表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/16

プロローグ

「貴様、俺達に喧嘩を売ってただですむと思ってんのか……」


 アスファルトに這いつくばった金髪の男が鼻血を流しながらも、ぎらついた目で見上げ出血でピンクに染まった唾を吐いた。その唾の標的になったのは、ついさっき彼を殴り倒した相手だった。

 一撃で彼を沈めるだけのパワーを秘めた巨体に大きく突き出したリーゼントとサングラスをかけた少年にまで、おしくも唾は届かなかったのだが、その少年は唾の飛距離を見切っていたかのように微動だにしなかった。


 倒れている男が無理矢理ナンパしようと絡んでいた少女は勿論、周りのつるんでいた男達もすでに逃げ去っている。だが、この倒れた男は飛び抜けて執念深いタチらしい。尻尾を巻いて退散もせず、ぶつぶつと恨み言を止めようとしなかった。


「俺達のチーム全員で追い込んでやるからなぁ。その時を楽しみにしてやがれ」


 と耳障りな笑い声を上げる。リーゼントの少年は相手の脅迫を無表情に見下ろしていたが、やがて退屈したように背を向けた。傍目にはいかにもクールそのものであり、久しぶりの実戦にサングラスの下の右目は涙に潤み「予想以上に痛かったぞ、もうお家に帰りたい」と彼が内心で思っているのは表には出ない。


「俺達が何十人いるか知ってるのか? 貴様一人でどこまでがんばれるか試してやるぜ」

「俺の好きな言葉を教えてやろう」


 月並みな脅し文句にも振り向くことなくリーゼントの少年は言葉を返した。本当は動かそうとすると痛くて首が回らなかっただけなのだが、傍らからはまるで顔を向けるまでも無いという意思表示としか見えない。


 少年は深く息を吸い込むと唇をなめて湿らせる。よし、実戦習熟も兼ねていたがここで格好をつけるために、痛い目にあってまで人助けをしたんだ。決め台詞くらいは、鏡の前で練習したようにビシッとしないと割りに合わない。そう考え、声がかすれないようにカラオケの歌い出し同様に注意して声を張る。


「正義は必ず勝つ、だ。それと、逃げるつもりはないが、俺は来週転校するから、お礼参りならそれまでにしてくれ」


 言い捨てるとそのまま去って行く少年に男が罵声を浴びせる。だが気にするな、あくまでも余裕を持ったようにゆっくりゆっくりと歩くんだ。決して痛む足を引きずって、そそくさと退場するようなみっともない姿は見せられない。そんな少年の内心に従うように、鈍い痛みの為にてきぱきと動けないのがかえって悠然とした雰囲気をかもし出していた。 


「おい、待てよ勝ち逃げするつもりなのか! 大体てめぇが正義だと誰が決めたんだよ! おい……」


 その罵声に答えるべきリーゼントの少年は、すでに路地から姿を消していた。



 ◇  ◇  ◇



 彼は教室内のざわめきから隔離された廊下で、ただ一人深呼吸を繰り返していた。塵一つない清潔な廊下の無機質な眺めが緊張感と寒々しさをいや増している。深く吸い込んだ空気にさえ生活臭が薄く、疎外感をいや増させる。

 今日から通うことになった校舎は、まだ己を部外者だと拒絶しているようだった。


 大丈夫、ちょっと自己紹介するだけじゃないか。俺は強い。俺はグレート。俺ってブラボー。そう自己暗示のように言い聞かせて、窓ガラスに反射する自分の姿にチェックを入れる。転入生は第一印象が大事なのだ、みっともない格好は見せられないと拳を握り締める。

 うん髪型もきっちりしているし、特注した制服にも隙がない。どの角度から見ても文句のつけようがない見本のような学生姿だと確信した。

 これならばレベルが高いと評判の野際学園(やさいがくえん)でも問題ないはずだ。いかにも肉食系しかいないような学校名だ。注意を怠るなんてことはできない。

 そう孤独に頷いていると、教室の扉越しに今度担任となった男性教師の声が届いた。


「それじゃ、転校生は入ってくれ」

「押忍!」


 さっきまでの動揺した様子の片鱗もない気合の入った返事と共に扉を全力で開く。扉の開閉する音というよりも破壊音が響く中、彼はわき目も振らず大股で黒板に向かうと大きく自分の氏名を板書した。『折葉 正義(おれは せいぎ)』ちなみに読みやすくするためか横に振り仮名まできちんと自分で書いている。しかも彼のその厳つい風貌に似合わずチョークであるのに筆でかかれたような錯覚さえおこさせるほど達筆であった。


 ――あんたの名前って姓名判断によると性格は絶対に自己中心的って判定されるよね。堂々と教壇に立つ正義に対してこの教室内の生徒は皆が突っ込みたそうだった。彼の自己紹介後によく有る、ちょっと居心地の悪いクラスメートがお互いの顔を窺っているような雰囲気が教室を覆った。

 だが誰も口にできなかったのは、彼が名前に続けてこう大書した為だ『今月の俺の目標――番長就任』『好きな言葉――正義は必ず勝つ』。


「「え? その好きな言葉って、自分が勝つことを無理矢理に正当化しようとしてるだけじゃ?」」


 教室中に満ちた実にもっともな戸惑いの声に逆切れしたのか、正義は平手で黒板を叩き宣言する。


「俺の名は折葉 正義だ。転校早々だが番長としてこの学校をシメさせてもらう。文句のある奴、今この学校をシメてる奴、いつでも校舎裏への招待状を持って来い。俺は誰の挑戦でも受けるぞ」


 不敵にも堂々と言い切るその姿は、百八十センチを超える長身に分厚い体躯に見合った迫力満点なものだった。

 余りに図太い態度――さらにきっちりとリーゼントに整えられた前方に飛び出した髪に、漫画でしかお目にかかれないような布地を一般の三倍は無駄に使った長ラン・ボンタンといった不良生徒御用達の改造制服。おまけに仕上げとばかりにサングラスをかけて傲然と胸を張っている。

 まさに絵に描いた不良を体現するインパクトの強すぎる登場に圧倒されたのか、教室は静まり返った。その中で一人の真面目そうな眼鏡の男子生徒が恐る恐るといった様子で手を上げる。


「あの、それって正義君は番長になってもいいってことだよね?」

「ん? そう言ったつもりだが?」


 正義がそう答えると「おおおー!」と地鳴りめいた歓声と爆音じみた拍手が轟いた。新たにクラスメートになった全員が「万歳!」「ハラショー!」「ブラボー!」と知っている限りの言語で喜びを爆発させている。


 怖がられるか反発されるだろうという自分の予想から大きくずれた周囲の反応に、どうしていいかわからず身構えている正義へ一人の女生徒がつかつかと歩み寄ってきた。

 近づく少女は正義と遜色ないほど長身の上、濡れたように漆黒の髪をポニーテールで高く結っている為にさらに背が高い印象を与えている。無駄な贅肉は認められないとばかりに鍛えられたスレンダーな肢体からは、凛とした清潔な雰囲気が漂っていた。

 ドラマに出演していても不思議ではないほど整った美貌だが、出演するのが時代劇なら役柄はお姫様よりはくの一や女剣士がキャスティングされるだろうと正義は妄想した。なぜならば、彼女の一番目立つ特徴はその細い腰に朱塗りの鞘に収まった日本刀がある点だからだ。

 その大柄な美少女はつり目気味な瞳を僅かにほころばせると、正義にとっては意味不明な歓迎の台詞を固い口調で吐き出した。


「ふふ、部員不足から今年の番長戦争はあきらめねばならないと落胆していたが……、開幕まで一月の時期にお前のような番長を目指す転校生が現れるとは、神様も粋な計らいをしてくれる。我が番長部はお前――折葉 正義を歓迎するぞ!」

「お、おお」


 思わず差し出された手を取ってしまう。その手はほっそりとしているけれど握り返す力は強い上、指の付け根には目立たないがうっすらとタコがある。腰の物からして剣術でもやってるのかな……とまで進みかけた思考に正義はストップをかけた。


「いや、ちょっと待て! なんだか番長部だの番長戦争だの知らん単語が出てきたぞ! というかお前は誰だよ!」


 動揺もあらわにずれたサングラスを押し上げる正義に対し、少女は返って戸惑ったように細い眉根を寄せる。


「もしや、正義は知らないでうちの学校に転校してきたのか? その上でさっきのような宣言をするとは……なんというか物知らずにもほどがあるな」


 ちらりと周りに視線を飛ばし近づきかけたクラスメートを牽制すると、握手した手を放して額に当てる。やれやれと言わんばかりに吐息をつくと、改めて正義の目を正面から見つめ返す。


「最初から説明するのも面倒だから、省略して話すが……。ああ、その前に自己紹介をしておくぞ。私の名は綿式 怜(わたしき れい)だ。決してフルネームでは呼ばずに、怜と呼ぶこと。

 万が一フルネームで呼んだ者は、なぜか皆が都市伝説で私の名前が口癖の女に会うより酷い目にあっている。正義も気をつけてくれ」


 と怜はレーザーのような眼光で念をおしてきた。確かにこの迫力は噂になった口裂け女以上だろう。まあ、俺も自己紹介の度に辟易している事を思えば、名前でさんざんからかわれたトラウマを持つ同類だと納得できる。


「話を戻すが、私は我が校の番長部の副部長を拝命している。

 そして私の所属する番長部というのは、簡単に言うと番長戦争で他校の番長部に勝利することを目的とした部活動のことだ。この部活動もせずに校区内で番長を名乗ろうなどへそで茶を沸かしてしまうぞ」

「そ、そうなのか? リサーチ不足ですまんな。

 ……いや、だからちょっと待てって番長戦争ってのはなんなんだよ!」


 一瞬納得しかけ、慌てて抗議し始める正義を怜はきつい眼力で黙らせた。彼女の立ち居振る舞いは、この学校の女子制服のセーラー服が元々は水軍の軍服であったことを思い起こさせるほどの威圧感だ。今まで正義が出会ったどのヤンキーよりも迫力のあるガンつけに、無意識に一歩後ずさり背中を黒板にぶつけてしまう。

 背筋に水滴を落とされたように反射的に黒板から身を離し、サングラス超しでも判るほど情けない表情をしておニューの制服からチョークの粉を払う正義の姿に怜は再びため息を吐いた。


「ま、細かい事は放課後に番長部に来てくれれば説明する。入部手続きもしなくてはいけないしな」

「いや、だから俺は説明してほしいだけだ。別にそんな怪しげな部活に入部なんてするつもりはねーぞ」


 と背中の汚れを振り払っていた正義は、入部を既定事項のように話す怜に不快感を覚える。俺を勝手な都合でどうこうできる飼い犬かなんかと思ってるんじゃないか? このお嬢さんは。

 反発心を瞳に託し、堂々と怜の魔眼じみた睨みのメンチ切りを受けて立つ。顔をつき合わせること数秒、怜は口の中だけで舌打ちするとそっぽを向いた。


「……入部うんぬんはその時話し合おう。とにかくお前に番長部と関わらないという選択肢は無いはずだからな」

「は? だからどういう意味」

 

 なんだよと正義が続けるより早く、教室内のスピーカーから大音量の放送が流れた。


『放送部より緊急のお知らせです! ただ今入手した情報によりますと、今日二年A組に転入した折葉 正義君が番長に名乗りを上げたそうです! 彼の参加により今年は絶望視されていた番長戦争も期待できるかもしれません! 皆さんこの勇気あるルーキーに暖かいご支援と生温かいご視線を!』


 とのハイテンションかつ微妙に韻を踏んだ放送に、正義が反応する間もなく校舎が揺れるほどの大歓声と拍手が轟いた。騒音公害並みの騒ぎ中からは「マジかよ、どこの命知らずだ」「転校してくる奴は、過去に傷を持った全国レベルの天才ってのがテンプレだ」「全国レベルの番長の才能って何だよ?」だの興奮した話しが明らかにこの教室外からも届いている。

 怜を除くクラスメートは勿論、担任までもが彼に向かって拍手を始めた。どこに準備されていたのかクラッカーまで鳴らされているのに唖然としている正義へ怜が眉をひそめたままでぼやいた。


「今更番長部について何も知りませんでしたって、言える雰囲気でもないだろう」

「まあ、確かに」


 誕生会の主役のように皆に囲まれて祝福されている状態で「すまん。全部誤解だ」と空気の読めない発言は正義にはできなかった。

 くそ、度胸試しのつもりで不良や番長達の激戦区と言われるこの学区を選んだのだが間違いだったのか? サングラスに隠されているが正義はすでに涙目になりかけていた。滲む視界に、ああこれだけでもサングラスかけてきた甲斐があったなぁと軽く現実逃避する。

 それを察知したのか怜は正義の顔を一瞥し、上品さを保ったまま鼻で笑うという高等技術を使う。


「それにしても、サングラスにリーゼント。おまけに改造制服……よく校則違反で注意されなかったな」


 とがめるような口調に、担任教師が慌てて「それは……」と言い掛けるのより早く正義が口を挟む。


「サングラスは『これを外すと俺の左目がうずく……』でOK、リーゼントは『おいどんは極端なクセ毛なんでごわす』で許可されて、長ランは『僕、冷え性なんです』でお目こぼししてもらえたぞ」


 担任教師が何か可哀想な子供を見る目をしているが、正義としては何も嘘をついてはいない。

 怜は「先生方も寛容すぎるが、お前もキャラをつくりすぎだ。というか一人称は統一せねば、キャラがぶれるだろうに……」と嘆息した。

 

「そっちこそ、日本刀を差した女子高生なんてリアルでは初めて見たぞ。あきらかに怜のほうが危険人物だろ」

「私の方は校則違反でもなんでもない。携帯許可を所持してるぞ、なにしろ番長部だからな」

「え?」


 さりげない怜の一言に背筋に冷や汗が流れる。そんなに危険な部活なのか『番長部』って。人知れず戦慄している正義に対し、軽く怜が声をかけた。


「大丈夫、大丈夫だ。何か動揺してる気配がするが、番長戦争ではこんな日本刀なんか可愛い物だからな」

「そうなのか? だったら安心……」


 怜の言葉に胸を撫で下ろしかけてはっとする。日本刀が可愛い物程度の扱いってちっとも安心材料にならない事に気がついたのだ。

 いや、むしろ不安の原因になりそうだ。番長戦争ってのはもっと洒落にならない武器で戦うってことなのか? 正義の背筋を伝う汗の量が増加していく。

 では、放課後部室にて待つと踵を返す怜の隙のない後ろ姿と、その腰に下がる日本刀に正義はとんでもない所に来てしまったのではないかと足が小刻みに震えるのを止められなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ