第27話:ノルマの断頭台 〜嘘の城を建てるのは、もうやめろ〜
喫茶店『ジャックポット』。
店内の空気は、高級な香水の香りと、胃を焼くような焦燥感が入り混じり、妙にギラついた緊張感に包まれていた。
カウンターの中央で、仕立てのいいスーツを着こなした男が、三台のスマホを使い分けながら、立て板に水のごとく「幸福な家庭像」を語り倒している。だが、その目は一切笑っておらず、常に株価チャートを見るような冷徹さで、相手の懐具合を探っていた。
ゼンは、その男の前に、ミチルが「一括ローン並みの重圧」を込めて作った、特大のベイクドチーズケーキを置いた。
今日のゼンのTシャツは、家の間取り図がバラバラに分解され、迷路のようになったデザイン。胸元には、看板のパロディのような書体でこう刻まれている。
『オープンハウス、中止。』
「……ミチル。あのお客さん、さっきから『家族の絆』だの『資産価値』だの、耳障りのいい言葉を並べてるけど、手元のメモには『客A:推定予算6000万、カモ』って書いてあるぞ。あれじゃ、夢を売ってるんじゃなくて、ただの『負債』をラッピングして押し付けてるだけだろ」
「ゼンさん、あれは現代の『幸福のブローカー』ですよ!」
看板娘のミチルが、モデルハウスのキッチンに立つ主婦のような、非の打ち所のない笑顔で答える。
「彼は、空虚な人々に『自分だけの城』という幻想を売り、35年間の労働という名の懲役を契約させているんです。ゼンさんのこの、住所不定(ミチルの胃袋の中)で、資産価値ゼロの『事故物件』みたいな人生も、彼の魔法にかかれば一瞬で『ヴィンテージな隠れ家』として高値がついちゃいますよ?」
ゼンの脳裏に、昨夜、自分の将来について考えようとして、「俺、この店のカウンターから一歩でも外に出たら、雨風を凌ぐ術すらないんじゃないか?」と、自分の『生存権』をミチルに全額担保設定されている現実に気づいて震えた記憶がリフレクトする。
「……はい、奥様。その吹き抜けが、お子様の感性を育むんです。……(チッ、このオプションで100万乗せられるな)。……ええ、一生の思い出になりますよ。……(早くハンコ押せよ、今月のノルマまであと一件なんだよ!)」
男――大手ハウスメーカーの営業職、家門が、眩しい笑顔のままスマホを切った。
彼は、社内の「売上ランキング」という名の断頭台に常に首をかけられ、顧客を「人間」ではなく「歩合給の原資」として見ることで、エリートの地位を維持してきた。
「夢? そんなものは、契約書に判を押させるための撒き餌だ。……俺は、この高級時計と外車を維持するために、他人の人生を『成約』という名のシュレッダーにかけるんだ……」
家門の指先は、もはや握手をして信頼を築くためにあるのではない。ただ正確に、顧客の心理的障壁を突き崩し、返済能力をギリギリまで搾り取る「解体工事」のために動いていた。彼にとって、誠実さとは、売れない営業マンが吐く「敗北の言い訳」でしかなかった。
ゼンの視界が、瞬時にモノクロームの「観測モード」へと切り替わる。
家門の背後には、**「砂で作られた巨大な城」**が、今にも崩れそうに積み上がっていた。
その砂の正体は、彼が裏切ってきた顧客たちの「後悔」と、自分自身の「罪悪感」だ。彼は「成功者」という名の金箔を全身に貼っているが、その内側では、空虚という名のシロアリが、彼の魂の柱を食い荒らしているのが見えた。
「 Sweetest Home... 」
ハニーが、家門の背後に音もなく立ち、その「虚飾の鎧」を補強するように、冷たい指を彼のネクタイピンに添えた。
ハニーの囁きが家門の鼓膜を震わせた瞬間、彼の脳内に「完全なる支配」という名の全能感が溢れ出した。
(……そうだ、私は神になればいい。言葉一つで他人の人生をデザインし、一生分の自由を買い叩く。この『数字のゲーム』に勝つことだけが、私の存在を証明する唯一の道だ。……私の心さえ、大理石のように冷たく硬くなれば、この地獄のようなノルマ争いすら、ただの狩場になる……!)
それは、ハニーの【現実隠蔽】によって「選ばれし者の義務」へと偽装された、ただの良心の完全焼却だった。ハニーは知っている。現代人が「高級な持ち物」に固執するのは、それが「自分という中身のなさ」を隠すための、唯一の建築資材になるからだ。
「いいのよ、家門さん。あなたは夢の守護者。あなたの嘘は、誰かの希望。……大丈夫、罪悪感なんて経費で落としてしまいなさい。あなたの人生そのものを『ラグジュアリーな展示場』として飾り立て、誰の目にも届かない心の地下室に、本当の自分を閉じ込めてしまいなさい……?」
ハニーの言葉が、家門の瞳を完全に「ショールームのガラス」のような虚無へと染めていく。
ゼンは静かに立ち上がり、家門がテーブルに広げていた「過剰な装飾に満ちたパンフレット」を、無造作に、しかし冷酷にゴミ箱(シュレッダー代わり)へ放り込んだ。
「家門さん。あんたのその城……欠陥住宅どころか、最初から屋根も床もねえぜ」
ゼンはトレンチコートを、あらゆる『資産価値ゼロの本音』を曝け出すように全開にした。
そこには、どの建築基準法にも適合しない、情けない男の「吹きさらしの魂」が刻まれていた。
ハニーが鼻で笑う。「『オープンハウス、中止』? あなたこそ、最初から誰にも見向きもされない、取り壊し寸前の廃屋じゃない」
「ああ、廃屋だよ。だがな、家門さん。あんたが『家族の幸せ』って吐くたびに、あんたの本当の家族の顔が、どんどん霞んで消えていくのが見えるんだよ。……いいか、家門さん。人生ってのはな、高い天井の家に住むことじゃない。たとえ狭くて古くても、自分の言葉に嘘をつかずに、安心して眠れる『場所』を守ることなんだよ。……自分を解体してまで建てる『嘘の城』なんて、ただの巨大なゴミ溜めだ」
家門の身体が、地盤沈下を起こしたように激しく震えた。その瞳に、高級スーツを貫通した「孤独」という名の生きた光が宿る。
「な、何を……! これが私の価値だ! 数字を出さなければ、私は、ただの『負け犬』になる……! 誰からも愛されない、ただの石ころに……!」
「石ころでいいじゃねえか。その重みで、あんたの偽りの人生を、ここで更地にしてやるぜ」
ゼンの右手の指が、静かに、そして運命の登記簿を書き換えるように交差した。
「――あんたの『虚飾の販売』、ここで差し押さえだ。JACKPOT執行。」
パチンッ!!
豪華なシャンデリアが粉々に砕けるような、激しい破裂音が店内に響き渡る。
家門の頭上に現れたスロットが、高速回転の末に揃った図柄は――【全・部・解・体】。
「……あ、ああ……! 鎧が、剥がれていく……! 寒い……、心が、裸だ……! 私は、今まで何を……。……そうだ、私は高級車に乗りたかったんじゃない! 私は、ただ一言、誰かに『おかえり』って、私の名前を呼んでほしかっただけなんだあああ!!」
衝撃波。家門はスマホごと後方の壁まで吹き飛び、店の外にある「ボロボロの小さなベンチ」の前まで一直線に転がっていった。
ハニーの「数字の鎖」が霧散し、家門の顔に、血の通った「自分自身の情けなさ」という名の涙が溢れ出す。
彼は、数十万のジャケットを脱ぎ捨て、ベンチに座って、初めて「自分のための長い呼吸」を繰り返した。
「……ふん。ようやく、賃貸じゃない自分の心を手に入れたな」
ゼンは、ミチルに「ゼンさんの生涯賃金、計算したんですけど、私の愛の維持費には到底足りないので、一生分を現物(身体)で差し押さえますね」と、笑顔で言われた際の、逃げ場のなさを思い出して一人呟く。
決まった。今この瞬間、彼は間違いなく世界の「解体業者」だった。
「ゼンさん……今の言葉、不動産バブルを物理的に弾けさせる、魂の地上げ屋を感じました。感動です!」
背後から、ミチルの「逃げ場のない鉄筋コンクリート」のような、強固な愛を孕んだ声。
彼女はうっとりと、ゼンの間取り図のTシャツを、聖なる聖域の図面のように拝んでいた。
「そのTシャツ! 『オープンハウス、中止。』……! つまり、**『ゼンさんは私の愛という名の永久欠陥住宅として、外部の人間には一切公開せず、私という名の住人だけが、あなたの不器用な構造を独占して楽しむ』**という、究極の非公開物件宣言だったんですね!」
「……え?」
「さすがゼンさん。あえて『中止』を宣言することで、私以外の内覧を一切拒絶するなんて……! その、あえて修繕不可能なフリをしてまで、私という名の『家主』に全てを委ねようとする甘え……私、ゼンさんの人生、一生『未公開』のまま、私の心の金庫に永久保存しておきたいです!」
ミチルの、一点の曇りもない「聖母なる全肯定(強制一元管理モード)」。
それが、ゼンの豆腐メンタルを地上げ屋級の重圧で粉砕し、再起不能の「塩漬け土地」状態へと追い込む。
「……ミチル、更地に……戻してくれ……。お前の管理、固定資産税よりも心が削られるんだ……」
ゼンの裏垢には、昨夜の「コンビニで『温めますか?』と聞かれ、『俺の冷めきった人生も温まりますか?』と聞き返そうとして、怖くて無言で弁当を受け取った。俺のコミュニケーション能力、再建築不可」という、あまりにも虚しい独白が並んでいる。
そして今、ミチルの淹れたコーヒー一杯の「家賃」を、自分の尊厳を担保に入れることでしか支払えない、あまりにも理不尽なオーバーローン(管理下)に置かれた自分がいるのだ。
ゼンは、自分の情けなさに耐えかね、ベンチで項垂れる家門を「あいつの心は、今ようやく更地になったんだな……」と眩しそうに見つめながら、カウンターの下で丸まって「閉鎖」した。
ハニーが隣で、家門が落とした高級ライターをゼンに向けながら、冷酷に笑っていた。
「あはは! あなたの『オープンハウス中止』、ただの『引きこもりの宣言』じゃない! 昨夜、部屋の掃除を頼まれて『ここは俺の聖域だから、他人の介入は認めない』ってポテチの袋を抱えてたあなたみたいに、救いようのないゴミ屋敷だわ!」
「……クリーニング……してくれ……」
ゼンの視界から色が消え、ただ、自分のTシャツの『オープンハウス、中止。』という文字が、虚しく「立ち入り禁止」のテープのように黄色く光る幻影だけが残った。




