新しい生活、その一日
森の中で息を殺し木陰に身を隠す。
獲物の気配を確認、気付かれてはいないだろう。
少しだけ顔を覗かせて相手を目視する。
若い雄鹿だ。
距離は100mと少し、一般的なものより立派な体格をしている。
草を食しているが、こちら側を向いているため移動はできない。
少し待つと、鹿が顔を上げ移動を開始する。
弓に矢を番えて弦を引き、障害物に阻まれずに狙いやすい距離、角度になるのを待つ。
50m弱、獲物が無防備に横を向いた。
自身の力量からすると少し距離は遠いが弓を構える。
狙うは肩から後方下。
息を吐き切った後に呼吸を止めて矢を放つ。
矢が標的に命中するまでの刹那を見守り──
見事狙った部位である心臓周辺に命中。
それでも鹿は走り出したが、数秒の後に事切れた。
ルカは鹿の絶命を確認した後、後ろを振り返る。
「良し」
少し離れて控えていた老人が頷いて発した声を聞き、深い安堵の息を吐いた。
アランダ村が新しく二人の住人を迎えてから一週間が経過していた。
ルカは村長から説明を受けたように、ギルドの依頼という体で村の仕事を手伝い始めた。
それが狩人であるこの老人、ボロルマの手伝いだった。
髪は完全に白に染まっていて無精髭。
平たい顔に鋭い眼光の、無口な人物である。
仕事内容は北から西に広がる森での害獣駆除を兼ねた狩り。
また、盗賊の痕跡検出や不意に遭遇した際の対応も行う。
仕事初日に出身の村でも狩りを行っていたことを話すと実力を見たいと言われ、いつも通り狩りを行ったところダメ出しの嵐だった。
獲物の追跡方法が適当、気配の隠し方が甘く獲物に気取られて当然、矢も狙いが甘く急所に当たっていない、その他諸々。
それから指導の日々が続き、ようやく及第点を貰えた。
仕事を手伝うはずが、完全に修行そのものといった一週間となった。
ボロルマは口数こそ少ないが面倒見はよく、要点を的確に教えてくれる。
まだ初めの一歩とはいえそれを実践し、認めて貰えたことはルカの控えめな自尊心に心地よく響いた。
「気ぃ抜くな、帰るまでが狩りだ」
そんなルカに軽めの拳骨一発、獲物の亡骸に向かっていく。
「は、はい!」
小走りにボロルマの後を追う。
二人で近くの川まで仕留めた鹿を運び、解体を始める。
皮の剥ぎ方一つ見ても、今までの自分の手際の杜撰さを実感する。
細々とした質問を交えつつ、二時間あまりかけて解体から荷造りまで終え、村へと帰還した。
狩りから帰ってまだ日が高い内は、教会の好意に甘えて子供たちの授業に参加させてもらっていた。
故郷の村を出てから、無知を実感することが多かったためだ。
宗教、文字の読み書き、計算、歴史、果ては護身術。
教会の子供たちは最年長でも十一歳と、ルカは参加に少々気後れ気味だった。
だが、リミエリアで知り合ったオルン、ユート、リタのお陰もあり時間を掛けずに馴染んでいった。
日が暮れる前には、一応冒険者ギルドに形ばかりの依頼の状況報告をする。
夕食時には早々にギルドの受付が閉まってしまう。
ギルド長のギアースと受付嬢のミリィが併設の酒場、天国と地獄亭で働き始めるためだ。
二人とも働き詰めなのではと考えたが、酒場で働く二人は活き活きとしていたので心配はなさそうだ。
そうなるとギルドでは緊急の要件以外は受け付けず、ギルドのスペースも酒場として利用される。
報告を終えたルカも夕食を摂ろうと酒場側へ向かうと、一つのテーブルから声が掛かった。
「ルカさん、こっちこっち」
声の主はロザリー。
そのテーブルには他に二人座っていた。
一人は以前も会ったことがあるナーシュ。
もう一人は明るい金髪を後ろに纏めた、切れ長の目に眼鏡をかけた痩身の男性。
白衣を着たその男とも、既に何度か顔を合わせていた。
「こんばんは、ジャック先生、ナーシュさん、ロザリー。
ご一緒していいですか?」
「どうぞどうぞ」
にこやかに返す男の名はジャック、この村の医者である。
珍しい組み合わせ、というわけではない。
ナーシュは定期的にジャックの世話になっているらしいし、ロザリーはジャックの手伝いとして働き始めていた。
この村を訪れた翌日、ロザリーから村長にそういった申し出があったという。
ロザリーなりに、トラウマを克服しつつ村のために役立ちたいという思いがあったのかもしれない。
村長も困惑しつつ、回復魔術は簡単な怪我に対してのみという条件付きでジャックの手伝いを許可した。
寝泊りについては教会の宿舎を借りているそうだ。
「今日は随分と早上がりですね」
「何もない日はこんなものですよ。
ナーシュ君の診療が終わって、ロザリー君と一緒に誘って来ました」
三人は既に食事を摂り始めていた。
ナーシュも食事中だけはいつも被っているマントを脱いでいる。
改めて見るととんでもない美少女だ。
少女という歳ではないという話ではあるが。
「いらっしゃい、ご注文は?」
席に着いた瞬間に声を掛けられ、振り返ると給仕服に着替えたミリィが立っていた。
先ほどまでギルドカウンターに立っていたのになんという変わり身の早さか。
厨房を見ると、ギアースも既に女将と並んで調理に着手している。
「えっと……チャーハンと川魚の煮込みで」
「はいはい、ちょっと待っててねっと」
注文を受けたミリィは軽快な足取りでカウンターに引っ込んでいく。
ギルド受付とは違い、酒場の給仕中は普段通りの態度だった。
「この間はどうも。
まともに挨拶できなくて悪かったね」
不意にナーシュが無表情で話しかけて来た。
傍若無人でマイペースな人物かと思ったが、礼節はちゃんとしているようだ。
一週間前にちらりと見た時より、心なしか顔色が良くなっている気がする。
「いえ、お疲れだったと聞いてるので」
「そうなんだよ、あの爺は人使いが荒くて──」
そして想像以上に口が悪い。
いや、普段から鬱憤が溜まっているのだろうか。
村長に対する罵詈雑言が続くのをジャックが窘める。
「ロザリーも仕事の調子はどう?」
「はい、お陰様で」
テーブルで唯一杯を傾けていたロザリーに問うと、赤ら顔で上機嫌な答えが返ってきた。
「先生にはよくしてもらっていて、まだ上手く出来ないんですが少しずつ手伝わせてもらってます」
「ロザリー君の術は興味深くてね。
血が苦手っていうのがなければもう少し色んな患者に試してみて欲しいんですけど」
そういえば凄まじく血が苦手で簡単な怪我しか治療できないという設定にしたと聞いている。
自分と向き合い、他人に力を使えるようになるならば何よりだ。
やりすぎないことを祈るばかりだが。
「そういうルカさんの方はどうなんです?
結構気難しそうなお爺さんの手伝いみたいですけど」
「いやいや、すごいしっかりした人だよ。
色々教えてもらって助かってる」
むしろ手伝いどころではなく面倒を見てもらっているくらいなのだが。
確かに傍から見ると偏屈そうな老人に見えるのかもしれない。
「ボロルマはあの性悪爺と違って不言実行の男だ。
村の最古参だし、昔は最前線で魔獣狩りや地図作成も担当して周りと密に連携していた。
見た目だけの判断は良くないよ、ロザリー」
「す、すみません……」
注意というほどでもない軽い口調で諭されて肩を落とすロザリー。
そんな最古参を呼び捨てにするナーシュはどういう立ち位置なのだろう。
そしてその村長評は変わらず辛辣だ。
「はい、注文の品お待ちどう」
話しているとミリィが注文した料理を運んできた。
だが圧倒的な違和感がある。
その正体は一目瞭然、チャーハンの周りに山盛りにされた肉だった。
「ミリィ、卓を間違ってない……?」
「合ってる合ってる、女将さんからのおまけだって」
ニヤニヤしながらそう言われてルカが厨房を見ると、丁度女将と目があった。
軽くパーマが掛かった短い黒髪の、恰幅のいい女傑。
村長の奥さんでもある。
「あんたヒョロヒョロなんだから量食わないとダメだよ、サービスしといたげる!」
声が大きいし圧が強い。
「ありがたいですけど流石に多すぎますって!」
「じゃああたしからの依頼だ、その肉を全部平らげな!
報酬はその肉、うちの旦那にも言っとくからね!」
なんだそりゃ、と周囲から笑い声が聞こえた。
「くくっ、因果逆転という奴なのかな。
胃薬が必要なら後で処方しますよ」
「線の細い君も悪くないが、この村で生きていく以上は筋量も必要だ。
頑張って依頼をこなすことだね」
同じテーブルからもジャックとナーシュも面白がって茶々を入れてくる。
ルカと山盛り肉の戦いが、今火蓋を切る。




