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第16話:流行の埋立地(トレンド・ジャンク) 〜自分がないってのは、誰かの残飯を食ってるのと同じだぜ〜


喫茶店『ジャックポット』。

窓の外を流れる人混みは、まるで意思を持たない回遊魚の群れのように見えた。ゼンはカウンターの隅で、力なくスマートフォンを操作しながら、自分の指先が自分の意思で動いているのかさえ疑わしくなっていた。

(……昨夜の『神アニメ』。今朝の『バズりスイーツ』。昼休みの『最短成功法則』。……全部チェックした。なのに、何一つ思い出せない。俺の頭は、ただのゴミ捨て場か……?)

画面をスクロールするたび、脳内に未知の単語が流し込まれ、古い記憶が押し出されていく。

流行を追わなければ、世界から置いていかれる。共通言語を持たなければ、透明人間になってしまう。

その強迫観念が、彼の思考の回路をショートさせていた。

「……はぁ。俺、何が好きなんだっけ。……いや、何が好きだって言えば『正解』なんだ……?」

独白は、意味を成す前に流行のハッシュタグへと変換され、霧散した。

今日のTシャツは、色褪せた流行色の生地に、わざとらしい掠れた文字でこう書かれている。

『現在、工事中。』

自分という個性が完成していないから、今は他人の色を借りているだけだ。そんな、いつまでも終わらない「自分探し」という名の空地が、彼の胸の中に広がっていた。

「ゼンさーん。またお顔が『中身を吸い尽くされたゼリー飲料』みたいにペラペラですよ?」

看板娘のミチルが、毒のない、春の陽光のような笑顔で、流行遅れだが味の深いブレンドコーヒーを置く。

「……ミチル、俺はペラペラなんじゃない。多層的なトレンドをレイヤードしている最中なんだ」

「へぇ。ゼンさんって、意外と収集癖……いえ、情報のキュレーターなんですね。自分の形がなくなるまで何かを詰め込むなんて、まるで掃除機みたい!」

「……」

ミチルの悪意なき「追撃」が、ゼンの心に新たなヒビを入れる。彼は沈黙し、流行から外れた安堵感と、取り残された恐怖の間で、冷めていくコーヒーを見つめていた。


その時、店の扉が、騒がしい通知音の連打と共に開いた。

現れたのは、全身を「今、一番売れている」ブランドで固め、首からは三台のスマートフォンを下げた青年、レオ。

彼は席に着くなり、店内の内装を品定めするように見回し、溜息を吐いた。

「……うわ、エモくない。ここ、バズる要素ゼロじゃん。……でもいいや、あえての『廃墟感』で投稿すれば逆に伸びるかも。……おい、店員。今、一番インフルエンサーが食べてるメニュー、全部持ってこいよ。中身はどうでもいい、が欲しいんだ」

レオの指が、まるで痙攣するようにスマートフォンのカメラを起動させる。

彼にとって、世界は「撮るべき素材」と「撮る価値のないゴミ」の二種類にしか分類されていなかった。

ゼンの視界が、瞬時にモノクロームの「観測モード」へと切り替わる。

レオの背後には、**「極彩色の巨大なゴミ山」**がそびえ立っていた。

それは、数日後には誰も覚えていないような、刹那的な情報の残骸を積み上げて作られた、砂上の城だ。彼は自分が時代の最先端を走る主役であると信じ込んでいるが、その足下には、自分自身の「本音」や「感性」という名の死体が、無残に埋め立てられているのが見えた。


「 Sweetest Dream... 」

甘く、脳の判断能力を砂糖漬けにするような毒蜜の声。

ハニーが、レオの背後に音もなく立ち、その「記号」を盾に震える肩を優しく抱き寄せた。

ハニーの指がレオの耳元をなぞった瞬間、彼の抑圧されていた内心の叫びが、汚泥のように溢れ出した。

(……僕は、怖いんだ。流行が止まったら、僕という人間には何も残らない。誰かが『良い』と言ったものを『良い』と言い続けなければ、自分の価値が証明できない。本当は、この服だって着心地が悪いし、このスイーツだって甘すぎて吐き気がする。でも、みんなが『最高』と言っているから、僕も『最高』と言わなきゃいけないんだ。じゃないと、僕は、誰からも見つけてもらえない『無』になってしまうから……!)

それは、ハニーの【脳内補完(シュガー_コート)】によって「トレンドセッターの情熱」へと偽装された、ただのアイデンティティ喪失の悲鳴だった。

「いいのよ、レオさん。あなたは『時代の鏡』。みんなが欲しがるものを反射する、美しき器なのよ。……大丈夫、自分の意見なんて邪魔なだけ。世界の色に染まり続けなさい。そうすれば、あなたは永遠に古びることのない、完璧な『空洞』になれるわ……?」

ハニーの言葉が、レオの瞳に「情報に踊らされる狂気」を宿していく。彼は恍惚とした表情で、再びスマートフォンのシャッターを切り始めた。


ゼンは静かに立ち上がり、レオのテーブルにある、一口も付けられずに放置されたコーヒーを、重厚な警告のように指で指し示した。

「レオ。お前のその『最先端』……ただの流行の埋立地だぜ」

ゼンはトレンチコートを、あらゆる装飾を拒絶するように全開にした。

そこには、いつまで経っても更地のままの「未完成な自分」が刻まれていた。

ハニーが嘲笑う。「『現在、工事中』? あなたらしい、中身を作る勇気もない、ただの言い訳ね」

「ああ、言い訳だ。だが、レオ。お前が積み上げているのは文化じゃない。誰かが使い古して捨てた『他人の言葉』のスクラップだ。……いいか、レオ。お前が『自分』を捨ててまで手に入れたその流行は、明日にはゴミ箱に直行する使い捨てのプラスチックと同じなんだよ」

レオの動きが止まる。その指が、通知の波に呑み込まれたように震え始める。

「な、何を知った風なことを……! 僕は、世界をアップデートしているんだ!」

「お前がアップデートしているのは、自分という名の『器』だけだ。中身は空っぽのままだぜ」

ゼンの右手の指が、静かに、そしてゴミ山を崩落させるように交差した。

「――お前の更新スロットは、ここでエラーだ。JACKPOT執行。」

パチンッ!!

虚飾を剥ぎ取るような、乾いた音が店内に響き渡る。

レオの頭上に現れたスロットが、高速回転の末に揃った図柄は――【個・性・消失】。

「……あ、あああ……! 怖い、何も見えない! 画面を消したら、僕が誰だか分からないんだ! 僕が好きだったものって、何だっけ? 幼い頃、夢中になった遊びは? 僕の心には、他人のレビューと広告のキャッチコピーしか残っていない! 僕は……僕は、ただの情報の通り道だったのかあああ!!」

衝撃波。レオは椅子ごと後方の壁まで吹き飛び、店の裏の公園にある「不法投棄されたテレビ」の前まで一直線に転がっていった。

ハニーの「ゴミ山」が音を立てて崩れ、レオの顔から、トレンドセッターという名の派手な仮面が剥がれ落ちる。

彼は、不法投棄された古いテレビの、何も映らない真っ暗な画面に自分の顔を写し、その「何者でもない自分」に恐怖し、そして声を殺して泣き続けた。


「……ふん。ようやく、自分という名の工事現場に着工できたようだな」

ゼンはシガレットチョコを一本、ハードボイルドに噛み砕く。

決まった。今この瞬間、彼は間違いなく世界の目撃者ジャックポットだった。

「ゼンさん……今の言葉、歴史の深層から響くような、普遍的な真理を感じました。感動しました!」

背後から、ミチルの鈴を転がすような、しかし鋭利な刃物のように心を切り裂く声。

彼女は感動で頬を上気させ、ゼンの色褪せたTシャツを、神聖な設計図のように拝んでいた。

「そのTシャツ! 『現在、工事中。』……! つまり、**『人間とは完成されるべきものではない。流行という安易な答えに飛びつかず、一生をかけて未完成の自分(工事現場)と向き合い続けろ』**という、消費社会への、魂のレジスタンスだったんですね!」

「……え?」

「さすがゼンさん。あえて未完成を装うことで、流行に消費されない『永遠の未踏地』を体現しているんですね……! その、あえてダサい格好をしてまで、流行の残酷さを告発しようとする『美学の殉教者』……私、ゼンさんの工事現場、一生立ち入り禁止にして守りたいです!」

ミチルの、一点の曇りもない「聖母なる全肯定」。

それが、ゼンの豆腐メンタルを原子レベルで粉砕し、不毛な更地へと変える。


「……ミチル、立ち入り禁止だけはやめてくれ……誰にも相手にされないのが一番怖いんだ……」

ゼンの裏垢には、昨夜の「本当はあの流行の映画、全然面白くなかったけど、とりあえず五つ星レビュー書いた。俺、死にたい」という、殉教者とは程遠い、あまりにも矮小で情けない独白が並んでいる。

そして今、この「エモくない」と言われた古い喫茶店で、流行に乗り遅れないための情報を、必死で検索している情けない自分がいるのだ。

ゼンは、自分の情けなさに耐えかね、古いテレビの前のレオと同じように、床に丸まって沈没した。

ハニーが隣で、レオのスマートフォンをゴミ箱に蹴り飛ばしながら、勝利の凱歌をあげるように笑っていた。

「あはは! あなたの『工事現場』、予算も熱意も足りなくて、一生鉄骨だけの幽霊物件ね! まるで、他人の評価を自分の価値だと思い込んでる、昨夜のあなたみたいに空っぽだわ!」

「……バズり……アウトだ……」

ゼンの視界から色が消え、ただ、自分のTシャツの『現在、工事中。』という文字が、虚しく宙を舞う幻影だけが残った。


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