第17話
‐前回までのあらすじ‐
ルシィの説得、ゲルマやアルトレ王との交渉など、紆余曲折がありながらも、リュウトはシェンラを一緒に連れて行くことに決める。
そして、ついに彼らがアルトレ国を出発する日がやってくるのであった。
透き通るような青空の下、爽やかな風が吹きつける朝。
アルトリアの街の半ばに居を構える宿屋兼酒場『宿り木』の前に、女主人であるカルラとその娘、そして従業員や常連客、付近の住人など、たくさんの人々が顔を揃えていた。
全員が、給仕として働いていた時のシェンラの知り合いであり、彼女の旅立ちを見送るために集まっているのだ。
「シーラちゃんがいなくなるってのも、なんか寂しくなるなあ」
「手つきはおぼつかねえけど、メガネの下がめっちゃ美人だって知ってからは、酌をしてもらうのが楽しみだったってえのになあ、シーラちゃん」
「こら、シェンラ様ってお呼びしな。ったく、てめえらは騎士様を敬うってことを知りやしねえ」
「そうは言っても、俺たちにとっちゃ騎士様ってよりも、宿り木の隠れ美人って感じだかんなあ」
「そんな、呼び名なんて気にしなくてもいいですよ。皆さんには本当にお世話になりましたので」
常連客の面々が口々に惜しむ声をあげる中、シェンラは彼ら1人1人に別れを告げている。少々汚らしい男の1人が気安く肩を叩いてきても、笑顔で対応。なんとも丁寧だ。
リュウトは感心しながら近くの街路樹に背を預け、その様子を眺めていた。傍らにはルシィが立っている。このお別れ会が終わるのを待っているのだ。
「シェンラ様には人望もあるようですね」
「ああ。相手が誰でも関係なく付き合えるからだろうな」
すでに城の仲間や部下との別れは済ませており、ここでの挨拶が終わり次第出発する予定だった。本当は夜が開ける前に出るつもりだったのだが、シェンラに一言だけでも声をかけておきたいという人間が数多く出てきて、城の前でも宿屋の前でもてんやわんやの騒ぎ、なかなかこの街を出るができずにいた。
だが、急かすことはしない。こんな時間は大切だ。彼女が心残りなくこの国を出るためにも。
リュウトはじっくりと腰を据えて腕を組み、待つ。
『宿り木』の前はまだ騒がしい。
「シーラさん、おりゃあ、やっと野菜売りを再開できるよ。あんたさんのお陰だねえ」
「これまで頑張ってこの国に残り続けたからこそですよ。身体だけ養生してください」
「シーラさん! 俺! 俺! ……手紙書きますんで! よければ行き先を!」
「すまない。私にもまだ分からないんだ。手紙も送れるかどうか」
「国のために外国行くんだろ? 頑張りなよ」
「はい、ありがとうございます」
国王との約束通り、シェンラはすでにこの国に籍がなく、騎士でもなんでもない身分になっている。
だが表向きは、国王の命令を受けて外国を回るということになっていた。近衛隊隊長を国外に出すとなるともっともな理由が必要になるし、シェンラの世間体を気にしてのゲルマの配慮なのだろう。
またはここまで国民と距離が近く、慕われる騎士を手放したと知られたくなかったのかもしれない。
「シーラちゃん」
「おかみさん……」
シェンラの前に、『宿り木』の女主人カルラが立った。彼女の足下には娘のミラセもいて、2人とも少し悲しそうな笑顔を浮かべている。
シェンラはすかさず頭を下げた。
「このたびは……何のご恩返しもできずに立ち去ることになり、まことに申し訳ありません」
「ありゃま、騎士様に頭を下げられるなんて、先にも後にも今だけだろうねえ。顔を上げてくださいな、シーラちゃん」
促されて顔を上げたシェンラは、少し涙ぐんでいた。この1年、城を追い出されてからずっと世話になっていた恩人との別れともなると、気丈なシェンラでも涙腺が緩むようだ。
カルラはそんな彼女の肩を強く叩いた。
「頑張りな。あんたは一度『底』って奴を経験してるんだ。頑張れば頑張っただけ、これから上がっていけるよ」
「はい……はいっ」
「国を出た後はどうすんだい? もうどこに行くか決まってるのかい?」
「いえ、そこまでは……」
「あのリュウっていう男と一緒に行くって話じゃないか。やっぱり直感は当たってたってことでいいのかね?」
カルラがにやにやと何かを告げると、シェンラの顔が赤くなった。
その光景を見たリュウトは、はてと首を傾げる。途中で彼女たちの声が小さくなってしまったので、話の内容がいまいち聞こえなかった。
「あたしの見立ては間違いないね。ありゃあ大物になるよ」
「い、いえ、彼は途中までついてきてもらうだけで」
「だったら一緒にいる間にモノにしちまいな。男なんてちょっと誘惑しちまえば、簡単に手綱がかけられるもんだよ。あんたは器量がいいんだし、首筋にしだれかかってちょちょいと囁いてやればねえ」
「いや、だからですね」
豪快に笑っているカルラと、あたふたとせわしないシェンラ。
そして彼女たちの周囲にいる人たちも、なぜかこちらを見ている。男はこちらを睨みつけ、女は目を輝かせている。いったい何だというのだろう。
いっそのこと自分も話に入ろうかと足を動かしかけた時、太股をちょんちょんと何かがつついた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「ん? ああ、ミラセか。どした?」
カルラの娘のミラセだった。
くりくりとした金色の瞳が不安気にこちらを見上げていたので、リュウトは腰を下ろして彼女と視線の高さを同じにする。
ミラセはおどおどしつつも、懸命に言葉を探して言った。
「えとね、あのね……リュウお兄ちゃんは、シーラお姉ちゃんと一緒に外の国に行くんだよね?」
「そだな。途中までってことになってるけど」
これもまた表向きの話。大事な騎士様が正体不明の旅人の仲間になっただなんて官僚や貴族たちに説明できないための言い訳だ。
リュウトが頷いて肯定すると、ミラセはますます声を震わせた。
「悪い人はいなくなったのに、どうして出て行っちゃうの? お兄ちゃんもお姉ちゃんも、ずっとここにいればいいのに……」
「ミラセ……」
「お兄ちゃんが出て行くのは働くところがないから? 1日中ぐーたらしてる人はそういうものだってお友達が言ってたけど……だったら、私、いっぱいおもちゃ買うから!」
いや、一応無職ではないから、と言いそうになるのをこらえつつ、泣きそうになっているミラセの頭を優しく撫でてやった。
「ミラセ、俺もお姉ちゃんも、やらなくちゃいけないことがあるんだ。けど、それはここじゃできない。魚を獲る人は海に行かなくちゃ仕事ができないだろ? それと同じなんだ」
「……そうなんだ」
「ああ。俺もお姉ちゃんも頑張ってくるから、ミラセは応援してくれないか? 仕事が終わったら、またここに来るからさ」
リュウトがグッとガッツポーズを取ると、涙を手でぬぐい取ったミラセは元気よく頷いた。
「……うん! 分かった! リュウお兄ちゃん! 頑張って!」
「ありがとう、ミラセはいい子だな」
小さな頭をぐりぐりと撫でまわすと、ミラセは気持ちよさそうに目を閉じ、「んんー」とかわいらしい声をあげた。
小さな子の『頑張って』ほどに励まされる言葉はそうはない。子供の純粋で打算のない言葉には本当に心が洗われる。
それに比べて、
「女となれば幼女でも無自覚に落とすご主人様。なんとも素晴らしい」
後ろで不埒なことを呟いているメイドは無視しておくことにした。
「リュウ」
ひとしきりミラセをあやしていると、シェンラが見送り人たちから離れてこちらへと合流してきた。
もっと挨拶に時間がかかると思っていたのに、やけに終わるのが早い。
「もういいのか?」
「ああ、いいんだ……行こう」
頬を赤くし、小さくため息を吐くシェンラ。どこか疲れたように見えるのは気のせいだろうか。
リュウトは不思議に思いながらも、ではと立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ行くか……あっと、そうだ、忘れるところだった」
「ルシィ」と後ろに立つメイドの名を呼ぶ。
「はい」
「カルラさんに宿代を渡さないといけないんだ。あの人にはかなりお世話になったし、できる限りのお礼をしといてくれ」
「かしこまりました」
すかさずルシィは物陰へ移動する。お金を『取り出し』に行ったのだ。少し待てばすぐに戻ってくるだろう。
それにしても、とリュウトは待っている間に考える。荷物や路銀の管理を全て彼女に任せるのは楽なものだが、今回のように突然1人にされてしまうと途端に困ってしまうのは考え物だった。簡単に資金難に陥って、おもちゃを売らなくてはいけない羽目になる。
自分も少しはお金を持っておくべきだろうか。しかし一度ルシィに任せる便利さを味わうと、どうにも……。
そんなことを考えている内に、ルシィが片手に布袋を持って戻ってきた。いかにもお金が入っていそうな膨らみの袋だ。
彼女はそのままカルラのもとへ向かう。
「カルラ様、こちらを」
「なんだい、こりゃあ。なんだか重そうだけど」
「ご主人様が滞在した日数分の宿泊費と、心ばかりのお礼です。どうぞお納めください」
「こりゃどうも……って、ほんとに重いねえ」
カルラがこちらを見たので、リュウトは軽く頭を下げて応えた。すると相手も戸惑ったように布袋を掲げて、受け取ったことをアピールする。
これで少しは借りが返せただろう。
「よし、行くぞシェンラ。まずは街の外に出よう」
「分かった」
リュウトとルシィがまず連れだって歩き出し、大きな鞄1つを背負ったシェンラがその後ろにつく。
そして後ろを振り返り、見送りの人たちに手を振る。
後ろからは盛大な送別の声が――
「シーラちゃん、またここに来てねー!」
「達者でなシーラちゃん! 男の方は達者すんなー!」
「むしろ男は死んじまえー!」
何故罵倒されているんだろうか。
なんとなく釈然としない思いを抱きつつ、前を向く。
「リュウお兄ちゃん、シーラお姉ちゃん、頑張って!」
「リュウさん! シーラちゃん! ちょいっとこれは!?」
ミラセの元気の良い声と、カルラの少し慌てた声――ミラセが走り出そうとするのを止めてでもいるのだろうか。
どれだけ声をかけられても、リュウトたちは振り向かない。ずるずると立ち止まっていては、いつまで経っても立ち去れない。こういうのは振り向かないことが肝心だ。
坂を下り、街の外へ出る道をどんどんと歩き続ける。
やがて『宿り木』の影も見えなくなった時、今までずっと難しい顔をしていたシェンラがふと口を開いた。
「リュウ」
「ん?」
「君も胸の大きな女性の方が好みなのか?」
「はい?」
「い、いや、なんでもない。忘れてくれ」
慌てて前を歩いていくシェンラ。
いったい何の話をしていたのだろうか……とリュウトは首を傾げるばかりだった
※
丘の上に作られた都市であるアルトリアを出るには、ゆるやかな坂を下り続けなくてはいけない。大通りを歩き続けて、『あちら側の世界』の単位で言うところの40分程度の道のりだ。
道中、騒がしい街並みに目を向ければ、行商人が威勢のいい客引きしていたり、近所の主婦が井戸端会議を繰り広げていたり、子供たちがきゃあきゃあ言いながら遊んでいたりする光景が見られる。皆、新しい時代に向けて明るく生きている人たちであり、希望に溢れている。見ているだけで自分も頑張らなくてはと思わされた。
時折通行人がシェンラの顔を見て声をかけてきそうな気配を見せたが、リュウトたちはそれらをさっさと避け続け、街の外につながる城門に到着した。
丘の街を囲うようにしてそびえたつ城壁。いくつもある城門の中のひとつを前にする。
「リュウ、ちょっと待ってくれ」
「ん? どした?」
早々と門に向かおうした時、シェンラが急に立ち止まった。
「……」
彼女は、後ろに広がる街の風景をじっと仰ぎ見た。
歴史の長い街であるアルトリアは、こうして丘の下から見上げると壮観だ。緩やかな丘に、点々と建つ石造りの家。青空と白色の建物が互いに引き立てあい、調和している。
彼女は静かにそれらを見つめていた。
「昨日の夜、荷造りをしている時、柄にもなく泣きそうになった」
シェンラが誰に向けるともなく呟いた。
リュウトが「ん」と短く返事をすると、彼女はゆっくりとその場で目を閉じた。
「この国で生まれ、騎士としての生き方を教えてもらえたというに、あまつさえ自分の道を優先させてもらえた……街の皆も、私を心良く送り出してくれる。こんな優しい国から出ていくとなると、さすがに寂しい」
目を開き、また街を見つめる。
この光景を忘れないようにするためだろうか。
「分かるよ」
リュウトも彼女にならって街を見つめながら言った。
「俺も、18の時に故郷を離れたんだ。遠くの街で学問をするためなんだけどさ。結構遠いところに行かなくちゃいけなかった。
出発の日の朝に見た親の顔は、まだ覚えてる。2人とも笑顔で送り出してくれるのを見て、ものすごく寂しくなった。もうこの顔を毎日見れないのかって」
「……それから親御さんとは?」
「1度も家に帰らないままこの世界に放り出されたから、会ってない」
そう答えると、シェンラは気まずそうにすまないと頭を下げる。だがリュウトは気にした風もなく、いいんだと首を横に振った。
「けど、そういう寂しさと同じくらい、胸の中で膨らんでいくものもあるだろ?」
「……ああ」
頷くシェンラ。彼女が抱いているそれは、新しい世界へと飛び出していく上で感じる、ドキドキやワクワク。自分は変わっていけるという期待だ。
「その感覚は大事にした方がいい。いわゆる……あれだ、【初心忘るべからず】」
「【しょし】……?」
「こっちの世界の言葉で似たような慣用句が思いつかないから何て言えばいいか……んー、何かを学び始めた時の自分ってまだまだ未熟だけど、情熱とか理想とかはたくさん持ってるだろ? そういう時の自分を忘れてはならない、って感じの言葉」
「なるほどな……君の世界の言葉か。もう一度聞かせてくれないか?」
「【初心忘るべからず】」
「【しょしんわするべからず】、か。分かった」
シェンラが大きく深呼吸して目を瞑る。
きっと、この瞬間を胸に刻み込んでいるに違いない。これからの苦難の道を進むための原動力となり、迷った時の道しるべともなる【初心】を持ち続けるために。
その邪魔をするわけにもいかないので、リュウトは少し後ろに下がり、静かに待った。
「ご主人様、先ほどの慣用句、似たようなものとしてはおそらく『初物は貴重なり』が該当するかと」
「それはなんか違う気がするぞ……っていうか分かって言ってるだろ、お前」
相変わらずのルシィを適当にあしらっていると、「よし」という気合いの入った声が前から聞こえてきた。
シェンラがこちらを振り返り、「待たせた」と詫びながら城門への道を再び歩きだした。
リュウトとルシィもその後ろにつく。
門の前には1人の警備兵が立っていた。彼はシェンラに気付くと、大げさな敬礼を行う。
「お勤めご苦労様です! 行ってらっしゃいませ! お気をつけて!」
「ああ、ありがとう。開けてくれないか」
「はい!」
若い警備兵が門を開くのを待つ。
「それでだ、リュウ。これからどこに行くか決めているのか?」
シェンラに尋ねられ、リュウトは「うーん」と唸った。
「とりあえず俺の家に帰るつもりだ。シェンラにもこれから長く住んでもらうことになるだろうし、早めに見てもらいたい」
「そうか……ならば、君が転送魔法で飛ばされたというエルン湖辺りに向かうのか?」
「だな。大陸の中央辺りに俺の家があるから」
この説明に、シェンラが難しい顔をした。
「となると、かなりの長旅になりそうだな。馬車や飛鳥でも雇っているのか? 君たちの荷物は、長旅にしてはかなり少ないようだが」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「何がだ?」
「えーとだな……まず、荷物は後でルシィに渡しといてくれ。荷物の管理はだいたいこいつに任せてるから」
シェンラが怪訝そうな顔をしている。おそらく荷物を任せていると言っているのに、ルシィは見た目明らかに手ぶらであることを不思議に思っているのだろう。
また驚いてもらうことになるんだろうな、とリュウトは内心微笑みながら、開いた城門の先を見つめた。
「で、帰る足だけど、これは実際に見てもらった方が早いな。行こう」
「あ、ああ」
困惑しているシェンラの背中をポンッと叩き、リュウトは城門をくぐり抜ける。
外は、鳥が飛ぶのにももってこいな陽気の空が広がっていた。