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第12話

 『流舞武人』――個性溢れる英傑五星の中でも、この人物はひときわ変わり種だった。


 何しろ、現代の戦闘において最も中心的な武器である『魔法』を使えないという、戦士として致命的な欠点を持っているのだ。

 これは人間相手の戦いならまだしも、天使や悪魔相手となるとかなり深刻な問題だ。魔法を使える者と使えない者との間には、途方もない差が存在する。『魔術3倍力』――剣術のみを使う剣士が魔法使いに勝つには、3倍以上の実力が必要だという言葉があるぐらいだ。

 

 だというのに『流舞武人』は他の英雄たちと肩を並べて神魔戦争を戦い抜き、世界を救う偉業を成し遂げている。

 

 さらには、

 

『山が吹き飛ぶほどの爆発魔法を受けても傷ひとつなかった』

『5人の天使を右手だけで5秒で倒した。ちなみに左手はその間に5人の悪魔を倒している』

『神の武器を素手でぶっ壊し、その破片を食べてしまった』

『山火事を拳圧で消してしまった』


 というような、眉唾物とも言える『英雄譚』にも事欠かない豪傑だ。

 本名は不明。経歴も不明。性格は穏やかで冷静沈着、武力だけでなく戦術眼も持ち合わせており、神魔戦争の際には見事な策を披露した、とも言われている。

 もちろん戦闘能力は勇者たちの中でも随一。魔法を使わない戦闘ならば『絶対勇者』とも拮抗する実力を持ち、流れるようなその身のこなしは洗練された舞いを連想させるという。

 外見は正確なところまで知られていないが、一般の人々が想像するその姿は大抵一致している。


『何十年もの』修行を積んできた『壮年の男性』であり、『筋肉の鎧』を身にまとった、『身長2メートル』を越える『大男』だ。



 だが、今シェンラの目の前にいる男は明らかに、


(リュウが……『流舞武人』?)


 そんなイメージからかけ離れていた。


「まさかあなた様がこの国にいらっしゃるとは……何のお構いもできないどころか、国の危機に巻き込んでしまって申し訳ない……」


 ひざまずいたままのアルトレ王は、まだリュウに対しての感謝の儀礼をやめていなかった。

 身体が弱っているのにそんなことをしては、と周りが心配している中、リュウが王の手を取り、「お立ちください」と声をかけた。


「俺は偶然ここに来ただけですし、今回の事案には自分から参加しています。お気になさらず。それよりも、アルトレ王のお身体がご無事で何よりでした」

「ありがたいお言葉です。あなた様は相も変わらずお優しい……後ろにいらっしゃるのは『時天使』様ですな? おひさしゅうございます」


 声をかけられた銀髪メイドのルシィは、ぺこりとお辞儀だけを返した。


 シェンラは、王が口にした名前にまた驚く。

 『時天使』。それは英傑五星たちには及ばぬものの、神魔戦争で名を馳せた『人の陣営』の勇士の1人だ。元々は神に仕える上級天使でありながら、勇者たちに敗北したことで改心し、人間の味方をするようになったという。

 このメイドが、その『時天使』。耳を疑った。ただ者ではないと思っていたが、あまりにも想像の範疇を越えている。

 それに天使はおしなべて金髪金眼であり、背中に翼を持っているのではなかったのか。ルシィは銀髪銀眼。天使の面影などない。


「今度のお礼として、私は何をさしあげればよろしいか……見当もつきませぬ」

「いえいえ、そんな。何も用意していただかなくて結構。それよりも国を建てなおしてください」

「それはもう」


 リュウとアルトレ王が話しているのを、シェンラは呆然と見つめていた。

 次々と明らかになっていく事実に頭がついていかない。まるで夢を見ているかのように、身体がふわふわしている。


「シェンラ? どうした?」


 そんな彼女の戸惑いに気付いたのか、アルトレ王が直に声をかけてきた。

 シェンラはどう答えたらいいものかと、しどろもどろになりながら、言葉を絞り出す。


「いや、その……」

「どうした、はっきり言ってみろ」

「ほ、本当にこの方が『流舞武人』殿なのですか? まさかそんな……」


 王と対等以上の立場で話をしているリュウ。『流舞武人』なのか? 本当に? 何かの冗談ではないのか?

 恐る恐る、リュウを一瞥する。


 するとちょうど彼もこちらを見ていた。

 目が合いそうになり、シェンラは慌てて視線を逸らす。


 一瞬だけ見えた顔が、瞼の裏に残った。

 彼は、とても困ったような笑顔を浮かべていた。


「ふむ」


 アルトレ王が静かに頷いた。


「そうか。シェンラは神魔戦争でもこの国に残ったままだったなあ」

「はい……」


 シェンラは生まれてこの方、アルトレ王国から外に出たことがない。神魔戦争で駆り出されたのは主に騎士団だけであり、自分は近衛隊の騎士として、ずっとこの国と街を守ってきた。

 一方でアルトレ王は『人の陣営』の会議に出席したことがあり、ゲルマ騎士団もずっと前線で戦い続けていた。彼らがリュウの正体を知っていて当然、ということか。

 アルトレ王がくくっと笑った。


「ということは、お前は知らずにこのお方の力をお借りしていたわけかの」

「も、申し訳ありません。まさかそのようなお方とは露知らず」

「謝ることはない。このお方の力を見抜いて助力を乞うたのだろう? それはお前の目が確かだったということだ」


 違う。リュウの方から力を貸してくれたのだ。自分は彼の言葉に突き動かされただけ。

 そう言いたくとも、王に真っ向から反論するような気力など、今のシェンラにはなかった。


 アルトレ王はまたリュウの方へと向き直る。


「それでは、リュウト様」


 リュウト?

 ああ、そうか。それが彼の本当の名前だったのか。

 最初から本名だとは思っていなかったが、最後の1音だけを抜いたものが偽名だったとは、なんとも適当だ。彼らしい。


「はい」


 『流舞武人』は落ち着いた様子で返事をする。


「とりあえず今は挨拶だけということで……また後日改めてお礼をいたします。それと、できる限りこの国に留まっていただければ、我々としましてもこれからの国難を乗り切れるというもので」

「いえ、俺もそう長く、ここに留まるつもりはありませんから」

「そうなのですか? それは残念……ですが何かご希望がありましたら、何なりとお申し付けください」

「……では、1つだけ、よろしいですか?」


 『流舞武人』リュウトは、これまでの温和な表情から一転、きりりと頬を引き締めて言った。


「地下牢に投獄されている宰相殿とお話をさせていただきたい」





 『流舞武人』殿が所望したのは、今回の政変の首謀者であるカンドル・エルンツィオとの面会だった。

 どうしてそんなことを、とアルトレ王もゲルマも不思議に思っていたが、伝説の英雄が希望しているとあっては断ることもできず、「護衛をつける」「時間は短く」という条件の下、面会は許可された。

 さらに、王が2、3日の時間を置いてと提案するも、『流舞武人』がさっそく面会したいと、少々強引なまでに申し出たため、急きょ地下牢への訪問の準備がされた。


 彼にいったいどういう思惑があるのか。シェンラにはてんで分からなかった。

 しかし分からなくとも、彼についていかなくてはならなかった。護衛および案内人として、シェンラとゲルマが彼の横につくことになったからだ。もちろんメイドのルシィも一緒で、王の寝室を出た彼ら4人は、一路王宮の地下へと向かう。


「……」


 灰色の石で造られた螺旋階段を、こつこつこつと下りていく。シェンラが先頭。その後ろを『流舞武人』、ルシィ、ゲルマとついていく。

 一言も言葉を交わさず、全員が淡々と階段を下りていた。


「……えらく深いところに牢屋があるんだな」


 この重たい雰囲気をなんとかしようと思ったのか、シェンラの後ろで『流舞武人』が小さく呟いた。

 英雄の言葉を無視するわけにもいかないので、シェンラは「はい」と振り返らないまま相槌を打つ。


「元は王族が身内の不祥事を隠すために造られたので、世間の目から隠すという意味でも深い地下にあるようです」

「そうか……ところで、シェンラ、さん」


 たどたどしい口調で名前を呼ばれ、シェンラはびくりと身体を震わせた。

 しかし表面上は平静を保ち、「はい?」と声だけで返事をする。


「……いや、何でもない」


 『流舞武人』はそれ以上何も言ってこなかった。


 彼の声色がどこか悲しそうな、寂しそうな調子であることに、シェンラは気付いていた。

 だが、気付いていてもなお、彼に対して取るこの他人行儀な応対を改めることができなかった。どうしても『英雄』に対して取るべき、敬意と畏怖のこもった態度――言葉を変えれば非常によそよそしい態度になってしまう。


 何故か。答えはシェンラ自身も自覚していた。


 もはや、彼とどのような顔をして、どんな言葉を選んで会話をすればいいのか見当もつかないのだ。

 今日の朝までは何の気兼ねもなく話すことができていたのに、今はそれができない。彼のだらけた生活態度を諌めるだとか、突拍子もない提案に呆れるだとか、そういう近しい距離を取ることができない。


 『流舞武人』。その名はあまりにも偉大であり、住む世界が違いすぎる。あらゆる国、あらゆる人間から尊敬されるべき英雄であるからこそ、まさか、そこらにいる女騎士が近づくような真似はできなかった。


 王宮に来るまでは、リュウのことを知って、彼に近づきたいと思っていた。

 しかし、実際に知ってしまうと、逆に彼が遠くなった。

 

 もう、彼の目をまともに見ることすらできない。


「あなたに頂いた手紙のおかげで、なんとか混乱を起こすことなく、事態を治めることができました。感謝していますよ」

「いえ……あれはなんてことない助言でしかありません」


 後ろでゲルマと『流舞武人』が話し込んでいるのが聞こえる。さすがの騎士団長も、英雄が目の前にいるとあっては興奮するようで、いつになく饒舌だ。


「あなたが戦場で舞われていた姿、私も見たことがありましてな。その時、私はまだ騎士団長になり立てで……人間でもあれほど戦えると勇気づけられたものです」

「ははは、あー、ありがとうございます」


 乾いた笑い声だ。彼の元気がなくなっているような、そんな気がした。


(まさか、私があんな態度を取ったから……?)


 そんなはずがない。英雄が、そんなことを気にするはずがない。

 シェンラは1人そう結論づけて目をつむり、何も考えないようにしながら目的地へと急いだ。







 宰相――いや、元宰相が収監されている特別牢獄は、王宮の地下にありながらとても広いスペースを持つ。貴族、騎士、王族といった身分の人間が罪を犯すと、この専用の牢獄に収監される決まりとなっており、一般の牢獄とは色々な面で違っていた。

 まず、罪人の住む部屋にしてはとても広く、豪華だ。魔法石のランプで明るく照らされた部屋にはベッド、テーブル、小物箪笥が備え付けられ、人が20人入ってもまだ余裕がある広さを持つ。部屋の一画には壁で囲われ外から見られないようにされた便所があり、そして日にきちんと3度食事が出てくるという、いたせり尽くせりの待遇だ。

 だが、檻であることに変わりはなく、鉄格子で覆われ、看守に監視され続ければ、そういった扱いに慣れていない貴族たちは一様にして精神衰弱を起こす。罪人を牢の中で発狂させるような真似を好まぬアルトレ王が、渋々貴族向けにこのような設備をしているのも、仕方ないのかもしれない。


「彼は一番奥の牢屋です」


 看守に促され、シェンラたちは一番奥の部屋の前に立つ。

 魔法石のランプの光に照らされたその先。

 薄暗い牢屋の中に、ぼろ布の囚人服を着てベッドに腰掛け俯いている、元宰相のカンドルの姿があった。


「カンドル・エルンツィオ、面会だ」


 ゲルマがそう呼びかけると、彼はゆっくりと顔をあげた。

 

「……面会? 誰が何の用だ今更」


 その瞳はランプの光を吸い込むかのように暗く濁っていた。目が合うだけで思わず身震いしてしまうほどの、深い憎しみ。それが込められた視線が、ゲルマとシェンラを射抜く。


「ふん、お前たちか……私のことを笑いに来たか? それにそっちの奴は」


 カンドルの顔が驚きにはじけた。


「まさか!……『流舞武人』か!?」


 宰相として王の補佐をしていたこともあり、彼もまた英雄の顔を知っていたようだ。

 カンドルは物凄い形相で立ち上がって鉄格子の傍に寄ると、何度も確かめるように『流舞武人』の顔を眺める。 


「本物……本物か! 何故英傑五星の1人がここにいる!? いや、待て、フリードが報告していた、シェンラと一緒にいたという男は……!」


 彼の中で様々な歯車が合致しているのだろう。

 カンドルは一瞬考える素振りを見せた後、鉄格子を勢いよく掴み、ガンっと力任せに引っ張った。


「そうかぁ、そういうことだったのかっ! 道理であまりにも話が急過ぎると思っていたのだ! 今まで大人しかった騎士団が突然動き出したのも、あれだけの実力を持っていたフリードがやられたのも、全部貴様の仕業か!?」

「カンドル! 英傑五星のお1人に向かって、無礼だぞ!」

「無礼? くくくく、くはははは!」


 ゲルマの叱責も空しく、元宰相は癇に障る高笑いを上げた。


「私をこんなところに入れた相手にどんな礼を与えよというのだ? 『牢屋に入れてくれてありがとう』とでも言えと?」

「貴様……!」

「くくくく、得心がいったぞ。さすがに伝説の英雄相手では、私も勝てなかったということか。くくくく」


 1人納得した顔で笑い続けるカンドルは、最後に鉄格子を軽く叩いて離れると、またベッドの上に座った。


「これで何の疑問も持つこともないまま、すっきりと敗者になれるというものだ」


 そう言って、彼はごろりと寝転んでしまった。その背中は、もう話すことはないとでも言っているようだった。


 シェンラは内心煮えたぎる思いを募らせ始めていた。

 この男の口からは、拘束されたから1度も謝罪や悔恨の言葉が出てこない。自分の欲望のままに国を壊し、民を苦しめてきたというのに、それを当然と思っている節がある。

 精神が腐りきっているのだ。こんな最低な男、この国にいても誰のためにもならない。


 いったい、英雄がこんな男に何の用があるというのか。


 シェンラが唇をかみしめて元宰相を睨んでいると、『流舞武人』がゆっくりと1歩前に出た。


「……聞きたいことがあるんだ」


 平坦な調子で声を投げかけるも、カンドルは返事をしない。こちらに背を向けたままだ。

 だが、そんな態度を取られても気にもしていない英雄は、神妙な顔つきで話を始める。


「カンドル・エルンツィオ。あんたは今、国家反逆の罪でここに放り込まれてる。そのことに異論はないだろ? そこでだ」

「……」

「あんたがこんなことをした理由を聞きたい。何か正当な理由があるのなら、俺が聞こう。納得のいくものだったら、俺から王に恩赦を申し出てもいい」


 シェンラは思わず彼の顔を凝視してしまった。

 

 恩赦ーー罪を軽減されるなんて話を、なぜしている?

 この最低な男に対して取られるべきは『死をもって償うこと』のみ。国を揺るがし、民を苦しめたことはそれほどに重いのだ。

 そもそも正当な理由なんてありはしない。カンドルが支配していた頃のことを思い出せばよく分かる。この男は、ただただ他者を虐げ私腹を肥やすことしか行っておらず、それは全て、己の欲望に従った結果だ。


 英雄のありえない話に、シェンラはおろかゲルマすらも訝しげな顔をしている。ルシィだけは変わらぬ無表情。自分の主人の言動に何の疑問も持っていない風だった。


 『流舞武人』が返事を待っていると、

 

「くくくく……くはははは!」


 カンドルが高笑いを再びあげ、身体を横にしたまま転がり、こちらに顔を向けた。


「理由? 英雄の貴様が……今回の勝者である貴様がそんなことを聞いてくるのか? 笑わせてくれる!」


 『流舞武人』は何も答えない。じっと檻の中を見据えている。

 狂ったように高笑いを続けるカンドルは、その視線を受けながらますます弁舌を振るう。


「貴様と同じだよ! 私はこれまで勝ってきただけだ! あらゆる者を打ち負かし、勝者になったことで当然受けるべき報酬をもらってきただけに過ぎない!」


 ベッドから立ち上がり、鉄格子を思い切り掴んで『流舞武人』の顔をのぞき込む暗い瞳。


「英傑五星などと呼ばれ、世界中から一目を置かれている貴様にも分かるはずだ。勝者になったからこそ得られる快感をな!」

「貴様、やめないか!」

「お前とは話していない。私は『流舞武人』殿とお話しているのだよ」 


 ゲルマの制止にも応じず、カンドルは唾を飛ばす勢いで続ける。


「あぁ、『流舞武人』殿。『民衆を苦しめる悪』を倒した後は、貴殿の望むような世の中作りですかな? アルトレ王にどのようなご指示を出された? 王制をやめろ? それとも英雄の名を使って統治せよと?

 この国の人間は、すべからく貴殿の言うことを聞くでしょうな。どうぞ『理想のアルトレ国』を作り、貴殿の理想が形になる快感を貪って頂いて結構。昨日までの私のようにね」


 昨日までの元宰相と同じように……?


 それは、自分の欲望や意志の赴くままに、国や周囲を変えていくということ。権力や武力をもって、他者に言うことを聞かせるということ。

 そんな自分勝手な真似を、『流舞武人』も行うと? 


「馬鹿な話を……! 貴様とは違う! リュウト殿は人を救っておられる!」


 そう、ゲルマの言う通りだ。カンドルと違って、彼は人を救うために行動しているはず。

 だが……とシェンラは心の中に射す疑惑の光に目をくらまされる。


「ふん、そんな些末な問題。私と英雄殿の方針の違いでしかない。根本では私も『流舞武人』殿も、同じなのだよ。この国を、思うがままにしようとしているという点でな」


 『流舞武人』。

 この名前が再びシェンラをぎくりとさせた。


 星のように遠い存在である英傑五星の1人。

 彼が光を照らせば、アルトレ国に明るい未来が訪れる……と、国王もゲルマも思っているのだろう。事実を知らされれば、平民たちも諸手をあげて喜ぶに違いない。

 しかし、彼のことを本当に理解している人間が、果たしてこの国にいるのか?


 少なくとも、とシェンラは己を振り返る。


(少なくとも……私はもう彼を理解できていない……彼がどんな人間で、何をしようとしているのかも!)


 正体を知っていた王とゲルマも、彼とそう親しくしていたわけではないはず。


 だというのに、何故「『流舞武人』はより良い未来を作ってくれる」と信じることができるのか。

 彼が、この国をめちゃくちゃにする可能性だって、あるというのに。


 そう考えていくと、シェンラはもう『流舞武人』に疑いの眼差しを向けることしかできなくなっていた。


「……結局、何が言いたいんだ」


 全く表情の変わらない『流舞武人』。

 その態度から彼を言い負かしているとでも思ったらしいカンドルは、下卑た笑みを浮かべた。


「いえいえ、前任の勝者から後任へちょっとした助言をと。そうですなあ、敵対する者はなるべく早く始末しておくとよいですな。でないと私のようになる」


 まるで仕事の引継ぎのような言葉を吐く元宰相。

 不遜なことに、英雄をからかっているのだ。


「くくく……そうそう、『流舞武人』殿。貴殿は多くの女性を侍らせていましたなあ。神魔戦争中の会議で、何度となくその場面を見させていただきましたよ。

 戦争中だというのに、あれほど異様な光景を私は見たことがありませんでした」


 この言葉にシェンラは目を丸くする。彼がそんな女性を囲うような真似をしているなんて……想像もできない。

 だが、横に立つゲルマが眉をしかめるだけで驚いた様子を見せないので、おそらくこれは本当の話なのだろう。


「お優しい貴殿のことだ、女たちを無理やり従わせるような安直な方法を取らないのでしょうなあ。どうも私は不器用なので、そういう方法に頼らざるを得なかったものですよ」


 カンドルは権力を使って、貧しい街娘を次々に餌食にしていった。

 それと同じだと彼は言いたいのだろう。方法は違っても、女を侍らせていることに変わりはないと。


「くくく……気持ちのいいものだろう? 女たちから慕われ、尊敬されることは? 人格でも武力でも権力でも金でもいい。そういう『灯り』に照らされてすり寄ってくる女を、自分の色に染めることは甘美な酒よりも酔いが回る。その女を自分の好きにできるならば、さらに良い。独占欲が満たされ、優越感に浸れるからな」


 その蛇のような視線に射抜かれ、シェンラは背筋をぞくりと震わせた。

 牢屋の中にいながら、この男は女に欲望を抱いているのだ。醜く、肥え太った欲望を。


 さらにカンドルの視線は銀髪メイドの方へと移る。


「そこの『時天使』も貴殿のお手つきかな? お盛んですなあ。うらやましいことです。

 ただし、そう目立ってしまうと、周りから妬まれますぞ? 気をつけることですな、くくくく」


 なんとも下品な話に耐えきれなくなり、シェンラは目をつむる。


 と、ふと、風が頬を撫でた。

 何かが横を通り過ぎたような、とても鋭い風。


 それに導かれるようにして目を開けて、驚く。


 たなびく膝上スカートのメイド服。


 ルシィが全員の後ろから一瞬で鉄格子の前へと移動していた。


「なっ!」


 笑顔が凍りつくカンドル。

 それに構わず、ルシィは右手をあげ、掌を正面に掲げた。


 魔法だ。シェンラはそう直感した。天使は魔法石なしに魔法を放つことができる。

 何を発動させるかは分からないが、あんな至近距離で魔法を放てば、カンドルが無事で済むはずがない。

 次に飛ぶであろう血飛沫に身構えていると、

 

「やめろ、ルシィ」


 寸前、『流舞武人』の声が飛び、彼女の手が止まった。

 右手を下ろすことなくそのままの態勢で、彼女は主人の言葉に応える。


「しかし、これ以上のご主人様への侮辱は」

「お前が手を下さなくても、こいつはもう長くない。分かってるだろ?」

「……はい」


 しばらく逡巡した後、目を細めて手を引っ込めるルシィ。


「出過ぎた真似をいたしました、お許しを」


 華麗に頭を下げながら、メイドは後ろへと戻っていった。

 皆が突然の出来事に驚いている中、『流舞武人』が鉄格子に近づき、カンドルの顔を真正面から見据えた。


「……カンドル・エルンツィオ。俺から言えるのはただ1つ」


 その声は穏やかで、厳しい。

 彼の心が、なんら狂人の戯言に惑わされていないことを示していた。


「今回の戦いの勝者はあんたじゃない。」

「何を当然のことを」


 気を取り直したカンドルの返答を、「そして」と遮る『流舞武人』。


「俺でもない。ルシィでもない。他国のどんな人間も、勝者じゃない」


 英雄は凛とした顔で言い切った。


「勝者はあんたに反発していたこの国の人間、全員だ」


 それだけを告げると、彼は身をひるがえした。

 そしてシェンラとゲルマに目配せをする。

 帰ろう。彼の眼がそう告げていた。


 歩き出す『流舞武人』。


「待て、それはどういうことだ」


 カンドルが呼びかけても、彼の背中が止まることはない。


「まさか貴様! これだけの手柄をあげておいて、何の報酬も受け取らないというのか!? ありえん!」


 彼の後ろにルシィがついた。さらにその後ろをゲルマがつく。

 ついていこうとしたシェンラだったが、ふと後ろを振り返った。


「何故だ! 貴様は何のために戦った!?」


 檻の中で叫んでいる男。英雄の言葉の意味が分からず、必死になって真意を尋ねようとしている。

 

「待て!」


 ……自分は、こんな男と同じ疑問を抱いている。

 その事実がシェンラの胸に重くのしかかっていた。






 行きと同じく、帰りも皆が無言だった。『流舞武人』がどんどんと螺旋階段を上っていったため、話す暇なんてなかったのだ。

 地上に出て、王宮の廊下の一画に皆が集まると、『流舞武人』が一言。


「宿に戻ります」

「そ、そうですか。では宿までお送りしましょう」


 ゲルマが若干慌て気味に応え、近くにいた兵士に耳打ちをする。おそらく英雄が帰ることを王に報告するよう指示したのだろう。

 兵士が去っていくと、難しい顔をしている『流舞武人』に、ゲルマが恐る恐る話しかける。

 

「その……リュウト殿、あんな男の言うこと、お気になさらぬよう。罪人の戯言ですからな」

「……」

「では、出口はこちらです。どうぞ」


 彼の背中が1歩、また1歩と遠くなっていく。

 このままでは彼が帰ってしまう――そしてもう2度と会うことができないのではないか。

 そんな胸騒ぎに襲われたシェンラは、気が付くと彼の目の前に立ちふさがっていた。


「シェンラ?」


 騎士団長に叱られる前にと、シェンラは胸の内にうごめく疑問を口にする。


「何故、カンドルにあのようなことを聞いたのですか?」


 何も答えない『流舞武人』。


「恩赦など、ありえません。あいつは王と民を苦しめ続けた大悪党。そんな奴を許すなど、今まで虐げられていた者たちが納得するはずがない!」


 外面的な取り繕いを一切せず、感情の赴くままに任せていると、言葉は自然と普段のものになっていく。


「まさか……まさか、カンドルの言う通りなのか? 君はただ自分の思う通りに事が進めばいいと、そう思っているのか? 恩赦などと言ったのは、カンドルに恩を着せることで奴をも自分の崇拝者に仕立て上げて、意のままに操ろうと……そんな、そんな打算的な心が君に……!」

「違う」


 こちらの言葉を遮り、数度かぶりを振った彼は、


「……そういうんじゃないんだ」


 とても悲しそうな顔をしていた。



 少しの間彼と目を合わせていたが、シェンラがその真摯な視線にいたたまれなくなって目をそらすと、彼もそれ以上何も言うことはなく、シェンラの横を通り過ぎていった。

 それをゲルマが慌てて追いかけていくのを横目で見送り、シェンラはその場で俯く。


 信じられないことをしてしまった。自分は今、何を言ったのか。

 英雄に対して詰問するような真似をして、後でゲルマに叱責を受けることは必至。

 だが、聞かずにはいられなかった。自分の中で渦巻く疑問を晴らすためには。


「シェンラ様」


 すぐ近くから声がしたので顔をあげると、目の前に銀髪メイドが立っていた。

 彼女は感情を見せない無表情のまま、じぃとこちらを見つめてくる。分かる。彼女は怒っているのだ。


「あなた様は、ご主人様のことを誤解されています」

「誤解?」

「ご主人様の拳に、正義も悪もありません」


 鈴のような声がさらに降り注ぐ。


「お分かりのはずです……『流舞武人』ではなく、『リュウ』としてのご主人様を見てきたシェンラ様なら、きっと」


(『リュウ』としての彼を……?)


 シェンラがその言葉の意味をはかりかねている内に、ルシィはぺこりとお辞儀をし、その場から立ち去っていった。


「……」


 シェンラは動けなかった。ゲルマたちを追いかけることも、王の元へ戻ることもできず、頭の中で渦巻く思考に翻弄されて立ち尽くすしかなかった。


 メイドの放った言葉は短くとも鋭く、シェンラの心に深く突き刺さっていた。際限なく拡大しようとしていたリュウに対する疑念や不信感が、細々と切り刻まれていくのが実感できる。


 「『リュウ』としてのご主人様を見てきた」なら「きっと分かるはず」……それはつまり、自分は『流舞武人』を、リュウのことをすでに理解できているはずだ、ということ。


 思えば、出会ってから今までに聞いてきた、彼からの数多くの言葉を、自分は鮮明に覚えている。


『俺が何者かは俺自身が知りたい……なんて、ちょっとかっこつけてみたりして』

『そんな感じ。もっと笑ってた方が、雰囲気も明るくなるもんだ』

『まあ、そうやって可能性の低い選択肢を無視しないと、際限なく考えこんで頭がパンクするから、人として当たり前の機能なんだけどね』

『走っている人の背中を押す。それだけだよ』


 そう、今までのことを思い出せば、結論は出ている。

 リュウは信用に足る人物――いや、それ以上の、もっと……


「ははっ……」


 シェンラはついさっきまでの自分を笑い飛ばしたくなった。

 彼のことを知ったら彼が遠くなったと思ったのは、完全な間違い。本当は自分が悪いのだ。『流舞武人』というただの名前に圧倒されてしまい、こちらから彼を遠ざけてしまったのだ。その結果リュウという人間を見失っていた。

 馬鹿で愚かな人間だ、天使メイドに怒られるのも無理はない。


 シェンラは自分の両頬を思いっきり叩いて、気合を入れた。

 戸惑いから疑念へと、疑念から確信へと自分の心が変わっていくのが分かる。

 もう名前に惑わされはしない。


 シェンラはこれからやるべきことを再確認する。

 まずは王宮での仕事を終わらせる。親衛隊隊長としてやるべきことはたくさんあるのだ。それをできるだけ早く片付ける。

 その後、『宿り木』へ行く。行って、彼に変な態度を取ったことを謝って、そして教えてもらうのだ。

 あの欲望の権化のような男と対峙しても揺らがなかった、彼の真意と信念を。



 決意と共に走り出したシェンラの顔は、これまでにないほどすがすがしいものだった。



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