第11話:自称「ギバー」の搾取者(エクスプロイター) 〜『お返し』を求める善意は、ただの借金取りだぜ〜
「徳を積む。……だが、現代社会を汚染しているのは、善意という名の毒を相手に飲ませ、その対価として一生の隷属を強いる『心の高利貸し』たちだ」
喫茶店『ジャックポット』。窓から差し込む夕刻の斜光は、まるで血のように赤く、不吉な沈殿物を浮かび上がらせている。俺はトレンチコートの襟を立て、鏡の中の自分を冷徹に射貫いた。
今日の俺の視座は、成層圏から地上を見下ろす神の如く峻厳だ。シガレットチョコを噛み砕く音さえ、偽善を断罪する審判の号砲になるはずだった。
だが、コートの裏側で疼く「さもしい損得勘定」が、俺の自尊心をじりじりと焼き焦がす。
今日のTシャツは、下品なゴールドのプリントが施された黒地に、太いゴシック体でこう書かれていた。
『恩返し、期待中。』
昨夜、SNSで後輩キャラの知り合いに「ゼンさん、いつもコーヒーご馳走してくれてありがとうございます!」というリプライを貰い、内心で「(お礼の品とか送ってこないかな……?)」と0.5秒でも考えてしまった自分に絶望した俺が、いっそ開き直って「俺はそんな器の小さい人間だ!」と自虐的に晒すために選んだ、強欲の白旗だ。この布一枚が、俺の「孤高の狙撃手」という無私無欲のイメージを、単なる「見返り重視のケチな男」へと引きずり下ろしていく。
「ゼンさーん! またお顔が『宝くじの外れたおじさん』みたいに強欲に歪んでますよ? ほら、特製の『無償の愛が染み渡るココア』です! サービスですから、お返しは気にしないでくださいね!」
ミチルが、大天使の慈悲を煮詰め直したような笑顔でマグカップを置く。
「……ミチル、俺に必要なのは慈悲じゃない。この世から『貸し借り』という名の不浄な契約が消滅することだ」
「ふふ、ゼンさんは相変わらず、欲がないのかあるのか分からないところが素敵ですね!」
彼女の「ホワイトアウト(純粋な善意)」に晒され、俺のハードボイルドな清貧さが、泥水のように濁っていく。
その時、店の扉が、恩着せがましい鐘の音を響かせて開いた。
現れたのは、自称・社会貢献コンサルタントの男、与沢。
彼の背後には、社会の闇――「善意の押し売り」という名の、粘着質な黄金の鎖が立ち上っていた。
「……いやあ、君のために最高の案件を持ってきたよ! 僕のコネを使えば君も成功できる。感謝してほしいなんて言わないけど、まあ、僕の顔を立ててくれるよね? 君の成長を見るのが僕の喜びなんだ……」
与沢の言葉は、安物の香水のように鼻につき、吐き気を催させる。
俺の視界が、瞬時にモノクロームの「観測モード」へ反転する。
与沢の胸。そこに、豪華な「感謝状」で覆い隠した、誰かに必要とされないと窒息してしまう醜い赤色の「痛点」が見えた。
それは【愛されたいという飢餓感】【支配欲の正当化】、そして「何かを与えている自分」でなければ、他人に愛される価値がないと思い込んでいる【極度の依存心】だ。
「 Sweetest Dream... 」
甘く、魂の借用書に強制的にサインさせるような誘惑の声。
ハニーが、与沢の背後に立ち、その偽りの施しに満ちた肩を優しく抱いた。
彼女が指をパチンと鳴らすと、与沢の周囲に、感謝の歓声が響き渡る「虹色の慈善会場」が出現する。
「いいのよ、与沢さん。あなたは『光を与える太陽』。あなたの助けを借りる人たちは、みんなあなたに支配されることを望んでいるわ。……大丈夫、あなたは与え続けることで、彼らの人生の主になれるのよ……?」
「……そうだ。僕は、皆の救世主なんだ……。僕に感謝しない奴らは、恩知らずの悪党だ……。僕は永遠に、善意という名の鎖で他人を繋ぎ止めるんだ……!」
ハニーの【脳内補完】が、与沢の搾取行為を「究極の利他主義」へと美化していく。このままでは、彼は周囲の人間を「感謝の奴隷」に変え、自分もまた「感謝され続けなければ死ぬ怪物」へと変貌を遂げるだろう。
「ハニー……あんたの作る綿あめは、中身が空っぽだぜ。……地べたを這いずるような泥臭い『無関心』こそが、人を唯一自由にさせるんだ」
俺は立ち上がり、トレンチコートの前を――真実の請求書を突きつけるように全開にした。
「なっ……!?」
ハニーの優雅な微笑が、一瞬で瓦解した。
彼女の視線の先。俺の胸元で、**『恩返し、期待中。』**というあまりにも正直で強欲な要求が、与沢の「偽善」を粉砕する。
「与沢! お前が配っているのは愛じゃない。自分の孤独を埋めるために、相手に『負い目』という名の借金を負わせているだけの『精神的な取り立て』だ! 善意を担保にして他人の人生をコントロールするのは、優しさでも貢献でもない……ただの、自分を神と錯覚したい臆病な独裁なんだよ!」
俺は右手の指を、不当な契約書を破り捨てるように交差させた。
少年誌の歴史に刻まれる、偽善を撃ち抜く執行の瞬間。
「俺にアイツを笑う資格はない。……俺だって、昨日コーヒー一杯の恩返しを期待してしまった、器の小さい強欲者だからな。……だが、だからこそ、その『感謝されないと消えてしまいそうな不安』は痛いほどよく分かる!」
独白が重厚に響き、店内の空気が、清々しいまでの「自己責任」の風に洗われる。
「――お前の貸し付け(スロット)は、ここで焦げ付きだ。JACKPOT執行!!」
パチンッ!!
衝撃波が店を揺らし、与沢の頭上に巨大なスロットが出現する!
リールが爆速で回転し、揃った図柄は――【偽・善・確定】!
「ぎゃあああああああ!! 本当は! 誰かに『ありがとう』って言われないと、自分が生きている実感が持てなかったんだあああ!! 恩を売って、相手を逃げられなくして、独りになるのを防いでたんだああああ!! 誰でもいい、僕を認めてくれえええ!!」
与沢が、衝撃波と共に店の壁を突き抜け、裏の公園の「募金箱の前」まで吹き飛んでいく!
ハニーが作り上げた「慈善会場」が粉々に砕け散り、剥き出しの「孤独な承認欲求」が与沢の魂を貫いた。
彼は泥まみれになりながら、自分の財布から全財産を募金箱に叩き込み、「これからは……誰に知られなくてもいい、ただの孤独な与沢としてやり直すんだあああ!」と、初めて「見返りのない一歩」を踏み出して叫び始めた。
「……ふん。ようやく、自分という名の負債を完済できたようだな」
俺はシガレットチョコを一本、ハードボイルドに噛み砕く。
決まった。今この瞬間、俺は間違いなくこの歪んだ世界の会計士だった。
だが。
「ゼンさーん! 今の、今までで一番『透明な誠実さ』を感じました!」
ミチルが、感動で瞳をうるうると輝かせ、俺のゴールドプリントのTシャツを黄金の教典のように拝んでいた。
「そのTシャツ! 『恩返し、期待中。』……! つまり、**『善行とは自己満足であり、最初から見返りを期待していると宣言することで、相手に一切の罪悪感を持たせないという、究極の配慮』**だったんですね! ゼンさん、本当は無償の愛の塊なのに、あえて『強欲』を演じて相手を自由にしようとするなんて……!」
「……え?」
「さすが、欲を捨てて欲を被るゼンさんです! その、あえて浅ましく見える格好をしてまで、偽善の鎖から人々を救い出そうとする『清濁併せ呑む聖者』……私、一生ついていきます!」
ミチルの、一点の曇りもない「女神の全肯定」。
それが、俺の豆腐メンタルに、宇宙が1000回同時爆発する規模の致命傷を与える。
俺は別に、聖者なんて大層なもんじゃない。ただ昨夜、コーヒー代の元を取りたいとマジで願ってしまった、セコい自分が嫌になってヤケクソになっていただけだ。
「……あ……いや……ミチル……それは……徳が……インフレしすぎだ……」
「あ、ゼンさん? また顔が真っ白になって、存在が黄金の煙になって消えてますよ? ほら、次は『恩返しを一切禁止した魔法のパフェ』、持ってきますからね!」
ミチルが鼻歌を歌いながら奥へ引っ込む。
俺の視界から色が消え、ただ、自分のTシャツの『恩返し、期待中。』という文字が、虚しく宙を舞う幻影が見えた。
「……J-JACK……POT……」
俺は、聖なる誤解の重みに耐えかねて、床に沈没した。
ハニーが隣で、「あはは! 本当に、あなたって世界一『徳の高い強欲者』ね!」と、机を叩いて爆笑していた。




