第11話① 偽物(愛花)
今回は2話投稿します
上を向いてシャワーを浴びると、目にパチパチと当たる水の感触が気持ちがいい。
明日は休みだから、今夜、帰ってきたらユーカリのシャワースチーマーを使おう。
そう思ってシャワーを止める。
ボディクリームを優しく塗り込む。
日に何度もシャワーを浴びるから、肌はかなり乾き気味だ。
それでも朝と夜のシャワーは欠かせない。
心を切り替えるための儀式だから。
ドライヤーで髪を乾かしながら通知をチェックする。
予約の名前は『鈴木』。
どこにでもある名前、恐らく本名ではない。
(鈴木さん、か)
「アレクー、ヒットソングかけて」
小さな筐体から音が流れる。
気に入り始めた曲が流れて、鼻歌が漏れる。
髪にオイルを塗り込みながら香りを確認する。
髪に馴染ませながら、移らないよねと心配になった。
移り香を気にするお客さんは多い。
特に香水。
だから、振らなくなった。
けれども、髪の香りとか服の柔軟剤とかは、いい匂いがするって言う人が結構いる。
香りを楽しんでくれる人もそうだけど、何かしら私にいいところを見つけるお客さんには、優しい人が多い。
優しい人だといいな……。
化粧を整え、並んで吊るしてあるワンピースを眺める。
モノトーンのペイズリー柄とモスグリーンに花の刺繍が入っているもの。
顎に人差し指を当てて、どちらがいいかなと考える。
今日は少し暖かいから、明るいほうがいいかな。
と、モスグリーンの方を手に取った。
「うん」
身体に当てて確認する。
優しい雰囲気に気持ちも明るくなる。
引っ掛かりの少ないピアスをつけて、全身鏡の前でターンする。
スカートのヒラヒラ感がいいらしい。
たまにクルクル回って、とリクエストされることもあるから念のため毎日練習をしている。
こんなので喜んでくれるなら安いものだ。
事務所に顔を出してホテルに向かう。
深呼吸をひとつして、インターホンを鳴らす。
「はーい」
ドアが開く。
笑顔、笑顔。
「はじめまして、さくらです」
いつものように扉に滑り込む。
ガチャンと扉が閉まりロックがかかる。
「……っ!」
固まってしまった。
言葉は出ず、檻に閉じ込められたような気持ちになる。
出迎えたのは、ありふれた『鈴木』なんかじゃなかった。
頭から血の気が引くのが分かった。
目が見開き、手足も一瞬で冷たくなる。
黒髪を短く整えた青年。
イケメンではないが優しく誠実さが感じられる顔立ち。
どこか不器用な笑み。
忘れるはずがない。
「……あ、あっ……」
呼吸を忘れる。
声は出ず、うめき声になる。
まるで喉を掴まれたように動かない。
目の前にいるのは――
かつて、職場で私を慕ってくれていた後輩、赤塚星也だった。
部署は違うけど、和朗とも面識がある。
こんなこと考えてもいなかった。
知り合いが客として来るなんて……想像すらしなかった。
いや、よぎりはした。
でも、そんなことはないと高をくくっていた。
赤塚君がゆっくり息を吐いた。
私の顔を見て表情が強張って、悲しそうに変わっていく。
ただ、視線は記憶にある通りにまっすぐ。
「……先輩……ほんとに」
赤塚くんの声が震えてる。
怒り?悲しみ?
わからない。
羞恥と恐怖で、全身が熱くなる。
(終わった……)
頭の中で、この後の絶望がぐるぐると渦を巻く。
噂は広まる。
会社でも話しが広まる。
和朗の耳にも届くだろう。
回りまわって家族の耳に入るかもしれない。
最悪の未来が一瞬で脳裏を駆け抜け、足が震えだす。
「……な、なんで……」
上手く声が出ない。
口から枯れ震えた言葉が出てくる。
赤塚くんは深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。
「……偶然。でも、元気そうで良かった」
元気?
いや、もう元気じゃない。
視線を外せないまま、妄想が進んでいく。
妄想が目の前にぶら下がったロープの輪っかを見せたとき、膝から崩れ落ちた。
言葉を選ぶ余裕もない。
床に手をつく。
はらりと垂れた髪が視界を隠す。
駄目だ。
このままじゃ。
なんとかしないと。
顔を上げて赤塚君を見上げる。
目の前にいた。
私を支えるように肩に手が置かれている。
心配そうな目。
「お願い……誰にも言わないで……!」
涙がにじむ。
駆け引きなんかする余裕もなかった。
赤塚君は目を伏せ、小さく息を吐き、ゆっくり目線を合わせてきた。
少し間を置いて頷く。
「……ええ」
本当に信じていいの?
なんでここに来たの?
答えは見えない。
心臓が痛いほどに脈打つ。
誤魔化すように、無理やり笑顔を作ったが、感覚がない。
「……と、とりあえず、中へ」
赤塚君の声は裏返っていた。
彼が部屋に向かおうと振り返った瞬間、吐き気が込み上げた。
口元を慌てて抑える。
(どうしよう……どうすればいいの……)
誘導されソファに腰を下ろすが、グラグラ揺れて落ち着かない。
有線の音楽が流れているのは分かるけど、何の曲か、何語の曲かも分からない。
肌が刺されているようにチリチリしだす。
何を話したらいいか分からない。
視線は落としたまま、膝の上で指を絡める。
赤塚君は、静かに隣に座った。
「……先輩」
確かにそう呼ばれていた。
キラキラと目で、頼ってくれていたあの頃。
けれど今の私は……。
「……確かめたかったんです」
彼はそう言って、泣きそうな表情を浮かべた。
声は掠れていた。
頬が熱くなり、目頭も熱くなっていく。
沈黙が落ちるが、音楽は響いている。
「……辛かったんですね」
星也が小さく口にした。
「……えっ」
「……震えてる」
「ううん」
首を振りながら、否定する。
もしかしたら本当に震えていたかもしれない。
自分の身体のことなんかまったく分からなかった。
「ほら」
そっと手を握られたのに、全身がビクッと反応した。
「俺……言いません、誰にも」
何を言っているのか。
そんな訳はない。
胸が締め付けられ、ぶんぶんと首を振る。
赤塚君の存在を強く感じながらも、彼を見ることができない。
浅い呼吸を繰り返す。
赤塚君は手を握ったまま、何も言わない。
どれくらい経ったのか、プルルと電話が鳴った。
「はい……」
手を離して、赤塚君が電話に出た。
気が付けば終了の時間だった。
ずっと下を向いて震えていたのだ。
「今日は……そんなつもりじゃないんです」
「……え?」
頭がさらに真っ白になった。
「……どうして」
思わず呟いた。
「ずっと尊敬してたんです」
尊敬……。
息が詰まる。
「知ってしまって……確かめたくて来たけど、困らせるつもりじゃなかった」
羞恥が押し寄せ、視界がにじむ。
涙を見られたくなくて、顔を伏せた。
「……やめて」
「……」
「私、もう……」
声が震えた。
体を抱きしめるようにして、必死に涙をこらえて、頬からどんどんこぼれ落ちていく。
赤塚君はそれ以上は言わなかった。
ただ静かに隣にいる。
触れようとも、責めようともしない。
「……俺、何もできないですね」
「……いいの」
「でも……」
言葉を飲み込んだのが分かった。
表情を見ることができない。
私は涙を拭ってゆっくりと立ち上がる。
「ごめんなさい、もう……行くね」
お金を受け取って入口まで進む。
靴を履き終えてドアノブに手をかけた。
振り返って赤塚君を見ようとした。
赤塚君はすぐ後ろにいて、抱きしめられた。
「心配なんだ」
耳元で囁かれる。
振り払おうと思ったけど、力が入らない。
こくんと頷いてドアを閉めた。
顔は見ていない。
ドアの音が重く響いた。
しゃがみこんで顔を覆うと、熱い涙が指の隙間から零れた。




