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誰と妊活してるんだ?――裏切りの果ては  作者: てとてと


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第8話② 進んでも……(愛花)

今回は2話投稿の2話目です

(私には……もう)


 思考が上滑りする。


 お仕事紹介のページ。笑っている若い女の子たち。


『楽しく働ける』

『安全・安心』


 嘘くさいキャッチコピーに眉をひそめながらも、指先は止まらなかった。


 理性が「やめろ」と叫ぶ。

 でも、頭に数字が並び、焦燥が理性をかき消す。

 頭の奥が熱い。


 登録フォームに名前を打ち込みながら、涙が滲んだ。

 送信ボタンを押した瞬間、力が抜けスマホが転がる。

 布団に倒れ込んで、深く息を吸い込んだ。


 起き上がって鏡に映った自分の顔は、ひどく醜い。

 いつもの疲れた表情。

 疲れてるね?大丈夫?

 そう声をかけられそうで、見た目以上に歪んで見えた。


 そう時間を置かずに返信が届いた。


『明日からでも可能です。まずは面接をさせていただきます。履歴書のご用意があればご希望の日時をお知らせください』


 あまりにあっさりとしていた。

 その簡単さが、腹立たしかった。


 布団に寝転がって天井を見つめる。

 しばらくすると、隣から笑い声が聞こえてくる。

 頭まで布団かぶり、耳を塞いだ。


 でも、胸の中の声は消えない。


(……落ちるんだ)


 数年前は「きれいだね」と言われた……。

 和朗の隣で笑っていた。

 今は疲労感が顔に出ている。

 ただの疲れた醜い女だった。


 指定された事務所に向かった。

 雑居ビルの一室。


 扉の前でウロウロしてしまう。

 大丈夫なのか?

 ヤクザが出てくるのじゃないか?

 鼓動が激しい。


 恐る恐るノックをすると、扉を開けたのは女性だった。

 四十代前半くらいの女性スタッフ。


 室内はパーテーションで区切ってあって、応接スペースに通された。

 面接も先ほどの女性だった。

 店長らしい。

 笑顔で「大丈夫ですよ」と説明が始まった。


「本当に初めてなんだね。最初は緊張すると思うけど、すぐ慣れるから。無理なことは店から要求しないし、安心してね。あと最初は慣れたお客さん。うん、評判の悪くない人をつけるからね」


 明るく言われて戸惑った。

 手慣れたセリフは、そのままここにきた女性が育てたのだろう。

 ここが日常になるような世界が本当にある。


 信用できるかできないかじゃない。

 どこに飛び込むかなんだって思った。


 契約書にサインをするとき、手が震えて字が歪んだ。

 それでもスタッフは気にせず、「はい、これで大丈夫です」と笑顔を見せる。


(こんなに……あっさりと)


「服装だけど、出勤の時はワンピでもいいからスカートでお願いね」



 どこか浮ついた気持ちで家に戻った。

 狭い部屋で天井を見つめる。


 明日から、自分は客を相手にする。

 現実が胸に重くのしかかる。


 段ボールを開け、服を取り出した。


 和朗との思い出がある服を着る気はしなかった。


「まだ……」


 ――残ってたんだ。


 不倫のときに着ていたワンピース。

 和朗を裏切って桐嶋と会っていた象徴のような品。

 確認していたのに気が付かなかった。


 細いウエストラインを強調するデザイン。

「似合ってるじゃん」と桐嶋に褒められた服。

 和朗は何て言ってたんだったか。


 生地を指先で撫でるだけで、胃が捻じれるように痛んだ。


(これを……着ていく……)


 鏡に合わせると、自分が笑っているように見えた。

 桐嶋と並んで歩いた夜、ショーウィンドウに映った姿。

 あのときの自分が、再びそこにいた。


「……最低だ」


 鏡に向かって呟いた。

 唇が震えて、涙が込み上げる。


(私は……この服で裏切った。今度は、この服で知らない男の前に立つ……)


 震える指でワンピースをハンガーに掛け、ベッドの端に置く。

 布団に潜り込んでも眠れなかった。


 隣の部屋のテレビの音。

 通りを走る車の音。

 どんな小さな音も、やけに大きく響いた。


 朝が来れば、私は堕ちていく。


 気が付いたら日が差し込んでいた。

 時間を見るとあと3時間で行かないといけない。


 ワンピースに袖を通して、深い呼吸をした。


 事務所のスタッフに案内された待機室は、思ったより明るい。

 色んな事情があるのだろう。

 平日の昼間なのに何人かの女性が待機している。


 鏡を出して、化粧を確認する。

 濃い目のメイクに胸が苦しくなる。


「じゃあ、名前はさくらさんでお願いしますね」


 スタッフが笑顔で言った。

 うなずくと、


「昨日アナウンスしたらすぐに予約が入ったんですよ。やさしいお客さんだから頑張って下さいね。このお客さんなら色々聞いても大丈夫だから」

 

 適当な源氏名が与えられ、私はうなずくだけで精一杯だった。


 指定されたホテルの前で立ち止まる。

 なんでだろう?こんなときに吹きつけた風は強く冷たい。


 スマホの画面には『ホテルケリー 502号室 田中様 90分1万8千円』


(もう……逃げられない)


 足元が震える。

 でも、返済のため、生活のため――何度も自分に言い聞かせて、足を進めた。


 部屋インターホンを鳴らす。

 すぐに声が返る。


「はーい」


 ドアが開くと現れたのは五十代半ばくらいの男。

 小太りで穏やかな目元に笑い皺が刻まれていて、どこか安心感を覚える顔。


 思わず、ほっとした。


「こんばんは。あー緊張してる?」


「……はい」


 声が震えていた。


 田中は苦笑して、ソファに腰を下ろした。

 私も並んで座るが怖くて端のほうに腰を下ろす。


「最初なのかな?緊張するよね」


 その言葉に、胸の奥が少しほどけた。


「はい。初めてですみません」


「大丈夫。紅茶と緑茶どっちがいい?」


「あっ……紅茶で」


 テーブルに置かれたカップにお湯が注がれる。


「じゃあ、お店に連絡してね」


「あ……ありがとうございます」


 店に入室した連絡を入れ、お金の確認をする。

 お札を数える手が震えた。


「そろそろかな。どうぞ」


 ティーカップが差し出される。

 口をつけると香りが喉を通っていく。

 それだけのことなのに、気持ちがほぐれ涙が出そうになる。


「さくらさん?いい名前だね君に似合っている」


「……ありがとうございます。」


「今日は、君のペースでいいから」


 そう言ってにこやかに笑う。

 その自然さに、思わず力が抜けてしまった。


「はい」


 服を脱ごうとするが、手が止まる。

 初対面の相手の前に肌を晒すことに、強い抵抗があった。


「綺麗だね」

 

 田中の手が伸びてきて、思わずびくっとしてしまう。


(いや……)


 喉が詰まって言葉が出なかった。


 不倫で感じてた熱とは違う。

 意外にも穏やかに感じた温もりに、じわりと熱くなった。


 田中は最後までゆっくりと優しい。

 くっついたままそっと髪を撫でられる。


「頑張ってな」


 田中がぽつりと言った。

 目が熱くなったのは嬉しかったからではない。


 どうして……。

 

 それしか考えられず、返事はできなかった。


 別れ際。


「今日はありがとう……楽しかった」


「はい」


 ドアの前で深くお辞儀をして、部屋を出た。

 廊下を歩きながら、視界が歪む。


 優しかった。

 思っていたよりも、ずっと。


 これでいいの?

 でも――


(どうして……私はここにいるんだろう)


 ホテルを出ると、夜風が濡れた頬を冷たく撫でた。


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