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第10話:正論ハラスメント(ロジカル・モンスター) 〜「正しい」は、「優しい」じゃねえんだぜ〜


「真理は一つ。……だが、現代社会を闊歩しているのは、その真理を凶器に改造し、他人の逃げ場を塞いで悦に浸る『言葉の死刑執行人』たちだ」

喫茶店『ジャックポット』。カウンターに落ちる光は冷たく、静寂は研ぎ澄まされたメスのように肌を刺す。俺はトレンチコートの襟を立て、鏡の中の自分を冷徹に射貫いた。

今日の俺の思考は、氷点下の演算装置のように一点の曇りもない。シガレットチョコを噛み砕く音さえ、虚妄を論破する鋼鉄の響きになるはずだった。

だが、コートの裏側で渦巻く「絶望的なコミュ障」の悲鳴が、俺の自尊心を根底から揺さぶる。

今日のTシャツは、弱々しい水色の生地に、頼りない手書き風のフォントでこうプリントされていた。

『察して。』

昨夜、SNSで「ゼンの言ってることって、理屈っぽくて結局何がしたいかわかんないw」というリプライを貰い、言葉で言い返そうとして三時間。結局、一文字も打てずにスマホを閉じた俺が、「言葉にしなくても俺の苦悩を理解してくれ」と全宇宙に甘えるために選んだ、究極の「丸投げ」宣言だ。この布一枚が、俺の「孤高の狙撃手」という知性を、単なる「説明責任を放棄した甘えん坊」へと塗り替えていく。

「ゼンさーん! またお顔が『迷子になった深海魚』みたいにパクパクしてますよ? ほら、特製の『言いたいことが喉を通るラムネソーダ』です! ビー玉みたいに透き通った気持ちになれますよ!」

ミチルが、全宇宙の肯定感を煮詰めたような笑顔でグラスを置く。

「……ミチル、俺に必要なのは透明感じゃない。この世から『論理』という名の残酷な鎖が消滅し、全人類が俺の沈黙を好意的に解釈することだ」

「ふふ、ゼンさんは相変わらず、甘え上手なインテリですね!」

彼女の「ホワイトアウト(純粋な善意)」に晒され、俺のハードボイルドな論理回路が、ショートを起こして火花を散らす。


その時、店の扉が、計算され尽くした無駄のない音を立てて開いた。

現れたのは、若手コンサルタントを自称する男、論田ろんだ

彼の背後には、社会の闇――「正論」という名の、血も涙もない幾何学模様の檻が立ち上っていた。

「……あ、今のあなたの発言、論理的ロジカルじゃないですね。感情論で話されても時間の無駄です。僕が正しいことはデータで証明されています。反論できないなら、あなたの負けですよ」

論田の言葉は、冷え切ったコンクリートのように無機質で、血が通っていない。

俺の視界が、瞬時にモノクロームの「観測モード」へ反転する。

論田の胸。そこに、数式とグラフで厳重に防護したつもりで、実は誰にも触れられたくない震える心臓を隠した真っ赤な「痛点」が見えた。

それは【感情の欠落への恐怖】【他者との繋がりの拒絶】、そして「正論」という鎧を着ることでしか、自分を保てない【孤独な臆病者の防衛】だ。

「 Sweetest Dream... 」

甘く、脳の判断能力を強制終了させるような麻薬的な声。

ハニーが、論田の背後に立ち、その冷徹な仮面を被った肩を優しく抱きしめた。

彼女が指をパチンと鳴らすと、論田の周囲に、自分だけが正しい世界を維持する「虹色の計算室」が出現する。

「いいのよ、論田さん。あなたは『真実の守護者』。愚かな大衆に正論を叩き込むのは、あなたの崇高な義務だわ。……大丈夫、あなたの言葉に傷つく連中が未熟なだけ。あなたは一生、正しい檻の中で独りきりで輝いていればいいのよ……?」

「……そうだ。僕は、正しい……。理解できない奴らは、論理的思考能力が欠如した劣等種だ……。僕は永遠に、正論という名の剣で他人を切り捨て続けるんだ……!」

ハニーの【脳内補完シュガー・コート】が、論田の傲慢さを「知的な高潔さ」へと美化していく。このままでは、彼は他人の痛みを感じる機能を完全に失い、誰一人として隣にいない、透明な氷の城で凍死するだろう。

「ハニー……あんたの作る綿あめは、中身が空っぽだぜ。……地べたを這いずるような泥臭い『理屈じゃない感情』だけが、人を唯一真の理解へと運ぶんだ」

俺は立ち上がり、トレンチコートの前を――計算不能な真実を突きつけるように全開にした。


「なっ……!?」

ハニーの完璧な計算に基づいた微笑が、一瞬で崩壊した。

彼女の視線の先。俺の胸元で、**『察して。』**というあまりにも非論理的で身勝手な懇願が、論田の「正論」を根底から破壊する。

「論田! お前が振るっているのは正解じゃない。自分が傷つきたくないがために、先に相手を論理で殺しているだけの『精神的な虐殺』だ! 正しさを武器にして、相手の心の逃げ場を奪うのは、対話でも議論でもない……ただの、寂しさを埋めるためのマウント行為なんだよ!」

俺は右手の指を、氷の城を粉砕するハンマーのように交差させた。

少年誌の見開きで、冷血な理屈を打ち砕く執行の瞬間。

「俺にアイツを笑う資格はない。……俺だって、言葉にするのが怖くて『察してくれ』と願っている、救いようのない甘えん坊だからな。……だが、だからこそ、その『正しさで自分を固めないと壊れてしまう』脆さは誰よりも理解できる!」

独白モノローグが重厚に響き、店内の空気が、熱を帯びた感情の奔流に飲み込まれる。

「――お前の理屈スロットは、ここで破綻だ。**JACKPOT執行!!****」

パチンッ!!

衝撃波が店を揺らし、論田の頭上に巨大なスロットが出現する!

リールが爆速で回転し、揃った図柄は――【論・破・確定】!

「ぎゃあああああああ!! 本当は! 自分の気持ちをどう伝えればいいか分からなくて怖かったんだあああ!! 正論を言っていないと、自分が消えてしまいそうだったんだああああ!! 誰かに、理屈抜きで僕を見てほしかったんだあああ!!」

論田が、衝撃波と共に店の壁を突き抜け、裏の公園の「誰もいないベンチ」まで吹き飛んでいく!

ハニーが作り上げた「計算室」が粉々に砕け散り、剥き出しの「切実な孤独」が論田の魂を貫いた。

彼はベンチの下で丸まり、「ごめんなさい……寂しかった、本当は誰かと笑い合いたかったんだあああ!」と、人生で初めて、自らの「不器用な心」を認めて号泣し始めた。

「……ふん。ようやく、自分という名の計算機コンピュータを再起動できたようだな」

俺はシガレットチョコを一本、ハードボイルドに噛み砕く。

決まった。今この瞬間、俺は間違いなくこの歪んだ世界の解答ジャックポットだった。

だが。

「ゼンさーん! 今の、今までで一番『究極のテレパシー』を感じました!」

ミチルが、感動で瞳をうるうると輝かせ、俺の水色のTシャツを神秘的な経典のように拝んでいた。

「そのTシャツ! 『察して。』……! つまり、**『言葉は常に不完全である。真実の対話とは、言葉の裏側にある沈黙を読み取る、魂の共鳴である』**っていう、論田さんへの、次元を超えた言語学的な悟りだったんですね! ゼンさん、本当は誰よりも言葉を操れるのに、あえて『察して』という境地に立つことで、相手に心の目を開かせようとするなんて……!」

「……え?」

「さすが、沈黙で宇宙を語るゼンさんです! その、あえてコミュ障に見える格好をしてまで、正論の檻から人々を救い出そうとする『沈黙の預言者』……私、一生ついていきます!」

ミチルの、一点の曇りもない「女神の全肯定」。

それが、俺の豆腐メンタルに、多次元宇宙が100回同時消滅する規模の致命傷を与える。

俺は別に、預言者なんて大層なもんじゃない。ただ昨夜、SNSで言い返せなくて、逃げ場を失って「察してくれ」と祈っていただけだ。

「……あ……いや……ミチル……それは……高評価……を通り越して……概念の暴力だ……」

「あ、ゼンさん? また顔が真っ白になって、存在が空気に溶けて透明になってますよ? ほら、次は『言葉を必要としない魔法の特大パフェ』、持ってきますからね!」

ミチルが鼻歌を歌いながら奥へ引っ込む。

俺の視界から色が消え、ただ、自分のTシャツの『察して。』という文字が、虚しく宙を舞う幻影が見えた。

「……J-JACK……POT……」

俺は、沈黙の重みに耐えかねて、床に沈没した。

ハニーが隣で、「あはは! 本当に、あなたって世界一の『察してちゃん』ね!」と、机を叩いて爆笑していた。


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