スライムと秘密の詩
ドワーフの村を出て、少しの時間が経過する。
森は僅かに霧が掛かっていた。
タイムリープをしてから半日と少し。今はちょうど昼を少し過ぎた頃だ。
残された時間は――二日と少し。
ここからオーガの元へ向かうには一日かかる。
やはり、時間に余裕はない。
タイムリープの条件が「俺の敗北」であることは、ライとの一戦で嫌というほど理解した。
つまり、敗北=激痛。
もう二度とあの痛みは味わいたくない。正直、怖い。
……でも、駄々をこねている場合じゃない。
この世界が初見クリアできるほど甘くないことも、痛いほど分かっている。
だから、考える。
もしまたタイムリープしたときに、最初からやり直すのなら――
少しでもスムーズに進める準備をしておくべきだ。
「なあ、エリィ。俺がもう一度タイムリープした時、また一から説明するのが面倒なんだ。
だから、お前とリーリスしか知らない“秘密”とか教えてくれないか?」
「えー、秘密?」
また疑われて、口喧嘩して、納得させて……
そんなやり取りを毎回やるのは、さすがにしんどい。
「何でもいい。
その秘密を知っていれば、俺が“未来から来た”って信じてもらえるようなやつなら」
「……ちょっと、恥ずかしいな」
「ダメならいいけど。出来れば知りたいな」
「ま、まあ。ノアス君がドワーフの信頼を得たから、私も何か証明しないとね」
わざとらしく咳払いをして、エリィは耳を赤く染めた。
体をくねらせながら、意を決したように口を開く。
「実はね……私、胸元に二つのほ、ほ、ホクロがあるの!」
「へ?」
「きゃー! 言っちゃったぁ! 恥ずかしい!」
「……?」
「ちなみに、右の下乳にね――きゃーっ!!」
両手で顔を隠しながら、木の裏に逃げ込むエリィ。
本人は黒歴史を暴露したようなテンションだが、こっちは動揺中だ。
……いや、確かに。
彼女がそこまで恥ずかしがるってことは、情報としては信頼度が高い。
ついでに、ほんの少し得した気分だ。
「このことはリンとリーリスしか知らないから、きっと初対面のときに話せば信じてくれると思うよ」
「変態扱いされないか?」
「んー、多分大丈夫」
本当かよ!
「じゃあ次、リーリスの秘密だ。
本人が居ないから悪いけど……あいつの信頼を得ないと戦争を延期できないからな」
「リーリスの秘密ねぇ……ふふふ、沢山あるけど。
あ、いいのあるよ!」
エリィはにやりと笑って続ける。
「雨の日になるとね、彼女、自分に酔って詩を書くの。
引き出しの中に詩集があるんだよ――タイトルは『私と雨と時々晴れ模様』。
その中で最新の詩は“リーリスと子犬の物語”。
誰にも見せてない。私も偶然見つけちゃっただけ。
……ちょっと、口に出すのも恥ずかしい内容だったけどね」
「……お前、結構エグいな」
「え?」
いや、マジでエグい。
中学生時代のポエムを暴露されるのと同じレベルの羞恥プレイだ。
俺も昔、ノートに書いた詩をクラスで読まれたことがあって――
そのときは人生終わったと思った。
……あれ以来、詩という単語にアレルギーがある。
「このことは絶対に他言禁止だ。リーリスのためにもな」
「もちろん!」
聞いといて何だけど、俺はリーリスに心の底から同情する。
あんな爆弾、俺なら一生立ち直れない。
「ちなみにライ。お前は? 毎回戦うの、正直キツいんだけど」
「僕の秘密は特にないかな。
ヒドラは群れないし、僕はただ鉱山で静かに暮らしていただけだしね」
ライは淡々とした口調で続けた。
「でも戦争に勝ちたいなら、やっぱりタイムリープを繰り返すしかないと思う。
僕と戦って勝てば、僕は君の言うことを聞くし、経験値にもなる。
エリィの話によれば、ゴブリンは適応力に長けてるんだろ?
僕との戦闘を繰り返せば、戦闘力も経験も蓄積される。
結果的に勝率が上がるはずだよ」
「……ごもっともだな。
確かに、言葉だけで世界が変わるわけじゃない。
痛いけど、経験にはなる。ありがとう、ライ」
タイムリープ対策の話し合いを終えると、
俺の頭を覆っていたモヤモヤが少しだけ晴れた。
「ここから一日、か……」
長い道のりだ。
皆が人間という共通の敵を持っているのに、バラバラに生きている。
誰かがそれに気づけば、少しは変わるのかもしれない。
欠伸をひとつ。
そのとき――近くの茂みがカサリと揺れた。
「何かいる」
「え、これラッキーかも」
俺が警戒態勢に入る中、エリィはのんきに笑っていた。
ライもあくびをしている。
――ムニョ。
柔らかい音が、草むらの奥から聞こえてきた。
液体のようで固体のような、不思議な塊。
雫のような形をした薄黄色のスライムが、パチパチと瞬きをしてこちらを見ていた。
「なにあれ」
「スライムだよ」
「ムニ」
言葉……なのか?
さらに二体、三体と現れ、合計十体のスライムが俺たちの前に並ぶ。
「これがスライム……」
レモン色のスライムたちは、どれも似たような姿をしていた。
「ムニ、ムニ、ムニ!」
先頭のスライムが、一生懸命何かを訴えかけてくる。
「どうしたの?」
「ムニ、ムニ」
エリィが優しく話しかけると、スライムは体を揺らして応える。
だが、言語は通じない。
「ダメだ。言葉が通じねぇ。時間もないし、行こう」
心苦しいが、足を止める余裕はない。
ここで時間を無駄にするわけにはいかないのだ。
「違うよ、ノアス君」
「おい、こいつ無礼者だな」
――え?
背後から、低くて野太い声が聞こえた。
俺は振り返る。
エリィ? 違う。ライも違う。
じゃあ、誰だ――?
視線の先にいたのは、ただのスライム。
「……気のせいか」
「このゴブリン、スライムを知らないのか?」
「えっ!」
足元から、再びあのイケオジ声。
見下ろすと――一体のスライムが、にやりと笑っていた。




