表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/21

第11話

 アルトレ王国は一夜にして大きく変化した。

 宰相の失脚と王の復帰。この知らせは急きょ王国の重鎮たちに伝えられ、彼らを喜ばせた。就寝中だった国内の良識派――宰相によって弾圧されていた大臣や官僚、将軍などだ――は、睡眠を邪魔されたことを怒るどころか「どうしてもっと早くに知らせてくれなかった」と伝達係に詰め寄るほどに。

 彼らは着替える時間も惜しいとばかりに、軽装で王宮に赴き、大会議室に集合。


 朝方、大会議室にゲルマ騎士団長が現れた時には、100人を収容できる会議室内は人で一杯になっていた。



 ざわめきは一向に収まらなかった。各々が勝手に話をし合い、落ち着きを取り戻せないでいる。



 会議机の一席にて、ゲルマはこの乱れた状況をじっと見守っていた。


 彼らが話す内容は今回の騒動に関する勝手な憶測がほとんどで、どれも事実無根、荒唐無稽。騎士団が王宮を占拠しただとか、宰相が暗殺されたとか、王が密かに国外へ脱出されていたとか、どこまでも膨らむ彼らの想像力には感心すらしてしまう。

 しかし彼らがそんな風に慌てふためき、ありもしない流言に惑わされているのも無理はなかった。それほどに今回の「大どんでん返し」は突然の出来事だった。ゲルマ自身、もし自分があの手紙をもらっていなければ、彼らと同じようになりふり構わず情報収集に努めていたと思うほどに。

 だから、今は彼らに『適切な』事実を教えなければならない。無用な噂を流さぬよう、王宮内で情報の統一を行うのだ。


 ざわめきの中、ゲルマは席から立ち上がった。


「さて、各々方、そろそろ会議を始めてもよろしいでしょうか?」


 ゲルマの声はよく通る。一瞬にして室内は静まり返り、数十人分の視線が彼に注がれた。

 ゲルマはそれに臆することなく、よしと頷き、話を始めた。


「では私、アルトレ騎士団団長ゲルマ=リーシェルより、皆様方にご報告申し上げる。

 まずはこのような早朝に皆様を呼び集めたことをお詫びしたい。そして国の有事に着るものも着ず飛び出してきた各々方……ああ、寝間着姿で会議に出るのはどうかと思うが、それほどにこの国のことだけを考えて飛び出してこられたのですから、その寝間着姿すら戦装束、私は尊敬の念を禁じえません」


 議場にかすかな笑いがこだまする。

 これで少しは雰囲気が和らいだことを確認し、ゲルマは本題へと入った。


「昨晩、騎士団の有志を中心に決死隊を結成し、私と、追放されていた元近衛隊副隊長シェンラ=ミルウェイの先導の下、離宮へと侵入いたしました。若干の妨害はありましたが侵入には成功。結果、アルトレ王を救出し、王の口から宰相への権力委譲が不正なものであると確認いたしました。

 これによりエルンツィオ宰相に国家反逆罪の疑いがかかりましたため、騎士団にて彼を拘束。さらに彼に協力していた直属の親衛隊たちの半数を押さえまして、現在、全員を地下牢へ投獄している次第です」


「騎士団が……いつの間にそのような計画を」

「離宮で起きた爆発騒ぎもその余波か……?」

「『紅の女騎士』が生きていたのか!」

「ついにあの男が捕まったとは、なんと喜ばしい!」


 再びざわめく室内。

 だがゲルマがとんっと机を指で叩くと、また静かになった。


「まだ報告は終わったおりません。静粛に」


 口を閉じる貴族・官僚たち。彼らは明らかにゲルマの気迫に押されていた。


「王のお身体についてご報告する。

 王の身体には何ら異常は見られません。半年もの軟禁生活により若干の衰弱はありましたが、現在、治癒魔法による治療を受けておられ、明日にでも全快されることでしょう」

「よかった……! これで元通りか!」


 官僚の1人が歓喜の声をあげた。

 ゲルマはすかさず彼に視線を向けた。それは捕食者が獲物に向けるような鋭い目。怒りが込められているのは明らかで、気迫に押された官僚は顔を青くして肩を縮こまらせた。

 再び静かになったのを見計らい、ゲルマが口を開く。


「……私からは以上です」


 そう締めくくった途端、会議の出席者たちは矢継ぎ早にゲルマへの質問を繰り出してきた。

 計画はいつから考えていたのか、シェンラはどこに潜伏していたのか、騎士団は与えられた職権を越えた行為を行ったのではないか、王は他に何か言っていたなかったかなど。

 詳細を知りたい者から、己の立場に不安を覚える者まで、様々な人間がゲルマに説明を求める。

 耳の早い者は「あの親衛隊リーダーは睡眠魔法を使え、王もそれにかかっていたはずだが、それへの対処はどうしたのか」と、隠された事実をえぐり出しかねない発言を行ったが、なんてことはない、ゲルマの答えにブレはなかった。


「治癒魔法兵は宰相の手の内にあったため、他の街から協力者を呼び寄せました」

「そんなことをいつの間に……そもそも魔法を扱える者がこの首都以外にそうはいないはずだ」

「世界は広い。例えば世界を放浪している魔法使いがいたとしても、何もおかしくはありませんよ」

「その者の名は? 素性はちゃんとしているのか? こんな重大な作戦に参加させられるような、信頼に足る人間か?」

「実際に王を目覚めさせてくれた。それだけで十分ではないですか。それに、その協力者にはこちらからアルトレ国の事情を説明してはいません」


 流浪の者を、金で雇って使い捨てた。そう印象づけることには成功したようで、質問をした役人はそれ以上突っ込んだことを聞いてはこなかった。

 だが彼がその『流浪の者』を疑っているのは一目瞭然。もし、これからその者が何か問題を起こせば、この役人は鬼の首を取ったようにゲルマの責任を追求してくるだろう。

 だが、そんなことは起こらない。起こるはずがなかった。


(私はずるい人間かな……)


 『全てを知っている人間』からすれば、今行った説明ほど不親切なものはなかった。

 ゲルマは一つも嘘をついていない。起こった事実を淡々と、何の偽りもなく話した。

 だが、重要な『真実』は何一つ出してはいない。今回の作戦を企てたのが騎士団ではないことも、王の魔法を解いたのが治癒魔法ではないことも、『協力者』がアルトレ国の内部事情に精通していることも、『協力者』の正体も。全てをひた隠しにしている。

 その代わり、出席者が『騎士団が作戦を企て、何も知らない協力者を使い捨てて王の魔法を解かせた』と思いこむ話し方をした。


(まったく、こんなことまで手紙で指示してくるとは、用心深い人間だよ、彼は)


 自分ではこのような話し方は思いつきもしない。改めて『協力者』の手紙の内容には感心する。

 王の救出方法から作戦後の国の内部処理の方法まで、全てが事細かく書かれた手紙。これがなければ、王の指示を満足に受けられない期間、王国内の混乱を収めることができなかった。


 手紙の主には本当に世話になる。この国を救えたのは彼のおかげだ。


(……あとは我々の仕事だな)


 だが、これ以上彼の力を借りてばかりではいけない。これからは自分たちの手で国を建てなおしていくのだ。

 そう考えているからこそ、ゲルマは先ほど官僚を睨みつけた。

 それは報告の邪魔をされたからではない。

 『元通り』。この言葉に深い憤りを覚えたからだった。


 王が本格的に復帰されれば、乱れに乱れた国内を安定させる仕事が次々と舞い込んでくるだろう。 高い税金により廃業した商店の数々、拡大した貧富の差、コネと賄賂で私腹をこやした貴族たち、希望をなくした一般市民。立て直さなければいけないものは数多くある。

 神魔戦争後、よくも悪くも昔と変わらない体制を維持してきたアルトレ王国も、今回のような政変があっては変わらざるを得ない。

 例えば他国のように議会を作って王の絶対的権力を弱めるか、もしくは外部機関を作って権力の監視を行わせるか。

 どうなるにせよ『元通り』になるはずがなく、そもそも『元通り』にしては、いつまた宰相のような者が現れて民を苦しませるか分からない。

官僚の言葉は気概を失った惰性の象徴であり、国を滅ぼす元なのだ。


 昨晩、シェンラの持っていた不思議な紙の札によって目覚めた王が、最初に放った『国民は大丈夫か?』という言葉を、我々は重く受け止めなくてはいけない。

 

「まずは王の回復を待つべきだ。我々はまだあのお方が無事な姿すら見ていない」

「しかし、その前に民への声明を出さなくてはなるまい。離宮での騒ぎは民の口から口へ伝わり、無用な噂が立ちかねない」

「税関連の話も詰めなくては」


 話し合いを始めた国の重鎮たち。


 ここに集まっている人間は、良く言えば宰相の調略に引っかからなった『良識派』、悪く言えば旧態然として柔軟性に欠けた『石頭』だ。時代の急激な変化についていけなかったからこそ、宰相の成そうとした革命の尻馬に乗らなかった。

 今も彼らの頭の中には、いかにして『以前の』アルトレ王国に戻そうかという考えが渦巻いているに違いない。


 だが、中にはそう考えていない者もいる。例えば先ほどから口を閉ざしている貴族の1人は反感に満ちた顔をしている。また、財務局の官僚は何か言いたそうに口をもごもごしているし、法務局の官僚は「問題はこれからどう変わるかです」という言葉を繰り返し使っている。


 国をより良く変えていくためには、やはり人材が必要。

 彼らのように先を見据えている者を、ゲルマはこの会議で見極めるつもりでいた。

 後々、国王に彼らを重用するよう進言するために。


――これも手紙のアドバイスに従っただけなのが少々情けないが、仕方ない。


 一介の騎士に政治をやれというのが無理な話。助言を貰えるなら有効に生かしていくのみだ。


「リーシェル団長、よろしいか?」

「なにか?」


 思考を中断し、話しかけてきた大臣の1人に応える。


「シェンラ=ミルウェイ殿はどちらに? できれば、民衆の前で演説を行う役目を彼女に担っていただきたいのだが」

「シェンラに?」

「はい。彼女は半年前まで多くの民衆に支持されていましたからな。追放された後も、彼女の行方を心配し、王宮に質問状を送ってくる者が後をたたなかった。 そんなシェンラ殿が姿を現し、国が宰相の呪縛から解放されたと発表すれば、きっと良い影響が」

「……残念ながら、シェンラは王の勅命を受け、特別任務へと出ている」


 これも嘘ではない。シェンラは王の命令を受けてある場所へと赴いている。

 ……かなり特殊な命令で、彼女にしかこなせないものだ。


「それは残念。ではこの話はまた後で」

「……そのような役目、シェンラにはあまり期待しない方がいいかもしれませんな」

「はあ、どういうことです? 彼女は演説が苦手なのですか?」


 そうではない。

 彼女がこれからもアルトレ国にいるという確証はない、という話だ。


 娘のように可愛がってきたシェンラ。彼女をよく知っているからこそ、自分の下を離れる日も近いことも分かる。

 ゲルマはこみあげる寂しさを押し隠すように、会議に集中するのであった。





 昼前の『宿り木』。朝の混雑を避けて訪問した甲斐あってか、戸口から店内を覗いた時、客は2人しかいなかった。

 これならば店の邪魔になるまいと安心したシェンラは、護衛2人を自分の後ろにつけて、店の中に入る。


「な、なんだ?」

「あれって王宮の兵士だよな……?」


 客2人が食事の手を止め、驚いた顔をしてこちらを見ている。無理もない。庶民の食堂に突然兵士3人が詰めかけてきたのだ。何事かと思うだろう。

 彼らを怯えさせないように距離を置きつつ、シェンラは店内をきょろきょろと見回す。


 探している人物はここにはいない。

 やはり上か。そう思ったシェンラは、しかし2階への階段には向かわず、もう1人の会うべき人物を呼ぶことにした。

 だが、こちらから呼びかけるまでもなく、奥の台所から彼女の姿が現れた。

 カルラだ。エプロンを着込み、濡れた手をタオルで拭きながら、こちらへと駆け寄る。


「シーラちゃん! どこに行ってたんだい! それにその恰好!」

「カルラ殿……朝の仕事をお手伝いできず、申し訳ありません」

「いや、それはいいんだけど」


 カルラはシェンラの姿に目を見張っている。

 今のシェンラはもはや『シーラ』ではない。アルトレ王国近衛隊としてふさわしい、緋色を基調とした軽鎧を着こんでいた。

 腰には剣を帯び、胸にはアルトレ王国騎士団の紋章が彫られたプレート。手にはガントレット。鎧の下には白い絹の服。

 『宿り木』で働いていた時の給仕服とはまるで違う、騎士としてふさわしい恰好だった。


「シーラちゃん、まさか、王宮に戻れたのかい?」

「……はい」


 シェンラがこのような恰好をしているのは、昨晩、ゲルマが軍を再編させた折、予想外にも近衛隊の隊長の座を任ぜられたからだった。

 そしてここに来たのは、アルトレ王に直接の命令を受けたため。

 彼女自身は、このような恰好で『宿り木』に来ることを望まなかったが、隊長としてふさわしい服装をしろとゲルマに言われ、渋々着込んできたのだった。


 このような恰好では、カルラにいらぬ威圧感を与えるだけ。

 そう心配していたものの、当のカルラは怯えるどころかとても嬉しそうにしていた。


「そうかいそうかい! じゃあ、あのバカ宰相はいなくなったんだね!?」

「それについては、これから王宮より何らかの発表があると思いますが……その通りです。もう、皆がつらい思いをしなくて済むようになりました」

「これはめでたいねえ! けど、ほんと突然でわたしゃ驚いちゃったよ」

「確かに」


 苦笑するシェンラ。


「おやおや、良い顔をするようになったね、シーラちゃん。いや、シェンラ様とお呼びするべきかね?」

「そんなことを気にしなくても! カルラ殿にはずっとお世話になっていて……お礼をしてもしたりません」

「それこそ気にしなくていいんだよ! あんたはずっと苦労してきたんだ。その苦労が報われたってだけだよ」


 カルラにそう言われて、シェンラは自然な笑みを浮かべる。

 王宮の騎士に貸しを作ったのに、それを鼻にかけることなく、我が事のように喜んでくれるカルラ。

 こんな素晴らしい人に拾われて、自分は本当に幸運だった。


「お話はまた後々じっくりと……カルラ殿。リュウはどこに?」

「ん? ああ、2階にいるはずだよ」


 やはりここにいるようだ。


「けどねえ」

「何かありましたか?」

「いやね、今日の朝になって突然、美人さんがやってきてね。彼のところに」

「美人さん?」

「そうだよ。彼の食事とか洗濯とか、全部その子がやっちゃってるんだよ。わたしなんかよりずっと上手でねえ。どうやら使用人みたいだけど……シェンラちゃん、ちょっとピンチじゃないかい?」


 含み笑いをするカルラ。


「何がですか……とにかく2階ですね。すみません、失礼します」

「ああ、後でミラセに会っておくれよ。あの子もあんたがいなくなってて心配してたからね」

「分かりました」


 頭を下げ、シェンラは足早に階段を上がっていった。



 リュウのところに使用人? それはおかしな話だった。彼がここに飛ばされてきてまだ1週間とちょっと。迎えが来るにはまだ早すぎる。

 この街で雇った人間というのもありえない。彼にそんな金があるはずがないからだ。


 もしかすると逃亡中の親衛隊が雇った暗殺者では……

 そんな心配も首を出してくる。


 胸騒ぎと共に急いで階段を上がっていくと。


 リュウの部屋の扉に1人の女性が立っているのが見えた。


「誰だ……?」


 シェンラは彼女の姿を見て目を丸くする。


「ご主人様、コーヒーのお代わりがありましたら、またお呼びください」

「おー」

「では、外におりますので」


 その銀髪の女性は室内に向かって華麗なお辞儀をすると、そっと部屋の扉を閉めた。

 そして振り返り、手を前に組んで扉の前で静止。

 まるで門番のように直立したまま動かなくなってしまった。


 シェンラは当惑した。

 いったい彼女は誰なのか。どうしてあんな美女がリュウと話していたのか。そしてなぜ、使用人が着るような――いや、それよりもはるかに可愛らしいひらひらのついたエプロンドレスを着ているのか。

 

 暗殺者という線はこれで消えた。あんな恰好をした暗殺者がいるはずがない。

 ではリュウの仲間か何かなのだろうか。


「……隊長?」

「おい、俺たちが行くべきみたいじゃないか?」

「そ、そうか。確かにな」


 シェンラがその場で棒立ちになっているのを見て、護衛の兵士2人が率先して前に出た。仕事を振られたと勘違いしたようだ。

 気付いたシェンラが2人を止めようとするが、先に銀髪の女性がこちらに視線を向け、その小さな唇を開いた。


「何か御用でしょうか」


 外見にふさわしい、鈴のような綺麗な声。

 兵士2人はその美しさに一瞬たじろぐが、すぐに兵士としての威厳を思い出し、低い声で女性に尋ねる。


「その部屋にいる男に用がある。リュウという男だ。いるだろう?」

「どのようなご用件でしょうか。今日は来客があるとお聞きしていませんが」


 目を細める銀髪の女性。

 兵士2人を前にしても怯える様子すら見せないのが印象的だった。威圧感を受けることに慣れているのか、涼しい顔をしている。

 下の食堂にいた大の男2人ですら尻込みしたというのに、この女性はいったい?


 だがそんな特異な雰囲気に気づいていないらしい兵士たちは、苛立ちの混じった声色を女性に浴びせる。


「王宮からの詔勅である。まさか断るはずがないな?」

「……ご主人様は読書中です。申し訳ありませんが、お引き取りを」

「なっ!」


 兵士たちの顔色が変わる。


「王からの呼び出しを断るのか!?」

「誰が呼んでいようと、約束も取り付けていない者と会う時間などございません」

「ちっ、もういい。男と直接話す。そこをどけ!」

「お黙りください」


 銀髪の女性の雰囲気が変わった。

 無表情なのは変わっていないのに、銀色の目だけがぎろりと兵士たちを睨んでいる。


 シェンラはこの一瞬で直観した。

 この女性は強い。それも尋常ではなく。

 おそらく自分たちでは2秒で制圧されてしまう。


「私に命令できるのはご主人様ただ1人。それ以外の方のどのような言葉も私を強制することはできません。

 そしてご主人様の読書の時間を邪魔するお方は、直ちにお引き取り願います」

「どけというに!」

「やめろ!」


 あまりにレベルが違いすぎて、兵士たちは銀髪の女性の実力に気づいていないようだ。

 シェンラは2つの命を助けるために彼らを後ろに下げ、女性の前へと出た。


 じろりと銀色の瞳に射られる。


(くっ……)


 相対するとわかる。やはりこの女性は異次元レベルの強さだ。

 これで外見はか弱い使用人風なのだから、冗談みたいな話だ。外見で実力が判断できないのはリュウだけで十分だというのに。

 

「私の部下たちの非礼、お詫びする」

「あなたは?」

「私はアルトレ王国近衛隊隊長、シェンラ=ミルウェイ」

「……シェンラ? あなたがシェンラ様ですか?」

「そうだが?」


 銀髪女性が威圧感をおさめ、今度はじろじろとシェンラの顔を眺め始める。

 まるで珍しい物を観察しているかのようだ。

 良い気分ではなかったが、とりあえずこれで命の危険はなくなったか? とほっとしていると、


「少々お待ちを」


 銀髪女性が背中の扉を開けた。


「ご主人様。シェンラ様がお見えになりました」

「ん? ああ。通してくれ」


 リュウの声が返ってくると、銀髪女性は身をひるがえし、シェンラに向かって軽く頭を下げた。


「どうぞお入りください。護衛の方は外でお待ちを」


 どうやら通してくれるようだ。来客の予定はなくとも、知り合いが来れば通すように言われていたのだろうか。

 銀髪女性に促されるように、シェンラは部屋へと入っていった。


 部屋の中はやけに片づいていた。先日までそこら中に散らばっていた本が、木箱で作られた簡単な作りの本棚に整理されている。

 床や窓も掃除されていて、まるで別の部屋と化している。リュウが借りる前より綺麗になっているのではないだろうか。


 そして真っ白なシーツが敷かれたベッドの上に、リュウがいた。


「やっほ。その恰好、どうやらなるべくしてなったみたいだな」

「リュウ……!」


 本を片手に寝転がっている彼が五体満足であることを認め、シェンラは安堵の息を吐く。


 無事だった。それだけでシェンラの心はおおいに休まった。

 見たところ、怪我ひとつなさそうだ。フリードにやられるなどとは思っていなかったが、魔法使いを相手にして怪我でもしていないかと心配していたのだ。


 その心配も消えると、今度は怒りが湧いてくる。


「どうしていきなり姿を消したんだ! てっきり私は、離宮の門の前にいるとばかり!」

「いやいや、俺の仕事はあそこで終わったわけで。あとは俺がいなくてもなんとかなったろ? やっぱりこの国のことはこの国の人がなんとかしなくちゃね」


 そう言って笑うリュウ。

 こちらが騎士の恰好をしていてもあまり変わりない様子に拍子抜けしてしまう。

 こんな恰好をしていると彼にも気後れさせるかもしれない、と思っていたが、どうやら杞憂だったようだ。


 リュウのお気楽な調子に怒りも萎え、シェンラはふぅと息をつく。


「まったく、君は本当に自由人だな」

「誉め言葉だと思っておくよ。あ、お茶でも飲むか? ルシィに淹れさせるけど」

「いや、遠慮しておく……そちらの女性はルシィ殿というのか?」


 無表情で入り口前に立っている銀髪女性をちらりと見て、リュウに問いかける。

 何者だ? と尋ねるまでもなく、リュウが説明してくれた。


「えーとだな、俺のメイドをしてくれてるルシィだ。今日、迎えに来てくれた」

「ルシィです。お見知りおきを」

「これはどうも……」


 さきほどとは打って変わって瀟洒なお辞儀をする銀髪メイド。

 彼女の名前には聞き覚えがあった。確かリュウにもらったあの手紙の差出人が『ルシィ』だったはずだ。


 しかしおかしい。あの手紙が来てから1日程度しか経っていないのに、もう迎えに来たなんてあまりに早すぎる。


 手紙はまだいい。あれには『転送魔法便』の消印が押されてあった。

 『転送魔法便』は最近になって始まった転送魔法を使った郵便で、割高ではあるが、どんなに遠くとも1日で手紙が着くことで有名だ。それを使ったのなら、手紙がこんなにも早く来たことにはまだ納得できる(ただしリュウの居場所をどうやって突き止めたのかが疑問だが)。

 一方でこのルシィという女性自身は、どんな方法を使ってここに来たのか。馬車を使っても2、3週間かかるのに、手紙を出してたった1日でここに来るとは……テレポートでも使ったのか?(人間が扱う転送魔法が人を運べないことは常識だが)


 先ほどの圧倒的な威圧感といい、底の知れない女性だ。リュウに仕えるだけある。


「それで、何か俺に用でも? 王様が助かったっていう報告なら、特に必要はないけど」

「ああ、そうだった」

 頭を切り替え、仕事に入るシェンラ。


「単刀直入に言うとだな……アルトレ王が君に会いたがっている」

「俺に?」

「ああ。今回の救出作戦を立てた人物について報告したら、とても興味を抱いておられるようでな」


 今でもリュウの話をした時のアルトレ王の表情が目に浮かぶ。

 最初は「誰のことだ?」と怪訝そうな顔をしていた王だが、しばらくして何かに思い当たったように声をあげ、衰弱していたとは思えないほど興奮し、詳しく教えてくれと頼んでこられたのだ。

 いつも温和で落ち着いている王が、あれほど顔を紅潮させるのも珍しい。


「……んー、もしかして、俺のこと詳しく話したりしたか?」

「王に教えてくれと言われたからな。ダメだったか?」

「いや、王様にだったらいいんだけど。そっか、だったら行かなきゃだな。正直面倒くさいけど……」


 王と会うのが面倒くさいとは、やはりどこまでも規格外な男だ。


「ご主人様、ご面倒であれば私が代わりに向かいますが」

「いや、いい。俺もちょっと聞いてみたいことがあったし、ちょうどよかった。ルシィも来るか?」

「もちろんです。私は常にご主人様のおそばに」


 メイドのかいがいしい言葉に笑みを浮かべたリュウは、ベッドから降りて外出の支度をし始めた。

 財布のような小袋をポケットに入れ、寝癖のついた髪を水で整える。髪のセットに満足したのか、鏡の前で「よし」と頷くと、借り物の上着をルシィに着せてもらう。

 そこで思わずシェンラは声をかけた。


「まさか、そんな恰好で王宮に入るつもりか?」

「え、ダメ? なんか決まりとかあったか?」

「いや、特にないが……」


 リュウは本当に何の緊張もしていないようだ。

 『王宮に入る時は正装をする』なんて法律はこの国にはないが、普通なら王族に謁見する時ぐらい、身綺麗にしようとするもの。

 それを借り物の服ですませようとするとは……リュウでなければ大馬鹿ものだと思っているところだ。


「よし、行くか」


 リュウの一声で、シェンラたちは一路王宮へと向かうこととなった。






 騎士の恰好というのは基本目立つ。戦場では隊長としての威厳を示すのと、敵に畏怖を与えるためにこんな緋色の鎧を着なくてはならないが、街中ではとかく浮いてしまう。ただ道を歩いているだけでも通行人の注目の的だ。


「お、おい、あれって近衛隊の副隊長様だよな?」

「『紅の女騎士』様か! 戻ってきたのか?」

「だったら宰相は? あの人は宰相に逆らったから……」

「俺、知ってるぜ。宰相が王宮から追い出されたって。王宮に出入りしてる商人が話してた」

「ほ、本当か!?」


 シェンラたちに道を譲り、端の方でがやがやと話をしている者たち。

 彼らの表情には驚きと喜びが満ちている。


 彼らを横目にしつつ、シェンラを先頭に、護衛の兵士2人がその横に、リュウとルシィを後ろについて、どんどんと王宮への道を進んでいく。


(まったく……良い道化だ)


 シェンラは、本当はこんな風に注目されることが好きではなかった。『紅の女騎士』として自分が有名であることは知っているが、そんな風に呼ばれ、人々から英雄視されるほど自分は強くないからだ。


(しかしまあ、今はいいか)


 今だけは、自分がこうやって姿を表すことで人々に希望を与えられるのなら、我慢してもよかった。

 もう暗い顔をしている人たちを見たくはないのだから。


「あれは誰だ? ほら、副隊長様の後ろにいる男と使用人」

「……さあ」

「宰相に協力してた罪人じゃないか?」


 この言葉に、シェンラは思わず話し手の顔をきつく睨んでしまった。

 道端にいた男が「ひっ」と小さく声をあげ、物陰に隠れる。


「おーい、シェンラさん、一般人を睨んじゃダメでしょ」


 リュウがたしなめるように言う。

 シェンラは睨むのを止めて、「だがな」とかぶりを振った。


「君が罪人などと」

「仕方ないって。こんな恰好した人間が騎士さんと一緒に歩いてたら変に思うもんだ」

「君がそう言うならいいが……」


 大して気にしていなさそうなリュウ。鈍感なのか芯が強いのか。

 シェンラは怒りを抑え込みつつ、ふと今の彼との会話に違和感を覚えた。


「……そうだ、リュウ、名前だ」

「名前?」

「私のことは呼び捨てにしていいと、前に言ったはずだろう」


 リュウは今『シェンラさん』と他人行儀な呼び方をしてきた。もう呼び捨てでいいと言っていたのにも関わらずだ。

 些細なことだったが、何か嫌だった。


 リュウは困ったように頭を掻く。


「あー……うん。あの時は勢いで呼ぶって言ったけど、なんか俺、女の人を呼び捨てにするのって苦手で」

「……そちらのルシィ殿は呼び捨てにしていたようだが?」


 こんなネチネチとした言い方をするつもりはなかったのに、自然と口から言葉が出てきてしまう。自分には『さん付け』でメイドには親しげにしているというのが、距離感の違いを際立たせられているようで嫌な気分になるのだ。

 シェンラはそんな気持ちを抱く自分が不思議でならなかった。


「あー」

「シェンラ様、ご理解ください」


 リュウが困ったような顔をしていると、彼の隣にいたルシィが、これまでの無表情から一転、とても綺麗な笑顔を浮かべて答えた。場が一挙に華やぎ、周囲で見物している通行人もその美しさに息を飲んでいるのが分かる。

 どうやらルシィは主人をフォローするつもりで、


「ご主人様は美しい女性には滅法弱いのです」

「お、おい、ルシィ!」


 訂正。フォローなんてものじゃなかった。

 慌てる主人には気にもかけず、ルシィはクスクスと笑いながら話を続ける。


「シェンラ様のような美しいお方とお話しするだけで、ご主人様の心臓はバクバクなのです」

「う、美しい?」

「はい。シェンラ様は美しいお方です。赤い髪は絹のように艶やか、顔の造形も繊細、緋色の鎧を着こんだお姿の凛々しさはあなた様の内面を映し出しているようで、『騎士』と呼ぶにふさわしいかと」


 ついさっき知り合った相手にこうまでストレートに褒められると、嬉しいどころか戸惑う。


「それだけに私は心配もしているのですが……」

「ん? 今何か?」

「いえ、ただの独り言です。失礼いたしました」


 何かをはぐらかされたような気がするが、メイドの見事な笑顔を前にするとそれ以上何も言えない。

 シェンラはどうもこの女性が苦手だった。


「はぁ……」


 ため息をつくリュウ。否定しないということは、意外にもルシィの言っていることは間違いではないのか。


(彼が私のことをそんな風に……? いや、そんな、ま、まさか)


 考えるだけで頭が沸騰しそうなになってきたシェンラ。激しい胸の鼓動が何を示しているのか、彼女は分からないでいた。

 結局リュウには「なるべく呼び捨てにしてもらう」ということで落ち着き、一行は再び王宮への道を進む。


「あの……隊長」


 皆が無言で歩いていたが、ふと、護衛の兵士の1人がシェンラに声をかけた。


「どうした?」

「その、先ほどから親しそうにお話しをされてますが、その人たちはいったい何者ですか?」


 シェンラはなるほどと思う。ただの一般市民にしか見えないリュウと、メイドのルシィ。そんな彼らと自分たちの隊長にどんな接点があるのかと不思議に思って当然だ。

 これから隊長として彼らと上手くやっていくため、彼らに説明してやらねばなるまい。

 どこから話せばいいのか。考え始めたシェンラだったが、ふと、では自分はリュウたちの何を知っているのかという疑問に思い至った。


「……隊長?」

「いや、な」


 リュウは突然空から降ってきた自称旅人。

 ルシィはそんな彼の使用人。


 それ以外には何も知らない。彼らのことは何も。


 シェンラは立ち止まり、後ろを振り返った。


「……リュウ」

「ん?」

「王の救出が終われば、君の正体を教えてもらえるんだったな?」

「……そうだっけ」

「私は覚えているんだぞ。『朝になれば教える』と君が言っていたことを。

 君には聞きたいことがたくさんあるんだ。眠りの魔法を解いたあの『紙の札』、君の理不尽なまでの強さ、ルシィ殿の現実離れした出迎えの早さ……いったい、君は何なんだ?」


 知りたかった。彼が何者なのか。

 知って、彼らに近づきたい。

 こんなにも他人のことを知りたいと思ったのは、生まれて初めてのことだった。


「あー、うん」


 リュウは首筋に手を当て、申し訳なさそうに答えた。


「今言わなくても、あと少しすれば分かると思うよ」




 彼の言葉は正しかった。



 王宮についたシェンラたちはすぐにアルトレ王付の女中の案内を受けることとなった。

 宮内を歩き、王の待つ場所へと向かう。

 その間、何人もの人間がこの集団を見て驚いた顔をしていた。

 現在、王宮に詰めている官僚や女中たちは忙しそうに走り回っている。宰相の突然の失脚と王の復帰。そして乱れた国内を治めるためにあらゆる人員が動員されているためだ。

 そんな彼らの足を止めるほど、シェンラたちは異様だった。何せ、美貌の女騎士の後ろに奇妙な男とメイドがいたのだから。


 好奇の視線にさらされながらたどり着いたのは、王族の寝室。


 先に女中が中に入って到着を知らせると、すかさず中から部屋に入るようにとの指示が出た。

 まずはシェンラが先に部屋に入り、帰還の報告。その後、リュウとルシィが部屋に入る手はずだった。


「失礼いたします」


 扉を抜けて、寝室の中へ。


 この部屋は王族のものであるだけあって、かなり豪華な内装に彩られている。赤い絨毯にシャンデリア、天蓋付の巨大ベッド、調度品は最高品質のものが揃えられている。

 ただし、これらの装飾品の全てを、アルトレ王は半年前に売り払おうとしていた。神魔戦争で疲弊した国を少しでも救うために、己が身を削ろうとしたのだ。実際に実行に移す前に宰相の手が及んだため、今も内装は昔のままだが、アルトレ王が全快すれば以前と変わらず質素な部屋へと変えようとするに違いない。


「アルトレ王、御命令により、今回の救出作戦の立案者であるリュウ殿と、その従者ルシィ殿をお連れいたしました」

「ご苦労、シェンラ」


 ひざまずくシェンラに言葉をかけたのがアルトレ王、その人だった。

 外見は全体的に細めの壮年の男性でしかないが、痩せているのは宰相に軟禁されていたから。半年前まではもう少しふくよかな顔をしていた。

 彼はベッドに腰掛け、柔らかな微笑みを浮かべていた。治癒魔法の治療を受けたためか、昨晩に比べて顔色が良い。自慢の髭にも艶やかさが戻り、目には温和な光が宿っている。

 王の傍には意外なことにゲルマ騎士団長が控えていた。彼は今朝から王宮内の体制を立て直すことに忙殺されていたはずだが、空いた時間で王の様子でも見に来たのだろうか。


「顔をあげろ、シェンラ」


 アルトレ王の指示通りに、シェンラは顔をあげる。


「早速会わせてくれんか?」

「はい。リュウ殿、ルシィ殿、お入りください」


 声をかけると、すぐに2人が部屋の中へ入ってきた。


「うおっ……!」


 ゲルマはリュウたちを見るなり、驚きに目を見開いた。まるで一般市民が王や貴族を見た時のように。


「おお……や、やはりか」


 そしてアルトレ王ですら、リュウの姿を見るなり声を震わせた。

 王はまだ弱っているはずの身体で立ち上がり、よろよろと歩き出す。


「なんということか。まさか1度ならず2度までも、あなた様に救われようとは」


 王は歓喜に頬を綻ばせ、あろうことかリュウの前でひざまずき、


「あなた様にかけるべき感謝の言葉が思い浮かばないことを、どうかお許しいただきたい……『流舞武人』様」


 両手の平を前に合わせるという、目上の者に対して行う最大限の御礼の儀を取ったのだ。


「……は?」


 シェンラは目の前で起こった出来事に、間抜けな声を上げることしかできなかったのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ