スライムたちの願い
「取り戻すって……それはつまり、人間を倒せということか?」
「そうだ。ライオットを倒せば人類は侵攻を止めるはずだ。そして水辺の領土を返してほしいのさ。お前たちは人間と戦うのだろう? ならば、ついでに頼む」
大木のように太い腕を組み、目を閉じるスライムたち。
彼らもまた、人類によって滅びの道を辿った種族なのだろう。
確かにスライムの願いを聞こうが聞くまいが、俺たちの目的――人類に勝利すること――に変わりはない。
ならば、これは足かせではなく、同じ道を進む仲間の声だ。
「そういえば、さっきドワーフが話していた“スライムタクシー”ってやつ。あれを使えばオーガの里までどのくらいで着くんだ?」
タクシーという言葉の響きからして、どう考えても移動手段だ。
「オーガの里に行くのか……お前たち、恐ろしいな。まあ俺たちが運べば――半日ってところだろう」
「半日!?」
夕方の空は茜色に染まり、宝石のような太陽が今にも沈もうとしている。
ここから一日。残された猶予は二日を切っていた。
「なら、協力してくれ。俺たちには時間がない」
「もちろんだ! 俺たちの住処を取り戻してくれるなら、何でもするぜ!」
スライムの表情に柔らかな笑みが浮かぶ。その笑みにつられて、俺の胸にも安堵が灯った。
だが――どうせならもう一手、踏み込みたい。せっかくスライムが頼んでくるのだ。戦争に役立つ条件を引き出せないだろうか。
「そういえばスライム。君たちは擬態が得意なんだよね?」
横からライが口を挟んだ。スライムたちは当然だと言わんばかりに「そうだ」と頷く。
「ならさ、僕に擬態してみてよ」
「舐めるなよ、ヒドラ。ムニ、ムニムーニ!」
ブクブクと泡立つ体。次の瞬間、目の前には――もう一人のライが立っていた。
「え!」
驚いて後ろを振り向くと、そこにも本物のライが。
声だけが違う。だが容姿はまったく同じで、鏡を見ているかのようだった。
「なら次、エリィに変身して」
「種族なんて関係ない。一度見た相手なら変身できる。ムニムーニ!」
再び泡立ち、今度はエリィがそこに現れた。髪も目も、胸の大きさまで完全再現だ。
「す、すごいな……擬態能力」
あまりの完成度に、口が塞がらなかった。
「人間にも変身できるんだよね? 見たことあるなら」
「当たり前だ。あいつらの文化や喋り方までバッチリさ」
フンッと鼻を鳴らすスライム。その仕草にライがさらに踏み込む。
「例えば、君たちが僕たちにくっついたら――僕たちごと誰かに擬態できる?」
「もちろん。少し技術はいるが、可能さ」
「そうか。……だってさ、ノアス」
「えっ、お、おう」
不意に名前を呼ばれ、俺はたじろいだ。
だが、今のやり取りの中に――確かに“何か”があった。
スライムが他者の姿に化けられる。さらに接触中の相手ごと擬態できる。
つまり、戦場において敵陣へ紛れ込む手段として利用できる、ということだ。
ライは俺に目で訴えていた。
エリィはまだ気づいていない。
……なるほど、そういうことか。
「なあ、スライム。お前たちの住処を取り戻すため、俺たちは全力を尽くす。その代わりに――協力してほしいことがある」
俺は少し息を呑んで、ライに視線を送る。
彼は静かに頷いた。それだけで、心の奥の確信が固まる。
「それは……リスクが大きすぎるぞ!」
俺の説明を聞いたスライムは後退りし、冷や汗を浮かべる。
他のスライムたちもゴクリと唾を飲み込んだ。
「それはお互い様だろう。俺たちも戦争に向けてドワーフやオーガに接触している。お前たちにも、リスクを取ってほしい。魔物が協力すれば必ず人間に勝てる。そのために――お前たちの力が必要なんだ」
これは駆け引き。力のぶつかり合いではなく、信頼を賭けた“言葉の戦い”だ。
「……必ず俺たちの住処を取り戻してくれるか?」
「ああ、必ず勝利する」
迷いのない視線をスライムに返す。
もし勝てなければ、またやり直すだけだ。ならば、恐れる理由などない。
「……分かった。俺たちもリスクを取ろう。ただし、俺たちは強くはない。混乱を生み出せても、長くは持たんぞ」
「小さな混乱一つで戦況は変わる。それに――俺の狙いはその先にある」
「ほう? というと?」
ライが興味深げに身を乗り出す。俺は苦笑して肩をすくめた。
「オーガとどうなるか分からないけどね」
先は読めない。けれど上手くいけば、戦場の流れを掌握できる。
スライムは驚いたように体を跳ねさせ、ぴょんぴょんと飛び回った。
「いかれてる……だが、もしオーガを従えるなら、ヒドラ同様に実力を証明したことになる。いいだろう。俺たちも船に乗ってやる!」
「よし、決まりだ」
緊張していた肩の力をそっと抜き、俺はスライムと握手を交わした。
「まずはスライムタクシーでオーガの里へ。頼むぞ」
「おう、行くぞお前たち!」
「ムニムーニ! ムニムーニ!」
十体以上のスライムが集まり、ブクブクと泡立つ。
やがて一つの巨大な“ソファー”のような形になると、「ほら、乗れ」と声が響いた。
恐る恐る寄りかかると、ボヨンと柔らかく体が沈む。驚くほど心地いい。高級ソファーのような感触だ。
「出発進行!」
十の声が重なり、スライムタクシーが滑るように進み出す。
速いのに、まったく揺れない。涼しい風が頬を撫で、思わず目を細めた。
隣でライとエリィが会話している。その声をラジオ代わりにしながら、俺の瞼はどんどん重くなる。
程よい揺れ、心地よい風――そして積み重なった疲れ。
俺はそのまま、泥のように眠りへと落ちていった。




