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誰と妊活してるんだ?――裏切りの果ては  作者: てとてと


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第6話 幻の(真一)

 小首を傾げながら受け取った封書を見て、ギョッとした。


 内容証明郵便?

 なんだ?


 差出人――『蓮本法律事務所』


 扉が閉まるや否や、震える指先で封を開けた。

 ビリッと音がして大きく封書が破けた。


 ――小谷和朗の代理人、弁護士・蓮本浩一郎。

 ――不貞行為による慰謝料請求。

 ――振り込み期限、口座番号、証拠について。


「……は?」


 読んで血の気が引く。

 額に汗が滲む。

 封筒をぐしゃっと握りつぶす。


 ソファーに腰を下ろすが、頭がくらくらしている。

 ローテーブルに置かれた通知書をぼんやりと眺める。


「あっ」


 そういえば、昨日封筒が届いてた。

 もしかして……。


 チラシの間に挟まった封筒、『蓮本法律事務所』の差出人。

 やっぱり。

 封を強引に引き破った。

 書かれているのは内容証明郵便と同じ内容だった。


 バレてた。

 バレてしまった。

 顔を両手で覆った。

 弁護士が入ってる。


 まずい。

 まずい。


 それしか思いつかない。

 スマホとかパソコンで対処を調べよう――とは思いつかなかった。

 ただ通知書を眺めるしかできない。


 どれくらい時間が経ったのかスマホが鳴った。

 思わず飛び上がってしまう。

 恐る恐る耳に当てる。


「桐嶋真一様ですね。当職、弁護士の蓮本浩一郎と申します。小谷和朗様の代理人として――」


 淡々とした声で慰謝料の支払いを求めてくる。


「……ふざけるな。そんなもの認めるか」


 通話を切っても、胸の動悸は治まらなかった。

 耳の奥にまだ声が残り、手は震えている。


(はったりだ……脅してるだけだ……)


 そう自分に言い聞かせる。

 証拠については、はっきり書かれていない。

 きっと証言とか証拠もなしにこんなことをしてるんだ。

 弁護士からならと圧力をかけているに違いない。


 届いたものは全てチラシの間に挟み込んだ。



 3週間後。


 会社に黒いスーツの男が現れていた。

 男は受付でアポイントメントを告げると応接室に通された。


 何も知らず営業から戻ると、直属の上司、松井次長から声を掛けられた。


「桐嶋君、来客だ。応接室にすぐ」


「えっあっはい。どなたがいらっしゃっているか分かりますか?」


 今日はアポイントメントはないはずだ。

 慌ててスケジュールを見ても真っ白。


「いや、大丈夫だ。まずは行ってくれ」


「はい」


 ノックをして応接室へ足を踏み入れた。

 部長と人事課長が並んで座っているが、憮然とした表情で空気も悪い。


 前には黒いスーツの男。


 視線が一斉に向けられ、背筋が凍る。


「では、蓮本様お願いできますか?」


(蓮本……? あっ、小谷の弁護士か!)


「はい。まずは私の依頼人は小谷和朗様です。依頼人は御社に対しての訴訟などは考えておりません。が、桐嶋様の就業時間中の不法行為については問題視しております。それが個人の問題であればいいのですが、もし会社の方針だとすれば、社会正義上考えられません」


「現時点ではことを公にする必要はないと考えておりますが、御社の姿勢は注視してまいりたいと考えております」


「桐嶋様こちらをご確認ください。就業時間中の情報に絞っております」


 封筒に入った資料は不貞の記録だった。


 中には日時入りの写真と調査報告。

 上司たちは険しい顔で黙り込んだ。


「本当に……小谷の妻か」


「よりによって同僚の家族とは……」


 重苦しい沈黙。


「桐嶋、確かか?」


 部長の声は低い。

 視線の先には……写真。


 笑顔で肩を寄せる自分と愛花。

 ホテルの入口に消えていく瞬間。


 俺は言葉を失った。


「就業時間中に同僚の妻と……事実か?」


「……っ」


 喉を掴まれたみたいに塞がれ、声にならなかった。

 言い訳を探すのに、頭が真っ白になる。


「プライベートな問題で……」


 と叫ぼうとしたが、声がかすれて出ない。

 逃げ場は――ない。


 応接室の空気は重く、視線に押し潰されそうだった。


「桐嶋君。会社としてはこの事態を重大に受け止めている。実はすでに小谷君からは相談を受けていた」


 部長の低い声が響く。


「選択肢は二つだ。地方支店に異動するか、懲戒解雇か」


「……は?」


 耳を疑った。

 左遷か、解雇か。

 どちらも人生を削り取る選択肢だ。


「私生活の問題で……」と口を開いたが、部長の目が鋭く光った。


「就業時間中の不倫行為。公になれば会社の信用問題だ。枕営業などというイメージを与えかねん。営業全体の信用を貶めたいのかね?」


「い、いえ」


「それに小谷君の案件はわが社にとって非常に重要だ。今後も小谷君に率いてもらわなければならない。彼と君、どちらが必要な人材だと思うかね?」


 反論の余地はなかった。

 背中に流れる汗を感じる。

 シャツが張り付き、呼吸が苦しい。


「急がなくていい。よく考えたまえ」


「……はい」


 声は震えていた。

 懲戒解雇に比べれば、左遷はまだ再起の余地がある。


 だが部屋を出た瞬間、廊下にいる同僚たちの視線が突き刺さった。

 何も言わない。

 情報が出回ったとしか思えない。


 もう、針の筵だった。


(……俺が何をしたっていうんだ。悪いのは……)


 心の中で繰り返す。

 けれど答えは一つしかない。

 悪いのは自分だ。


 夜。布団に潜り込んでも眠れない。

 酒をあおっても、夢の中で部長の声が響いた。


「どちらが必要な人材だと思うかね?」


 跳ね起きて、息が荒くなる。

 壁の時計は午前三時を回っていた。


 何とか条件を引き出せないか?


 愛花と出会った頃を思い出す。


 NOという言葉を聞いた記憶はない。

 あんなにすんなり落ちるなんて思わなかった。


 連絡がつけば……藁にもすがる思いで、スマホを開いた。

 連絡先から愛花の名前を探し、メッセージを打ち込む。


『話がしたい』

『少しでいい、会ってくれ』


 送信ボタンを押す指が震えた。

 だが既読はつかない。


 電話をかける。

 コール音が虚しく響き、やがて留守番電話に切り替わる。


「愛花……俺だ。話そう、頼む」


 声は掠れていた。

 けれど、その録音が届くことはないだろうと、自分でも分かっていた。


 数日後、意を決して愛花のマンションに足を運んだ。

 エントランスの前に立つと、胸が潰れそうになる。

 呼び鈴に指を伸ばすが、押せない。


 足はすくみ、心臓は耳元で鳴っているようだった。


 結局、何もできずに背を向けた。


 会社にいても、家にいても、居場所がなかった。

 同僚の視線、上司の冷たい声、愛花の沈黙。

 すべてが胸を締め付ける。


(おかしい……俺は、俺はこんなはずじゃなかった……)


 闇夜に呟いても、返事はない。


 異動か、退職か。

 懲戒解雇なら再就職に響く。

 せめて依願退職にすれば、経歴は汚れない。


 再起は……できる。


 薄暗い部屋で、缶ビールを片手にスマホを見つめる。

 連絡先の一覧に愛花の名前はまだ残っていた。


 愛花の艶やかな姿が思い浮かぶ。

 柔らかい女だった。


 指が勝手に動き、メッセージを打ち込む。


『元気か? 会いたい』


 送るかどうか、画面を見つめて数分。 

 結局、削除した。


 送ったところで、返事は来ない。

 分かっているのに、削除する指先が震えていた。


 気がつけば、昼夜の区別もなく、スマホの光だけを見つめていた。


「……俺だけが、悪いのか?」


 呟いた声は、かすれていた。


 同僚の妻に手を出した。

 それ以外の事実はない。


 次々と浮かぶ表情。

 伸ばした手が空を掴む。


 アルコールが漠然と過去の記憶を交差させる。

 酒が進み意識がもうろうとしていく。


 窓から差し込む光の中、散らかった部屋が浮かび上がった。


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