初陣
自分の命と住む場所、そして救うべき仲間がいる。
そう思えば、誰だって怖い表情の一つも浮かべるだろう。
一方で俺は――どんな顔をして後をついていけばいいのか分からない。
とりあえず、空気を読んで雰囲気を壊さないように声を張った。
荒野はゴツゴツとした岩肌が続き、あちこちに木々の残骸が転がっている。
切り倒された木もあれば、綺麗に加工された木材もある。
――ここは、元々森だった場所なのかもしれない。
俺たちの突進が地響きを起こすと、人間たちも同じように突っ込んできた。
まるで鏡合わせのような正面衝突が起きる。
試しに俺は、女神から授かった《煙の能力》を使ってみた。
昨日エリィが寝ている横で練習していたおかげで、ある程度は扱える。
手足を動かすような感覚で、意外と簡単だった。
下半身を煙に変えて――俺は空へと舞い上がる。
「うわっ!」
最初は思わず声が出た。
バランス感覚が狂う。初めて自転車に乗った時のような不安定さだ。
まずは敵――人間たちの様子を知りたかった。
既にリーリスたちは先頭でぶつかっている。
「おいおい……まじかよ」
空中から戦場を見下ろした俺は、言葉を失った。
人間たちの装備――それが絶望的だった。
鉄製の鎧を頭から足先まで纏い、手入れされた剣と弓矢を構えている。
矢は空を舞い、ゴブリンたちの木製の防具を容易く貫通していく。
そう、文明レベルの差が歴然だった。
盾を構えても砕かれ、棍棒を振るっても鉄は割れない。
背後から奇襲できた者だけが、ようやく一撃を与えられる程度だ。
「なんだ、あれは!」
斬られた一体のゴブリンから、桃色の光が溢れ出した。
血ではない。眩い結晶のような光が、体内から現れる。
「……あれが敵対心ってやつか」
拳ほどの大きさの桃色の結晶。
それは、まるで“心”そのもののように見えた。
「まずい、守れ!」
仲間が叫ぶより早く、人間が剣を振るい結晶を砕く。
ガラスを割るような音と共に、ゴブリンは糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「そういうことか……敵対心を砕かれたら戦意喪失ってわけね。
“死”が存在しない世界って、そういう意味か――うわっ!?」
空中で思考している間に、遠くから矢が飛んできた。
次の瞬間、肩に激痛。燃えるような熱さが体中を駆け抜ける。
「っぐ、あああああ!」
戦場なんて初めてだ。
痛みに耐えられず、地面に叩きつけられた俺は、思わずうずくまった。
――煙の能力は攻撃をすり抜けるって話、どこ行ったんだよ!?
女神の説明不足か、俺の勘違いか。
どちらにせよ、怒りの矛先は彼女に向いた。
隙だらけの俺へ、人間が剣を振り下ろしてくる。
「やばっ――死ぬ!」
とっさに腕を突き出した瞬間、剣が腕に触れ――煙が発動した。
攻撃がすり抜ける。
「……発動条件、今!?」
混乱しながらも、煙になって距離を取る。
遠距離攻撃では発動せず、近接ではすり抜ける?
いや、もしかすると俺の“意識”が関係しているのかもしれない。
女神、説明が足りねぇんだよ。
とはいえ、不思議と恐怖はなかった。
喧嘩も戦闘も未経験のはずなのに、心は妙に静かだった。
再び戦場へ戻る。
木製の防具を纏うゴブリンたち。鉄の鎧を纏う人間たち。
誰が見ても、戦力差は圧倒的だった。
それでも俺は、煙を駆使して暴れた。
人間を掴んで投げ、棍棒を振り回し、弾かれながらも食らいつく。
――やってるうちに気づいた。
俺が「攻撃が来る」と認識したときだけ、煙の能力は自動で発動する。
背後や不意打ちは防げないが、見える攻撃には反応してくれるようだ。
「なるほどな。意外と便利じゃん、これ」
煙を広げて視界を奪えば、隙を突ける。
武器を煙で操れば、攻撃範囲も広げられる。
応用次第ではかなり使える力だった。
けれど、戦況は圧倒的に不利。
ゴブリン側の被害は増え続け、俺たちは完全に押されていた。
そのとき――
「煙を使うゴブリン……初めて見た。おもしれぇな」
人間の群れの中から、一人の巨漢が歩み出る。
大剣を肩に担ぎ、余裕の笑みを浮かべている。
「俺の名はライオット。お前の名前は?」
「ノアスだ」
「いい名前だ」
体格、傷跡、立ち姿――どれを取ってもただ者じゃない。
直感が叫ぶ。こいつはヤバい。
『そうじゃ! そいつじゃ! ノアス、やったれ! そいつが破滅の置時計の持ち主じゃ!』
『おい女神、うるさい! 今集中してんだよ!』
まるで競馬場の親父みたいなテンションで、女神が茶々を入れる。
ため息をつきながら、俺はライオットに視線を戻した。
――今、こいつを倒せば。
人類との戦争に勝てるかもしれない。
破滅の置時計を壊せば、タイムリープに頼らず魔物を救えるかもしれない。
そう思い、気を張り詰める。
「油断大敵――っ!」
構えた瞬間、胸部に激痛が走った。
視界が歪む。
いつの間にか、ライオットは目の前にいた。
剣が閃き、俺の敵対心が――砕けた。
不思議だった。
怒りも憎しみも、全てがどうでもよくなる。
風が気持ちいいとすら感じた。
ああ、これが“戦意喪失”ってやつか。
そして、俺の意識は暗転した。
『おい、ノアス! 早速やってもうたな! 起きろ!』
バチーン、と頬を叩かれて目を覚ます。
真っ白な空間――そう、ここは女神の領域だ。
『そうか、負けたのか俺』
『まあ、一週目にしては上出来じゃな。
能力の理解も早かったし、“荊”のマスターにも会えた。よくやった方だ』
にやにや笑う女神に、俺は深く息を吐いた。
『敵対心を砕かれると、やり直しが発動するってことか?』
『そうじゃ。砕かれるか、自殺するか、諦めて廃人になったら、
私が説教しに来てやる。だが心配いらん。お前は案外、馴染めとる』
『つまり、またエリィに出会う直前に戻るってことか』
『正解じゃ。記憶はそのままだから、未来を変えてみせい。
同じ選択をすれば、同じ未来が来るだけじゃからのう。
戦争を先延ばしにしてもいいし、他種族と手を組んでもいい。
未来を、自分で塗り替えるのじゃ』
言い終えると、女神は満足げに微笑んだ。
そして、また眠気が襲ってくる。
「次は……負けねぇからな」
そう呟いた俺は、泥のように眠りへと沈んだ。
ノアス初戦、敗北!
ですが、彼の戦いはまだ始まったばかりです。
次回はリーリス視点を予定しています。
感想・ブクマ・評価いただけると励みになります!




