プロローグ
「ねぇ、あめふらしってなあに?」
夕焼けに染まる庭先。茜色の光が縁側に差し込むなか、少年は絵本のページからふと顔を上げて、母に問いかけた。
蚊取り線香の煙が、すうっと細く空に昇ってゆく。
隣には妹が座っていた。年の離れた、まだ幼いその子は、絵本よりも母の顔に夢中で、小さな手で畳をそっと撫でていた。
母は、その問いにしばらく答えなかった。
まるで、遠い記憶の底を手探りしているかのように、そっと目を細めて、空のほうを見つめる。
そして、ぽつりと語り出した。
「……あめふらしっていうのはね、雨を呼ぶ、小さな妖精よ。誰にも見えないけれど、心が傷ついた人のそばに、そっと寄り添ってくれるの。冷たい雨を降らせて、その人の痛みを洗い流すのよ。静かに、優しく……まるで涙のように」
「涙、なの?」
「そう。だけど、その雨は悲しいだけじゃないの。誰かの心に降る雨は、悲しみを癒すための恵みでもあるの。枯れた花を、もう一度咲かせるみたいに」
少年は黙って聞いていた。
母の声は、とこまでも優しく穏やかだった。
話し終えた母は、そっと微笑み、妹の頬に指を伸ばして、ぷにぷにと優しく押した。
「……もしかしたら、この子みたいな可愛い子が、あめふらしかもしれないわね」
「えー、ほんとに?」
妹が無邪気に笑う。
それを見て、母もまた、ふっと柔らかく笑った。
その光景は、少年の胸に、雨のあとに残る水たまりのように、静かに、確かに残った。




