第4話
王国の首都アルトリアはとても特徴的な形をしている。
丘の上に大きな城。この城が円の中心だ。そこから放射状に何本もの道が伸びていて、道に沿って様々な建物が建てられている、というのが街の基本的な形だ。
さらに街は階層を成していて、城に近づけば近づくほど豪華で大きな家、つまり貴族や大金持ちの家が並ぶ。
一方、城から離れれば離れるほど街の風景はみすぼらしくなり、最外周には日々の食事にすら困る者たちが住む貧民街が広がる。
この国の伝統的な建物はレンガ造りの家、少し街を歩けば、レンガと緑の木々が調和している光景が見られる、と観光客は言うが、実際のところは少し違う。
富豪街から平民街までは確かにレンガの家が多い。しかし貧民街ではこの伝統通りとはいかず、木造建築がほとんどだ。
もし上空からこの街を見下ろせば、内側と外側のギャップがとても醜く見えるだろう。
そのようなちぐはぐな光景が生まれたのは、ここ最近のこと。レンガ造りの家を建てられない貧民たちが生まれてきたからだった。
シーラは丘の下に見えるそんな貧民街の町並みを見下ろしながら、街の中間階層を歩いていた。
『宿り木』は一般的な平民が住む街で営業している。少し歩けば市場がすぐ傍にある好立地で、特殊な薬草を取りに外へ行かなくてはいけない時以外は、大抵この市場で事足りた。
シーラは石畳を歩き続け、市場に到着した。
「……やはり、店が少なくなったな」
道の左右に並ぶテントの列。それぞれが野菜、肉、魚、皿、お菓子など、様々な品を販売しているはずだった。
しかし近年、中心部と外周との貧富の差が激しくなっており、中間地点に住む平民たちですら金に困るようになっていた。それに呼応するように商店にも活気がなくなっていき、今では『休業』の看板を出す店も出てきた。
以前は人ごみでごった返し、歩くのも困難なほどに活気があった市場だったというのに。
出歩く人は皆、表情が虚ろで、気難しそうな顔をしていた。総じて、未来に希望を持てないでいるようだった。
「おう、カルラのところのか。今日は買い物かい?」
「あ、はい」
顔見知りの精肉店のおじさんに声をかけられた。『宿り木』で働くようになってから親しくなった人で、この街で商売を始めてかなり長いと聞いている。
そんな彼も、今日は店じまいをするつもりなのか、棚を空っぽにしていた。
「今日はもうおしまいですか?」
「ああ。客足がわりぃからな。こう財布の紐をしめられたら商売あがったりだ。ったく」
「……ですね。知っている店も、いくつか休業してますし」
「税がもう少し軽くなったらいいんだ。王様は何やってんだか……あんな宰相に、って、まずいまずい。滅多なことは口にするもんじゃねえや」
「……」
民の衰弱は国の衰弱。街の中間層ですらこうならば、この国の行く末は……
精肉店のおじさんと早々に別れ、再び市場を歩くシーラ。
行く先々、多くの人が悲しげで陰鬱な表情を浮かべているのを見ると、シーラは己の不甲斐なさに涙すら流しそうになった。
もはや自分ではこの国を救うことなどできない。そんな力は持っていない。
自分の無能さが悔しくて仕方がなり、思わず壁を殴りつけそうになった時、その男が視界に入った。
「……リュウ殿、何をしているんだ?」
「ん? ああ、シーラさんか。何って、おもちゃを売ってるんだけど」
ぐーたら男が、どういうわけか市場の隅っこの方で布を広げて座っていたのだ。
今日の彼の服装は、カルラの好意で借りた綿シャツと白色パンツだ。着替えも持たない彼はこの服と現れた時に着ていた服を着まわしていた。
借り物の服を着ている彼を遠目から見ると、その服のボロさ(昔に宿泊客が忘れていった服らしい)も相まって、非常に頼りなく見える。そのため、どこかの流れの行商人と見間違えかねなかった。
リュウの目の前には、見たこともない品が並んでいた。すべて木でできているもののようだ。四角い木箱のようなもの、細い棒の上に鳥の羽をつけたものなど、品は様々。
リュウはこれらを販売しているようだった。
「……どうしてまたこんなことを」
貴族のお坊ちゃんなら、迎えが来るまでぼーっとしておけばいいはずなのに、どうしてまた商売なんて始めたのか。
そう不思議に思うシーラに、リュウはいつもと変わらない、あっけらかんとした笑顔で答えた。
「いやさあ、少しぐらいお金稼いどかないと不便だろ? 宿屋のおかみさんにも、いくらか前金払っとかないといけないしさ」
「しかし、後払いでいいと」
「人の好意に甘えっぱなしなのは、やっぱ駄目だろ?」
意外な言葉にシーラは目を丸くする。この殊勝さには驚きを隠せなかった。
「では、許可証は? 市場に店を構えるのも許可が必要なはずだが」
「ああ、それは隣のおっちゃんが場所を貸してくれたんでね。ほら、そこで寝てるおっちゃん」
リュウの隣では食器類の露店が開いている。木箱の上に食器を無造作に並べているだけの簡単な店で、店主は奥の方で引っ込んで眠っていた。
「俺に店番任せて寝てるんだよ。ま、場所貸してもらってるから、これぐらいは仕方ないけどさ」
「……なるほど」
ぐーたらなだけの男だと思っていたが、意外と行動的なところもあるようだった。
見知らぬ土地で商売をするなど、そう簡単にできることえはない。
シーラやミラセへのお土産や、大量の本の代金もここから捻出しているのだろう。
「そうか、君も少しは考えているんだな」
「少しはって……もしかして、俺がただ単に毎日ごろごろしてるだけと思ってたりした?」
「違ったのか?」
「……いや、違ってないな」
笑って肩をすくめるリュウ。それはとても純粋な笑顔だった。
「実際、最初の3日間ぐらいはそうだったしな」
「自覚はあったわけか」
「そりゃあね。ただ、ここ最近はけっこう考えるところもあるんだぞ?」
「考えるところ?」
「色々な。それより、なんか買ってかない?」
そう言ってリュウは、おもちゃの1つをシーラに差し出す。
木を削って造られたもので、表面はやすりで滑らかに研がれていて、手触りがいい。丁寧な仕事をしている。
「これは全て君が作ったのか?」
「まあね。細かい工作とか得意なもんで」
いったいいつの間にこんなものを作っていたのだろうか。宿屋にいる時は寝ているか本を読んでいるかだったのに。
またひとつリュウの謎が増えたような気がした。
シーラはまじまじとおもちゃを観察する。
それは細い棒に、若干傾斜のついた平たい板をくっつけた、奇妙な造りをしたおもちゃだった。
シーラには、いったいこれでどう遊ぶのか、見当もつかなかった。
「これはおもちゃなのか? 見たこともないが」
「俺の故郷のおもちゃだからな。多分このせ――いや、国にはないだろ。『竹とんぼ』っていうんだけど」
「竹とんぼ……」
「これは、この棒の所を両手のひらで挟んで……こうっ!」
リュウが手のひらを擦るように動かすと、棒が回転し、先端の板が勢いよく回り出した。
すると竹とんぼは突然リュウの手元離れて飛び上がった。手の届かない、青い空へと向かって。
「……」
シーラは飛んでいく竹とんぼを呆然と見つめる。
空飛ぶおもちゃ。聞いたことも見たこともないそれは、シーラの手の届かない場所で、悠然と飛んでいる。
平たい板が回転しているだけなのに、人の身体では不可能な行為を成し遂げている光景は、とても心が弾むものだった。
しばらくすると竹とんぼは高度を落とし、シーラの右隣ぐらいの場所へと落ちていった。
「とまあ、こんな感じで遊ぶおもちゃ。けっこう面白いだろ?」
「これは……すごいな。いったいどういう原理で飛んでいるんだ? 魔法か?」
「いやいや、この羽の部分が回転することで揚力が……って、説明しても分かりにくいか。まあ、鳥が飛べるのと同じような原理だよ。魔法は一切使ってない。そもそも、俺は魔法が使えないしね」
「そうなのか? 貴族なのに?」
貴族の大半は魔法を使える。彼らは幼い頃から英才教育を受けており、国を守る力をつけ、城仕えの兵士となることを義務づけられているからだ。アルトレ国でも同じで、貴族ばかりで構成されている騎士団の騎士たちは、個人差はあれども、戦闘用の魔法をいくつも使うことができる。
「貴族? 俺が貴族だなんて、言ったことあったっけ?」
「いや、聞いてはいないが……違うのか?」
リュウが「ははっ」と笑った。
「違う違う。そんな大層なもんじゃないって。ただの旅人。そう言っただろ?」
「まあ、そうだが……」
ただの旅人が、こんな呑気におもちゃ売りをしているだろうか。
「リュウ兄ちゃんー!」
「おっ、お前らか」
脇道から突然現れた声の群れ。それは子供の大群だった。
この付近に住んでいる子供たちなのだろう。何十人もの子供たちの中には、シーラが見知った顔もちらほらいた。
子供たちは「わーっ」という歓声をあげ、リュウの店の前に群がり始める。リュウも手慣れたもので、子供たちが市場の道をふさがないよう上手にばらけさせ、全員が彼の手元を見られるようにしてやっている。
「ほいほい、押すなよー」
「今日はどんなおもちゃがあるの!?」
「おー、そうだなー。今日はびっくり箱ってのがあるぞ。それと、ベーゴマっていうのもあってだなー」
リュウが披露するおもちゃの数々を、目を輝かせて見物する子供たち。
どうやらおもちゃを扱うこの店の主な客層は子供のようだ。
子供相手の商売でどれほどの儲けがあるかは分からないが、働かないよりはマシだろう。
そのままシーラも見物していると、子供の大群の中に気になる金髪顔がいて、思わず声をかけてしまった。
「ミラセ?」
「あれ? シーラお姉ちゃん」
カルラの娘であるミラセだった。
「お前もここに遊びにきたのか」
「うん、リュウお兄ちゃんのおもちゃ、とっても面白いの」
「そうか……」
そういえば、とシーラは思い出す。リュウはぐーたら男で、従業員や宿に泊まる客からは奇妙に見られているが、不思議と子供たちには人気があった。
酒場に連れてこられて退屈そうにしている子供がいた時は、リュウが遊び相手になっていたことも何度かある。リュウと一緒にいると、子供たちはよく笑っていた。
ミラセも例外ではなく、最近では「リュウお兄ちゃん」と呼ぶようになり、宿屋で一緒に遊んでいる姿も見受けられた。
「ミラセ、あの男は優しいか?」
「うん、とっても優しいよ? どうかしたの?」
「いや、なんでもない。いいよ、おもちゃを見てきなさい」
「うん」
首を傾げるミラセだったが、おもちゃの誘惑には抗えないようで、すぐに子供たちの群れの中へと戻っていった。
リュウの商売に興味が湧いたシーラは、邪魔をしないよう、少し離れた場所で彼らを見物することにした。
「リュウ兄ちゃん、これはー?」
「ほう、お前はなかなか目が高いな。これは俺特製の『ハイパーサムライソード』という名の剣だ。スポンジという柔らかい素材を使っているから、怪我をすることなく、思いっきりチャンバラごっこができるという代物だぞ」
「ちゃんばらって何?」
「あー、あれだ。決闘ごっこみたいなもんだよ。ためしに使ってみるか?」
リュウが剣の形をした棒を子供に渡す。
子供は何度かそれをぶんぶんと振り回し、自分の腕に刃を当てたりして試すと、そのおもちゃの素晴らしさに感動して目を輝かせた。
「すげー! かっこいー!」
「いいなー! 僕もほしいー!」
「私もー!」
「俺もー! ちょーだい!」
「ちょっと待てよー、数は用意してるからな」
次々と小銭を渡してくる子供たちを、リュウは笑顔でなだめ、1人1人柔らかい剣を渡していく。
子供たちの渡す額は決して多くはなく、おもちゃは子供に優しい良心的価格のようだ。
おもちゃを受け取った子供たちは、嬉々とした顔で遊び始める。
「よーし! 俺は今から『絶対勇者』な!」
「えー、何言ってんのよー。『絶対勇者』は女でしょ! 私がやる!」
「お前は魔王やっとけよー」
「俺は白騎士がいいなー」
「お前は武道家って感じだろ!」
「やだよー、筋肉もりもりの大男なんて!」
「あっちで英雄ごっこやろうぜ!」
皆が『ハイパーサムライソード』なるものを持ち、一斉に広場へと向かって走り出した。その中にはミラセもいて、皆と同じく彼女もとても楽しそうな顔をして走っていく。
「英雄ごっこ、か……良い時代になったものだ」
シーラは走り去っていく子供たちを眺めながら、時代は変わったのだと実感した。
子供がいっぱいに笑い、広場で遊ぶ。数年前には考えられない光景だった。
「ん? シーラさんは何笑ってんの?」
「いや、平和だなと思っただけだ」
シーラはこの平和が『まだなかった』時代を思い馳せた。