迫る戦火と(荊)の名
翌朝、俺はエリィに肩を叩かれて目を覚ました。
寝る前はいろいろ考えていたはずなのに、結局ぐっすり眠ってしまった自分が情けないというか、恥ずかしいというか。
そんな複雑な気持ちを抱えながら、エリィに連れられて村の入口へ向かう。
そこには五十人ほどのゴブリンたちが集まっていた。
「すごいな。こんなにいたのか……」
「少し前までは倍以上いたんだけどね。――ほらノアス君、防具と武器を取って。戦争はもうすぐそこだよ」
促されるままに装備を取る。
だが、思わず眉をひそめた。
エリィの言う“防具”とは、鉄の鎧や兜なんかじゃない。
木の板を縄で繋げただけの、頼りない代物だ。武器も棍棒や槍――どれも木を削って加工しただけ。
冗談抜きでボロい。だが、周りを見渡すと他のゴブリンたちも同じ装備を身につけている。どうやら俺だけ特別扱いではないらしい。
「お前たち!」
その声に、空気が一気に張り詰めた。
部隊の先頭に立つのは、族長リーリス。昨夜の落ち着いた表情とは打って変わって、今の彼女は戦場の指揮官そのものだった。
「今日、私たちは総力戦を仕掛ける! 捕まった仲間を救い出し、人類に奪われた領土を取り戻す! ――これが最後の戦いになるだろう。不安があるかもしれないが、私がついている! 行くぞ、お前たち! 我らは勝利を掴む!」
「おおおおおおおおっ!」
士気が爆発したように、ゴブリンたちは雄叫びを上げ、木の武器をぶつけ合って音を立てた。
その迫力に地面まで揺れる気がした。
彼女のカリスマ性には、素直に感嘆するしかない。
「なあ……いつもこんな装備で戦ってるのか?」
ボソッとエリィに尋ねると、彼女はキョトンとした顔で俺を見上げた。
「何言ってるのさ、ノアス君。当たり前じゃない!」
「……そうか」
俺は言葉を詰まらせて後ろに下がる。
この世界の文明レベルは、想像以上に低いのかもしれない。
人間もゴブリンも、みんなこんな原始的な装備で戦っているのだろうか。
それとも、ゴブリンだけが取り残されているのか――。
考えれば考えるほど、不安が胸に積もっていく。
それでもゴブリンたちは、リーリスの言葉に奮い立ち、前進する力を取り戻していた。
俺たちは部族の集落を後にし、荒野へ向かって進み始める。
転生してから、まだ十二時間も経っていない。
だというのに、もう戦争だなんて。
この流れに身を任せていいのかという不安が、何度も胸をよぎった。
徒歩での移動というのも、少し拍子抜けだ。
ファンタジー世界といえば、馬や魔獣にまたがって進軍するものじゃないのか。
そんなイメージを浮かべては、現実との落差に小さくため息をつく。
「なあ、人類って……みんな強いのか?」
沈黙の行軍に耐えかねて、隣を歩くエリィに話しかけた。
「強いよ。特に“冒険者ギルド”っていう施設に登録してる人たちは、私たち魔物の天敵みたいな存在なんだ」
「冒険者ギルド……?」
「うん。人間たちはそこで冒険者を雇ってるの。いくつかチームがあって、その中でも“荊”ってチームが別格に強いの。何度も負けてきた相手なんだよ」
「やけに詳しいんだな」
「そりゃあ、何度も戦ってるからね。私たちだって、ただ負けてるわけじゃないんだよ。捕らえた人間から情報を得たりもしてるし。……でも結局、“荊”に全部取り返されちゃうんだけどね。あはは」
苦笑いを浮かべるエリィ。
彼女の言葉を聞けば聞くほど、ゴブリンたちの劣勢がよく分かる。
この戦い、本当に勝てるのか……?
『――おい、ノアス』
『……またかよ』
突然、世界が止まった。
視界が暗転し、脳内に直接声が響く。女神のものだ。
『“荊”のチームマスターが《破滅の置時計》を保持している。奴らはその重要性を理解していない。懐に入り込めれば、破壊は容易いはずだ。……とにかく“荊”だ。忘れるな』
『ちょ、ちょっと待て! 質問が――って、もう居ねぇし!』
嵐のように現れ、嵐のように去っていった。
俺は顔をしかめ、思わず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「どうかしたの、ノアス君?」
「あ、いや。なんでもない」
急に黙り込んだ俺を心配して、エリィが首を傾げる。
とっさに誤魔化しながら、再び前を見据えた。
森を抜けると、視界が一気に開けた。
曇り空の下、分厚い雲を突き抜けてわずかな光が地面を照らす。
まるで世界の境界線のように、森と荒野はくっきりと分かれていた。
「あの遠くに見えるのが、人間たちの王国」
エリィが指差す先――地平線の向こうに巨大な城壁が見える。
その手前には、こちらに向かって進む軍勢の姿。
数は五十、いや、それ以上。
明らかに人間の軍隊だった。
「この場所が、最終防衛ラインって感じかな。人間たちは今のところこれ以上攻めてこないけど、それも時間の問題。だから今回はリーリスが仕掛けたの。いつもは森で守る側だけど、今回は攻める側ってわけ。……まあ、人間たちは私たちを脅威と思ってないかもしれないけどね」
攻められる前に攻める。
そうしなければ、生き残れない。
それが彼女たちの現実だった。
「お前たち、行くぞ! 今日、この場所を取り戻す! ――森を、仲間を、誇りを取り戻すぞ!」
崖の上で拳を掲げるリーリス。
その声に呼応して、ゴブリンたちが一斉に吠える。
怒号と足音が混ざり合い、荒野が震える。
――いよいよ、戦いが始まる。




