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第24話:命のオートメーション 〜心を止めて救えるほど、世界は単純じゃないぜ〜


喫茶店『ジャックポット』。

店内の空気は、どこか消毒液の匂いが混じったような、無機質で冷ややかな緊張感に支配されていた。

カウンターの中央で、一人の女が微動だにせず、真っ黒なコーヒーをまるで見慣れた「検体」のように見つめている。その指先には、何度も手洗いを繰り返したことによる、白く渇いたひび割れが刻まれていた。

ゼンは、その女の前に、ミチルが「致死量ギリギリの愛(甘味)」を投入したはずのシナモンロールを置いた。

今日のゼンのTシャツは、心電図の波形が途切れ途切れに描かれた、不吉なデザイン。胸元には、デジタルなフォントでこう刻まれている。

『優先順位、最下位。』

「……ミチル。あのお客さん、シナモンロールのアイシングを、ピンセットで剥がすみたいに慎重に見てるぞ。食べるっていうより、解剖してるみたいだ」

「ゼンさん、あれは現代の『命の仕分け人』ですよ!」

看板娘のミチルが、手術室の無影灯むえいとうのような眩しすぎる笑顔で答える。

「彼女は、押し寄せる生と死を『赤・黄・緑』のタグでランク付けし、効率的に未来を選別しているんです。ゼンさんのこの、救いようのない、放っておいても死なないし生きてる価値も見当たらない『軽症の極致』みたいな人生も、彼女の手にかかれば一瞬で『帰宅(放置)』のタグを付けられちゃいますよ?」

ゼンの脳裏に、昨夜、不意に心臓がチクリと痛んだ際、「これ、孤独死の予兆か? それとも単なる運動不足か?」と悩み、結局誰にも連絡できずに「どうでもいいか、俺だし」と寝ることを選んだ、自分の命に対する徹底した「トリアージ」の記憶がリフレクトする。


「……次。血圧110の60、意識レベル300。……処置室へ。……次。……次。……」

女――救急外来のベテラン看護師、あかりが、無機質なマシンのように呟いた。

彼女は毎日、絶え間なく運び込まれる「命の欠片」を、限られたリソースの中で選別し続けてきた。泣き叫ぶ家族を突き放し、冷たくなっていく肉体を「空きベッド」として処理する。その過程で、彼女の心はいつしか、自分自身を守るために完全に防腐処理フリーズされていた。

「泣いていたら、救える命も救えなくなる。怒鳴られても、何も感じなければいい。私は人間じゃない。私は、効率的に命を流すための『弁』なのだから……」

灯の指先は、もはや温もりを伝えるためにあるのではない。ただ正確に、脈拍を計り、薬剤を注入し、不要な感情をドレイン(排液)するために動いていた。彼女にとって、患者を人間として見下ろすことは、自らの理性を崩壊させる毒でしかなかった。

ゼンの視界が、瞬時にモノクロームの「観測モード」へと切り替わる。

灯の背後には、**「冷たいステンレス製のコンベア」**が果てしなく伸びていた。

その上を、名札の付いた「魂」たちが次々と流され、灯はその一つ一つを無表情に、機械的に左右へ振り分けている。彼女は「プロフェッショナル」という名の防護服を脱げなくなり、その内側で、自分自身の涙さえも「体液のロス」として処理し続けているのが見えた。


「 Sweetest Triage... 」

ハニーが、灯の背後に音もなく立ち、その「麻痺した感覚」を肯定するように、冷たい指を彼女の瞼に添えた。

ハニーの囁きが灯の神経をなぞった瞬間、彼女の脳内に「完全なる虚無」という名の安寧が溢れ出した。

(……そうだ、私はパーツになればいい。痛みを感じなければ、夜に震えることもない。このコンベアの一部になれば、私は永遠になぎのままでいられる。……私の心さえ、フラットな心電図のように真っ直ぐになれば、この地獄のような現場すら、静止画になる……!)

それは、ハニーの【現実隠蔽シュガー・コート】によって「鋼の精神」へと偽装された、ただの魂の死滅だった。ハニーは知っている。現代人が「効率」に逃げるのは、それが「生きていることの残酷さ」から目を逸らす唯一の鎮痛剤になるからだ。

「いいのよ、灯さん。あなたは白い天使、あるいは慈悲なき死神。……大丈夫、誰の悲鳴も聞かなくていいわ。あなたの心臓を、すべて『医療廃棄物』として捨て去って、ただの美しい、動く石像になりなさい……?」

ハニーの言葉が、灯の瞳を完全に「冷えたシーツ」のような虚無へと染めていく。


ゼンは静かに立ち上がり、灯がテーブルの上に置き忘れていた、予備の「トリアージ・タグ」を、ゆっくりと、しかし確実に握りしめた。

「灯さん。あんたのそのコンベア……もう、ベルトが焼き切れて異臭がしてるぜ」

ゼンはトレンチコートを、あらゆる麻酔を無効化する『剥き出しの痛み』を曝け出すように全開にした。

そこには、どの診断名も付かない、情けない男の「後回しにされた孤独」が刻まれていた。

ハニーが鼻で笑う。「『優先順位、最下位』? あなたこそ、この世界のどんな救急車も迎えに来ない、自業自得という名の末期患者じゃない」

「ああ、末期だよ。だがな、灯さん。あんたが『次』と呟くたびに、あんたの奥底で、小さな女の子が必死に叫んでるのが見えるんだよ。……いいか、灯さん。人生ってのはな、効率よく死なせないことじゃない。たとえ無駄だと分かっていても、誰かの手を握って、一緒に泥まみれになって泣くことなんだよ。……自分をオートメーションにしてまで守る『平穏』なんて、ただの死後硬直だ」

灯の身体が、電流を流されたように跳ねた。その瞳に、防護服を貫通した「後悔」という名の光が宿る。

「な、何を……! 私は、麻痺していなければ……崩れてしまう! 私が感じてしまったら、あの日救えなかった人たちの重みに、押し潰されてしまう……!」

「崩れちまえよ。その重みこそが、あんたが人間である証拠だ。あんたの心臓、ここで再起動リブートしてやるぜ」

ゼンの右手の指が、静かに、そして運命のバイタルサインを書き換えるように交差した。

「――あんたの『静かなる窒息』、ここで緊急オペだ。JACKPOT執行。」

パチンッ!!

除細動器が放電したような、激しい破裂音が店内に響き渡る。

灯の頭上に現れたスロットが、高速回転の末に揃った図柄は――【全・力・蘇・生】。

「……あ、ああ……! 氷が、溶ける……! 痛い……胸が、張り裂けそうだ……! 私は、今まで何を……。……そうだ、私は記号を捌きたかったんじゃない! 私は、たった一言でいい、誰かの隣で『痛いね』って笑い合える、そんな弱い人間のままでいたかっただけなんだあああ!!」

衝撃波。灯は椅子ごと後方の壁まで吹き飛び、店の外にある「夜間診療所の看板」の前まで一直線に転がっていった。

ハニーの「無機質な鎖」が霧散し、灯の顔に、血の通った「慟哭どうこく」という名の色彩が溢れ出す。

彼女は、ボロボロになった自分の手を抱きしめ、夜空に向かって、せきを切ったように大声で泣き叫んだ。


「……ふん。ようやく、モニターの数字じゃない自分の鼓動を思い出したか」

ゼンは、ミチルに「バイタルチェック」と称して首筋を触られた際の、あまりの熱さに一人呟く。

決まった。今この瞬間、彼は間違いなく世界の「緊急救命ジャックポット」だった。

「ゼンさん……今の言葉、全てのカルテを書き換える、魂の主治医を感じました。感動です!」

背後から、ミチルの「逃げ場のないICU」のような、管理された愛を孕んだ声。

彼女はうっとりと、ゼンの心電図模様のTシャツを、聖なる心音図のように拝んでいた。

「そのTシャツ! 『優先順位、最下位。』……! つまり、**『ゼンさんは社会のどんな評価も後回しにして、私の「特別病棟」で一生手厚い介護を受け、私だけがあなたの命のスイッチを握っている』**という、究極の終身ケア宣言だったんですね!」

「……え?」

「さすがゼンさん。あえて自分を『最下位』にすることで、私の優先順位を『永久1位』に固定するなんて……! その、あえて自力で歩けないフリをしてまで、私に一生点滴(愛)を打たれ続けようとする献身……私、ゼンさんの人生、一生『経過観察中』のまま、私の心のベッドに拘束しておきたいです!」

ミチルの、一点の曇りもない「聖母なる全肯定(強制集中治療モード)」。

それが、ゼンの豆腐メンタルを医療事故級の重圧で粉砕し、再起不能の「延命処置」状態へと追い込む。


「……ミチル、点滴あいを……抜いてくれ……。お前の手厚すぎる看護、逆に安楽死したくなるんだ……」

ゼンの裏垢には、昨夜の「コンビニの自動ドアに挟まれたのに、店員と目が合った瞬間『あ、異常なしです』とロボットみたいに答えて逃げた。俺の心はもう、トリアージ済みの不要品だ」という、末期的な独白が並んでいる。

そして今、ミチルの淹れたコーヒー一杯の「処方」を、自分の尊厳を削り取ることでしか受けられない、あまりにも過剰な医療ミス(管理下)に置かれた自分がいるのだ。

ゼンは、自分の情けなさに耐えかね、夜空の下でようやく自分の痛みを取り戻した灯を「あいつは今日、本当の意味で生き返ったんだな……」と眩しそうに見つめながら、カウンターの下で丸まって「診察時間外シャットダウン」した。

ハニーが隣で、灯が落とした聴診器をイヤホンのように耳に当てながら、冷酷に笑っていた。

「あはは! あなたの『優先順位最下位』、ただの『人生の放置』じゃない! 昨夜、自分の靴下に穴が開いているのを見つけて『これは命に関わらないから緑タグ(軽症)だ』って放置してたあなたみたいに、救いようのないセルフネグレクトだわ!」

「……ナースコール……押してくれ……」

ゼンの視界から色が消え、ただ、自分のTシャツの『優先順位、最下位。』という文字が、虚しく「死亡確認のフラットな線」のように点滅する幻影だけが残った。


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