第8話:マウントの空中庭園(スカイ・ガーデン) 〜お前の背伸びじゃ、空には届かねえぜ〜
「虎の威を借る狐。……だが、現代社会に溢れているのは、虎の毛皮をパッチワークして作った偽物の王座に座る、臆病な剥製たちだ」
喫茶店『ジャックポット』。午後の強い日差しが、店内にコントラストの激しい光と影を落としている。俺はトレンチコートの襟を立て、鏡の中の自分を冷徹に射貫いた。
今日の俺の横顔は、断崖絶壁に立つ孤高の狼のように峻烈だ。シガレットチョコを噛み砕く音さえ、虚飾を切り裂くナイフの響きになるはずだった。
だが、コートの裏側で脈打つ「社会的死」の恐怖が、俺の自尊心をじわじわと溶解させていく。
今日のTシャツは、爽やかなパステルイエローの生地に、絶望的にポップな丸文字でこう書かれている。
『みんな、俺を知らない。』
昨夜、SNSで「ゼンの正体って何? もしかしてただの無職?」という心ない書き込みを発見。焦った俺は「俺は世界を陰から支える狙撃手だ」と呟こうとしたが、フォロワーがわずか3人(うち2人は業者)である現実に打ちのめされ、咽び泣きながら選んだ「透明人間」の宣言だ。この布一枚が、俺の「孤高の狙撃手」というメッキを、単なる「誰にも相手にされない不審者」へと変質させていく。
「ゼンさーん! またお顔が『存在感ゼロの幽霊』みたいに薄くなってますよ? ほら、特製の『人脈が広がるかもしれないメロンソーダ』です! 炭酸強めで、刺激的ですよ!」
ミチルが、銀河系のすべての希望を凝縮したような笑顔でグラスを置く。
「……ミチル、俺に必要なのは人脈じゃない。この世から『フォロワー数』という名の残酷な階級制度が消滅することだ」
「ふふ、ゼンさんは相変わらず、孤独を楽しむのがお上手ですね!」
彼女の「ホワイトアウト(純粋な善意)」に晒され、俺のハードボイルドな輪郭が、炭酸の泡のように弾けて消えていく。
その時、店の扉が、高級ブランドの靴音をこれ見よがしに響かせて開いた。
現れたのは、自称・人脈モンスターの男、成瀬。
彼の背後には、社会の闇――「虎の威」という名の、中身のない巨大な影が立ち上っていた。
「……いやあ、参っちゃうよね。昨日も某有名IT企業の社長と会食でさ。彼、僕の助言がないと動けないって言うんだ。あ、その時計? 某国の王族からの贈り物なんだけど、僕には普通すぎて困るよ」
成瀬の言葉は、金メッキが剥がれ落ちた安物のアクセサリーのように安っぽい。
俺の視界が、瞬時にモノクロームの「観測モード」へ反転する。
成瀬の胸。そこに、まるで他人の写真を切り貼りして作ったコラージュのように歪んだ真っ赤な「痛点」が見えた。
それは【自己不在】【他者依存の自尊心】、そして「誰かと繋がっている自分」でなければ、自分に価値がないと信じ込んでいる【底なしの空虚】だ。
「 Sweetest Dream... 」
甘く、脳漿を極上のシロップに変えるような魅惑の声。
ハニーが、成瀬の背後に立ち、その偽物のブランド品で飾られた肩を優しくなでた。
彼女が指をパチンと鳴らすと、成瀬の周囲に、豪華絢爛な「虹色の空中庭園」が出現する。
「いいのよ、成瀬さん。あなたは『世界を結ぶ中心』。有名人と知り合いなのは、あなたが彼らと同じ高みにいる証拠だわ。……大丈夫、あなたの価値は、あなたが知っている『誰か』の数で決まるのよ……?」
「……そうだ。僕は、選ばれし人脈の王なんだ……。僕を知らない連中が、底辺なだけなんだ……。僕は永遠に、高貴な誰かの影として輝き続けるんだ……」
ハニーの【脳内補完(シュガー_コート)】が、成瀬の虚栄心を「社交界のカリスマ」という幻想へと美化していく。このままでは、彼は自分自身の名前を忘れるまで他人の名前を語り続け、最後には誰の記憶にも残らない「透明な亡霊」へと成り果てるだろう。
「ハニー……あんたの作る綿あめは、中身が空っぽだぜ。……地べたを這いずるような泥臭い『無名の自分』だけが、人を唯一本物の王座へ運ぶんだ」
俺は立ち上がり、トレンチコートの前を――真実を映す鏡のごとく全開にした。
「なっ……!?」
ハニーの余裕に満ちた微笑が、一瞬で引きつった。
彼女の視線の先。俺の胸元で、**『みんな、俺を知らない。』**という悲痛な叫びが、成瀬の虚飾を貫く。
「成瀬! お前が積み上げた空中庭園には、お前自身の足場がどこにもない! 誰を知っているか、誰と繋がっているか……そんな借り物の言葉を剥ぎ取った時、そこに残るのは『何者でもない空っぽなお前』だけなんだよ!」
俺は右手の指を、偽物のダイヤを砕く金槌のように交差させた。
少年誌の歴史に刻まれる、無慈悲な執行の瞬間。
「俺にアイツを笑う資格はない。……俺だって、昨夜フォロワーが3人しかいない現実に震え、誰にも知られたくないと願っている臆病者だからな。……だが、だからこそ、その『繋がっていない』という恐怖の深さは分かる!」
独白が重厚に響き、店内の空気が、絶対零度の孤独へと凍りつく。
「――お前の虚飾は、ここで精算する。JACKPOT執行!!」
パチンッ!!
衝撃波が店を揺らし、成瀬の頭上に巨大なスロットが出現する!
リールが爆速で回転し、揃った図柄は――【小・物・確定】!
「ぎゃあああああああ!! 本当は! 社長とは挨拶しただけで、時計も質屋で買った偽物ですううう! 自分が空っぽなのが怖くて、他人の名前を借りて大きく見せてましたああああ!! 僕自身には! 何の価値もないんだああああ!!」
成瀬が、衝撃波と共に店の壁を突き抜け、裏の公園の「砂場の隅」まで吹き飛んでいく!
ハニーが作り上げた「空中庭園」が粉々に砕け散り、剥き出しの「孤独」が成瀬の魂を貫いた。
彼は砂まみれになりながら、号泣し、「これからは……誰の影でもない、ただの情けない成瀬として生きていくううう!」と、初めて自分の「地べた」を踏みしめて叫び始めた。
「……ふん。ようやく、自分という名の独房から解放されたようだな」
俺はシガレットチョコを一本、ハードボイルドに噛み砕く。
決まった。今この瞬間、俺は間違いなくこの歪んだ世界の観測者だった。
だが。
「ゼンさーん! 今の、今までで一番『孤高の極み』を感じました!」
ミチルが、感動で瞳をうるうると輝かせ、俺のパステルイエローのTシャツを拝むように見つめていた。
「そのTシャツ! 『みんな、俺を知らない。』……! つまり、**『真の強者は理解者を求めず、ただ己の正義を貫くのみ。人脈などという鎖を断ち切り、無名の中に真理を見出せ』**っていう、成瀬さんへの、究極の悟りのメッセージだったんですね! ゼンさん、本当は世界中に知られるべき存在なのに、あえて『無名』を名乗って人々を救うなんて……!」
「……え?」
「さすが、人智を超えた孤独を愛するゼンさんです! その、あえてフォロワー数とかを気にする次元を超越して、影として生きる『真のダークヒーローの美学』……私、一生ついていきます!」
ミチルの、一点の曇りもない「女神の全肯定」。
それが、俺の豆腐メンタルに、多次元宇宙消滅規模の致命傷を与える。
俺は別に、悟りなんて開いていない。ただ昨夜、フォロワー数の少なさにガチで咽び泣き、現実から目を逸らしたかっただけだ。
「……あ……いや……ミチル……それは……高評価……すぎて……逆に……消えたい……」
「あ、ゼンさん? また顔が真っ白になって、存在が背景に溶け込んでますよ? ほら、次は『世界中の誰にも見つからない魔法のパフェ』、持ってきますからね!」
ミチルがスキップしながら奥へ引っ込む。
俺の視界から色が消え、ただ、自分のTシャツの『俺を知らない』という文字が、虚しく宙を舞う幻影が見えた。
「……J-JACK……POT……」
俺は、孤独の重みに耐えかねて、床に沈没した。
ハニーが隣で、「あはは! 本当に、あなたって世界一有名な『無名さん』ね!」と、椅子を叩いて爆笑していた。




