第26話:捏造のクリエイター 〜借り物の言葉で、自分を語るのはもうやめろ〜
喫茶店『ジャックポット』。
店内の空気は、どこかインクの匂いと、吸い殻が山盛りになった灰皿のような、使い古された「嘘」の匂いが漂っていた。
カウンターの隅で、ノートPCのキーボードを無機質なリズムで叩き続ける男がいる。その瞳には、自分の思考ではなく、発注主が求める「それっぽい言葉」を検索する、冷たい検索エンジンのような光だけが宿っていた。
ゼンは、その男の前に、ミチルが「物語の捏造」を込めて作った、層の厚すぎるミルフィーユを置いた。
今日のゼンのTシャツは、原稿用紙のマス目がすべて空白のまま、端だけが焦げ付いたようなデザイン。胸元には、校正記号のような書体でこう刻まれている。
『全・文、削除。』
「……ミチル。あのお客さん、さっきから一文字も自分の言葉を書いてないぞ。AIの出力結果を並べ替えて、誰かの人生を『美談』に仕立て直してるだけだ。あれじゃ、言葉じゃなくてただの『包装紙』を編んでるのと同じだろ」
「ゼンさん、あれは現代の『夢の代筆者』ですよ!」
看板娘のミチルが、新品のインクリボンのような艶やかな笑顔で答える。
「彼は、空っぽな著名人の頭の中に、読者が喜ぶ『偽物の魂』を吹き込んでいるんです。ゼンさんのこの、中身もなければ伏線も回収されない、ただの『落書き』のような人生も、彼の魔法にかかれば一瞬で『伝説の隠者の独白』としてベストセラーになっちゃいますよ?」
ゼンの脳裏に、昨夜、裏垢で「俺は孤独を愛する狼だ」とカッコつけて投稿しようとして、あまりの嘘くささに手が止まり、結局「腹減った」という三文字の「真実」しか書けなかった、自分の語彙力の枯渇がリフレクトする。
「……これじゃない。もっと、ドラマチックに。……『苦難を乗り越えた、力強い一歩』。……よし、これでいい。……私の言葉じゃない。これは、彼(依頼主)の言葉だ。……私の声なんて、この世界には必要ないんだ……」
男――ゴーストライターの綴が、乾いた笑いと共にエンターキーを叩いた。
彼は、自分の名前で小説を書く夢を諦め、今は著名人の自伝や成功哲学を裏で書き続けている。他人の「理想」を美しく飾り立てるほどに、彼自身の輪郭は薄れ、鏡を見ても「誰のゴーストなのか」が分からなくなるほどの自己喪失に陥っていた。
「私は影だ。文字を吐き出すだけの装置だ。……感情なんて邪魔なだけだ。クライアントの望む『私』を捏造するのが、私の正義なんだから……」
綴の指先は、もはや自分の心を動かすためにあるのではなく、他人の承認欲求を満足させるための「嘘のパッチワーク」を縫い合わせるために動いていた。彼にとって、真実を語ることは、自分が築き上げた「虚飾の牙城」を崩壊させる、最も恐ろしい禁忌だった。
ゼンの視界が、瞬時にモノクロームの「観測モード」へと切り替わる。
綴の背後には、**「巨大なシュレッダー」**が、轟音を立てて回転していた。
綴が言葉を紡ぐたびに、彼の本当の記憶や感情がその刃に吸い込まれ、細断された紙屑となって消えていく。彼は「代弁者」という名の透明な檻に閉じ込められ、その内側で、自分自身の『存在理由』を完全に紛失しているのが見えた。
「 Sweetest Fiction... 」
ハニーが、綴の背後に音もなく立ち、その「空っぽな万年筆」に毒を注ぐように、冷たい指を彼の喉仏に添えた。
ハニーの囁きが綴の鼓膜を震わせた瞬間、彼の脳内に「完全なる匿名」という名の安寧が溢れ出した。
(……そうだ、私は文字になればいい。誰の目にも止まらない、行間に溶け込んでしまえば、もう傷つくこともない。この『他人の物語』の一部になれば、私は永遠に責任から逃れられる。……私の心さえ、真っ白な背景(空白)になれば、この地獄のような代筆作業すら、ただのタイピングゲームになる……!)
それは、ハニーの【現実隠蔽】によって「究極の職人芸」へと偽装された、ただの自己消滅の推奨だった。ハニーは知っている。現代人が「誰かのフリ」をするのは、それが「何者でもない自分」という恐怖を埋める、最も安価な埋立地になるからだ。
「いいのよ、綴さん。あなたは無名の天才。あなたの言葉は、誰かの栄光。……大丈夫、自分の物語なんて紡ぐ必要はないわ。あなたの人生そのものを『脚注』として縮小して、この誰かのベストセラーの裏表紙に、静かに貼り付いていなさい……?」
ハニーの言葉が、綴の瞳を完全に「消去キー(バックスペース)」のような虚無へと染めていく。
ゼンは静かに立ち上がり、綴が書き終えたばかりの、偽りの感動に満ちた「原稿」を、静かに、しかし冷酷にゴミ箱へドラッグした。
「綴さん。あんたのその『傑作』……一文字も、生きた人間の匂いがしねえぜ」
ゼンはトレンチコートを、あらゆる『未修正の本音』を曝け出すように全開にした。
そこには、どの辞書にも載っていない、情けない男の「言葉にならない悲鳴」が刻まれていた。
ハニーが鼻で笑う。「『全・文、削除』? あなたこそ、最初から一文字も書かれていない、ただの汚れたブックカバーじゃない」
「ああ、カバーだよ。だがな、綴さん。あんたが『それっぽい言葉』を並べるたびに、あんたの本当の声が、窒息して死にかけてるのが見えるんだよ。……いいか、綴さん。人生ってのはな、誰かの理想をトレースすることじゃない。たとえ不恰好でも、たとえ誰にも読まれなくても、自分の内側にある『泥のような本音』を、血を流しながら吐き出すことなんだよ。……自分をゴーストにしてまで造る『誰かの栄光』なんて、ただの紙の棺桶だ」
綴の身体が、インクをぶちまけられたように激しく震えた。その瞳に、他人の仮面を貫く「自己嫌悪」という名の生きた光が宿る。
「な、何を……! これが私の仕事だ! 私が書かなければ、私は……私は『何者でもない自分』と向き合わなきゃいけなくなる! それが……それが一番怖いんだ!!」
「何者でもなくていい。その空白に、あんたの本当の第一行を、ここで刻んでやるぜ」
ゼンの右手の指が、静かに、そして運命のプロットを書き換えるように交差した。
「――あんたの『偽りの連載』、ここで打ち切りだ。JACKPOT執行。」
パチンッ!!
キーボードが爆発するような、激しい破裂音が店内に響き渡る。
綴の頭上に現れたスロットが、高速回転の末に揃った図柄は――【自・己・執・筆】。
「……あ、ああ……! 借り物の言葉が、剥がれていく……! 苦しい……、自分の声が、熱い……! 私は、今まで何を……。……そうだ、私は誰かの影になりたかったんじゃない! 私は、ただ一言、私の名前で、『私は、悲しい』と、その一言を世界に叫びたかっただけなんだあああ!!」
衝撃波。綴はノートPCごと後方の壁まで吹き飛び、店の外にある「古本屋のワゴン」の前まで一直線に転がっていった。
ハニーの「匿名性の鎖」が霧散し、綴の顔に、血の通った「自分自身の絶望」という名の涙が溢れ出す。
彼は、ワゴンに積まれた真っ白な自由帳を一冊掴み、泥だらけの指で、初めて自分の本音をその1ページ目に殴り書きした。
「……ふん。ようやく、自分という名の物語を書き始められたな」
ゼンは、ミチルに「私の愛のポエムのゴーストライターになってください」と、24時間監視付きの執筆合宿を提案された際の、逃げ場のなさを思い出して一人呟く。
決まった。今この瞬間、彼は間違いなく世界の「編集者」だった。
「ゼンさん……今の言葉、全てのフィクションを焼き尽くす、魂のノンフィクションを感じました。感動です!」
背後から、ミチルの「逃げ場のないハードカバー」のような、重厚な愛を孕んだ声。
彼女はうっとりと、ゼンの空白のTシャツを、聖なる初版本のように拝んでいた。
「そのTシャツ! 『全・文、削除。』……! つまり、**『ゼンさんは過去の自分も、他人の評価もすべてリセットして、私の愛という名の一筆書きで、毎日新しく書き直される真っ白な私の所有物である』**という、究極の上書き保存宣言だったんですね!」
「……え?」
「さすがゼンさん。あえて『削除』を宣言することで、私以外の言葉(記憶)を一切受け付けないなんて……! その、あえて空っぽなフリをしてまで、私という名の『筆者』に全てを委ねようとする甘え……私、ゼンさんの人生、一生『非公開』のまま、私の心の鍵付きフォルダに保存しておきたいです!」
ミチルの、一点の曇りもない「聖母なる全肯定(強制一元管理モード)」。
それが、ゼンの豆腐メンタルを文学賞級の重圧で粉砕し、再起不能の「絶筆」状態へと追い込む。
「……ミチル、一文字くらいは……俺に書かせてくれ……。お前の管理、フォントのサイズまで指定されてるみたいで、息が詰まるんだ……」
ゼンの裏垢には、昨夜の「コンビニのレシートの裏に『俺は自由だ』って書いて、そのままゴミ箱に捨てた。俺の自由、有効期限3秒」という、あまりにも虚しい独白が並んでいる。
そして今、ミチルの淹れたコーヒー一杯の「原稿料」を、自分の名前を捨てることでしか支払えない、あまりにも理不尽な出版契約(管理下)に置かれた自分がいるのだ。
ゼンは、自分の情けなさに耐えかね、ワゴンに寄りかかって必死に何かを書いている綴を「あいつのページは、今始まったばかりなんだな……」と眩しそうに見つめながら、カウンターの下で丸まって「落丁」した。
ハニーが隣で、綴が破り捨てた偽りの原稿をゼンに浴びせながら、冷酷に笑っていた。
「あはは! あなたの『全文削除』、ただの『記憶喪失のフリ』じゃない! 昨夜、自分でおやつを食べたのを忘れたフリして『俺の記憶は今、全消去された……』って2回目のおやつをねだってたあなたみたいに、救いようのないペテン師だわ!」
「……校了……させてくれ……」
ゼンの視界から色が消え、ただ、自分のTシャツの『全・文、削除。』という文字が、虚しく「入力エラー」のカーソルのように点滅する幻影だけが残った。




