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第2話

「すぅすぅ」


 白いベッドに眠る男が1人。

 黒い髪、ほどほどに高い身長、細めの体つき。木綿のシャツと、黒布のズボン。

 美男子とは言えないが、そう悪くもない顔つきの男は、白い布団に身体を包まれ、穏やかに眠っていた。


「すぅすぅ……うぅ」


 と、その顔が歪み、


「酢豚にパイナップルはやめろって言っただろ!」

「ひゃ!」


 奇怪な叫び声と共に彼は飛び起きた。

 部屋全体を震わせる巨大な声は、ベッドの横に立っていた小さな影を驚かせてしまう。


「ひゃ? ルシィ、何でそんな可愛い声……って、あれ?」


 真横で小さく悲鳴をあげた声の主を、彼は寝ぼけ眼で認め、首を傾げた。

 そこには自分の予想と違った人物が立っていたのだ。


「……誰?」

「うぅ……」


 金髪のかわいらしい少女。おそらく6,7歳ほどだろう。身体はまだ成長期のようで、ふるふると震える手はとても小さい。

 子供らしい活発そうな青い瞳は、怯えて揺れている。


「えー、お嬢さん」

「は、はい」

「ここはどこ? で、俺はどうしてこんなふかふかベッドで寝てたのかな?」

「それは、シーラお姉さんが、その、あの」

「おっと。いいよ、慌てなくても。なんとなく思い出してきた」

「あ……」


 慌てふためく少女を落ち着かせるように、男はゆっくりと彼女の頭を撫でる。

 びくりと震える少女だったが、男の手つきはとても優しく、次第に気持ちよさそうに頬を緩めていった。

 男は辺りを見回し、状況を確認していった。


「さて、確か森の調査をしてたよな。で、ルシィがトラップがどうのと言ってきたら、突然暗くなって……」

「今の声はなんだ? 何かあったのか?」


 部屋の扉が開き、赤い髪の女が入ってきた。

 それは男の目から見て、なかなかに綺麗な女性だった。


 まっすぐと伸びた赤い髪は肩上できっちりと切りそろえられ、鼻筋は通り、目は大きく力強い。

 若干日に焼けた肌と手足にほどよくついた筋肉が、健康美も示している。

 胸も大きい。薄汚れた白いエプロンが盛り上がっている。


 ただし、分厚く野暮ったい黒縁メガネをかけているのがマイナス点になっていた。

 メガネのせいで目の印象が変わってしまっていて、瞳の輝きをぼやかしている。そのために全体が田舎娘のような貧乏臭さを感じさせてしまった。


 赤髪の女性はベッドの上にいる男を見て、「む」と声を詰まらせた。


「そうか、起きたのか……ミラセ、こっちにおいで」

「う、うん!」


 頭を撫でられてうつらうつらとしていた金髪の少女は、声をかけられると慌てた様子で男の手から離れ、女性の足の影に隠れた。

 少女に逃げられた男は残念そうな顔をした。


「あらら、嫌われたかな」

「この子は少し人見知りなんだ。ミラセ、下のお母さんに、私は少し店を離れると言ってきてくれ」

「うん、わかった」


 ミラセは元気よく返事をし、小走りで部屋を出て行った。

 優しい笑顔でそれを見送っていた赤髪の女性だったが、少女の姿がなくなるときりりと顔を引き締め、男に向き直る。


「さて、見たところ怪我はないようだが、どこか身体に違和感はないか?」

「ああ、大丈夫。どこも怪我はしてない」

「……あれだけの衝撃で、よく」

「ん? 何か?」

「いや、まずは自己紹介をしておこう。私はシーラと言う。君は?」

「あー、俺ね。俺の名前……ちょっと待ってくれよ、うん」


 男の歯切れは悪い。それは何か重要なこと隠そうとしているようにシーラには見えた。

 ただ、そこにはやましさがなく、まるで子供が母親にする悪戯の言い訳を考えているような純粋さも現れていて、嫌な感じは受けない。

 しばらくして、男は「うん」と何かを思いついた顔で頷いた。


「リュウ、リュウだ。俺の名前はリュウ」

「……わかった、リュウ殿だな」


 おそらく本名ではないことをシーラは悟っていたが、それを指摘するつもりはなかった。

 それよりも言わなくてはいけないこと、聞かなくてはいけないことがたくさんあり、シーラはひとつひとつ聞いていくことにする。


「リュウ殿、礼を言っておこう。君のおかげで助かった」

「ん? 俺が何かしたのか? 覚えがないんだけど」

「君は『青葉の森』にいた私の目の前に、空から落ちてきたんだ。その時、私は魔物に襲われていたところでな……君が落ちてきた先に魔物がいた、というわけだ」


 シーラは説明しつつ苦笑する。こんな話、実際に見た者でなければ誰も信じてくれないだろう。もしかしたら当事者である彼も信じないかもしれない、それほど荒唐無稽な話だった。

 しかしリュウはあっけらかんとした様子で、「そっかー」と大して驚きもせずに話を受け入れていた。


「魔物ね。その森って、けっこう魔物とか出るところなのか?」

「私は初めて見たが……それがどうかしたのか?」

「いや、落ちてきた先に魔物がいたなんて、なかなか天文学的な確率だなとね。人助けができて何より。36時間近く飛ばされ続けた甲斐ありか」

「それはどういう?」

「暗いところにいると、自然と眠くなっちゃうなっていう話」

「……よく分からないが、とにかく偶然とは言え、君は私を助けてくれた。ありがとう」


 シーラは腰を45度に折り、礼儀正しく頭を下げる。

 リュウも丁重に答えた。


「どういたしまして。こちらこそ俺をここまで運んでくれてありがとう。で、俺からも質問していいかな?」

「ああ、どうぞ」

「ここはどこだ? なんか空気の感じが、けっこう南っぽいけど」

「空気の感じ? ……ここはアルトレ王国の首都アルトリアだ。この部屋は『宿り木』という宿屋兼酒場の一室で、女主人に断って借りている」

「じゃあ君もこの宿屋に泊まってる人?」

「いや、私は従業員の1人だ」

「そうか、助かった。にしてもアルトレ王国ね。かなり南だな」


 世界を分かつ4大陸の内で、最も広大な陸地を持つガーラスト大陸。アルトレ王国はその大陸の南の先端に位置している。

 アルトレ王国は神魔戦争以前から長く続く由緒正しい王国だ。国の規模こそさほど大きくはないが、最も栄えている首都アルトリアはその景観の素晴らしさから観光に訪れる者も多い。小高い丘の頂上に建てられた城を中心に、円形状にレンガ造りの街が広がっているのが特徴で、この街の造りは何百年も昔から変わらないという。

 赤道に近いため1年中暖かな気候で、街を出れば緑に溢れた風景を見ることができる。そうして観光者は街と木々が溶け込んだこの土地に感嘆の息をもらすのだ。


「んー、飛ばされたなあ。困ったもんだ」

「差支えなければ、君が何者で、どうして君が空から降ってきたのかを教えてもらえないか?」

「俺が何者かは俺自身が知りたい……なんて、ちょっとかっこつけてみたりして」

「……」


 シーラがジトッとした目をする。

 リュウは慌てて頭を下げた。


「なんかすみません。俺はまあ、旅人みたいなものだな。色々な場所を旅してきてるんだけど、ある森の中で転移魔法のトラップに引っかかったみたいでね」

「転移魔法? そんなものがどうして……と、戦争の名残か。どこかの戦場跡でも歩いていたのか?」

「まあ、そんな感じ」


 転送魔法は数ある魔法の中でも難易度が非常に高く、人間で扱える者は数少ないため、一般人が目にすることはほとんどない。

 だが、神魔戦争の後である今は、当時の戦場跡を歩いていると時たまトラップに引っかかることがある。トラップは様々な陣営が仕掛けたもので、転送魔法だけでなく、爆発魔法や睡眠魔法など、種類は様々で、運が悪ければ命を落とす強烈なものもある。

 この種のトラップの処理にはどこの国も困っているという話だ。時には子供が森の中を歩いていて爆発魔法に引っかかり、足を丸ごと吹っ飛ばされてしまうという悲劇が起きることもあり、戦後処理の問題点として重要視されている。

 

 リュウも戦場跡に不用意に入り込み、トラップに引っかかってしまった口のようだった。


「……爆発魔法でなくてよかったな」

「本当にね。で、飛ばされた先がここだったってこと。ちなみに寝てたのは、トラップが稚拙だったのか、転移に30時間以上かかってたからでね」


 通常、転移魔法はどれだけ距離が離れていても、数十秒程度で転移が完了する。

 だというのに30時間もかかったのは、リュウの言う通りトラップの造りが甘かったか、込められた魔力が足りていなかったからなのだろう。


「転移中は暗いところにずっと閉じ込められてるみたいなもんだから、さすがに眠くなってなー」

「……」


 なんとも図太い男だとシーラは驚く。真っ暗な中、自分がどこに飛ばされるか分からないのに、平気で居眠りできるとは。

 ばりばりと頭を掻くリュウは、北の方角を向いて「むぅ」と唸った。


「どうしたものか。ここから北に戻るとなると、かなり遠いな」

「元々はどの辺りにいたんだ? 一応、急行馬車はあるが……」

「あの森は確か、大陸の真ん中辺り。メルン湖の傍ぐらいだ」

「少し遠いな。馬車を使うにしても、少々値が張るぞ」

「ああ、金ならいくらかあるはず、って、あれ?」


 リュウがズボンのポケットをやおら探り始める。何度も自分の身体をくまなくまさぐり、青い顔をして一言。


「……財布が、ない」

「ない? まさか。私はポケットの中を探ったりしていないぞ」

「いやいや、疑ってるわけじゃなくて……あ、あはは。そういえば俺、財布とかの貴重品、全部連れの奴に預けてたかも」

「……はぁ」


 なんともお粗末な話で、シーラは呆れた顔を隠すこともできなかった。

金品を供にすべて預けてしまうとは、普通の旅人ならば絶対にやらないことだ。貴重品は肌身離さず持ち歩くのは旅の鉄則。

 そうせずに人に預けるとは、本当に旅人なのかと疑いたくなる。


 それとも、彼は普段から荷物を人に預けて行動する身分なのか、もしくは荷物を持って旅をする体力がないのかもしれない。

 リュウの身体は細めだ。およそ鍛えているようにも見えず、男らしさともかけ離れている。これでは重い荷物を持って歩くこともままならない。

 空から落ちてきても怪我ひとつしなかったのは、転移魔法が元々着地の衝撃を和らげていたからだろう。


 リュウはその細めの腕で薄い胸板をどんっと叩いた。


「大丈夫、なんとかなる! 多分連れが迎えに来てくれる、はず!」

「どうやってだ。君がここにいることをその連れが分かるはずもないだろうに」

「それぐらい、あいつなら余裕……なはず。うん、多分。それにいざとなったら歩いて帰るよ」


 にへらと笑うリュウだが、シーラはますます彼の無知蒙昧さに呆れてしまった。

 アルトレからメルン湖ならば、早馬を乗り継いでも2か月はかかる距離だ。人の足ならば、3か月あってもまだ足りない。

 それも健脚の者ならばの話で、リュウの細い身体が3か月の長旅に耐えられるとは到底思えなかった。


 シーラの呆れ顔にも気づかず、リュウは大層気楽そうにベッドに寝転んだ。


「まあ、まずは気長に待っとくさ。1週間もすれば、迎えがくると思うから」


 迎えが来るにしても2か月以上はかかる。つくづく無知とは怖いものだった。

 男は異国に放り出されたことに何の不安も感じていないのか、ベッドにごろごろと転がり、鼻歌まで歌い始める。

 この無知さ、気楽さ。旅人にあるまじきことだ。


 貴族や金持ちのお坊ちゃんが、道楽で旅でもしていたのか。身なりは悪くないし、旅人にありがちな不潔さも感じない。ありそうな話だった。

 シーラは呆れ果て、面倒な男が命の恩人になってしまったものだとため息をつく。


「シーラちゃーん! ちょっと下手伝っておくれー!」

「はい! 今行きます!」


 下から宿の女主人の呼ぶ声がして、シーラは気を取り直す。

 とりあえず男は放置しておくことにした。命の恩人なのでいくらかのお礼をするつもりだが、深く関わると面倒なことになりそうな予感がしたのだ。


「そうだ」


 それでも説明しなくてはならないことがあり、シーラは早口でまくしたてる。


「もし街に滞在するつもりなら、他の宿はやめておけ。最近、外国人の取り締まりが厳しくなっていて、宿に泊まるにも身分証明を求められるからな。

 その様子だと身元証も持っていないのだろう? 証明書がないと、絶対に泊めてもらえない。

 この宿なら、一応命の恩人であることだし、私が頼み込めばなんとかなる。ただし」


 大切なことを話しているつもりなのに、リュウは本当に説明を聞いているのか、寝転んだまま動かない。

 シーラはますますリュウがくだらない男に見えてきて、次の言葉を吐き捨てるように言った。


「宿代や食費まで都合はできない。私もそこまで余裕はないからな……すまないが」

「ああ、いいよいいよ。連れが来たらまとめて払うからさ」


 こちらに目も向けず、ぼーっと天井を見つめているリュウ。

 どこまでも呑気な男だった。


「……ちなみに、この宿は先払いだ」

「へ?」

「では」


 この言葉を最後に、シーラは部屋を出て下の酒場へと戻っていった。




 数十分後、宿賃の後払いをお願いするために、女主人に土下座を繰り出すリュウの姿を見て、シーラはさらに幻滅していくのだった。




(さて、ルシィはいつ来るかねえ)


 女主人への壮絶な土下座を終えて、なんとか宿代を後払いにしてもらえたリュウは、与えられた自分の部屋のベッドで寝転びながら考えていた。


(残った調査を終わらせるのに3日、報告に1日、俺を見つけるのに3日、ここまでくるのに2日。んー、1週間以上はかかるか?)


 窓に目を向け、外に広がる青い空を見る。

 アルトレ王国。大陸の端っこ、赤道にかなり近いこの土地の空は、太陽の光がとても強く感じて、青空もさらに青く見えた。

 さほど訪れたこともないこの地域。トラブルでやってきたとは言え、何があるのかと少しわくわくしてしまう。


(ま、適当に観光しながら待つとするか)


 口笛で音楽を奏でるリュウは、あくまでお気楽男に見えるのであった。


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