第15話
「シェンラ……さん?」
「お邪魔してもいいか?」
突然の訪問者はそう力強く言った。
その瞳からは、もう逃げることも戸惑うこともせず、真摯に事実と向き合おうという気概にあふれている。
まるで決闘に来たみたいだ、とリュウトは思った。
「あ、あー……まあ、どうぞ」
「ありがとう」
リュウトが入室を許可すると、頭を下げて部屋に入るシェンラ。
そのまま話ができる距離まで近づいて来ようとするが、その進路上にルシィが立ちはだかった。
「……」
「ルシィ?」
無言でシェンラの前に立つルシィ。リュウトが声をかけても何も答えない。
まさか、まだ怒っているのだろうか。
リュウトの目からはその顔が見えないので何とも言えないが、シェンラを睨みつけてでもいるに違いない。
だが、対峙するシェンラも負けてはいない。戸惑うことなく、じっと相手が何か言いだすのを待ち受けている。
数十秒して、鈴のような声が鳴らされた。
「私から申し上げることはただ1つです、シェンラ様」
「……何でしょうか」
「『それ』は苦労なされますよ?」
この言葉には、リュウトもシェンラも首を傾げてしまった。いったい何に苦労するというのか。
その意味を測る前に、言いたいことを言ったらしいルシィはさっさと部屋の出口に向かってしまった。
「では、ごゆっくりと」
優雅なお辞儀と共に、扉は閉められてしまった。
これで部屋の中にはリュウトとシェンラの2人きり。こう言ってしまうとどこか淫靡な状況ではあったが、シェンラの目はそんな雰囲気を微塵も感じさせない、真っ直ぐとした感情に溢れていた。
すなわち『あなたと話がしたい』という思い。
しばらく見つめ合っていると、シェンラがまず口を開いた。
「リュウト殿、まずは私に謝らせていただきたい」
そう前置きをつけ、深々と頭を下げる。
「あのような無礼な物言いをつけてしまい、誠に申し訳ありません。あなたの真意を確かめもせず、これまでの恩も忘れてあなたを疑うような真似をしたこと、重ね重ねお詫びいたします」
「え、えーと……」
まさかいきなり謝られるとは思わなかったリュウトは、戸惑いながらも自分の持っている飲み物に目をつけ、
「……そんなことより、コーヒーでも飲む?」
自分でも奇妙だと思う提案をした。
ルシィの置いていったコーヒーサーバーで2杯分のコーヒーを淹れて、カップの1つをシェンラに差し出す。
最初はためらっていたシェンラだったが、リュウトが手を引っ込めないでいると、おずおずと受け取った。
「味はどうかな」
「……おいしいな」
どちらもブラックのコーヒーだが、ルシィの淹れるものはブラックでも(いや、ブラックだからこそ)かなり美味しい。その証拠に、一口飲ませただけでシェンラの顔を微笑みに変えた。
雰囲気が和らいだのを見計らい、リュウトは言う。
「別にさ、俺はそんなに気にしてないんだって」
「しかし、あれは明らかに私の思い違いで……」
「人と人とが付き合ってたら、誤解なんていくらでもあるって。今謝ってもらったので、もう十分だ。だから、この話はこれで終わり! 口調も普段通りで!」
リュウトが笑いながら諭すと、観念したらしいシェンラは「ありがとう」と呟き、ようやく微笑みを浮かべた。
「君はコーヒーが好きなんだな。いつも飲んでいる」
「まあ、やっぱり頭がすっきりするからねえ」
「……これもまた、君について知っていることの1つ、か」
「ん?」
「いや、独り言だ、すまない」
苦笑いを浮かべてカップを傾けるシェンラ。頬にかかった赤い髪をとりはらい、じっとコーヒーの水面をのぞき込んでいる。
彼女は今までになくリラックスしているように見えた。これまでのような戸惑いも、困惑もない。ただあるがままを受け入れようとしている素直さが彼女の顔に表れている。
こんな表情ができたのかと、リュウトは驚く。今日のシェンラは、人間的にも女性的にも魅力的だった。
と、ふとシェンラとリュウトの目が合った。
「リュウト殿」「シェンラさん」
思わずお互いの名前を呼び合う。
ほぼ同時に名前を口にしたことに2人とも驚き、どちらともなく笑い声があがった。
「そろそろ、お互いに約束通りの呼び方をしないか?」
シェンラがそう提案すると、リュウトも「だな」と頷いた。
「俺はまだ慣れないんだけど……」
「私にだけ呼び捨てにさせるつもりか?」
「ん、そんなことないって……シェンラ」
「ああ、ありがとう、リュウ」
これでぎくしゃくしていた関係も元通りか。リュウトはそう思って安堵する。
が、相手は元通りで終わらせるつもりはなかったようだ。
「リュウ、お願いがあるんだ」
今までになく真剣な表情で話を切り出すシェンラ。
リュウトは、カップをテーブルに置いて、どうぞと手で示す。すると彼女は一語一語に力を込めて、言った。
「君のことを、教えて欲しい」
「……俺のこと?」
「ああ。君の過去でも現代でも、なんでもいい。何故聞きたいかと問われれば、色々な理由がある。好奇心もあれば、疑問に答えてほしくもある……だが、それ以上に私は君と同じ目線に立ってみたい」
シェンラは椅子から腰を上げ、窓の縁に腰掛けていたリュウトの前に立つ。
ちょうど、彼女と目の高さが一緒になっていた。
「同じ世界を見て、その考えを知れば、君との距離が縮まるんじゃないかと……そう思うんだ」
あくまで真っ直ぐなその瞳。
「勝手なお願いかもしれないが、頼む。教えてくれ。君が教えていいと思う範囲でいいから」
「そうは言っても……」
「本当になんでもいいんだ。生まれた場所のことでも、戦争中の武勇伝でも、ルシィ殿との思い出でもいい」
リュウトは頭をポリポリと掻いた。
これはもう誤魔化したりすることはできないな、と思った。彼女は真摯に自分のことを知ろうとしてくれている。それを裏切るような真似はできない。
ならば何から話すべきか……ルシィとの思い出話なんて話していたら、どんな破天荒な内容になるか分かったものじゃない。
(……ん?)
と、リュウトは気付いた。今まで扉の外にいたはずのルシィの気配がなくなっていることに。
どこか別の場所に移動したのだろうか。てっきり、話が終わるまで外で待機していると思っていたのだが……
不思議に思っていると、こちらの答えを待ちきれないらしいシェンラがさらに言葉を続ける。
「思いつかないのなら、私の質問に答えてくれるだけでもいい。例えば……君は旅をしていると言っていたな? それはどうしてなんだ? 平和な世の中を見て回りたいとか、そういうことなのか?」
この問いに、リュウトの頬がぴくりと動いた。
話すべきことが決まった瞬間だった。
リュウトはコーヒーを一口飲み、シェンラの方を向いた。
「じゃあ、話してみるけど、なるべく信じてくれるか?」
「ああ、もちろんだ」
「分かった……まず、旅してるって言っても、あてもなく放浪してるわけじゃない。一応自分の家も持ってるし。だから、色々な場所を飛び回ってるっていう方が正確だな」
「……そうなのか? どうして?」
「それは依頼を受けたからっていうのもあるし、その国の情勢が不安定だと判明したからなのもある。今回みたいに、偶然立ち寄ることだってある」
この説明に首を傾げるシェンラ。
「依頼?……君の仕事は、傭兵なのか?」
「俺はお金で人が殺せるほど割り切ってないよ」
「じゃあ、いったい?」
「シェンラは、今の世界が平和だと思うか?」
突然の質問に意表を突かれたらしいシェンラは、怪訝そうな顔をしながらも、なんとか答える。
「あ、ああ……君のような英雄たちが神と魔王の軍を追い払ったからこそ、今は歴史上、もっとも平和ではないのか?」
「確かに、あの戦争の最中と比べればそうだ。天使に街を支配されることも、魔物に人が殺されることもなくなった。大きな戦争行動が行われることもない。
けど、それが平和かというと、そうじゃない。今はただの【戦間期】――えー、『戦争の中間期』だと俺は思ってる」
リュウトは慌てて言い直す。追わず口に出した前者の言葉は、相手にまったく聞き取れないものだろうから、ここの人間にも分かる言葉に言い換えたのだ。ただし、意味がきちんと通っているかは少し自信がなかった。
「戦争の中間期……?」と、やはりシェンラが聞き返す。
リュウトは言葉を選び、なんとか説明しようと工面する。
「えーとだな……戦争と戦争の間にある時代のこと。とても平穏だけど、それが永遠に続くわけじゃない」
「いや……待ってくれ。なら、これから大きな戦争が起きると、君はそう言いたいわけか?」
「このままだと確実に起きる。今のこの世界はあまりにも不安定すぎるから」
神魔戦争で、人は神や魔王の支配を拒んだ。それは、人間より遙か上の存在の『導き』を離れて、自分の足で歩き出すことを選んだに等しい。
だが、歩くことを知ったばかりでは、小石ひとつで転んでしまう。
「大陸によって社会体制が違いすぎるせいで、軍事的にも政治的にも経済的にも色々な摩擦が出てきてる。例えば、一方では資本の流動化が加速していて、もう一方では大規模な計画経済が組まれてるっていうような、そんな体制の違いが摩擦になる。戦争で一致団結していた仲間だったからって、ずっと仲良くできる保証もない。
それぞれの国の中でも、社会法や人権利に関する概念が希薄なせいで、地域間の差別とか、固定化された社会階層間の格差だとかが広がってる。
そういった格差や摩擦は衝突を生んで、いつか大きな火種になる。それにだ」
とんっと、リュウトは自分の胸を拳で叩いた。
「神や魔王がいなくなったからか、皆の心の中が徐々に変わっていってる。あの宰相がいい例だ。自分の欲望や野心を成し遂げるために、手段を選ばない。ああいう私中心的な人は、どうやったって周囲との軋轢を生む……シェンラ?」
ここまで一気に喋りたくって、気付いた。シェンラがぽかんとした顔をしたまま、動きを止めてしまっていたのだ。
まさか、また間違った言葉を使ってしまったのかとリュウトは心配になってきた。小難しい話になると、どうしても適切な言葉が使えず、話し方が拙くなってしまうのは自分の欠点だが……
もしかすると【自己中心的】を『私中心的』と言ったのは間違いだったかもしれない。
そう思い、何かほかにいい言葉がないかと探していると、シェンラがはっと目を見開いて「す、すまない」と慌てた様子を見せた。
「少し、驚いたんだ。急に饒舌になったから……」
「あ……ご、ごめん。夢中になってた。あんまりこういう話を聞いてくれる人がいないから調子に乗って……分かりにくかったよな?」
「いや、そんなことはないんだが……すまない。私はそういう方面の学がないので、すべてを理解しているというわけでは」
「いや、こっちの説明も悪かった。どうも俺は説明下手で……つまり、戦争のきっかけなんてそこかしこに転がってるってこと。なのに今が平和だなんて、言えるはずがない」
この説明を聞いて、シェンラは少し考え込み、「では」と切り返す。
「君が色々な国を訪れるのは、そういった火種を消すためなのか? 確かに君ほどの実力があれば、障害など簡単に取り除けるだろうが……」
「ところが物事はそんなに簡単じゃない」
リュウトの声のトーンが落ちる。
「武力だけで皆を幸せにすることなんかできはしないんだ。いくら俺にこんな力があっても、社会構造を変えたりはできない。壊すことはできても」
「……では、どうやって平和にするというんだ?」
「それがとっても難しい。色々と方法は出されてるんだけど……例えば」
ここでリュウトは、ルシィが持ってきた荷物の内、彼の私物が入っている鞄を開けた。大きなリュックサックのような布袋だ。
そしてそこから1冊のメモ帳を取り出した。紐で製本された、簡単な構造のメモ帳。それを広げたリュウトは、「見てくれ」と告げて、彼女の前に差し出した。
そこには以下のようなことが書いてある。
『――第1条項、将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。第2条項、独立しているいかなる国家も、継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない――』
「な、なんだ? いったい何の文章だ?」
「永遠平和のための条約。世界が平和になるためには、どんな約束事が必要かが書いてある。常備軍の廃止とか、戦争国債の発行制限とか……すごく良い考えばっかりだ」
ぱんっとメモ帳を閉じるリュウト。
シェンラはわけがわからないといった顔をしている。
「君が考えたのか?」
「いや、イマヌエルさんって人が考えた。それを、俺が翻訳して写しただけ。参考になるから」
リュウトは少し寂しげな笑みを浮かべて、続ける。
「こんなすごい考えを生み出せる人がいる世界からも、戦争はなくなってない」
窓から空を見上げる。
空の向こう側、星の向こう側、この世界の向こう側にあるものに深い郷愁を抱きながら。
「世界が平和になる方法なんて、俺にだって完全に分かってるわけじゃない。本を読んでいくら勉強しても、致命的な間違いだとか、論理的におかしい点を修正できるぐらいで、平和への具体的な道は見つけられない」
振り返り、シェンラと目を合わせる。
彼女はじっと自分の話を聞いてくれていた。それがとても嬉しいことだった。
「だから、皆にもそれを考えてほしい」
言い切り、リュウトは自分の拳を見つめる。
「そのための土台を作るために、俺は『平穏を保ち続けるための行動』ってやつをしてる」
「……平穏を保ち続ける?」
「社会が安定してないと、どうすれば自分の住む国をより良くしようなんて考える暇はないだろ? 昨日までのアルトレ王国がそうだったようにさ」
「……あ、ああ、そうだな。皆、自分の生活を守るので精一杯だった」
「だから俺は、皆が平和について考えられるような土台作り――つまり、社会が安定する手伝いをしてる。ただし中立・不介入が原則……明らかな逸脱行為は是正するけど、それがないなら武力に訴えたりはしない」
今回の事案でも、もしカンドル宰相が正式の手続きを踏んで権力を手にしていたのなら、離宮を襲撃するような行動には出なかった。
その場合は、こちらも正式に王へ意見を陳情し、宰相の圧政が改善されるように根回しする。決して、その国の権利を侵すようなことはしない。
いわゆる【PKO】の真似事だ。
「中立・不介入……」
シェンラは聞いた言葉を繰り返して呟いている。彼女が一生懸命理解しようとしてくれていることが分かり、リュウトは邪魔をしないよう、黙って待ち続けた。
しばらくして、シェンラが問いかける。
「もしや、今回君が、この国に自分の影響力を残そうとしていないのも、その『平穏を保つための行動』とやらに関係しているのか?」
「おっ、気付いてたのか。そういうこと。今回は、国が安定するためにどうすればいいかを助言させてもらった。今この国は、あの男のせいで一部の人間に富が集まりすぎてる。周辺国に不穏な動きもないのに軍事費を増強しすぎてることも国力を疲弊させてる要因だ。
そういうのを是正して、まずは経済と生活を元に戻すことが先決。その後は……一極集中してる権力を分散させたらどうかって、提案してみた」
ただ、権力の分散に関しては、今日のゲルマの演説で話に上らなかったので、王宮内での論争の種になっているのかもしれない。やはり長く王政を続けていると、そのような改革にはどうしても踏み切れないのだろう。
だが、王政を続けることもまた1つの道だ。もしアルトレ国が王政を前提にした改革を求めるのなら、こちらも一生懸命、王政における安定を考えさせてもらう。かつ、権力分散のメリットも説明するが。
「こんな風に助言を求められればそれに答えるし、選択肢を色々と提示することはあるけど、それを実際に選ぶのはその国の人だ。俺がなんやかんやと指示を出したり、強制したりはしない。俺が表立って動くこともしない。あくまで、その国の人が自分の足で歩かなきゃだから」
実際にはそんなに上手くいかないが、とリュウトは心の中で反駁する。
そのような志は確かに持っている。だが、それが現実的にうまくいくかというと、そうもいかない。時にはこの考えが理解されずに、強大な力を危険視されることもある。力を利用されることもある。どうしても武力に頼らなくてはいけない場面もある。
正直に言えば、手探りで進んでいるような状況だ。そもそも自分1人でどれだけのことがやれるのか、という根本的な問題だってある。
だが、とリュウトは拳を強く握る。進むことをやめてはならない。それは己の志に背き、自分に期待している者を裏切り、そしてあの約束を反故することにもなる。
いくら辛くとも、自分が走っていなければ、本気で人に走れと励ませやしない。
ふぅ、と拳を解き、最後のまとめに入る。
「……とまあ、俺がやってるのはこんなこと。なかなか馴染みのない考えかもしれないけど」
「……」
難しい顔をしたままのシェンラを、リュウトは心配そうに見つめる。
自分の考えの全てが肯定されるなんて思ってはいない……かつての仲間ですら、理解してくれないこともあったのだ。
だが、少しでも理解してくれるのなら嬉しかった。
「平穏を保つため、か……」
「シェンラ?」
「リュウ、いや、リュウト殿」
突然名前を呼ばれて、リュウトは身を固くした。本人がやめようと言いながらあえて使ったらしい敬称表現には、彼女の強い意志が感じられた。
「しぇ、シェンラ?」
「……」
いきなりその場で膝をついたシェンラは、腰につけていた剣を外し、その柄の部分をリュウトに向けて差し出した。
これは、とリュウトはその行動の意味を解して、がんと頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
己の剣を他人に抜いてもらうという行為……それは、騎士としての自分の全てを、相手の意志の下に預けるという意味。
「あのような暴言を放ったこの身で、このようなお願いをさせていただくこと、はなはだ無礼であることは承知しております。しかし、どうか私に一葉の言の葉を奏することを許していただきたい」
口上が始まる。仕える相手に捧げられるはずの、尊い決意のこもった言葉が並べられる。
「あなた様のお言葉、ご見識を聞かせていただき、私は強く感服いたしました。今思えば、私が見てきたあなた様の行動は、全てその高い志に基づいたものであると思えてなりません」
「え、いや、そんな大層なことじゃ……」
「私はこれまで、己の仕えるべき主とはどのようなお人なのか、そのような相手は見つかるのかと常に迷い、苦悩していました。もちろん、アルトレ王は尊敬すべきお方ですし、ゲルマ騎士団長は私の親代わりでもありました。彼らの下にいたこと、何ら後悔してはおりません」
さらけ出される彼女の心情を、リュウトは驚きながらも聞き続けた。
今この瞬間は、彼女にとって最も大事なものなのだ。おちゃらけた調子で聞くわけにはいかなかった。
シェンラはさらに続ける。
「ですが、これほどに心の底からお仕えしたいと思った相手はおりません。あなた様は、己の考えを他人に押し付けるような真似をせず、多くの人と共に最善とは何かを考えようとしています。常人には到底見いだせないその卓見、他者の意志を受け止めることのできる器の大きさ、志の強さを私は感じました。
そして私も……できるならそう在りたい。あなた様と共に平和を考えたい。その志が示す道を共に行きたい。私はそう強く願っております」
そう言って、改めて剣の柄が差し出された。
「ご迷惑でなければ、どうかこの剣を預かっていただき、忠誠を誓わせていただきたい」
「シェンラ……」
「どうか……」
それから、シェンラは待つ態勢に入った。言葉を1つも発することなく、じっと剣を差し出したままでいる。
頭からつま先まで、ぴんと張りつめられた身体からは、彼女の緊張がうかがえた。
リュウトは、そんな彼女の剣に手をかけることをためらった。
「俺を、信じてくれるのか?」
「もちろん」
「……普通の人なら言わないこととか、いっぱいあったのに?」
「私はそこに未来を見い出しました」
「……」
迷いはあった。こんな真っ直ぐな女性の人生を、この手で変えてしまっていいのかと。
仲良くなりたいとは思った。こんな純粋な人はこれまでそうそういなかったし、女性としての魅力だって感じている。
(……いやいや、そんな邪な感情は横に置いといて、だ)
そもそも彼女に自分の素性を話さなかったのは、こんな風に頭を下げられたくなかったからだった。
英雄だからと頭を下げられれば、相手の顔は下を向いたままになって、何も見えなくなってしまう――その人の心も。
それでは、人と仲良くなることなんてできない。色々な人と出会い、その心と考えを知って自分のものと比べ、より最善を目指すということもできなくなる。
そして相手もこちらの言葉だけを鵜呑みにし、自分で判断することをしなくなる。
崇め奉られることは独我を生む。だから必要性がない限り、名は出さない。
もし素性を知られれば、よそよそしい態度を取られてしまうと恐れていた。
だが、実際に知られた今となってはどうか?
シェンラは確かに、最初戸惑っていた。誤解もされた。けれど、その後はこうしてここに来て話を聞いてくれた。彼女自身の思いと判断も吐露してくれた。
跪いていてはいようとも、シェンラの顔はかすかに上がり、その瞳がこちらを直視している。
きちんと彼女の心が見えている。
この人は、相手が英雄だから仕えたいと言っているわけじゃない。相手の信念と夢を知ったからこそ、共に在りたいと言っているのだ。
(そして、俺も同じ思い……か)
心を決めたリュウトは、手を伸ばし、握り、引っ張る。
抜き身の剣を掲げ、その刃の部分をシェンラの肩に置いた。
「……この剣、確かに預かった」
「ありがたき幸せ……」
刃が滑る音と共に、剣が鞘に納められた。
これで儀式は終わった。
剣を腰に戻したシェンラが立ち上がる。
「ありがとう」
「本当によかったんだな?」
「もちろんだ。後悔などしない。これが私の進む道だ……あ、話し方、変えるべきか?」
「いや、それでいいよ」
「そうか……」
満ち足りた顔をしている女性を見ていると、なんだか嬉しくなってしまう。
と、ここで思い出す。もう彼女になら話してもいいだろう。
「シェンラ」
「ん?」
「記念に、俺の名前と出身を教えとく」
「なんだ? 名前ならリュウトでは」
「俺の名前は坂上流人。出身は、この世界とは別の世界にある島国ニホン。3,4年前、どういうわけかこの世界に迷い込んだ、まあ、異世界の人間ってやつだ」
ああ、驚いてる驚いてる。
口をぽかんと開けているシェンラの様を見て、リュウトはくくっと笑う。これを言って驚かない人はあまりいないのだ。ただ、本当に信用できる人にしか話さないが。
「い、異世界? では、天使や悪魔のような……?」
「そういうのとはまた違う、と思う。だって天使とか悪魔とは違って、あっちの世界での俺は本当に普通の人間だったからさ……まあ、なぜかこの世界に来たら、馬鹿みたいに強くなっちゃったけど……これも信じてくれるか?」
「分かった、信じよう。サカガミ・リュウト殿」
今度はリュウトが驚く番だった。さすがにこれは信じてくれないと思っていたのに、シェンラは間髪入れずに肯定してくれたのだ。
戸惑っていると、彼女は当然だという顔をする。
「言っただろう、私は君を信じると。盲目的になる気はないが、君が冗談を言っているかいないかぐらい、見分けられるようになるつもりだ」
リュウトは頭を抱えた。
「弱ったな……嘘をつけない人がまた1人増えたみたいだ」
「それはご主人様の御心をお察しできる人が増えたということであり、大変よろしいことかと思われますが」
突然割り込んできた声。リュウトとシェンラは勢いよく扉へと視線を向ける。
美麗な姿勢で立っているのは、やはり銀髪メイドだった。
「る、ルシィ?」
「……まあ、やはりこうなりましたか。シェンラ様がご主人様に惹かれていることぐらい分かっていましたが、こうも簡単にとは」
いつ扉を開けたのだろうか、ルシィは背筋を伸ばしたまま、足音も立てずにリュウトとシェンラの間に立つ。
そしてリュウトにはため息を、シェンラには微かな笑みを向けた。
「しかしシェンラ様。ご主人様をお選びになるのは苦労なされますよ?」
「苦労……ん? もしや、最初にルシィ殿が言っていた『苦労する』というのは、そういう意味だったのですか?」
ああ、そうかとリュウトも納得する。自分に仕えることは苦労するという意味だったようだ。
しかし、自分たちのその予想すらも間違っていることが、ルシィの次の発言で分かった。
「ええ。ご主人様の伴侶になりたがっている方はたくさんいらっしゃいますので、たいそう苦労なされるかと……一夫多妻になることぐらいは覚悟していただかなければ」
「はははは伴侶!」
爆弾発言とはこのことか。
瞬時に顔を赤くしたシェンラが、首をぶんぶんと横に振った。
「わ、私は自分の剣を預けたいと思っているだけで、そんなたいそれたことは!」
「己の全存在を相手に預ける。伴侶とそう変わりないのでは?」
「こら、ルシィ!」
これ以上場をかき乱されてはたまらず、ルシィに対して鶴の一声を与える。
お叱りを受けたメイドは軽く頭を下げる。が、彼女がこの状況を楽しんでいるのは明らかだった。
リュウトはため息をつく。本当にこのメイドは、いろいろと破廉恥極まりない。
だいたい、ルシィはシェンラに対して怒っていたのではなかったのか? どうして歓迎するような態度を示してるのか。
疑問に思っていると、ルシィがさらに進言してくる。
「それでは、ご主人様。シェンラ様共々、家にお戻りになるということで、よろしいですか?」
「は?」
奇妙なことを言うメイドに、リュウトはますます首を傾げる
「いやいや、シェンラが俺と一緒に来るわけないだろ。なあ?」
「あ、ああ。私はもう近衛隊隊長だ。この国を離れるようなことはできない……私がどう思おうと、責任というものがあるからな」
忠誠を誓ったからと言って、常に主人と共にいるということにはならない。時には離れた場所で、同じ志の下それぞれ頑張る、という関係だってある
あの儀式はつまり、お互いが相手に対して最大の理解と共感を示したのを確認したようなものだ。
全員が全員、ルシィのように常に付き従うというわけではない……このメイドはそれがよく分かっていないようで、不思議そうに、それでいて可愛らしく首を傾げる。
「そうなのですか? しかし、惹かれ合う2人はそう簡単に離れられるものではないと、以前読んだ小説にもありましたが」
「ははは、そう上手くいくもんでもないって」
「ああ、そうだな……」
リュウトは笑って、シェンラは少しトーンの落ちた声で、ルシィの戯言を否定するのであった。
※
だが、それが戯言などではなかったことを、シェンラとリュウトは翌朝、思い知ることとなる。
「シェンラ・ミルウェイ近衛隊隊長に辞令を発す。貴殿は『流舞武人』リュウト殿に付き従い、よくよく世界各国の情報を集めると共に、見聞を広めつつ、私見等をまとめたものを随時本国へと送付するべきことを、アルトレ国王の名の下に命ずる」
アルトレ王の横に立つゲルマが、ようようと読み上げたその辞令に対し、
「……はい?」
シェンラはここ最近で何度発したか分からない呆け声を漏らすのであった。