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第9話

 青い月が空の頂点に浮かぶ夜。


 アルトレ王国の宰相――名をカンドル=エルンツィオと言うが、その名が呼ばれることは滅多になく、大抵の者は彼を『宰相』と呼ぶ――は、王宮の私室にてワインを飲んでいた。

 赤いワインを口に含み、よく味わってから飲み込んでいる。程よい味に満足した宰相は、グラスを机に置き、顎にたくわえた髭を撫でつけてニタリと笑った。


「くくく……」


 彼はこみ上げる喜びを抑えることなく、酒による高揚感に促されて次第に笑い声を大きくしていく。

 40がらみの男としては子供っぽい笑い声だったが、それも無理はなかった。彼はこの後の時間をとても楽しみにしていたのだ。


「今日は2人……2人同時というのは楽しみなものだ」


 あと少しすれば、この部屋に新しい使用人が2人、送られてくる予定だった。

 部下から聞いたところによると、今度の使用人は年端もいかぬ少女だという話だ。

 少女の身体はいい。もう少しすれば、無垢な身体を好きにできる時間がやってくる。楽しみにして当然だった。


 宰相は満足そうな様子でワインを飲む。ほんの半年前までは王により制限させられていた飽食もワインも、今は好きなだけ味わうことができる。

 こんな風に贅沢ができるのは、自分が『勝者』だからだ。『勝者』としての喜びを、自分は享受する義務がある。

 そう宰相は確信していた。


「アルトレ王も、もっとしたたかに生きることを知るべきだな……いや、もう知ることもできないだろうが」


 酒に酔った頭で、何度繰り返したか分からない文言をまた口にする宰相。

 彼にとってアルトレ王は凡愚の極みだった。神魔戦争で疲弊した国を救うなどというくだらない理由で、国庫の支出を抑え、民への税負担を軽くしようとした低脳さ。

 バカな男だった。神も魔王もいなくなり、何の気兼ねもなく国を支配できる時代が来たというのに、その支配権を振るうことを自ら放棄したのだ。


 支配というのはそういうものではない。民がこの国で生きることを認める代わりに、国に奉仕させること。生かさず殺さず、上に立つ者のために働かせること。それこそが国の頂点に立つ者の仕事だ。


 ふがいない王の代わりに、宰相は忠実にその仕事を遂行したと自負していた。

 手始めに王の権力を全て取り上げて離宮に幽閉した。これは協力者の能力を使えば簡単な仕事。

 次に民の生活を最低限維持しつつ、全ての富が国に集まるように法整備した。税の吊り上げと徴収の強化。これも大した仕事ではない。

 たったこれだけの仕事で、アルトレ国の財力は途方もなく膨らんだ。多くの武器や魔法石を買い込むこともでき、他国にも渡り合えるほどの軍事力も得た。


 結果として、民の生活は困窮を極めることとなったが、それは関係ない。国はこんなにも発展し、上に立つ者の生活は豊かになったのだから何の問題もない。

 民がどれだけ苦しもうとも、国が破滅することはないのだ。



 それに、無慈悲な仕打ちばかりしているわけでもない。民衆にもきちんと『生き残る方法』を提示してやっている。

 これからやってくる予定の『使用人』もその1つ。税を払える能力のない家庭の娘や女を『使用人』として国が雇う救済措置だ。

 彼女たちは『国が建設した施設にて就労する』という名目の下、宰相の下で『働かされている』。

 もちろん男も雇われているが、彼らは別口。鉱山や遠洋漁業に行かせており、なかなかの収益をあげている。


 そうして家庭内の誰かを差し出す代わりに、その家庭は破滅から救われているのだから、これも民への施しの一種。彼らの生活が楽になる道を作ってやっているのだ。

 神魔戦争中、神や魔王がことあるごとに求めてきた『生贄』と似たようなものだ。


「……くくく、私はひどい男かな。ええ?」


 窓の外を見ていた宰相が部屋の中を振り返ると、そこには1人の男が立っていた。

 男は宰相直属の親衛隊の証である赤い服を着て、憮然とした顔で壁に寄りかかっている。

 いつ部屋に入ってきたのかは分からないが、この男が物音も立てずにやってくるのはいつものことなので、宰相も特に驚きはしなかった。


「……はっ、神や悪魔よりはマシだろうな」


 男は無愛想な顔で答え、椅子に無造作に座った。

 宰相が一応ワイングラスを彼に勧めるも、相手は慇懃無礼に断る。

 いつものことだが、この男――親衛隊の隊長であるフリードには愛想がない。話していても何の面白みもなく、これならば鳥相手に話していた方がまだマシだと思えるほどだった。


 傭兵風情め、と宰相はいつもこの男を蔑んでいたが、この男が協力者だからこそ、王を幽閉でき、親衛隊のごろつき共を統制できているので、多少のことは目を瞑るしかなかった。


「何の用だ。お前が私の部屋に来るなど、滅多にあることではないではないか」

「……一応、伝えておいた方がいいと思ってな。お前のところの部下に言っても取り次いでくれねえから、俺が直接来たんだ」

「ふん、なんだ?」


 敬語も使えないフリードに若干苛立ちつつ、宰相は話の続きを促す。


「半年前に城から追放した、近衛隊の副隊長を覚えてるか?」

「『紅の女騎士』のことか?」


 『紅の女騎士』。近衛隊の副隊長として、王宮内からも民衆からも人気があった美貌の騎士だ。

 名は確かシェンラといっただろうか。


「ああ、覚えてんのか?」

「忌々しい女を思い出させるな」


 宰相にとってあの女ほど憎たらしい者はいなかった。


 美しい赤い髪に肉感的な身体。その美貌に最初は目を奪われた。

 自分の女にしてやろうと思った宰相は、彼女をパーティに誘い、様々な贈り物をしてやった。詩に詠われるほどの美しさだ。どうしても手に入れたくなり、年甲斐もなく金をかけ、熱を入れてしまった。


 だが、あの女騎士はそれら全てを無下にし、あろうことか宰相のやることなすことに苦言を呈してきたのだ。

 自分の言うことを聞かない女など用はなかった。宰相は他の騎士への見せしめも含め、同じように煩かった近衛隊の隊長ともども、彼女を国外追放とした。

 以降、騎士たちの煩い声がなりを潜めたので、女騎士も少しは役に立ったということだろうが、今でもその名を聞くと怒りが湧いてくる。


「その女騎士だが、確か国外追放にしたはずだったな?」

「ああ。今頃どこかでのたれ死んでいることだろう」

「そうでもなさそうだぜ。2日前、似たような顔をした女を中流地区で見かけた」

「……何だと?」


 宰相はぴくりと眉を動かした。


「どういうことだ。確かにあの女は街から追い出したはずだろうが」

「さあな。どうやってか難を逃れて、この街に潜んでたみたいだな」

「……何か妙な動きをしているようだったか?」


 宰相が囁くような声でそう尋ねると、フリードは平坦な顔にかすかな笑みを浮かべた。


「気になるか? まあ、自分の寝首をかくかもしれねえと思うわな。何せ、あんたはあの女の全てを奪ったんだから」

「質問に答えろ!」

「知らねえよ。少し調べさせたが、宿屋で働いてるだけみてえだな」

「……ちっ、そうか」


 宰相は舌打ちし、考え込む。

 あの女騎士が街にいるというのは憂慮すべき事態だった。

 女1人の実力は大したことはない。多少剣の腕が立とうとも、親衛隊全員を相手取ることなどできない。

 だが王宮内の反体制派と接触を持たれると少々厄介だ。あの女には人を引き付ける魅力がある。生きてこの街にいると分かっただけでも、うざったい者たちがやたら騒ぎ出すだろう。


「……親衛隊を使ってその女を拘束してこい」

「ん? やはり心配か」

「やるのか、やらないのか」

「ふん、やるよ。俺もあいつらには煮え湯を飲まされてるからな。明日にでも捕まえてきてやる。適当に罪状でも作ってくれ」

「待て……あいつ『ら』とはどういうことだ」


 宰相の身体がこわばる。

 まさかもう仲間ができているのか。騎士団の誰かなのか、それとも女騎士が雇った暗殺者か。

 まさか自分を殺しに来るのでは……想像した宰相は冷や汗を流す。


 一方、フリードは『煮え湯』を飲まされた時のことでも思い出しているのか、珍しく顔を苦々し気に歪めていた。


「若い男が一緒にいた。そいつの顔は俺も知らなかったが……」

「王宮の騎士連中ではないんだな?」

「ああ、それは違うな。大方、流れの行商人か渡り戦士ってところだろうが……どうも気になる。俺にとっては女騎士以上に」

「だったらそいつも拘束しておけ。不都合な芽は摘むに限る」


 「ああ」と頷き、フリードは立ち上がった。話が終わるとさっさと帰ってしまうのもこの男の特徴。あくまで仕事上の付き合いだということを自覚しているのだろう、結局宰相が出したワイングラスには手をつけることもなかった。

 そのまま出て行くかと思われたが、扉に手をかけたところで立ち止まるフリード。相手を小馬鹿にするような光を含んだ瞳を、宰相に向けた。


「まあ、その女騎士が何を企んでようが、心配する必要はないがな」

「……」

「だろう? 宰相さん。王様はぐっすりと眠ってるんだからな」

「……魔法は切れないんだろうな」

「決まってんだろ。俺がこの剣を使い続けて何年経ってると思ってんだ」


 よほどの自信を持っているのか、腰に差した剣をポンと叩き、宰相のことを鼻で笑うフリード。

 宰相はその態度に怒りすら感じるが、ここで感情に流されて男との協力関係が途切れるのを良しとせず、ぐっとこらえる。

 あと少しの辛抱。もう少しで、さらなる権力を得て、この国を本当に自分のものにすることができる。そうすれば、こんな傭兵あがりの男は用済みだ。


 宰相はワインをぐっと飲み干す。喉の焼けるような感覚が全身を走ると、ふぅと息をついて感情の平静を保った。

 あとは今からやってくる『使用人』に欲望をぶつけてしまえば、怒りは収まるだろう。


 全ては平常通りに。

 国も民も、世界も、自分が作り出した『平常』の下で動き続けていく。

 世界はそうあるべきだった。


「……くくく」


 宰相は、椅子から立ち上がり、ワイングラス片手に窓の傍へと近づいた。

 青い月が少し傾いた夜。丘の上に立つ城からは、月光が街を照らし出している光景がよく見られた。

 一般市民の家々からこもれ出す灯り火は、蛍のように弱弱しい。


 蛍というものは、羽音も立てずに光っているからこそ美しい。蟋蟀や蝉のようにうるさくては風情も何もない。

 そして上からそれを見下ろす人間がいるからこそ、蛍はその美しさに気付いてもらえるのだ。

 これからも蛍の光を見続けてやろうではないか。


「……なんだ?」


 だが、次に見えた大きな光に家々の灯りとはとてもではないが言えなかった。

 赤い点が、街にひとつ。

 続いて轟く爆発音。窓にはめられたガラスがぐらぐらと揺れ、窓枠に積もっていた埃が舞い散った。


「な、なんだ今のは!」

「……離宮のある方角からだな」

「なんだと!」


 宰相は再度外に目をやり、先ほどの光がどこから昇ったのかを確認し……また絶句した。

 王宮から少し降りた所に建てられた離宮付近に、赤い炎が灯っている。どうやらそこで爆発があり、余波で兵士の詰所が燃えているようだった。


「フリード!」

「分かってんよ。ちっ、面倒なことしやがって」


 ぶつくさ文句を言いながら、フリードは走って部屋を出て行く。離宮に詰めている親衛隊を指揮しに向かったのだ。

 宰相は窓の外に見える赤い炎を見て、不可解な不安感に襲われた。


 蛍の光が火をつけた――唐突に思い浮かんだそのフレーズに、宰相は身震いするのだった。




 爆発は警備係の駐屯所で起こったものだった。

 離宮の敷地内には、木造の簡易小屋がある。離宮の豪華絢爛さに比べれば、非常に質素でこじんまりとした建物だ。

 この小屋が突然爆発を起こした。屋根から何まで全てが吹き飛び、赤い炎を帯びた木材を周囲に四散させた。黒い煙が上がり、もはや小屋の原型は残っておらず、かろうじて黒こげになった支柱がそこに小屋があったことを示していた。

 

 幸いだったのは、ちょうど警備の交代の時間帯と重なっていて、兵士は全員外に出ていたため、人的被害がなかったことだ。強烈な爆風に煽られて転ぶなどして多少のけが人は出たものの、死者はなし。


 警備兵たちは呆然としながら、燃えている小屋を見つめていた。


「な、なんだよこれ……」

「ありえねえ……」


 警備兵たちの面々は城の正規兵ではなかった。彼らは一様に強面でごろつき風。そう、宰相の親衛隊だ。

 彼らを警備係にと決めたのは宰相だった。「王がこの離宮で隠居しているため、万全の警備体制を敷かなくてはいけない。そのために、私が最も信頼している者たちを配置する」という理由で、彼は独断で親衛隊の配置を決定した。

 もちろんそこには王を監視し、かつ外からの邪魔が入らないようにするという目論見があった。


 それほどに宰相は王の幽閉に気を遣っていたのだ。この離宮の警備は城以上に厳しくされており、普段は蟻の子1匹入り込めないほど厳重に警備されていた。



 しかし、今回の爆発騒ぎは彼ら警備兵に予期せぬ事態を引き起こした。

 そもそも親衛隊たちは街のチンピラや盗賊であった者たちばかりだ。金に釣られて宰相に雇われただけにすぎない。

 そのため、「城の兵士」としての調練はほとんど受けていないに等しく、規律正しい行動が身に染み着いているとは言えなかった。いわゆる烏合の衆でしかなかったのだ。

 それでも普段はリーダーの指示があったため、一定の秩序立った行動を取ることができていたが、今回の爆発騒ぎがその組織性の脆さを的確に突いてしまった。


「うおい! どうすんだこれ! 消さねえとまずいんじゃねえのか!?」

「けど水場なんてねえぞ!」

「汲んでこいよ! 使えねえ奴だな!」

「なんだとてめえ!」

「ここに集まってんじゃねえよ! 邪魔だろうが!」


 親衛隊たちは各々好き勝手に行動し始めていた。ある者は怒鳴り散らし、ある者は喧嘩をし、ある者は水を汲む容器を探し、ある者は呆然と火災を眺めている。

 爆発の音に引き寄せられたのか、本来ならば離宮の裏手を警備するはずの人間もが火災の現場にやってきて騒ぎに加わり、事態をさらに混乱させている。

 もはや彼らが自力で混乱を収束させることは不可能だった。



 そんな、かつてなく混沌としている正門を見つめている男が1人。


「んー」


 彼はひょいと物陰から姿を現す。


「火薬の配合間違えたかな……もう少し小さな爆発にするつもりだったんだけど」


 平民風の服装に身を包み、ポケットに手を入れて歩くその男。

 苦笑いを浮かべ、ふらり、ふらり、と左右に身体を揺らしながら離宮の正門へと近づいていく。


「……ん? 誰だ?」


 その姿が、警備兵たちの目にとまる。

 1番に目撃した警備兵は、月明かりに照らされたその男を見て目を疑った。

 まるでピクニックに来たかのような気楽な足取りで、あまりにも場にそぐわない雰囲気をまとっていたのだ。


「なんだてめえは!」


 警備兵の1人が叫ぶように言うと、他の者たちも一斉に正門へと顔を向けた。

 

 暗闇の中、青い月と赤い炎がリュウの顔を照らし出す。


「こんなにも月が青くて明るいしさ」


 彼の右手には『ハイパーサムライソード』。


「皆さんには夜遊びに付き合ってもらおうか」


 50人を越える警備兵を前にしてなお、彼は締まりのない笑顔を浮かべていた。







 万事がリュウの言ったとおりに進んでいることに、シェンラは恐ろしさすら覚えていた。

 物陰から顔を出し、離宮とこちら側を隔てる高い壁の様子を見て、改めて思う。あの男の言っていたことに間違いなんてないのだと。


 シェンラの潜む場所は離宮の南側。外と離宮とを分かつ高い壁のそばの草むらだ。

 今、この周辺を警備を担当しているの親衛隊の者たちは、こぞって北の正門の爆発騒ぎの様子を見に行ってしまっていた。よって、ここの警備が非常に手薄になっている。

 リュウの言っていた、親衛隊の組織性の脆さ。それがもろに出てしまったようだ。


「……今だな」


 潜入するならば今しかない。

 シェンラは草むらから勢いよく飛び出し、壁の下に立った。

 そりたつ壁の高さは人間3人分程度。これぐらいならば持ってきたロープで軽く越えられる。


 シェンラはまず、壁の近くに立っている木に目をつけた。緑色の筒が伸びたような独特の形をしたこの木は、温暖な気候の土地にしか生えない『カテ』という木だ。

 この木の幹は非常に堅く、中が空洞になっているため弾力性に富んでいる。どれだけ折り曲げても折れはしない。装飾品から建築資材、弓矢の材料にもなっている優れものだ。


 離宮の裏にこんなものが植えられているのは、戦争中の資材不足を補うためだった。

 何十年か前、平地だったこの地に今のアルトレ王が植えることを指示したという。

 たとえ王の住む地であろうとも、国のためなら有効活用する。それが王の優しさだった。

 

 戦いのために植えられた木。ならば今のこの戦いでも有効活用させてもらおう。

 シェンラはカテの木の前に立つ。


「教えてもらった時はいつ使うのかと思っていたが、案外役に立つものだ」


 人の腕ほどの太さの幹の、なるべく上の部分にロープをくくりつける。もう片方の端はしっかりと手で持ち、壁を背にしてカテの木に対峙する。


「……よし!」


 シェンラは木に向かって走り出した。加速し、目前に緑の幹が迫ったところでジャンプ、幹に着地。

 すると勢いを受けたカテの木は限界までしなり、その弾力性によって急激に元に戻ろうとする。

 シェンラはその力を利用する。つまり、カテの木をバネにして、空高く飛び上がるのだ。


 シェンラの身体は勢いよく宙に放り出された。その高さは離宮の壁を超え、彼女はまるでボールのように壁の向こう側へと落ちていった。


 そのまま落ちていっては衝撃で怪我をするだけ。しかしここでロープが意味を持ってくる。

 地面に後少しでぶつかろうとした時、木に結んでいたロープがピンと張られた。木が先ほどとは逆方向にしなり、また元に戻る力を発揮しようとしているのだ。

 地面に落ちようとする力と、木が元に戻ろうとする力が釣り合ったこの時、身体が空中で静止する瞬間がある。それを逃さず察知しロープから手を離すことで、シェンラは受け身をとる必要もなく、静かに地面に着地することができたのだった。


「ふぅ」


 無事に飛び越えられたことで息をつくシェンラ。

 手放したロープが壁の向こう側へと戻っていくのを、冷静に見送った。

 

「お見事。身体はなまっていないようだな」

「っ、誰だ!」


 安心していたところに突然後ろから声をかけられ振り返る。

 壁に身体を預けて立っている男が1人。


 まさか警備兵かと思い、シェンラは瞬時に戦闘態勢を取るが、男の顔を見てすぐに拳を解いた。


「だ、団長……?」

「ああ。久しぶりだな、シェンラ」


 彫りの深い顔に笑みを浮かべて立っている男。それはアルトレ王国騎士団の団長、ゲルマ=リーシェルだった。

 半年ぶりの恩師との対面に感激しつつも、ありえない人間がここにいることに、シェンラは驚きを隠せない。


「ど、どうしてここに」

「私もこの作戦に加わっているのだよ。内部協力者としてな」

「団長が……?」

「王を救うなどという大事な任務、私自身がこなさなくてはな」


 そう言ってシェンラの肩を叩く団長。四十路を超えてなお精悍な身体つき、若々しく威厳溢れる顔は、半年前と何も変わっていなかった。

 リュウの言っていた『協力者』とは彼のことだったようだ。


 だが、シェンラの顔色は優れない。

 彼女には彼の協力を受け入れられない理由があった。


 それはゲルマ団長の微妙な立ち位置に関係があった。

 現在、騎士団の勢力は宰相によって激減させられているが、それでもまだて存在し続けられているのは、ひとえに団長の手腕によるところが大きい。

 ほとんどの権力を手に入れた宰相に対して、異議を挟むことができるのが騎士団だけ。だからこそ、存続か解体かの微妙な瀬戸際に立たされてもいると聞く。


 だというのにこんな作戦に加わったと知られれば、騎士団は一気に解散に追い込まれてしまう。

 それはダメだと協力を拒むシェンラだったが、ゲルマは首を横に振った。


「違うぞ、シェンラ。今日を逃せば、もはや宰相の独裁を止めることはできんのだ」

「何故ですか? まだ王は……」

「宰相はこの国を私物化しようとしている。あと数日もすれば、あいつは『帝法』を制定し、皇帝になるつもりだからな」

「皇帝? それはつまり……革命ですか?」

「そうだ。王を完全に排除し、自分をこの国の頂点に据えるつもりなのだ……永久にな」


 まさかそんなことになっているとは思いもせず、シェンラはここでもまたリュウの狙いの1つに気が付いた。

 彼が頑なに「待てない」と言っていたのは、宰相の思惑を知っていたからなのかもしれない。

 今日のこの機会を逃し、宰相が皇帝になってしまえば、王を助けても無意味。だからリュウは決断を促してきたのだろう。


「やはりリュウは全部見抜いて……」

「リュウ? それはもしや、今回の作戦の首謀者の名前か?」

「知っているのですか?」


 ゲルマは懐から封筒を取り出し、疑問に満ちた表情を浮かべる。


「知っているも何も……その男は何者だ? 私に突然こんな手紙を送りつけ、協力しろなどと言ってくる大胆な男は」

「手紙? リュウが手紙を送ってきたのですか?」

「ああ。私には読めない文字で名前が書かれていたのだが……」


 昼間に配達されてきた手紙のことかもしれない、とシェンラは思った。2通あった内の1通は団長からのものだったらしい。


「最初は眉唾ものだと思っていたが、さすがに救出計画の内容を事細かに説明された手紙をもらってはな……お前の近況も詳しく書かれてあったので、とりあえず協力するという返事をした。

 だがな、実際のところ、私は本気で信じていたわけではない。今日ここで侵入してくるというお前を待ってみて、真実かどうか確かめようと思ったのだ。

 すると、本当にお前が飛んできたではないか。私はもう計画に加わる決意を固めたよ。騎士団の連中にも指示は出してある」


 直接手紙を送りつけたリュウも大胆だが、団長もなかなかに大胆で決断力のある人だ。

 

「で、リュウとは誰だ? お前の知っている人間か?」

「私にも分かりません。ただ者ではないのは確かなのですが……」


 シェンラはリュウの姿を心に思い浮かべる。

 最初はただのダメ男だと思った。けれど実際は、強い心とそれに裏打ちされた実力を持っていた。

 いつも浮かべているあの笑み。あれは優しさの象徴なのだと、今なら思えた。


「彼は今、1人で戦っています。正門で」

「なに? では、本当に囮役はその男1人なのか」


 絶句しているゲルマ。当然だろう。普通ならありえない話。

 珍しい彼の驚き顔に、シェンラは苦笑する。自分も驚いたな、と。


「はい。そして、彼はきっと囮役を全うするでしょう……おそらく彼にとって、警備兵50名程度はものの数に入らないのだと思います」

「ほう? お前がそこまで認めるとは、よほどの男のようだな」

「彼は……ただの棒っきれで鉄を斬りました。それも魔法を使わずにです」

「……なんだと?」


 『ハイパーサムライソード』で鉄の棒を斬ったあの時、シェンラはリュウの持つ力が途方もないものであることを確信した。


 魔法で鉄を斬る。これは魔法を使える者ならば誰でもできる。

 普通の剣で鉄を斬る。これも至難の業だが、腕の立つ者ならばできないことはない。


 だが、刃も何もついていない『ハイパーサムライソード』では、例え野菜であって斬ることはできないだろう。あれは子供用のおもちゃなのだから、そもそも斬れてはいけないのだ。

 しかしリュウはそれをやった。剣圧で斬ったのか、魔法以外の不思議パワーでも使ったのか、それは分からない。


 分かっているのは、あんな尋常ではない技を使える彼がそこらの兵士に負けるはずがないということだけだった。


「そんなことができるのは世界で何人いるか……リュウという名前……まさか」


 騎士団長はしばらくぶつぶつと考え事をしていたが、今が作戦の途中であったことを思い出したのだろう、気を取り直したように顔をあげた。


「いや、話が長くなった。行くぞ、王がいるのは最上階の三角塔だ」

「はい」


 シェンラとゲルマは連れ立って走り出す。

 

 目の前にそびえ立つ城造りの建物を、シェンラは見上げる。

 離宮に侵入した以上、もう前を向くしかない。


 彼が背中を押してくれたのだ。ここで止まっては彼を裏切ることになる。

 シェンラは北の方角にいるのであろうリュウのことを思い、静寂に包まれた離宮の中へと入っていくのだった。




 肉のぶつかる鈍い音が響く。親衛隊の1人が足を振り上げれば、砂埃が舞う。

 数十人の男が円を組み、1つの地点に暴力を振るっている――ように見える。


 親衛隊のリーダーであるフリードは、目の前で繰り広げられている光景に眉をひそめた。


「なんだこれは……」


 離宮の北門に到着した時、彼は2つの騒ぎの地点を見つけた。


 1つは警備兵の詰所の火災だ。轟々に燃え上がる炎と周囲に散らばった木の破片は、明らかに爆発騒ぎがあったことを示していた。フリードはこれを見て、すかさず消火作業を指示、今ではなんとか鎮火しかけている。


 そしてもう1つの騒ぎが、警備兵たちによる1人の男への集団リンチ。

 十数人の警備兵が倒れている男を一方的に殴り、蹴り、踏みつけている――ように見える。


 フリードは眉間に皺を寄せる。いったい何が起こっているのだ、と。

 そんな彼の傍に、親衛隊の1人が寄ってきた。


「お頭! どうしてここに?」


「爆発があったんだから、来るのはあたりめえだろ。それより、何があった。説明しろ」


「へい、説明するまでもありやせんが……変な男が門を通ろうとしたんでさあ。しかしまあ、言っても聞かねえんで、こりゃ身体で分からせるしかねえって、あいつらがああやって『教育』してるところで」


「『教育』? あれがか?」


「は? お頭、まさかリンチはいけねえだなんて、そんなことを言うんじゃ……」


「ちげえよ。よく見ろ……あれが本当にリンチか?」


 フリードに促され、部下の男がじっと騒ぎの中心に視線をやった。


 倒れている男。囲む親衛隊。腕を振り上げ、勢いよく振り下ろす。

 暴力はいつまでも続いていた。きっとあの優男は絶え間ない衝撃に気を失っていて、動けないのだろう。起きあがる気配はない。

 やはり目の前で繰り広げられているのは、ただのリンチだった。


 しかし、リーダーに促されて何も分からないというのはまずい。

 何か変なところはないか。部下は一生懸命になって観察していると……気が付いたことがあった。

 リンチを加えている男たちの目。彼らの視線の先にいるのは眼下の相手ではなかった。

 彼らは横を向いていたり、上を見上げていたりして、まるでバラバラな方向を向いている。


 どうして? なぜ奴らはあんな呆けたような顔をしているのか。

 部下がそのことをリーダーに告げようとすると、


「ちっ、気味わりいんだよ」


 フリードが腰からナイフを抜き、思いっきりリンチ現場に向かって投げつけた。

 ナイフは親衛隊の1人に向かって飛んでいく。仲間にナイフを投げるとは、リーダーの気が狂ったかと部下は驚き、凄惨な光景を予想して顔をしかめる。


 しかし突き刺さる直前、ナイフが空中で止まった。

 1人の男が、指先でナイフを掴んでいた。


「……おいおい、こういうのは心臓に悪いからやめろよ」


 それは、ついさっきまでリンチを受けていたはずのへなちょこ男だった。

 仲間の1人に小突かれただけで倒れ、それからずっと殴られ蹴られていたのに、男には怪我ひとつない。

 それどころか、その場に立っていたのは貧弱男だけだった。リンチを加えていたはずの仲間たちは、全員白目を剥いて倒れてしまっている。


 ありえない光景に、親衛隊たちは言葉を失った。

 ただ1人、フリードだけが怒気をまとった言葉を侵入者に投げかけた。


「やっぱりか。てめえ、芝居かましてやがったな」

「あんたやるねえ。あれを見破るなんて目が良いよ」


 指で掴んだナイフを地面に投げ刺し、不適に笑う男。フリードがギンッと睨みつけても、彼は余裕を保っている。

 親衛隊たちにはその余裕さも信じられなかった。どれだけ腕をならした者であっても、フリードの睨みには腰が引けるというのに。

 あの軟弱な身体のどこに、そんな豪胆さを持っているのだろうか。


「てめえはあの時も俺をだまくらかしてくれた奴だな」

「ご名答」

「答えろ。そこで白目剥いてる俺の部下共をどうした。魔法でも使ったのか」

「いんや、気絶してるだけ。怪我はないよ」

「……つーことは、さっきのリンチ中も」


 あのリンチの間も、親衛隊たちは気絶していた――信じられないことだが、そうとしか考えられない。


「その通り。手品の種も教えてほしければ、教えるけど?」


 フリードが黙って続きを促す。

 男は「ふむ」と頷き、右手に持つ木の棒――いや、木よりもさらに柔らかそうな素材でできている棒を掲げた。


「腕とか足とかを叩いたり引いたりして、うまく重心を操作するだけでいい。そうすれば、立ったまま気絶するどころか、人形みたいに動かすことも可能ってね」


 これにはフリードも驚いていた。

 つまり彼は、敵十数人を一瞬で気絶させ、倒れさせないようにしつつ、自分の思い通りに動かしてたことになる。

 あの砂煙の中でそんなことを行っていたというのか。


「……人間業じゃねえな」

「その業を見破ったあんたも相当なものだよ。もう少し時間が稼げると思ったんだけどな」


 お互いに笑い合うフリードと男。

 一瞬空気が和らぐが、それをまた張りつめさせるように、フリードから強烈な殺気が放たれた。

 余波を受けた親衛隊の何人かがへたりこんでしまうほどの、巨大で鋭い殺気だった。

 

「てめえが何者か知らねえが、俺をコケにしてくれた礼はしてやる」

「おお、怖い怖い」


 それでも男は涼やかな顔をしている。恐怖など微塵も感じていないようだ。


「どうせてめえは囮だろ。今頃、別の場所からあの女騎士がここに侵入してる。違うか」

「……あんた、本当に勘がいいね」


 男が肩をすくめて笑った。


 予想外の話に、周囲にいる親衛隊がざわつき始めた。

 他にも侵入者がいるということは、自分たちが警備に失敗したことを意味するからだ。特に裏手の巡回をしているはずの者たちは、後に受ける叱責を予想して顔を青くした。強面の彼らがそうなってしまうほどに、フリードという男は恐れられているのだ。

 そのフリードは、周囲の喧騒を気にすることなく、目の前の男に厳しい視線を向け続けている。


「はっ、だがな、全部無駄なんだよ。てめえがどれだけ強かろうが、女騎士が王を助けようが、俺の剣を前にすりゃ、無駄だ」

「それはどうかな? 案外、こっちの『ハイパーサムライソード』の方が強かったりするかもだ」

「……舐めんなよ、小僧」


 フリードが剣を抜いた。柄の先端に緑色の石をはめ込んだ、彼愛用の剣を。


 部下たちは悟った。この戦いがリーダーの勝利に終わるであろうと。

 フリードが『魔法』を使えば、どんな相手であっても簡単に殺すことができるのだから。



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