煙を掴む手
読んでいただきありがとうございます。 よければブックマークと評価、感想お願いします!
にっこりと手を広げるエリィは、ほっとしたように笑った。
村に着いた俺の第一印象は――汚い、だった。
建物はどれもボロボロで、強風が吹けば飛んでいきそうなほど隙間だらけ。
地面もガタガタで、少し気を抜けば転びそうだ。
木で作られた見張り台のようなものがいくつか見えるが、どれも危なっかしい。
村を歩く……いや、“ゴブリンたち”は腰にランタンをぶら下げ、俺を一瞥もせずに通り過ぎていく。
エリィはそのたびに陽気に挨拶していた。
だが、笑い返すゴブリンたちの笑顔は弱々しい。
まるで今にも消えそうなロウソクの炎みたいだった。
一方でエリィだけは違う。
周りが炎なら、彼女は太陽だ。心の底から笑っている。
……多分、勘違いじゃない。前世で人間関係に擦れてきた俺の直感は、わりと当たる方だ。
「皆、ずっと人間に怯えてるの」
「……怯えてる?」
「うん。何度も戦争を仕掛けて、全部負けてる。そのたびに仲間が敵対心を砕かれて連れていかれた。だから、もう心が空っぽなんだ」
エリィの声は、悲しみを押し殺すように震えていた。
「けど大丈夫。だって私の願ってた英雄さんが来たもん。ノアス君が救ってくれるんだよね?」
「え、いや……どうだろう」
その“希望”が、正直痛い。
俺は極力戦いたくないし、この世界のことは右も左も分からない。
テキトーなことは言えなかった。
「ささ、ここ入って!」
エリィは俺の手を引き、少し大きめの建屋に入っていく。
ボロさは変わらないが、どうやらここが“部族の長”の家らしい。
「おーい、リーリス! いるー? 私たちを救う英雄さんを連れてきたよ!」
……やめてくれ、その紹介の仕方は。ハードル上がるだろ。
中から聞こえた声は、少し低めの少女のものだった。
「またそんな妄想を……って、え? どちら様?」
現れたのは、銀髪のゴブリンの少女。目が鋭くて、少しかったるそうな雰囲気だ。
「森で出会ったの! ノアス君って言うんだけどね、別の世界から来たゴブリンなの! 私たちを救ってくれるんだ!」
「おい、そこまでは言ってないぞ!」
「え、ノアスって……異世界?」
少女――リーリスは、眉をひそめたまま俺を上から下まで眺めた。
「一応、自己紹介しておくわ。私はここの部族の長、リーリス。あなたは……ノアス、だったかしら?」
「あ、ああ」
エリィの隣に立つ俺は、隠し事をしても仕方ないと思い、転生の話をした。
結果――当然ながら、リーリスはドン引き。
「そう。まあ、よく分からないけど。異世界転生? ねえ。他のゴブリンと違うことでも出来るのかしら」
「え、進む感じなんだこれ」
門前払いされるかと思いきや、意外にも話を聞いてくれるようだ。
リーリスは頬杖をつき、俺を舐めるように見ながら言った。
「この辺の魔物は皆、人間にやられてる。妄言を吐く奴も多い。驚きはしないわ。大事なのは“戦う力”よ。何か見せてみなさい」
「……特別な力、ですか」
やばい。ここで何も見せられなければ、ただの怪しいゴブリンで終わる。
俺は焦って、女神の言葉を思い出そうとする。
そのとき――頭の中に、あの声が響いた。
『早速修羅場に出くわしたのう』
『うわ、出た。女神?』
『誰が“うわ”じゃ。お主に授けた能力、覚えておるか? 煙の力じゃ』
『あー……はい、なんかそんな話を……』
『よし、ならやってみろ。お主の体内の流れを感じ、指を鳴らすように意識せい。馬鹿でパカなノアスよ』
余計な一言ありがとう。
そう思った瞬間、女神との通信はぷつりと切れた。
「どうした? やっぱり出来ないのか?」
現実に戻ると、リーリスが俺をじっと見ていた。
不信感、MAX。やばい。
俺は呼吸を整え、体の中に意識を向ける。
すると――何かが流れている感覚。
右手に集中し、イメージを描く。
「……出ろ」
次の瞬間、白い煙がモヤモヤと立ちのぼった。
手から腕、そして体の周りまで煙に包まれていく。
「き、きた……!」
「なに、これ……!」
リーリスが一歩退き、エリィは目を輝かせる。
俺は感覚をつかみ、煙を動かした。
まるで液体のように流れ、形を作る。
――手の形だ。
煙の手がテーブルの上のリンゴを掴み、俺の方へ運んでくる。
「これ、食べていいか?」
「…………」
返事がない。まあ、いいや。
俺はそのままリンゴをかじった。
むしゃり。
……うまい。少し傷んでるけど、今の俺には最高のご馳走だ。
煙はやがて静かに俺の中へと戻り、消えた。




