第3話:孤独な王の戴冠式(その100万フォロワー、ただの書き割りだぜ)
数字は残酷だ。それは時として、一人の人間を神にもすれば、ただの記号にも変える。
俺は深夜のファミリーレストランの隅で、冷めきったドリンクバーのメロンソーダを眺めていた。
店内は閑散としているが、一箇所だけ、スタジオのような異様な光を放つテーブルがある。
そこに座るのは、今をときめくインフルエンサー、リリコ。
彼女は運ばれてきたばかりのパンケーキに一度も手をつけず、十数回もスマホのシャッターを切っていた。
「……違う。この角度じゃない。もっと『リア充』が滲み出るような、幸せそうな光が必要なの」
リリコの呟きは、呪詛のように暗い。
彼女の胸元には、巨大な目玉のような『痛点』が、爛々とこちらを睨みつけていた。
フォロワー100万人。だが彼女の視界には、自分を賞賛する「人間」など一人も映っていない。そこにあるのは、ただ増減する「数字」という名の怪物だけだ。
「素敵よ、リリコ。あなたの投稿一つで、世界はあなたを羨望の眼差しで見る。あなたは孤独なんかじゃない、100万人の視線に愛されている女王なのよ」
リリコの背後で、ハニーがカプチーノの泡を優雅に掬っていた。
ハニーの指先からこぼれる虹色の砂が、リリコのスマホ画面を覆う。ハニーの『脳内補完』。
冷めたパンケーキは「究極のスイーツ」に、深夜のファミレスは「パリのカフェ」に、そして孤独な虚勢は「高潔なカリスマ」へと書き換えられていく。
「ハニー。その女王様、王冠が重すぎて首の骨が鳴ってるぜ?」
俺は椅子の背もたれにコートを掛け、足音を忍ばせて彼女たちのテーブルへと歩み寄った。
「あら、ストーカーの次は、女の子の自撮りを邪魔しに来たの? ゼン、あなたみたいな『映えない男』には、この光は眩しすぎるかしら」
「フン、眩しいんじゃねえ。人工着色料が目に染みるだけだ」
俺はリリコの正面に立った。
彼女はスマホから目を離さない。指が痙攣するように画面をスクロールし続けている。
「リリコ。お前、さっきから『いいね』の数を確認するたびに、呼吸を止めてるな」
俺は右手の指をスナップの形に固めた。
「100万人のフォロワー? ――いいや、お前の周りにいるのは、ただの『書き割り』だ。お前が本当に恐れているのは、スマホの電源が切れた瞬間、自分が誰からも認識されない『透明な存在』に戻ることだろ? ……図星だろ?」
「やめて……! 私は、愛されてる……! みんな、私を見てる……!」
「見てるのはお前の『画像』だ。お前の『心』なんて、誰も一秒も覗いちゃいない。……目を覚ませ、数字の奴隷」
俺は、指を弾いた。
――スナップ(撃)。
ファミレスの蛍光灯が激しく明滅し、スロットの回転音が耳鳴りのように響く。
リリコの背後に現れたリールは、血のような赤色に染まっていた。
【虚】【無】【達成】
「――あああああああ!!」
衝撃波がリリコを直撃した。
彼女のスマホが手から滑り落ち、床で派手な音を立てて砕ける。リリコ自身も背後のドリンクバーまで吹き飛び、コーラのサーバーに激突して全身を黒い液体で濡らした。
「……そうだよ……。誰も私を見てない……。私が何を食べて、何を考えてるかなんて、どうでもいいんだ……。みんな、ただ私を消費して、次の数字を探しに行くだけなんだぁぁぁ!」
パンケーキのクリームとコーラにまみれ、リリコは人目も憚らず慟哭した。
ハニーはそれを見て、深くため息をついた。
「……最悪。せっかくの『宝石箱』が、ただの『生ゴミ』になっちゃった。ゼン、あなたって本当に、夢を壊すことに関しては天才的ね」
ハニーは空になったカップを置き、影に溶けるように消えた。
俺は濡れ鼠のリリコを一瞥し、一本のシガレットチョコを彼女のテーブルに置いた。
「……JACKPOTだ。……安心しろ、画面の外の空気は不味いが、吸い放題だぜ」
俺は決まりすぎた背中を見せつけながら、レジへ向かった。
翌朝。喫茶『ジャックポット』。
俺は昨夜の「数字の奴隷」というフレーズを反芻し、悦に浸っていた。
「……ふっ。100万の虚飾より、一発の真実。俺は、この街のデジタルな闇を射抜く光だ……」
「ゼンさん! おはようございます!」
ミチルの声が、俺の浸っていた「光」をあっさりと消し去る。
彼女は今日、なぜかスマホを片手に興奮していた。
「ゼンさん、知ってますか? 最近、SNSで『謎の正義の味方』が話題になってるんですよ! 真実を語って、悪い人をやっつけてくれるんですって!」
「……ほう。まあ、この街にも骨のある奴がいるようだな」
俺はコーヒーを優雅に啜り、口角を上げた。ついに俺の時代が来たか。
「それでね、そのアカウントがアンケートをとってるんです。『この正義の味方に、どんな服を着てほしいですか?』って! 私も投票しちゃいました!」
「……投票? 何に入れたんだ?」
俺は不吉な予感に襲われ、コーヒーを置いた。
「これです! ゼンさん、見てください! 今、一番人気なのが……」
ミチルが差し出した画面には、どこかのバカなインフルエンサーが加工して作った「理想のヒーロー像」が映っていた。
そして、そのヒーローが着ているTシャツの胸元には、大きな文字でこう書かれている。
『みんな、大好き』
(※フォントは丸っこいファンシー体)
「ゼンさん、まさにこれ、今のゼンさんにぴったりだと思って! ちょうどお店に届いた、新しいお仕事用Tシャツもこれなんですよ!」
――カラン。
俺の手から、スプーンが落ちた。
ミチルが誇らしげに取り出したのは、今朝届いたばかりの、眩しいほど真っ白なTシャツ。そこには、俺が最も嫌う「全肯定」の言葉が、ポップな色使いで踊っていた。
「さあ、ゼンさん! これを着て、今日も街の平和を守ってくださいね! 『みんな、大好き』なゼンさん、素敵です!」
――JACKPOT!!
俺の脳内で、パステルカラーの虹が爆発した。
「数字の奴隷」を笑った俺が、今度は「全肯定の文字」を背負わされる。ミチルの瞳は、俺を世界で一番「優しくて無害な隣人」としてロックオンしていた。
「……ふん。……これは……究極の……心理戦だ……」
「わあ、やっぱりゼンさんは言うことが違いますね!」
笑顔で鼻歌を歌いながら仕込みに戻るミチル。
俺は店内の鏡に映る自分を見た。
胸元には『みんな、大好き』。
その文字の下で、俺の「痛点」が、かつてないほどの激痛と共に悲鳴を上げていた。
「……ハニー。……頼む、今すぐ俺を……『孤独な暗殺者』という嘘の中に閉じ込めてくれ……」
俺はトレンチコートで必死に「愛のメッセージ」を隠しながら、カウンターの影で丸まった。




