはあ、出ちゃいました……鼻血が」なんて悟の声が聞こえても、気のせいだと正義は打ち消した。