第6話
(……せっかくの平和だというのに、この国は)
5人の英雄がもたらしてくれた平和を、この国は無駄にしようとしている。
それを知っていながら何もできない自分が悔しかった。正せないのが悔しい。買い物をすることしかできない自分が悔しい。
「とりゃ! 『絶対勇者』の剣だぞー!」
「ふははは! 魔王にそんなものはきかんのだー!」
「あーあ、私も白騎士様に会いたいなー」
「ねー」
「やだよー! 武道家なんてかっこわるいじゃん! 白騎士がいい!」
「わたくしは時天使ですの、おほほー」
「白騎士は僕がやるの!」
「ドラゴンだぞー! がおー!」
この子供たちの笑顔が、これからも見られることができれば。
拳に力を込め、密かに決意していると、
「はぁ……」
リュウが横で大きなため息をついていた。
あまり見ない彼の落ち込む姿に、シーラは珍しく心配に思った。
「リュウ殿、どうかしたか?」
「んー、『絶対勇者』も『秀麗騎士』も、人気なんだなとね」
「まあ、そうだろうな。私も絵で見たことがあるが、確かにあれは美男美女と言っていい」
本名は分からない『英傑五星』だが、その姿は絵師によってよく描かれている。
『絶対勇者』『秀麗騎士』は美女美男、『百万呪言』はフードを被った小柄な女性、『流舞武人』はとてもがっちりとした巨男、『業炎白竜』は白いドラゴンだ。
「そっか」
リュウはやはり元気がない。何か納得していないような、不満そうな顔をしている。
しかしその原因が分かるほど彼のことを知っているわけでもないので、シーラは不思議に思いつつも、放っておくことにする。
おもちゃの1つを手に取る。円柱型の木の塊に棒が刺さっている何か。やはり見ただけではどういうおもちゃなのかてんで分からない。
おそらく彼の故郷か、もしくは旅している間に見知ったおもちゃなのだろう。
シーラは、ふと尋ねてみたいことができた。
「リュウ殿」
「うん?」
「君は、旅人というからには色々な場所を旅しているな?」
「まあ、そこそこはね」
「では聞きたい。君はこの街をどう思う?」
リュウは怪訝そうな顔をするが、シーラの問いかけが真剣なものだと分かったのだろう、ぐるりと周りを見渡し、一言。
「平和ではある。けど、生気がない」
「……生気?」
「日々の活力、前へ進む力、生きる希望。そういうものが感じられない。特に大人が」
シーラは驚いた。彼はこの国に訪れている危機を、たった1週間滞在しただけ見抜いてしまったのだ。
リュウは気遣うような顔をシーラに向けた。
「みんな元気なさそうだ。道行く人も、商売してる人も……シーラさんも」
「私も?」
「もっと楽しそうに笑ってみないと。俺が見るシーラさんの顔って、だいたい怒ってるか不機嫌かだからさ」
「それは君の生活態度が……少し気に障るだけだ」
「え、俺ってそんなにダメ人間っぽい?」
「ああ、とても」
「まいったな」とくぐもった声で残念そうに呟くリュウ。
その顔がとても情けなくて面白く、シーラは思わずくすくすと笑ってしまった。
すると途端にリュウが「それだ」と指さしてきたため、シーラはきょとんとしてしまった。
「何がだ?」
「そんな感じ。もっと笑ってた方が、雰囲気も明るくなるもんだ」
「……そうか」
それでも笑えない理由が自分にはある……そう言いたくなる気持ちを抑えるために、シーラは口を堅く結ぶ。
リュウと話していると、自然と素の自分になってしまう。彼との会話はとても心地良い時間ではあるものの、ふと自分の立場を忘れてしまう。それはダメだ。気を引き締めなければならなかった。
「……励ましてもらえたようだな。すまない」
「ん、どういたしまして。さて、気持ちを切り替えて、本屋にでも行ってくるかな」
「また小説や絵物語か? 哲学書の1つでも読んでみればいいというに」
「んー、小説だってけっこうためになるぞ? それにこの街の本屋ってそれほど品揃えがいいわけでもなくって、だいたいの本は」
「あんだてめえらはよぉー!」
リュウの話を遮ったのは、突然聞こえてきた怒鳴り声だった。
驚いてそちらに目をやると、子供たちが遊んでいた広場に数人の男が立っている。
シーラは何事かと慌てて広場へと向かう。
「こんな偽物の剣振り回してよお。俺の顔に当たっちまったじゃねえか!」
「ご、ごめんなさい」
「こんなところでバカみてえに騒ぐなってんだ! うっせえだろうがよ!」
「で、でもここは遊ぶ場所で……」
「あーん? 親衛隊に逆らうのかこのガキは」
「しつけがなってねえなあ」
相手は子供だというのに、いかつい顔をした男たちは大声をあげ、拳を振り上げる仕草を何度もとって威嚇している。
男たちの服装は、王宮に仕える親衛隊のもの。だがその風貌は騎士の中から選ばれた親衛隊にふさわしいとは言えず、まるで貧民街にはびこる悪漢のようだった。
しかし、あれこそが今の王宮の親衛隊――宰相の親衛隊なのだ。
「ふ、ふえええ」
子供たちは怯え、今にも泣きだしそうな顔をしている。
笑顔が消えた。あるべきはずの笑顔を、親衛隊が消してしまった。
シーラはその事態にカッとなり、自分の立場も全て忘れて、広場へと躍り出てしまう。
「やめろ! 謝っているだろうが!」
「ああん? なんだてめえ」
「女がしゃしゃり出てくんじゃねえよ」
男たちは最初驚いた顔をしていたが、乱入してきたのが女と見るや、鬱陶しそうな顔でシーラにガンを飛ばしてくる。
3人とも腰に剣を帯びている。さすがに街中で剣を抜くような真似はしないだろうが、いざという時は剣3本を相手にすることを覚悟しなくてはならなかった。
シーラは武器になるものを何も持っていない。いや、そもそも剣を持つことができない。そんなものを持てる立場ではなかった。
「ん? こいつ、どこかで見たことあるような……」
男の内の1人がシーラの顔をまじまじと見つめ始める。
シーラ自身もこの男には見覚えがあった。
(こいつは……いつも宰相の傍にいた男か!)
シーラはそこでようやく、自分の犯した暴挙に気付いた。
正体を隠さなくてはいけない立場だというのに、どうして城の親衛隊の前に出てきたのか。
しかも最悪なことに相手はこちらの顔を知っている。これではいつ自分の正体がばれてもおかしくなかった。
今すぐこの場から離れるべき。そう考えるものの、泣きそうになっている子供を見捨てることなど、シーラにはできなかった。
「こいつ、メガネはダサいけど、けっこう綺麗な顔してんじゃね?」
「ああ、そうだな。身体も申し分ねえし」
「連れてくか?」
「おい、待て。今、俺が思い出そうとしてるところだろうが」
シーラの顔を見ながら何かを思い出そうとしているのがリーダー格なのだろう。
無愛想な顔に無精ひげをたくわえ、身体は見るからに不潔。しかし、腕はとても太く、力自慢であることが見て取れる。おそらく剣術にも自信があるのだろう、その振る舞いに隙はない。
この男だけ格が違う。ごろつきの域を超えていた。
他の2人がシーラの腕を掴もうとするも、そのリーダーの一声で手は引っ込む。統率力もあるようだ。
男はシーラの顔を細部に渡るまで観察する。
自然と顔が近くなり、男の息がかかる。悪臭が鼻につき、シーラは顔を歪めた。
シーラはなるべく男の視線から逃れるように顔を背けるも、ばれるのは時間の問題かと思われた。
これ以上時間を与えれば、リーダー格の男は確実に思い出してしまう。ならば手段は1つしかない。
シーラは覚悟を決めることにした。
「……下種どもが。さっさと立ち去れ」
吐き捨てるように放った言葉は、非常に効果的だった。
「あんだとこらあ!」
「犯すぞ!」
取り巻きの2人がすぐさま反応し、シーラの腕を掴もうとする。
この2人の実力はそれほどでもない。シーラでもたやすく手を叩き落とし、距離を取ることができた。
「てっ! なにすんだてめえ!」
こうなればリーダーの制止も意味をなさない。
取り巻き2人がシーラに掴みかかってくる。その後ろでリーダーがやれやれという顔をするが、彼も逃がすつもりはないのか、臨戦態勢を取り出した。
シーラは考える。この3人を叩きのめすのは……おそらく不可能だろう。武器もなにもない今の状態では、リーダー格の男に勝てる保証がない。
周りの人間が助けてくれることもありえない。親衛隊に逆らうようなバカな人間はこの街にはいない。今も、市場を歩く人々はちらちらとこちらを見るものの、素通りしていくだけ。それが賢明な判断だ。
やはり逃げるしか選択肢はないようだった。タイミングを見計らい、複雑な路地裏へと逃げ込むしかない。
「おらっ、さっさとこっちに来い!」
「っ!」
シーラはとっさに身体をひねって取り巻きの手を避けるが、後ろにはすでにもう1人の取り巻きが位置についていて、腕を掴まれてしまった。
一杯に力を込めてそれを振り払うと、取り巻きも意地になり、身体全体を使ってシーラを捕まえようとする。
「このやろう!」
(ここだ!)
シーラが男3人の動向から唯一の逃げ道を見つけて抜け出ようとする。
だがその時、目の前に人が現れた。
まさか新手かと思い身構えるも、顔を上げた先にあったのは締まりのない笑顔だった。
「よっ」
パンっという小気味よい音が響く。
シーラの目の前に花びらが舞い、白く綺麗な百合が咲いた。
花が箱から飛び出してきたのだ。リュウはその箱を手に持ち、満足そうに笑っている。
あまりにも場違いなものの登場に、シーラはおろか、後ろにいた男たちも呆けてしまっていた。
「あれ? びっくり箱なのに驚かれなかったか。やっぱり花よりもモンスターの顔とかの方がいいかな……」
「リュ、リュウ殿! 君はいったい何を!」
すでに逃げてしまったものと思っていたリュウが、何故か目の前に立っていた。
相も変わらず緊張感のない顔をしているリュウ。一瞬今が緊急事態などではなく、日常の1コマであるかのように錯覚してしまう。
しかし、いつの間にか子供たちの姿もなくなっているのは、もしかすると彼が逃がしたのだろうか。とすれば彼もこの状況を理解していてなお、奇天烈な行動を取っているようだった。
「シーラさん、この地方のお化けってどういうのがいる? やっぱり子供にウケがいいのはお化けなんだよね」
「いや、今はそういう状況ではなくてだな」
「おい、てめえはなんだ。俺たちが親衛隊だってことが、まさか分からないわけでもねえよなあ?」
さっそく取り巻きがリュウに睨みをきかせ出す。
ごろつきはハッタリが命だ。舐められないよう、精いっぱい威勢を張るのが彼らの特徴。
リーダー格の男だけは悠然と取り巻きの後ろに立っているが、その目からはプレッシャーが常に感じられる。
「……親衛隊ねえ」
しかしリュウはそんな威勢も何のその、たやすく受け流し、怪訝そうな顔のままゆっくりと男たちから視線を外した。
彼の顔は横を向き、どこか一点を見つめたまま動かなくなる。
その視線の先に何かがあると思い、シーラもそちらに目をやるも、どういうわけか何もない。家が建っているだけだ。
何を見ているのかと不思議に思った時、ぐいっとシーラの身体は傾いた。
リュウに腕を引っ張られたのだ。シーラは転びそうになるもののなんとか足を動かす。
リュウとシーラは連れだって走り出した。
こんなことをしても、男たちに取り囲まれるだけだ。シーラはそう思い、後ろにいた男たちをちらりと見るが、彼らはまだこちらが走り出したことに気付いていなかった。
どうやら、彼らもリュウの視線にのせられたようだ。リーダー格の男ですら、横に視線をやったまま動けないでいて、数秒経った頃になってようやくシーラたちが逃げたことに気付く。
「ちっ、はめられた! 追え!」
「うええ!? 何時の間に!」
「ちくしょう! 待てよ!」
男たちがさっそく追いかけてきた。
シーラはリュウに引っ張られたまま走る。自分の足で走ろうとしても、どういうわけかリュウの足がかなり速く、彼についていくので精いっぱいだった。
「ほっ、はっ」
リュウは巧みな足取りで市場を通り抜けていった。人にもテントにもぶつからず、最短ルートを選び抜き、するりするりと人の波をかきわけていく。引っ張られているシーラは、まるで壁の通り抜けをしているような気分になった。
「りゅ、リュウ殿! どこに!」
「このまま路地裏に入る! とにかく今は逃げるんだ!」
「待ちやがれ!」
親衛隊たちの声が後ろから聞こえる。かなりのスピードで走っているのだが、彼らだって腐っても親衛隊、有り余る力でもって人をはね飛ばしながら執拗に追いかけてくる。
「ぐっ!」
前を走るリュウの身体が不自然に揺れた。
すぐに態勢を立て直しはしたが、彼の足が若干引きずられていることにシーラは気付く。
「リュウ殿、足が!」
「大丈夫だ! 走れ!」
そのままさらに走り続けるが、リュウのスピードは明らかに落ちていた。
このままでは追いつかれる。彼も同じ考えに至ったのだろう、「そこの路地裏に!」との合図と共に、人1人が通れるぐらいの狭い隙間へと足を向ける。
あんなところに入ると、ますますスピードが落ちる――シーラはそう判断して足を止めようとするも、リュウの力が意外に強く、そのまま路地裏へと入っていった。
「こっちに入ったぞ!」
「おうよ!」
シーラたちが入って数秒後、取り巻き2人が路地裏に入った。
しかしその時にはすでにシーラたちの姿はなかった。
ただの路地とゴミだけが彼らの眼前に広がっているのを、2人は呆然とした顔で見つめている。
「ど、どういうことだ?」
「さ、さあ。消えちまった」
「慌てんじゃねえよ」
そこにリーダー格の男が遅れて路地裏に入る。
彼は追跡の途中からスピードを緩めていた。それは女を引っ張っていた男の動きが、少し鈍くなっていたことに気付いていたからに他ならない。
体力がなかったのか、それともどこかを怪我したのか……そう急がなくても、確実に彼らを捕まえることができると、リーダー格の男は考えていた。
「あの様子じゃあ、そう遠くには逃げられねえはず……」
リーダーの目が路地裏を這う。見かけによらず、彼の観察眼はかなり高い。
不自然に散らばっているゴミ……近くに大きなゴミ箱があり、いつもは開いている蓋が今は閉じている。あの中に入っているのかとも思ったが、わざわざ逃げ場のない場所に隠れる馬鹿がいるはずない。
路地裏を抜けて反対側の道に出たのか……それも可能性としては薄い。あちらは道が広く、人通りも少ない。足を怪我している奴らが逃げるには向かない。
ならばあとの可能性は2つ。左右の建物の窓ぐらいしか逃げ場はないが、いったいどちらの建物に入ったのか。
リーダーがそうやって思考を展開している時だった。
路地裏を挟む建物の内、右手の建物の中から何か軽いものが落ちた音がした。
それを聞き逃さなかったリーダーは、すかさず取り巻きたちに指示を出す。
「そこの窓だ! そこから建物の中に入りやがった!」
「ちっ! なんてすばしっこい奴らだ!」
「いくぞ!」
男たちは窓に近寄り、かかっていた鍵を力づくで開けて、なだれこむように建物の中へと入っていく。
民家らしきその中には、案の定すでに2人の姿はない。別の出口から逃げたようだった。
親衛隊たちはすかさず出口から外へと飛び出し、追跡を再開した……
親衛隊たちが走り去ってから、数分後。
「ふぅ」
路地裏では、リュウとシーラがひょいと姿を現していた。
リュウが地面に軽やかに降り立ち、腕に抱えていたシーラをゆっくりと下に降ろす。
一方でシーラは、自分に何が起こったのか理解できていない目で、きょろきょろと周りを見渡し、最後にリュウに目をやると、急激に顔を赤くした。
「あ、あ、あ、あんな、あんなことを、どうして!」
「ああいう手合いはさっさと別の場所に退場してもらうのが手っ取り早いからな。あの偉そうな男もなかなか頭が良いし、ちょっとぐらいはひっかけてやらないと」
「そ、そ、そういうことではなくだ! わ、私を抱きき、抱き、抱きかかえて!」
シーラは何度もどもりつつ抗議するが、リュウはきょとんとした顔で肩をすくめる。なぜ怒っているのか理解していないらしい。
シーラはそっぽを向き、数分前に起こった出来事を思い出して、さらに顔を赤くした。
路地裏に入ったあの時、リュウは奇怪な行動を取り出した。突然蓋の空いていたゴミ箱からいくつかのゴミを取り出し、辺りに放り投げ出したのだ。そしてゴミ箱の蓋を閉め、地面にはいくつものゴミが散らばった。
何をしているのかとシーラが尋ねるも、リュウは何も答えずに「失礼」とだけ呟き、今度はシーラの腰と足に腕を回してくる。
「何を!?」
「よっ」
抵抗しようとはした。だが、抵抗の手をするりと抜け、彼はシーラを抱きかかえてしまった。
リュウは膝を曲げて思いっきりジャンプした。その高さは建物3階に届かんばかりで、突然高くなった視界に驚いたシーラはもう何も言えなくなる。
リュウはジャンプの頂点まで行くと、その場で足を大きく広げ、両脇の建物の壁にどんと押しつける。ちょうど彼の足がつがいになり、シーラたちは建物3階部分で止まることができた。
そうしてやってきた親衛隊たちを、高いところから見下ろし観察。
リーダー格の男がしばらくの間キョロキョロとしていたが、彼はいきなり「そこの窓だ!」と叫び、取り巻きたちに窓を破らせ始めた。
誰もいないはずの建物に侵入していく追跡者たちは、そのままあさっての方角へ走り去っていったのだった。
「……」
シーラは改めて考える。そういえば、リュウは足を怪我したのではなかったのかと。
今のリュウにそんな素振りはまったくない。3階の壁にとどまっていた時などは、その足が強靭な力で2人分の体重を支えていた。
つまり、彼は足を怪我したフリをしていたのだ。
「……リュウ殿」
「うん?」
考え込むに従って、恥ずかしさで煮えていた頭が冷えていく。
そうするとますますリュウの取った行動の合理性に気づき始めていく。
「まさか、全て計算していたのか?」
「何が?」
「足を怪我したフリをして遠くに逃げられないと思わせたこと。ゴミをわざとらしく散らかしたことも、全部」
「あー」
リュウはバツの悪そうに自分の頬を掻いた。
「計算っていうか、ただの誘導だよ」
「誘導?」
「人ってさ、自分の中で勝手な選択肢を作っちゃうものだろ? その選択肢の中に必ず正解があると考えて、他の可能性を全部除外してしまう。今回は俺がその選択肢を与えてやっただけだよ。ただし、正解はないけどね」
リュウの言葉を吟味するならば、こういうことだろう。
リュウがリーダーに与えたという選択肢は、「ゴミ箱」、「反対側の道」、「建物の中」の3つ。
しかしゴミ箱の周りに変にゴミが散らばっているのを見たリーダーは『わざとだ』と判断した。
2つ目の反対側の道も、リュウが足を怪我していることを根拠にありえないと断じた。
するとリーダーは残りの選択肢である『建物の中』に固執してしまう。だから、偶然聞こえてきた物音(おそらくただの建物がきしむ音だ)を聞いて、シーラたちが中に逃げ込んだものと勘違いした。
「まあ、そうやって可能性の低い選択肢を無視しないと、際限なく考えこんで頭がパンクするから、人として当たり前の機能なんだけどね」
「……」
いや、これはいい。これらの『ひっかけ』はただリュウが機転の利く男だったということで説明がつく。
だが、あのジャンプの高さはどうだ。あれほど高く飛べる人間などついぞ見たことがなく、シーラは身震いすら覚えた。
リュウの細い脚のどこに、あれほどの跳躍力があるのか。
「……リュウ殿」
「ん?」
「君は……何者なんだ?」
シーラはリュウに問うた。相手は貴族のお坊ちゃんでもないし、ただのおもちゃ売りでもない。何かもっと、別の存在のように思えた。
警戒心丸出しの視線を、リュウはやはり軽やかに受け流す。
「ただの旅人。旅してるから、ちょっとばかし身軽なだけ」
「そんなはずが……!」
「そんなことよりも」
リュウが真剣な声を出す。それに機先を制されたシーラは、ぐっと言葉を飲み込むしかなかった。
追跡者たちの消えた窓を見つめるリュウ。
「あいつらは結局なんだったんだ? 親衛隊とか名乗ってたけど」
「……そのままの意味だ。あいつらは宰相直属の親衛隊だ」
「ということは、城の兵士か。乱暴な奴らなんだな」
「兵士? 違う。あいつらは兵士なんかじゃない。あいつらは……ただのやくざ者だ」
「……なんか事情があったり?」
話に興味が湧いたらしいリュウが、近くの石段に座り込み、話の続きを促してきた。
シーラはわずかに逡巡した後、口を開く。
「半年前のことだ。アルトレ王が、国の運営の全権を宰相に委任するというお布令を出した」
「全権? それって、政務とか財務とか軍務とか、そういうの全部?」
「全部だ。それ以降、王は城の離れに引きこもり、民の前に出てこなくなった。国の運営は全て宰相によって行われることになったのだが……」
シーラはぎりっと唇を噛んだ。
「全権を委任されたことをいいことに、やりたい放題だ。宰相は『戦争復興費』と称して民から重い税を取り立て始めた。既存の税も倍、ひどいものは3倍以上の比率になり、総合すると一般市民は収入の7割を無条件に税として納めなくてはならなくなった」
「7割……きついな」
「納められない者には、宰相が独自に人を集めて組織した『親衛隊』が押しかけてきて、強制的に徴収する。その取立て方法は苛烈だ。金品、宝石類は残さずはぎ取られ、応じない者には暴力も辞さない。
『親衛隊』などと聞こえのいい名前がついているが、その実態は外からやってきたごろつきや、傭兵あがりがほとんど。奴らは女子供でも構わず拳を振るう」
「……」
「だが、宰相は頭の切れる男だ。決してその家を破滅させるような真似はしない。最低限、その家が暮らせる金だけを残し、後は全て国が徴収する。
生かさず殺さず、民には日々を生き抜くことだけを考えさせる。反抗心すら育てないようにな」
シーラは説明しながら、どんどんとヒートアップしていった。自分でも、怒りが心の底から湧き出ているのが分かった。
「そのくせ、宰相自身は毎晩のごとくパーティ三昧だ。取り巻きの貴族や、賄賂を渡してきた商人らと豪遊、さらには税を滞納している家庭の娘を『城仕えの侍従』として無理矢理自分の屋敷に連れてきて侍らせている」
「……なんで王様はそんな横暴を許してるんだ? 王様もグルか?」
「そんなはずがない! アルトレ王は心優しい方だ! 終戦から、民の生活が第一として税を極限にまで減らしてきたほどなんだぞ!」
シーラの怒鳴り声が、大通りに響く。通行人が怪訝そうな顔をしていても、彼女は気付かない。
「王は城の離れで隠居生活をされていると発表しているが、それも眉唾もの。そもそも、全権を委任してから王の姿を見た者が誰もいない……城の兵士や侍従さえもだ!」
「……ということは、宰相が何かしたってことか。例えば、王様を幽閉したとか」
「そうだ!」
どんっとレンガの壁を叩くシーラ。衝撃でレンガひび割れ、ぱらぱらと粉が舞った。
外見に似合わず力が強いシーラに通行人も驚いている。
ただ、リュウだけは落ち着いた表情で顎に手をやり、「うーん」と唸っていた。
「専制国家の弊害って奴か。外部監視組織がないから、どうしても権力の濫用が防げないんだよなあ。かと言って、専制国家が総じて悪いってわけでもないし……」
「リュウ殿?」
よく分からない単語を使い、真剣な顔で考え込むリュウ。普段のしまりのない顔との差が激しく、思わずどきりとしてしまった。
リュウは「いや」とかぶりを振り、
「ともかく、原因が人為的なものなら、解決する方法はけっこう単純だ」
「かい、けつ?」
妙な単語を聞いたと思い、聞き返すと、リュウはニコリと笑って言い切った。
「王様を助け出せばいい」
「……はぁ?」
「けど、そうだな、準備したいから2日待ってほしい」
「ちょ、ちょっと待て。本気か?」
「ま、あとは2日後のお楽しみってことで」
えらく楽しそうなリュウは、そのまま軽い足取りで大通りへと出て行き、人ごみに消えてしまった。
最後にシーラは呆然としたまま、その場で立ち尽くす。
「あ、買い物……」
カルラに頼まれていた買い出しのことを思い出し、ぽつりと呟くのだった。
※
「んんー」
大通りを歩くリュウは、大きく背筋を伸ばして、久々に動かした身体をしっかりとほぐしていた。
走ったのもジャンプしたのも、おそらく1週間ぶり。身体がなまることはないとしても、感覚的なズレがどうしても気にかかる。
「やっぱり日々の鍛練ってやつが大事なのかね」
リュウはこの街にきてもう1週間経っていることを、今更になって実感した。
日が経つことをこんなに気にしないでいられるのは久しぶりのこと。普段はのんびりとした日常なんてなかなか味わえない。少しでも仕事をサボれば、怖い怖い侍女に叱られていたのだから。
なんとか彼女をなだめすかしても、のんびりできるのは1日か2日だけ。1週間は最長記録かもしれない。
だが、休みすぎると、今度は「何かやらなくては」と気がはやる。仕事病にでもかかっているのだろうか。
(ルシィの奴、遅いな。やっぱり後片付けがたくさん残ってたのか、俺を探すのに手間取ってるのか……いや、ルシィだと白蓮が言うこと聞かないから、それで遅いのかも)
リュウはふぅとため息をつく。
(何にしろ、ルシィの天使の力が激減してるのは辛い……魔法が使えないってのは不便なもんだ)
自分の手を見つめ、握る。この手でいったい何ができるのかを確かめて。
伝統高い国、アルトレ王国。歴史と文化のレベルはかなりのもので、小説や絵本を読んだだけでも文化的な価値の高さが窺える。
国の地理的な条件も悪くはない。比較的温暖な気候に肥沃な土壌。丘の上に建てられた城は外敵の侵攻を難しくしており、脅威は少ない。
だが、とリュウは周りを見渡す。大通りを通る多くの人たち、商店の店員、主婦、老人、皆が疲れた顔をしている。見た目は綺麗なレンガの家も、細かく見ればところどころ割れていたり、欠けたりしている。修理する余裕を持てないのだろう。
そうした全体の雰囲気が。どよんと暗く濁った霧のようなものを醸し出し、この街を覆っているように感じた。
(これを見れば、放っておけない……ルシィが来てから行動した方が楽だけど、仕方ない。さっさとやらないと)
リュウは力強く拳を握り、「よいしょー」と高く天に掲げるのであった。