再戦、煙と糸
『おつおつ。結構グロテスクなやられ方だったな。しかしまあ、タイムリープらしくなってきた展開だったのう。アッハッハッハ!』
『またここです、か』
繭の中のような空間に、もう俺は驚かない。目の前には、言うまでもなく女神がいる。珍しく楽しそうに笑っていた。
『いやいやいや、ぼっこぼっこだったな』
『まあ。というかこの世界って、殺すとかそういう概念ないんですよね』
『ああ、無いぞ』
『それなのに手足の切断はあるんですか。くそ痛かったし、あのままじゃ失血死してたと思うんですけど。矛盾してますよね』
正直、想像以上にボコボコにされた。初めての経験だ。手足が切断されるなんて。めっちゃ痛かったし、苦しかったし、トラウマものだ。
少しでも動かないと、あの断面が脳裏に浮かんで鳥肌が立ってしまう。この場所で意識を覚ました俺は、まず自分の手足を確認した。きちんと生えていたことに、思わず安堵する。
『案ずるな。失血死する前に敵対心がむき出しになる。敵対心が顔を覗かせれば、体の傷はそれ以上悪化せん。故に死なない。ちなみに相打ちになっていた場合は、私の権限でお前をタイムリープさせていた。身動きが取れなくなった時点で負けのようなものだからな』
『なるほど、そういうことか』
『まあ、ただで負けたようじゃないから、また楽しみに待っとくわ。じゃあのう』
もう俺も、それ以上会話を続けようとはしない。女神の機嫌を損ねるのは、得策じゃないからだ。
例によって、酷い眠気に襲われる。目を覚ますと、雨に打たれていた。
「またここから、か」
前の世界でのことを思い出しながら、俺はエリィと出会い、リーリスとやり取りを終えて、ドワーフの村へ向かう。今回は初見じゃない。だから前回よりも、ほんの少し早くライのもとへたどり着けた。
ライとのやり取りもほぼ同じ。戦闘が始まるまでまったく変わらない。正直、欠伸が出そうだ。
煙を展開させる。前回はライを覆うようにしたけど、今回は違う。自分の周りを中心に煙を展開した。
「さらにこれだ!」
俺はゴブリンの村を出る前に、木の実をいくつか拾っておいた。例によって、ぐちゅぐちゅに傷んでいるやつだ。それを手当たり次第に投げつける。
木の実は地面にぶつかる前に、何かに接触した。べちょっと汚らしい音を鳴らして、中身が飛び散る。
「やっぱり」
中身は地面を濡らしたが、それ以外にも付着した。木の実は、宙に張られている何かにくっついたのだ。
まるで糸のような、線状の何かが空間にびっしりと張られている。
「へえ、何、君。初見で気付くなんて凄いね」
「糸か。予想が当たってよかったぜ」
恐らく糸。かなり切れ味の良い糸が、周りに張られているんだ。俺が最初に足を動かそうとした時や手を動かした時に糸と接触して切断された。紙の端で指を切るような感覚に近い。
前回、煙でライを覆ったせいで指の動きを視認できなかったけど、一度だけ、彼が人形のように小刻みに動かすのを見た。恐らく、指先から糸を出しているんだろう。距離は分からないが、そう断定できる。
煙を使った時の違和感――あれは糸に煙が接触していたからだ。無数の糸が煙の進行を妨げていた。
しかし「糸」という正体を認識していれば、その違和感に気付ける。
触れたら最後。でも、常に煙を展開して糸に細心の注意を払えば、戦えないこともない。
今回は煙を防御に使う。自分の周りに常に炊き続ける。こんな細い糸では意識して避けることはできないから、煙の流れの変化を察知するしかない。
結構きついけど、相性で言えば悪くないはずだ。
「何か違うね、君」
ライは両手を前に突き出して、指をコキコキ鳴らす。糸が放出された。
まるでトビウオが水面を削るように、糸が地面を削りながら迫ってくる。
目を細める。だが視認は難しい。それでも、煙の内部へ糸が入れば流れの変化で避けられる。
一気に詰める。油断はしない。進行方向に煙を先行させ、糸の気配を感じ取る。糸を避けながら、俺はライを捕らえた。
思いっきり殴った――が、俺の拳はライに止められる。
「僕の空間を初見で攻略する奴は、過去一人もいなかった。何か気付かれるようなことをした覚えはないけど、どうなんだい?」
「あいにく、痛いぐらいの経験をしたからな。ズルいって言わないでくれよ」
右手を抑えられたまま、俺は宙に跳び、体を捻じって回し蹴りを放つ。
さすがのライも予想できなかったようで、俺の蹴りは紫の鱗に直撃した。
鱗は鋼鉄のように硬い。俺の蹴りなんて蚊に刺された程度だろう。
「打撃はあんまりか?」
「そうだね」
「そうか。なら、斬撃はどうかな」
煙を一気にライの背後まで増やす。
煙の中に仕込んでいた剣を操り、背中に一太刀。
手応えがあった。鱗を切断し、肉を裂いた。真っ赤な血が、地面を汚す。
のほほんとしていたライの顔が、初めて歪む。俺は油断せず、顎を狙ってアッパーを叩き込んだ。
腹を蹴り、吹き飛ばす。煙を手の形にして、足を掴み、思いっきり叩きつけた。
「君は、生意気だ」
地面に叩きつけられながらも、ライは蜘蛛のように糸を飛ばす。
だが、速度があるほど煙は動きを検知して形を変える。流れの変化を感じ取れば、避けられる。
ライとの戦いの負け筋は二つ。ゼロ距離攻撃と、既に張られた糸に触れること。どちらも即死級だ。
俺は弱い。戦闘経験もほとんどない。だから攻撃を受けるわけにはいかない。頭がパニックになるからな。
それでも勝たなければならない。ライに無傷で勝ち、仲間にする。
煙の能力は広範囲で使える。半径十メートル。防御にも攻撃にも使える。デメリットは、常に流れを意識しなきゃいけない点と、相手の姿も隠してしまうこと。だが、それでも十分に強い。
煙を使って再び接近する。ライは網状の糸を飛ばす――だが、これが決め手だ。
ライは俺が避けると分かっている。上下どちらかに動くと想定しているはずだ。
だが俺の煙にはもう一つの強みがある。意識できている攻撃なら、すり抜けられるのだ。
ライは俺が避けた瞬間に追撃を仕掛けるつもりだったのだろう。だが、俺が正面突破した時は、驚きの表情を浮かべていた。
そのまま、ライの目の前で剣を振るう。鱗を切断し、鮮血が飛び散る。
体を回して、もう一太刀。
「がはっ!」
ライは激痛に顔を歪め、膝をついた。
胸元から、桃色の輝きが飛び出す。敵対心だ。
敵対心が露わになったら、もう行動はできない。俺はそれを知っている。
「ハアアアアアアアアア!」
腹の底から声を出し、足腰に力を込めて踏み込む。
バリーン!
まるでガラスが割れるような音。硬そうで、シャボン玉のように柔らかかった敵対心が砕けた。
「ううううううう!」
唸り声を上げながら、ライは大の字に倒れ込む。
「勝ったの、か?」




