邂逅
「いってらっしゃい!」
村を出発することになった。装備は心配していない。ガッチリした鉄の鎧だ。軽く強度を確かめるため、拳でコンコンと叩いてみたが、多分問題ないだろう。俺はそういう知識が一切ないから、あくまで感覚だ。何も知らないのに叩いてみるのは、野球をやってないのにスイングしてしまうのと同じだ。
俺が去るとき、エリィは大きく手を振って見送ってくれた。
エリィを連れていけないと判断したのは単純だ。足手まといになるから、ただそれだけだ。
エリィは主張が強いが、戦闘力は他のゴブリンと大差ない。ヒドラが格上なのか不明だが、ドワーフが警戒している時点で格が違うのは明白だ。エリィの身に何かあったらまずい。人間との戦いに勝っても、リーリスに顔向けできないような結果は絶対に避けたい。エリィを信じてくれている彼女を死なせるわけにはいかない――その気持ちが強かった。
別れて鉱山に近づくと、ゴツゴツした岩があちこちに転がっていた。近場は結構掘ってあるようだが、鉱山の入り口に近づくにつれて採掘の痕跡は消えていった。
「結構熱いな……」
温泉が近いのだろう。額からポタポタと汗が落ちる。鉱山の中に足を踏み入ると、ひんやりした空気が頬を撫でた。ランタンが等間隔に置かれ、暗さに困ることはない。壁に手を当てると、石は冷たくてしっとりしている。ドワーフが言っていたように、鉱石からの冷気があるのかもしれない。
少し進むと、壁の色が黒く変色している部分がいくつかある。コンコンと叩いてみると、今俺が身に着けている鉄の素材と似ている。つまり、俺たちが求める鉄は近い。奥に進むほど鉄の比率が高くなる。
「この鉱山を取り戻せば、丸一日経たずに装備が作れるかもしれない」
問題はヒドラ。三つ首の蛇の討伐にどれだけ時間がかかるかだ。そんなことを考えつつ進むと、やがて大きな開けた場所に出た。
「すげえ、全部鉄だ」
空間は鉄に囲まれていて、ひんやりした風が髪を揺らす。丘の上に立って周りを見渡すと、空間の中央に一人、ぽつんと立つ影が見えた。暗くてよく分からない。
注意深く丘を降りると、その影の正体が見えてくる。
「おーい、どちら様ですか」
影は大人の人間ぐらいの身長。ポニーテールで、女に見えなくもないが、筋肉質な体格から多分男だ。ここに人間がいるはずはない。他の種族でも、こんなところで一人で棒立ちという状況はまずあり得ない。
「えっと、大丈夫ですか――!」
肩に触れようとした瞬間、俺は距離を取った。空気が違う。肌がヒリヒリするような重さ、殺気にも似た何かだ。触れた瞬間に感じた違和感は明瞭だった。相手は人間ではない。体表には鱗がびっしり付いている。紫がかった褐色の鱗だ。
その「人間風」の男は、舌をピロピロと蛇のように高速で動かしている。
剣を構えてじっと男を見ると、奴は薄く笑った。
「ゴブリンか。焦った、マジで」
「え、喋った」
「僕が住んでたこの山とドワーフの仕事場が重なるとはね。ドワーフは戦闘を好まないから脅して追い出すことはできたんだ。でもいつか強い種族が連れて来られるんじゃないかとヒヤヒヤしてた。来たのがゴブリン一体なら、まあ問題ないかな」
「もしかして、貴方がヒドラですか?」
三つ首の蛇を想像していた俺にとって、目の前の存在は人型で、首が一つだった。が、奴はのんびりと頷いた。
「あーそうだよ、ヒドラだよ」
「三つ首の蛇って聞いてたんだけど」
「あー、この姿か。んー!」
奴は力の入っていない声でそう言うと、ウンコを踏ん張るように力み始めた。次の瞬間、グロテスクな湿った音がして、首が枝分かれするように三つの顔がヌッと現れた。
「こういうことだよね。安心して。三つ首って言っても自我は僕一人だし、会話もできる。ヒドラって百年で一度首が生えるんだ。俺はまだ子供だから大蛇の姿にはなってないけど、まあこれが僕って感じ。驚いた?」
「う、うん。ちょっと驚いた」
相手は俺に警戒心を見せず、むしろ世間話をするような気楽さだ。殺気と緩さが同居する、妙な空気がそこには流れていた。
「僕の名前はライ。君は?」
「俺はノアス。ドワーフたちの依頼で来た」
「そうなんだ。じゃあ早速戦おうか。もう準備はできてるんだ」
ライは三つの顔のうち一つを軽く笑わせながら、のんびりと剣を構えた。
戦闘の空気が一気に張る。俺の心臓は跳ね上がったが、深呼吸をして剣を握り直す。
――決戦の時が来た。




