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第4話~笑顔~

「ハァッ……ハァッ……!!」


闇夜の林をあてもなく走り続ける。心拍数は跳ね上がり、汗はすでに流し尽くし、喉が枯れ果ててもなお走り続けなければならない。そうしなければ奴等に“狩られて”しまう。


「ッ!!」


「いたぞ!!」


正面に現れた武装した男。手には、引金を引けば高速の鉛玉を何発も発射させる鉄の塊……そう、ライフルだ。


「化け物が!!」


男は銃口を向けた。恐れて逃げ回るだけではいずれ“狩られる”、形振りなど構っていられなかった。立ち止まるどころか、男に向かってさらに加速する。“それ”に向かって男は引金を引いた。


―パァンッッ!!


破裂音とともに銃口が火を吹いた。


「……な、に……?」


男は“それ”に銃口を向けていたはずだった。しかし引金を引いた時、銃口は真上を向いていた。“それ”の手が銃口の先端部を掴み、軌道をずらしていたのだ。


「ゥゥウウウアアアアッッ!!」


―ズドッッ!!


「〜〜っっ!!」


男の腹部に渾身の一撃が突き刺さった。男は声にならない悲鳴をあげ、前屈みになる。


「ァァァアアアアッッ!!」


―グシャッッ!!


さらに両手で男の頭を掴み、地面を強く蹴って加速させた膝を顔面に叩き込んだ。小気味良い骨の破砕音と共に、男は後方に吹っ飛んだ。何度か地面を跳ねると男は動かなくなった。


「ハァッ……ハァッ……」


男の体から吹き出した鮮血を浴びた“それ”は、雲の隙間から漏れる月明かりを浴びて、妖艶な美しさを放っていた。“それ”は年端もいかぬ少女だったのだ。


「銃声が聞こえたぞ、こっちだ!!」


「!!」


気配を感じるとまたすぐに駆け出した。立ち止まることなく闇に溶けるように、少女は消えていった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「これが納品伝票」


―バサリッ!


「これが発注伝票」


―バサリッ!


段々と積み重なっていく伝票の束。みるみるうちに机がその束に覆われていく。これだけの屋敷を切り盛りする伝票だ、その量も半端ではない。


「目を通して個数等異状無ければ、確認印を押せ」


「椿さん、押せって……これ全部……?」


所長室にて、椿に仕事を見てもらっている暁彦。暁彦は机の上にある大量の伝票に目を向けていた。


「一枚だけでいいわけないだろう、全部だ」


「ひ〜〜っっ」


椿教官の厳しい教えで、今では従業員顔負けの仕事量をこなすようになった暁彦。いや、そうせざるを得なかったと言うのが本音だが。


「ふむ、少しはマシになったようだ」


「あ、ありがとうございます……」


「休憩しよう」


「やった」


教官の厳しい点検にも合格をもらい、休憩という名のご褒美を頂けた。程なくして、カート押してきた使用人が所長室に入ってきた。葉月と同い年くらいの女の子、緊張しているのかたどたどしい。


「失礼します……」


「すまないな、後は私がするから戻っていいぞ」


「えっ、ですけど……」


カートを受け取ると椿が少女に言った。茶器の用意という少女の勤めを、椿が肩代わりするというので戸惑っているのだろう、困った顔をしている。


「まだ、することがあるんだろう?後は私にまかせて仕事にお戻り」


「はぅっ!?」


少女の耳元で椿が囁くように言うものだから、少女は顔を真っ赤にして照れていた。同性から見ても椿は十分魅力的なのだろう。椿自身は自分の行いが、少女をときめかせている事に気付いてなさそうだが。


「はい……椿ひゃん……」


「ああ」


椿の微笑みで、メロメロになった少女はフラフラしながら幸せそうに所長室を出ていった。その一部始終見ていた暁彦が口を開いた。


「……椿さんてさ、女の子からラブレターとかもらったことあるでしょ?」


「ッ!?」


―ガチャン!


暁彦の言葉にひどく動揺する椿、ソーサーを落とした。頭の獣耳をバフッと立てて頬を赤くする。


「なっ、何を言ってるんだ、お前はッ!!そそっ、そんなわけあるかッ!!」


「あ〜、はいはい……(こりゃ、図星だな……)」


暁彦は椿の態度の分かりやすさに苦笑いした。暁彦の一言にすっかり拗ねてしまった椿だったが、茶器の用意をしてくれる。


「ほら」


「ありがとう」


椿からコーヒーの入ったカップとソーサーを受け取る。暁彦はふと思ったことを口にした。


「椿さんは、さっきの娘や、葉月さんや茉奈さんが着ているような……メイド服って言うの……?着ないの?」


「私が?」


確かに椿は、女性が着ているような作業服ではなく、白い胴着に群青の袴という古風な格好をしている。しかも、その格好で使用人のように茶器を用意する姿は、ミスマッチしていて面白い。茶道に通じているのではないかと思った。


「何だ、私にあの格好をしてほしいのか?」


「いや、そういうわけじゃないけど……」


ニヤリとする椿、からかうように暁彦を見つめた。


「私には、あんなスカートだの、ブーツなど着こなせないさ」


「どうして?似合うと思うけど?」


「い……いいんだ、私には似合わない……身長も高いし(またこいつは、さらりと恥ずかしいことを……)」


暁彦に悟られないように照れ隠しする椿。椿の身長は170?くらいで女性にしては高い方だが、暁彦は彼女に着こなせない事はないと思った。


「それに私はこっちの方がしっくりくる」


「うん、その姿も似合ってる」


「〜〜〜っ!(こいつはっ……)」


にぱっと笑う暁彦に、声を出さないように悶絶する椿。それも暁彦に気付かれないように背中を向けた。


「茉奈さんに聞いたんだけど、椿さん弓道やってるんだって?今度見に行ってもいい?」


「駄目だ!来るな!」


「え〜、なんで?」


「うるさい!」


「なんか、怒ってない……?」


「怒ってないッ!」


いつの間にか、椿とも普通に会話できるようになった暁彦。初めは冷たかった彼女も、段々と暁彦を受け入れ始めた。暁彦もそれが嬉しくてたまらなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「椿さん、なんで怒ってたんだろ。怒らせる事言った覚えはないんだけどな」


暁彦もまた椿が照れてしまう発言をしていた事に気付いていなかった。


「おっ、今日はすごくいい天気じゃん!外出たら気持ち良さそう」


廊下の窓から見える外の景色はとても生き生きして見えた。景色をみて風を浴びたくなった暁彦は外へと飛び出す。屋敷の周りは森林帯に囲まれており、裏側には小高い丘が広がっていた。使用人達にとっても散歩や運動をしたり、憩の場となっている。


「はぁ……はぁ……くそ、最近デスクワークばかりだったから、体が鈍ってる……」


肩で息をしながら何とか丘へとたどり着いた。そのままごろんと地面に大の字で寝転んだ。


「ふぁ〜〜〜っ!気持ちいい……」


真上に広がる真っ青な空と、体をなでる爽やかなそよ風。聞こえてくるのは、そよ風に吹かれてはしゃぐ草木の声と、小鳥達の歌声。体いっぱいに感じて、仰向けに寝転んだまま背伸びした。体が十分にリラックスして、睡魔が現れそうになった頃。


《……お、じぃ……ちゃん……》


「……ぅん?……あれ?」


今、一瞬何かが聞こえたような気がした。気のせいだと思い、また寝転がる。


《……おじぃちゃん!!》


「!!」


今度ははっきりと聞こえた。少女の声だった。その声は不思議で、直接耳に聞こえてきたというよりかは、頭の中に響いてきたという感じがした。起き上がってキョロキョロと辺りを見回すが、特に変わった様子はない。やはり気のせいだったのかと思い始めた時、丘と林の境界に何かを見つけた。遠くから見ると、それはぼろ布のようなものだったが、近付くにつれて次第に輪郭がはっきりとしてくる。


「……えっ……人だっ!!」


直ぐ様、駆け寄る暁彦。うつ伏せに倒れてる人を抱き起こした。


「大丈夫ですかっ!?」


「ぅ……ぁ……」


ぼろぼろの衣服を身に付け、至るところ擦り傷切傷、血の滲み、泥まみれで、死んでいるのではないかと思うほどだった。かろうじて息をしているもののそれも弱々しく、衰弱しきった体は力なくだらんとしていた。


「この娘……」


さらに驚く事に、それは年端もいかぬ亜人種の少女だった。燃えるような真っ赤な髪からは黄色と黒の縞模様の獣耳が覗いている。


「とりあえず屋敷に運ぼうっ!」


暁彦は少女を背中に背負うと、今登った丘を下っていった。








「暁彦様っ!午後のお仕事すっぽかして、どこ行ってたんですかっ!?椿さんカンカンですよっ!」


屋敷に着くやいなや、出会した葉月に怒られてしまった。


「葉月さん、それどころじゃないんだっ!今すぐ、この娘手当てしないとっ!」


「えっ……酷い怪我っ!!わかりました、医務室はこっちですっ!!」


怒っていた葉月も暁彦の真剣な表情と背中の少女を見てただ事ではないと判断したようだ。暁彦に医務室までの道のりを案内した。


「センセっ!八雲(やくも)センセっ!」


慌ただしく医務室の扉を開ける葉月、続いて暁彦も部屋に入ってきた。


「やぁ、葉月君。それに暁彦君だったかな。どうしたんです?」


医務室には白衣に身を包み、フレームレスメガネをかけた優男が茶を啜っていた。血相を変える暁彦や葉月に全く動じず、穏和な表情を浮かべている。





僉山八雲(みなやまやくも)

HOE専属の医者。穏和な性格の優男だが、人間だけに関わらず亜人種医療においても精通している切れ者。





「せ、センセっ!!た、大変なんですっ!!」


「まぁまぁ、落ち着いて。ほら、お茶でも飲みなさい」


「お茶なんて飲んでる場合じゃありませんっ!」


自分の湯飲みを葉月に渡そうとする八雲。葉月はブンブンと首を振って断る。


「先生っ!この娘が大変なんだっ!」


「おや、その娘は……?」


「屋敷裏の丘で倒れていたんだっ!身体中怪我だらけで、ぐったりしてて……!!」


「わかりました、そこのベッドに寝かせてください」


暁彦が少女をベッドに寝かせると、先程のゆったりしたペースが嘘のように、八雲は素早く行動した。八雲は少女が身に付けるぼろぼろの衣服を脱がせていく。


「葉月君、消毒ガーゼで身体を拭いて」


「はいっ」


「暁彦君は洗面器にお湯を、それとタオルも準備してください」


「はい!」


暁彦と葉月にてきぱき指示を出しながら、八雲は少女の身体に直接触れて怪我の状況を把握していく。一通り把握し終えるとすぐに怪我の手当てに取りかかった。



八雲の手が止まったのはそれから数時間後のことだった。葉月と暁彦は少女の手当てで、くたくたに疲れて椅子に座り込む。八雲はずっと少女に付きっきりで手当てしていたにも関わらず、疲れた様子もなく穏和な表情を浮かべていた。


「お疲れ様でした、二人とも」


八雲は葉月と暁彦にココアの入ったカップを渡す。暁彦は恐る恐る聞いてみる。


「先生、あの娘の容態は……?」


「もう、大丈夫ですよ。見た目の割りに酷い怪我もないので、安静にしていれば直ぐに良くなります」


ベッドには、身体を手当てされた少女が点滴されながら眠っていた。身体も衣服も清潔になり、苦しそうだった呼吸も今では落ち着いている。


「良かった……」


「先生、ありがとうございます」


笑顔でそう言った八雲の言葉を聞いて暁彦と葉月は安堵した。葉月は目に涙まで溜めて喜んだ。


「いいんですよ、私はこれが仕事ですから。この娘を助けることが出来たのは葉月君に暁彦君のおかげです、こちらこそありがとう」


八雲は笑顔で答える。彼もまた、心から喜んでいるようだった。不意に八雲が言った。


「おや、これは困りましたねぇ……御茶葉が切れてしまいました。葉月君、申し訳ないのですがハルさんに言って御茶葉を貰ってきてくれませんか?」


「はい、まかせてください」


ひとつ返事で了承し葉月は医務室から出ていった。それを見計らった八雲が暁彦に話す。


「時に、暁彦君。君はこの娘が『丘に倒れていた』と言っていましたね?」


「は、はい」


急に雰囲気が変わる八雲、彼の表情から笑顔が消えた。暁彦もそれに気が付いた。


「心して聞いてください。彼女には“銃創”がありました」


「それって……銃で撃たれたって事?」


一瞬にして顔がひきつる暁彦。


「はい。これは私の推測なのですが、あの娘は“ハンター”に襲われたのだと思います」


「!!」






【ハンター】

文字通り“狩る者”の意。未だ根強く残る亜人種差別が生んだ悲劇、亜人種を殲滅するための組織。今ではもちろん、亜人種保護法により解体させられたが、未だに非合法に活動しているものがある。





「君はここに来てまだ間もないですが、現在このHOEの責任者は君です。私たちもずっと前から亜人種差別を無くそう努力していますが……その中でも一番の問題がこの“ハンター”という組織です」


衝撃的な事実に目眩がする。保護法が制定された今でさえもこんな暗黒が蠢いていたとは。


「ハンターはこの娘達の事を“人”だと思っていません。金さえ出せば何でもするし、また“狩る”事を楽しんでいる奴等さえいます」


「そ、んな……みんな同じ……生きているのに……」


「辛い事実ですが、受け止めなくてはなりません。そして今すぐでも止めさせなくては……」


八雲の悲しそうな瞳、彼は本当に努力してきた。しかし未だになくならない亜人種差別、そしてその悲劇。今の段階ではどうすることも出来ない自分の不甲斐なさを許すことができなかった。


「君も、このHOEに携わる以上他人事ではありません。だから、ぜひ君にも聞いておいてほしかった」


「…………」


暁彦は何も言うことができなかった。どうすることも出来なかった。ただ、この胸の蟠りを抑える事しか出来なかった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


夕食を終えた後、暁彦は医務室に来ていた。夕食時にたまたま椿と出会し、顔面にアイアンクローを食らって頭蓋骨を軋ませられたが、事情を話すと許してくれた。アイアンクローを放たれる前に事情を話しておきたかった。


「暁彦君、私が看ているよ。もう、休みなさい」


「はい、お願いします」


八雲は暁彦に気を使ってくれた。暁彦もベッドに安らかな寝息をたてる少女を見て安心した。医務室を後にしようと思ったその時、ふと少女が身に付けていたぼろぼろの衣服が目に止まる。内ポケットに何か入っている。不謹慎だと思ったが、中身を見せてもらうことにした。


「……写真?」


それはクシャクシャになった写真だった。所々、濡れたり泥がついたり汚れていたが、大事そうに内ポケットにしまわれていた。写真には二人の姿が写し出されている。


「どうしたんです?」


「この娘の服のポケットに写真が」


一人はこの娘、今より幼い少女の満面の笑顔。もう一人はその少女を肩車する老人の姿、その老人もまた少女を肩車して幸せそうに微笑んでいるのだ。暁彦は胸に何かが込み上げてくるものを感じていた。


「きっと……家族の……写真ですね」


「ええ、そのようです」


暁彦は八雲と顔を合わせて微笑んだ。その時。


「……ぅ」


「!」


少女が声を漏らす、うなされているようだった。


「……だめ、お……じぃ、ちゃん……逃、げて……」


さっきまで安らかな表情を浮かべていた少女の顔が苦痛に歪む。


「おじぃ、ちゃん……やだっ…………あた、し……ひとり……しな、いで……」


少女の切なく悲しい声が医務室に響く。そして。


「おじいちゃんッッ!!」


―ガバッ!!


少女は目覚めた。ベッドから上半身を起こしすぐに辺りを見回す。


「……ここ、は……?」


ゆっくりと辺りを見回し、脇にいた暁彦に目が合った。暁彦は少女に話しかける。


「良かった、目が覚めたんだね。大丈夫、どこも痛くない?」


「待て、暁彦君。様子がおかしい……!」


少女は暁彦から目を離さなかった。赤い瞳が暁彦を見つめ続ける。その瞳は輝きがなく、冷たさを感じさせる。不意に少女は笑った。


「人間……見つけたっ……」


―ゾクッッ!!


「うっ!!」


背筋が凍りつくような寒気がした。こんな顔を見たのは生まれて初めてだった。瞳孔は小さく収縮し、血のような赤い瞳が暁彦を貫く。口の両端は裂けるように上に持ち上がり鋭い牙が現れた。それは狂った笑みだった、感じたことのない恐怖が暁彦を凍り付かせる。


「おじいちゃんを殺した……人間……おじいちゃん、私が仇を……取ってあげるからね……」


「(やばいやばいやばいやばい……!!)」


本能が告げていた、“逃げろ”と。


少女は一度跳躍してベッドにしゃがみこむと、深く沈み込み暁彦に向かって二度目の跳躍をした。その素早い動きに暁彦は対応出来ない。


―ガシャァァアアッッ!!


轟音とともに暁彦の真後ろにあった鉄製ロッカーがひしゃげた。


「はぁっ……はぁっ……」


「八雲……先生……」


間一髪、八雲が暁彦の襟首を掴んで引っ張り、少女の一撃をかわすことができた。あの華奢な身体にこれほどの力があるのかと信じられなかった。


「殺す……殺してあげる……ひゃはっ」


少女は腕に繋がっている点滴をブチブチと引き抜く。点滴針を引き抜いた腕から血が滲む。


「暁彦君、立てるかい……?」


「はっ、はいっ……」


「彼女は錯乱しています……多分襲われた時のショックでしょう。このままじゃ危険です。他の人に被害が出ない所へ逃げましょう」


「わかり、ました……」


少女から目を離さぬように、慎重に扉へと向かう暁彦と八雲。少女もこちらに顔を向けたまま不気味に微笑んだ。


「(私が合図したら走りなさい、いいね?)」


頷いた暁彦を確認すると、八雲は傍らにおいてあった冷却スプレーを少女に気付かれぬよう背中に隠し持った。そして少女が跳躍するため屈んだ瞬間を見計らって、冷却スプレーを投げつけた。


―ヒュカッ!


少女に投げつけられたスプレー缶は真っ二つに寸断される、いや……少女が寸断したのだろう。もちろん、缶内に充満したガスは外壁を失う事で外へと噴出される。噴出されたガスは霧状となり、部屋内に発散した。


「今だっ!」


八雲の声を合図に暁彦は駆け出した。医務室の扉を出て廊下を駆け抜ける。


「ここからだと裏口を通って外へ……そうですよね、八雲せ……っ!?」


ここまで来て気付いた。一緒に駆け出して来たはずの八雲の姿が見えない。後ろを振り返ると、医務室から霧状のガスが 漏れていた。


「そんなっ…………あっ!!」


霧状のガス内に影が見える。それはゆらゆら揺れながらこちらに近付いてくる。暁彦は安堵した。その影が八雲だと思ったのだ。


「良かった……先生……ッ!!?」


―ズルッ……ズルッ……。


「……みーつけたっ」


そこに現れたのはあの少女だった。右手には八雲が引き摺られている。暁彦を見て、宝物を見つけたかのように嬉しそうに笑った。


「(どうする……どうする……どうすれば……)」


必死にこの状況の打開策を練る暁彦。このような危機的状況を体験したのは初めてで、今までにないほど頭は回転する。しかし、いい案など思い浮かびそうになかった。


「キャァァアアッッ!!」


悲鳴が辺りに響き渡る。その悲鳴を上げたのは、さきほど医務室を出て行った葉月だった。


「葉月……さ……」


「…………?」


最悪のタイミングだった。このままでは葉月まで少女に襲われるかもしれない。それだけは避けなくては。


「来るな!来ちゃ駄目だ!!」


「で、でもっ……!!」


「早く逃げ……」


―ズドッ!!


暁彦の体に衝撃が伝わる。腹部に強烈な痛みが走り足が地から浮いた。少女の右拳が暁彦の腹部に突き刺さったのだ。


「ごほッッ!!」


あれほど離れていた距離が、いつの間にか縮まっていた。暁彦は殴り飛ばされた勢いで、廊下を跳ね転がった。


「暁彦様ァッ!!」


すぐに葉月は暁彦のもとへ駆け寄った。


「ぅ……ぐぅ……葉、月……逃げ……ろ……」


「暁彦様をおいていけませんっ!」


何とか立ち上がろうとするが、腹部に突き刺さった衝撃は内蔵まで達しており、体の自由を奪う。


「なんで……?」


「ひっ……」


いつの間にか、少女は暁彦の正面に立っていた。暁彦を殴り飛ばし開いた距離も数秒間で縮まる。少女の動きはありえない速さだった。葉月は少女と暁彦の間に割って入る。


「……暁彦様に……乱暴しないでっ!!」


「葉、月……」


葉月は両手を広げて暁彦を守ろうとする。小刻みに震えているのは、恐怖を圧し殺しているからだろう。そんな葉月を少女は不思議そうに見つめた。


「ねぇ……なんで、人間を庇うの?」


「えっ……」


「人間は……亜人種の敵……おじいちゃんを殺した……仇……憎くないの……人間が……?」


少女は人間を酷く憎んでいる。葉月もまた、このHOEに来るまで心ない人間に冷たくされただろう。憎んでいても可笑しくはなかった。


「……私……私は……」


葉月は少女の質問に戸惑っているようだった。暁彦がいる手前、本心を語る事を躊躇っていたのかもしれない。葉月は呟くように口を開いた。


「……確かに、憎んだこともあったよ……。嫌われて、気持ち悪がられて……痛くて辛くて、たまらなかった……」


「じゃあアンタも憎いはずでしょッ!?それがどうして人間なんかとっ……」


「だって……今は、一緒に笑ってくれる人がいるから……」


「!」


不意に葉月は笑った。


「ここの人はみんな私達と普通に接してくれる……叱ってくれる、笑ってくれる……私達のこと“認めて”くれるっ!!」


「……そうだ」


震える膝をだましながら、暁彦は自力で立ち上がる。腹部に手を当てているのはダメージが残っているからだろう。正面に立っていた葉月を脇に寄せた。


「はぁっ……君にも、そんな人が……いたはずだ」


「……お、じい、ちゃん……」


少女はぽつりと呟いた。少女の発する圧力が和らいだと思った瞬間。


「……気休めを言うなァァッッ!!」


―ガッッ!!


「がはっ!!」


少女は叫ぶと、暁彦の喉を右手で掴み宙に持ち上げた。暁彦の足が床から浮いた。


「その人を奪ったのは誰だッ!?そうっ、お前達人間だよッッ!!おじいちゃんは私を逃がすためにお前達人間と闘って……殺されたんだッッ!!」


「ぐっ……がっ……!!」


「いやぁぁああっっ!!」


葉月は悲鳴を上げる。掴まれた右手を振りほどこうにも、もの凄い握力で振りほどく事が出来ない。血液、呼吸が塞き止められ苦痛に顔が歪む。


「(そうか……だからこの娘はこんなにも俺達人間を憎んで……最愛の人を人間に奪われたから……)」


薄れていく意識の中で、暁彦は少女の事を考えていた。少女の痛みや辛さを生んだ責任を甘んじて受けようというのか。暁彦は反撃する力も失くなり、両腕をだらんとさせた。


「ははっ……このまま絞め殺して……っ?」


「やめてッ!放してよッ!暁彦様が死んじゃうッ!」


「(葉月、さん……)」


葉月は必死に少女の右手を掴んで揺さぶる。何とかして暁彦を助けようと少女に掴みかかるがびくともしない。


「放してッ!放してったらァッ!!」


「煩い!」


―パンッ!


「あうッッ!!」


少女の平手打ちが葉月の頬を打つ、その勢いで床へと転がった。


「人間に飼われやがって……邪魔するならお前も……」


―ひらり。


その時、暁彦のポケットから何かが落ちた。それはゆらゆらと宙を舞うと、ゆっくりと床へと落ちる。


「―ッ!!」


少女はそれを見て唖然とした。それは写真だった。少女と老人が仲睦まじく、笑顔で写った写真。


「……おじぃちゃん」


一筋の雫が少女の頬伝った。少女は脱力しその場に座り込む。同時に暁彦は解放され、床へと倒れ込んだ。


「がはッ……げほッ、ごほッ!!」


塞き止められていた血液と呼吸が再び循環し暁彦は噎せ込む。次第に意識が回復すると、視界に葉月の姿が映った。


「葉月、さんッ」


直ぐに駆け寄って、床にうずくまる葉月を抱き抱える。頬を赤くしてはいたが、幸い大した怪我ではないようだ。


「暁彦様……良かった、無事だったんですね……?」


「ああ、葉月さんこそ大丈夫?」


「はい、大丈夫です……あの娘は……?」


すぐに少女の事を気にかける葉月。打たれてもなお相手のことを気にする辺り葉月らしい。暁彦も同じ気持ちだった。


「……っ……っ」


少女は張りつめた糸がぷっつりと切れたように呆然していた。あの写真を大切そうに胸に抱えながら。


「葉月さん、ごめん」


「暁彦様……」


葉月の上半身を起こすと、暁彦は少女に向き直った。


「……会ったこともない俺が言える事じゃないけど」



「……?」


少女は虚ろな瞳でゆっくりと暁彦を見た。その姿はあまりにも弱々しくて、暴れていたのが嘘のよう。少女の瞳にもう敵意はなく、悲しい眼差しを浮かべるだけだった。


「君を守るために闘ったお祖父さんは…………君に『生きて欲しい』と願ったお祖父さんは……!!……君が復讐することなんて望んでないッッ!!」


「……っ」


少女の瞳が一層開かれる。


「ただ“生きて”……ただ“笑って”欲しかったんだッッ!!」


「―ッ!!」


少女の瞳から止めどなく溢れる涙、やがてその雫は頬を伝い写真へと落ちる。落ちた雫は写真へと染み込んだ。


「ァアッッ!!ゥァアアアアアッッ!!」


少女は叫び声を上げて泣いた。子供のように泣きじゃくる少女の姿。暁彦は少女に歩み寄った。


「……今までよく頑張ったね、もう安心していいから、大丈夫だから」


「ァァアアアッッ!!」


少女の頭を優しく撫でて身体を抱き締める。少女は抵抗することなくただ泣き続ける。冷えた細く華奢な身体が痛々しかった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「呼び出しておいて、いないとはどういうことだ」


「まぁまぁ、椿ちゃん」


「きっと、すぐに来られますよ」


後日、所長室に集められた葉月、茉奈、椿の三人。程なくすると所長室の扉が開いた。


「やぁ、みんな。待たせてごめんね」


「全くだ」


待たせて現れた暁彦に不満を漏らす椿。


「それよりも、今日は改まってどうなされたのですか?」


「うん、今日はみんなに紹介したい娘がいてね……入って」


暁彦がそう言うと所長室の扉が開いた。


「わぁ……」


「……」


そこへ現れたのはあの少女だった。少女は葉月達と同じ作業服に身を包んでおり、よく似合っていた。


「良かった、元気になったんだね!」


「可愛いです、よく似合っていますよ」


「あ、その……ありがと……」


少女は緊張しているのか、照れているのか、無愛想に話す。少女は先日事件を起こしたが、幸いにも暁彦、葉月、八雲の怪我は大したことなく大事には至らなかった。少女の身体と精神の状態も回復し、今では大分安定している。


「さ、自己紹介して」


「…………か、華恵(かえ)……です、よろしく……」


何とか捻り出した言葉、今の華恵の精一杯だった。


「華恵ちゃん!私、葉月っ。よろしくね!」


「わ、わっ……」


葉月は嬉しそうに華恵と握手するとぶんぶん手を振った。


―きゅうっ。


「わぷっ!」


「本当に可愛い娘……私は茉奈、よろしくお願いしますね?」


初対面の茉奈に抱き締められて、華恵は戸惑っているようだった。


「ちょ、放してっ」


「あら、ごめんなさい」


「私は椿だ、よろしく頼む」


「……よ、よろしく」


一通り紹介し終えると暁彦が口を開く。


「今日から華恵にはこのHOEで生活してもらうことにした。最初の内は不慣れな所もあると思うけど、みんなで助けてあげて欲しい」


暁彦の言葉に葉月、茉奈、椿の三人は頷く。


「じゃあ、さっそく……」


「待って!」


暁彦が言いかけた時、華恵が口を開く。和やかな雰囲気が一転、華恵の真剣な表情に緊張が走る。


「その前に、言わせて欲しいことがあるの……」


華恵は伏せ目がちに、申し訳なさそうに言った。皆、華恵を注目する。一呼吸おいて華恵が話す。


「ごめんなさいッッ!!」


「えっ……?」


華恵の言葉に皆、不思議そうな顔をする。


「あたし……みんなを傷付けた……。こんなに優しく迎え入れてくれるみんなに、ひどいことした……」


華恵はポロポロと涙を溢してしまう。華恵なりのけじめの付け方なのだろう。


「ずっと、謝り、たくて……ごめっ、なさい……っく」


「……華恵」


暁彦は華恵にそっと近付く。


「笑えっ」


―むにぃ。


「ひゃっ!?」


暁彦は突然、華恵の両頬を指でつまむと左右に引っ張った。華恵は予期せぬ事態に慌てる。


「なっ、なにひゅるのッ!」


「華恵は一番笑顔が似合う、だからどんな時も笑っていてほしい」


暁彦の言葉に華恵は呆然した。


「お前は確かに皆を傷付けた……でも、今しっかりと謝ったじゃないか。それで帳消しだ」


「そうそうっ!私なんて全然平気だよっ!」


「してしまったことは仕方がないわ。だからこれからに繋げましょう。華恵ちゃんはこれからその分挽回すればいいわ」


「みんな……」


皆、華恵を励ましてくれる。華恵の思いはすでに皆に伝わっていたのだ。


「なっ?……みんな華恵のこと許してくれるってさ。だから、華恵……“笑って”くれ」


「…………」


その時、どんな表情をしていたのかわからなかった。ただ、皆の笑顔につられて笑った。きっと、上手く表情を作れていなかったけど、精一杯いい笑顔を作った。


「みんな、ありがとう……」


そこには、満面の笑みを浮かべる少女の姿があった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


華恵の部屋には今でも、写真たてに飾られた一枚の写真がある。その写真はぼろぼろで所々色褪せたり、汚れてしまっているが、華恵にとってはかけがえのない大切な写真だ。祖父と、娘と、笑顔で写る“家族の写真”が飾られている。



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