殿下の英断
「アリアナ・スヴェルト!貴様との婚約を破棄する!」
ざわついていた空気が一気に冷める
王家主催の王宮での夜会、すなわちこのアガース王国の高位貴族が全員出席しているであろう本日の夜会で突然大声で声高らかに宣言をしたのは紛れもなくこのアガース王国の第一王子のオズワルド・ベリア・アガース殿下である
「婚約、破棄、、でございますか」
そして淑女の笑みを貼り付けたまま返事をしたのは、この国の貴族の中で上から4番目に位置するスヴェルト侯爵の長女であるアリアナ・スヴェルトである
壇上で側近もつけずに強い意志を宿した目でこちらを見るオズワルド殿下をじっと見つめる
ーーーーー漆黒の、でもつやのある髪が揺れる
あぁ、殿下は本気なんだわ
幼い頃から時間を共にし、殿下の11歳の誕生祭の日に婚約を結んだ
殿下、わたくしには全てわかっております
「私は真実の愛を見つけてしまったのだ。マナミール嬢、こちらへ」
殿下のその一言に、驚いた顔をした貴族はおそらくいない
一部の者は軽蔑した顔を隠せていないほどに嫌悪感をあらわにしていた
それほどに王立学園でのオズワルド殿下がマナミール様に近い距離で接していたことが広まっていたのか
マナミール様はこの国で唯一の聖女である
この国には3箇所だけ瘴気が出る場所があり、聖女というのは光属性の魔法が使えてその瘴気を浄化できる存在なのだ
「殿下、わたし、、そんな、、」
「わかっているマナミール嬢、何も怖がることはない」
怯えた顔で一歩、ニ歩と後退っていく女、もといキャンベル伯爵家の一人娘マナミール・キャンベルにエスコートをしている殿下はそのまま彼女の腰に手を回し引き寄せる
こんな場でなければ、一つ一つが洗練された王族たる美しいエスコートに頬を赤らめる女性が何人いた事だろうか
「アリアナ、貴様が嫉妬に狂いマナミール嬢の私物を壊し、暴行を加えたことはわかっている。だから解消ではなく、破棄だ!もう一度言う。貴様との婚約を破棄することを宣言する!そして新たにマナミール嬢との婚約をここで発表しよう!」
「殿下、オズワルド殿下。よろしいですか?」
「よい、長い付き合いだ。言い訳くらい聞いてやろう」
「オズワルド殿下、ありがとうございます。ではまず、」
ずっと淑女の笑みを貼り付けたままのわたくしの頬から涙がこぼれそうになる
まだだ
こらえろ
「、、、では、、まずですが、、婚約破棄、承ります」
震えた声でそう告げると、周りの貴族から「アリアナ様、、」とわたくしを心配する学友の声が聞こえる
「そしてマナミール様の私物を壊し、暴行を加えたとのことですが、スヴェルト侯爵家に誓ってわたくしは無関係であることを宣言いたします」
見事なカーテシーと共に静かに様子をうかがっていた貴族たちが一気にざわつく
このアガース王国で家門に誓うことを宣言するということは、家門の宣言といわれ、もしそれが嘘であったり破ることになると処刑されるのだ
それほどに重い言葉であり、使われることなど本来ない言葉である
そしてそれが侯爵家という高位貴族であれば、それがたった16歳の子供であろうが女であろうが覆すことなどできない
だがオズワルド殿下は先程までと変わらない態度を崩さない
むしろその言葉が出るのを待っていたかのように、手をマナミール嬢の腰から離さずわたくしを見つめている
「そうか、では王家のものを使い調べるとしよう。以上か?」
「いえ、最後に。最後に、オズワルド殿下」
「最後か、なんだ」
「、、オズワルド、殿下」
喋るたびに溢れそうになる涙を、必死にこらえる
「オズワルド殿下。マナミール様とのご婚約、おめでとうございます。わたくし、心より祝福いたしますわ。」
「ふん。貴様からの祝福などいらぬ。もうよい、下がれ」
「お待ち下さい、、!殿下、オズワルド殿下、、!」
オズワルド殿下が手を挙げると、周りの貴族はこちらに意識を飛ばしながらも夜会の雰囲気を戻していく
「オズワルド殿下、、!」
ざわつきを戻していく王宮でわたくしの声はかき消されていく
縋る思いで殿下を追いかけるのを止めたのは父であるスヴェルト侯爵であった
諦めろ、殿下はお心を決めたのだ
その一言でわたくしは泣きそうになっていた顔に淑女の笑みを貼り付けた
それから3ヶ月後、アガース王国の政情は大きく変わっていた
あの夜会の後、家門の宣言をした通りわたくしがマナミール・キャンベルを害していないことは証明された
王命であるわたくしとの婚約を無断で破棄したことと、事実確認ができていないことで侯爵令嬢であるわたくしを貶めたことでオズワルド殿下は廃嫡となり、第二王子のアルベルト様が立太子され、わたくしはそのアルベルト様の婚約者として3ヶ月後に結婚を控えている
廃嫡されたあとオズワルド様はキャンベル伯爵家に婿入りをする形でマナミール・キャンベルと結婚をし、北方の端にあるキャンベル領にキャンベル家共々移り住むことが王命で下された
ただマナミール様は聖女なので度々瘴気が出る場所に出向き浄化をしているらしい
「やぁ、やっぱりここにいたのか」
「アルベルト様、ご機嫌うるわしゅうございます」
「知っているかい?僕は小さな頃この大きなアガースの木から落ちたことがあるんだ。それ以来この木に近づかなくなってね」
「まぁ、初めて知りましたわ。お怪我はありませんでしたか?」
アガース王国のシンボルの春になるとピンクの花が咲き誇るアガースの木を触りながらアルベルト様は懐かしそうに目を細める
「あぁ、あのときは兄上が助けてくださったからね」
「オズワルド様が、、」
「それ以来このアガースの木が嫌いになってここに来ることはなくなった。兄上の11歳の誕生祭がくるまではね。」
オズワルド様の11歳の誕生祭、それはわたくしとオズワルド様の婚約式が行われた日でもある
あぁ、その日もわたくしはオズワルド様とここへ来た
ここでそうオズワルド様と家門の宣言をし合った
このアガース王国を守ることを、誓ったのだ
「兄上にお祝いを言おうと、普段は近寄らないこの庭園に来た。そして兄上と君が微笑み合ってるのを見た。それからここは僕のお気に入りになったんだ」
「そうだったのですね」
「僕はきっと真の意味ではこの国の王にはなれないのだろうね。真のこの国の王はーーー兄上だ」
オズワルド様が言っていた真実の愛は、マナミール様ではない
それを理解していたのは、あの場に何人いたのだろうか
マナミール・キャンベルという女とその家族は決して善人ではない
この国で唯一光属性を持っているということチラつかせ気に食わない者を虐げ、好き放題していたのだ
それは下位貴族だけにとどまらず、なんとこの国の要でもある宰相の家までも被害が及んだ
そしてなんと聖女マナミールはーーーアルベルト様にも近づいた
本当はオズワルド様に近づきたかったのであろうが、オズワルド様は鉄壁であった
隙を見せず弱みなどなかった
そしてわたくしも、その鉄壁のオズワルド様に守られていた
決してアルベルト様に隙や弱みがあったわけではない、出生に問題があった
アルベルト様自身ではどうしようもなかったのだ
アルベルト様は国王陛下の直系の子ではない王弟殿下のご子息様である
王弟殿下の奥方ははアルベルト様が産まれたその日に亡くなられ、その3日後に王弟殿下は奥方の後を追って亡くなられた
哀れに思った国王夫妻がアルベルト様を養子として迎えられた
ーーーアルベルト様には秘密にしたまま15年がすぎた
宰相を脅したキャンベル家はその真実を知り、アルベルト様に近づき真実と嘘を混ぜ合わせ騙した
養子であることを逆手に取った王家に不信を生むような嘘だ
キャンベル家の目論見では、オズワルド様とわたくしを暗殺し、立太子したアルベルト様とマナミール様を婚約させ王家に不信を抱いたアルベルト様を操りこの国を乗っ取ろうとしていた
馬鹿みたいな計画にみえるだろうが、宰相や国の中枢部の何人かががキャンベル家の手の中だったのだ
ーーーーーそしてそのことにオズワルド様が気づいてしまった
けれど相手は聖女とその家族
断罪するわけにはいかない、聖女を失うわけにはいかない
聖女の光魔法は特殊であるため聖女は心身ともに健康でいなければ浄化の魔法は使えなくなる
キャンベル伯爵だけが悪人であれば簡単だったが、マナミールもただの悪人であったのだ
表の顔は謙虚でしおらしい聖女のような
裏の顔は気に入らないことがあるとヒステリックになり気が済むまで感情を爆発させる女王のような
あるときは王都に何店舗もある東の領土に本拠地を構えたドレスの商会を潰させた
食い扶持を失った平民が一気に増えた
あるときは嫌いな野菜を見たくもないと言い、権力のできる限りの数の畑を潰した
食い扶持を失った平民がまた増えた
そして一時的な食糧難が起こった
なぜ彼女を聖女としたのかいくら神を恨んでももうどうにもできない
アルベルト様とは真実を話し、和解することができたがキャンベル伯爵家を王都から追い出し、かつマナミールに浄化を行ってもらうためにどうにか穏便に話を進めたい
陛下やオズワルド様、そしてアルベルト様
そして我が侯爵家を含めた一握りの者たちは密談を繰り返したが話は進まない
その間にもキャンベル伯爵家の権力を振りかざした行為は続く
徐々にいろんなしわ寄せは大きくなっていく
被害を一番に被ってるのは我が国の平民だ
そして、オズワルド様は気づいてしまったのだ
オズワルド様を愛しているわたくしも、気づいてしまった
マナミール・キャンベルはオズワルド様に本気で恋をしていたのだ
マナミール・キャンベルの目がーーーーどこにいてもオズワルド様を追いかける
わたくしと同じように
「アリィ、」
「、、、はい、オズワルド殿下」
「アガースの木の下で宣言をしたことを覚えているかい?」
「もちろんですわ」
「アリィ、私はこのアガースの国民を愛しているのは本当なんだが、」
漆黒の、でもつやのある髪が揺れる
「君のことを思う気持ちはそれ以上の愛なんだと思うよ」
そう微笑んだ彼は自分を犠牲にした
その会話の後、学園では徐々にわたくしの隣りにいたオズワルド様はマナミール・キャンベルの隣にいるようになった
王宮での密談にわたくしは参加することは出来ないし、お父様は苦しそうな顔をするだけで何も教えてはくださらない
ただ一言、オズワルド殿下は何も変わっていないよと、そう言うだけだ
だからすぐに理解した
オズワルド様はキャンベル伯爵家を抑え込み、その身を蓋にするつもりなのだと
当たり前のことなのだ、彼はこの国の優秀な第一王子
幼き頃から国民を第一にと考えるお方だった
そして思ってしまったーーーーわたくしと国民を秤に乗せ国民を選んだのだと
一瞬だけそう思って、自分を恥じた
もしオズワルド様が国民ではなくわたくしを選んだとしたら、その手を取って逃げることができただろうか
否、家族やスヴェルト領の民を置いて逃げることなど出来ない
ならば彼の望み通りに
そうしてあの日、婚約破棄が行われたのだーーーー
「ーーーいいえ、アルベルト様。貴方様がこのアガース国の王となるのですわ。オズワルド様はもうキャンベル伯爵家の人間なのですから」
「そうだね。僕はきっとこのまま王になるけど、だけれど僕には兄上の代わりなどできない」
「、、アルベルト様?」
アガースの木を触っていたアルベルト様がこちらを振り向く
「アガース王家に誓って、何年かかったとしても君を兄上のもとに戻すことを宣言しよう」
「ある、べ、、ると様、、、」
あの日、
あの夜会の日に、溢れかけた涙が
「ーーーーーオズワルド様に、もう一度会いたい」
今やっと頬をつたった
アガース国がどこもかしこもピンクの花でいっぱいになるある春の日、新たな聖女が認定された
「ーーーーーなぜ、来たんだ」
「忘れ物をしましたのよ」
「君はここに来てはいけない」
「ご安心を。大事な忘れ物でしたので、全てを捨ててからきましたわ」
漆黒に何本かの白髪が混ざる、でもつやのある髪が揺れる
「わたくしあの日、“愛してる”を伝え忘れましたの」
『殿下の英断』スピンオフの短編小説
『聖女マナミールの告白』
『マナミール・キャンベルの真実』
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