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グールプ二・大学生


  グループ二・大学生


 私はまだ、神崎君とは打ち解けずにいる。あっち方から話しかけてくる事はまず無い。私の方から声をかけても、素っ気ない淡白な返事が返ってくるだけだ。会話をする場所が悪いのかもしれない。

 右を向けど、左を向けど。そこにあるのは、生腕の吊り革と人間の皮膚で作られたロングシートばかり。普通の電車内とは思えない異常な光景だ。車両をいくら移動しても、地獄絵図を酷似したようなこの光景は変わらない。

 頭がおかしくなりそうだ。いや。この光景に目が慣れてしまっている時点で、もうおかしくなっているのかも。

 私は電車の走行音よりやや遅い歩調で、神崎君の斜め後ろを歩く。

 何故か、肩を並べて歩く事が出来ない。自分が奥手だと自覚しているけど、それだけが理由じゃ無かった。神崎君自身が他人を拒絶しているように見えるからだ。

 とはいえ、このまま黙って歩き続けるのもどうかと思う。ここは一つ、私から何か話題を振ってみようかな。

「神崎君は怖くないの?」

「何がだ」

 おっ、食いついてきた。

「何がって。この場所とか、人の死体とか。自分も死ぬかもしれないとか思ったら怖くならない?」

 実際、私は怖かった。一秒でも早くこんな所から抜け出したいくらいだ。それが簡単にできないから、明るく振る舞うしかないのだけど。さっきみたいに自分の心が恐怖に押し潰されてしまわないか。それが単純に怖かった。

「そうだな。怖くない」

 神崎君はたった二言だけの返事をする。一応、質問をすれば答えが返ってくるみたいだ。少しでも長く会話を続けるなら、私が率先して話題を振らないといけない。

「神崎君って、強いんだね」

「強い? 俺は普通だと思うが。大してすごい事でも無い」

「いやいや。それってすごい事だよ。私なんて弱虫で、意気地無しだし」

 少し間をおいて、神崎君が話を続ける。

「意気地無しにしては、俺を執拗に追いかけてくるな」

 相変わらず皮肉っぽい口調だ。それは遠回しに私を避けているような言い方にも聞こえる。

「私、邪魔?」

 私がそう言った時。神崎君が横目で、ちらっとこちらを見てきたような気がする。

「……俺は一人で十分だ」

 その言葉を吐き捨てた神崎君は、どこか寂しげな様子だった。本当の所、どういった気持ちでその言葉を言ったのかは分からない。

『……ザザッ……お客様に、……ジッ』

 また、あのアナウンスだ。でも、あの時と少し様子がおかしいような気が……

 物音一つ立てず、急に目の前が真っ暗になる。

「きゃ! 何、停電?」

 五秒もかからなかったと思う。すぐに車内の照明が光を放ち、何事も無かったように辺りを照らしだす。

 車内がまた変わっていないか、私は周囲に目を走らせた。

「何も……、変わってないみたいね」

 何も変わっていない筈なのに、私は今見ているこの光景に違和感を覚えた。丁度、見慣れた景色の微妙な変化に脳だけが気付いているような感覚。

 窓の数が増えた? それとも減った? シートの形? 床の色? ……どれも違う。肝心の私自身がそれに気付く事が出来ず、もやもやともどかしい気分になる。

「なんかおかしいよね」

 分からない。目に映っている車内がぐらぐらと揺れる。早く気付け、早く気付け! と、私の心が変に焦っている。もどかしい気分がつのって、次第に精神を不安定な状態へと変化させていく。心臓の鼓動が激しくなっていくのが、自分でも感じられた。

「あれだな」

 神崎君が指差す方には、貫通扉と天井にある小さな面積の壁――そこに貼ってある一枚の古びた紙――があった。

「人の精神と言うものは。周りの様々な景色、音や臭いの変化などを心理的ストレスと感じ取り、時々不安定になってしまう事がある。あまりそれを気にしすぎると、精神症状を引き起こしてしまう可能性もある。よく覚えておくんだな」

 神崎君の言葉に込められた意味を、私は何拍子か遅れて理解する。おかげで、自分の心が乱れている事を自覚出来た。私の事を気遣ってくれたのだろうか。

「何か書いてある」

 神崎君はその紙が貼ってある所まで近づく。私もその背中にぴったりついて行った。

 紙に書いてある内容が読める距離まで来ると、私は顔を少し上げた。


“ぼ…はこどくにしんだ だから、…も…がほしかったんだ だから、このこわれた……し……”


 乾ききった赤茶色の文字で書かれていた。内容の一部は塗り潰されたようにかすれていて、良く読めない。紙は長い年月を経ているのか、所々虫が食ったような跡が見られる。これ一枚の他に似たようなものは見当たらない。黄ばんだ紙質とこの真新しい車内はとても不釣り合いだ。

「うあ。悪趣味な広告だね」

 私は妙に軽い口調で言い、神崎君の横顔を見やる。

「君には、これがただの広告に見えるのか。ふっ。君の方がいい趣味をしている」

 真顔で嘲笑われた。口元だけを動かし、顔の表情を全く変えていない。どうやったら、そんな器用なしゃべり方が出来るのか。

 私の頭が神崎君より出来が悪い事は認めるけど、何もそこまで言わなくても。

「じゃあ、神崎君はこれが何に見えるの? 書いてある意味が分かるの?」

 意地悪っぽく質問責めをし、神崎君に詰め寄る。

「ああ。少なくとも、ある程度の仮説は立てられる。君は分からないのか」

 分かって当然だろ、とでも言いたげな感じだ。馬鹿にされているような気分だ――といっても、もう慣れたけど。そこまで言うなら、聞いてみようじゃない。

「その仮説って?」

「この電車の正体。俺達が閉じ込められた理由。この現象を引き起こしたもの、くらいだろうか」

 心臓がどきりとする。それって、ほぼ全ての謎が解けると言う事になるんじゃ。つまり、ここから脱出する方法も分かる。私は急かされるように、神崎君の正面に回り込む。

「ねぇ、教えて」

 神崎君が冷ややかな両目で私を見据え、数秒の間をあけてから短く鼻を鳴らした。

「約六十年前、某県で列車の大事故が起こった。知っているか」

 約六十年前って、私が生まれる前の時代じゃない。そんな昔の事件を私が知ってる筈がないよ。

「ううん。知らない」

 神崎君は呆れたように溜め息をつく。呆れたというより、無知な私を哀れんでいるようにも感じ取れた。

「一九五〇年代、某県のとある町で電車が炎上し、大火災となった。原因は、架線から車体に電流が短絡した事によるもの。当時の車体は木製であり、可燃性の高い塗料を使用していたため非常に燃えやすかった。死傷者は数百人にも及ぶという。何より悲惨だったのが、死亡者の多くが――」

 話の途中、すさまじい轟音と共に足元が激しく揺れる。

「きゃっ!」

 揺れは一瞬だったものの。私は体のバランスを崩し、体勢を保とうと近くの物へしがみついた。片足の位置が大きくずれたが、なんとか倒れずに済んだ。

「……ふぅ、危なかった。なんだったろう、今の」

「さっさと離れろ」

 頭上のすぐ近くで神崎君の声がした。

「離れろって、何の……うあっ!」

 私は思わず後ろへ飛び退いた。着地した足元が狂い、逆手をとって床に手がつく。

 なんと驚く事に私は神崎君にしがみついていたのだ。とっさの事とはいえ、好きな男性に触れてしまうなんて。恥ずかしさの余り、顔が上気するように赤くなっているのが自分でも分かった。

「何をしている。さっさ立て」

 鈍感だ。いい加減に気付いてもいいと思う。もしかして、気付いた上で無視してるのだろうか。

 私は納得できない気持ちを顔に出し、そっと立ち上がる。

『……ただいま、…………が衝突してきました。速やかに、外へ避難してください……ガッ』

 キーン、と鋭い音割れの余韻が脳に響く。

 衝突した物がなんだったのかが分からない。この車体があれだけ揺れたのだから、よほど大きな物がぶつかってきたのだろう。外は真っ黒で物体が存在できるとは思えないけど。

 考える暇を与えないように自動ドアが開かれる。外からは、長いトンネルにこだまする電車の走行音しか聞こえない。

「どうする? 神崎君」

 私には外に出るべきか、車内に留まるべきか決められない。

「無視する」

 短い言葉を私に返し、神崎君はこのまま車内を進み続ける。アナウンスの指示に従う気はさらさらないようだ。

「大丈夫なのかな。避難してくださいって言うぐらいだから、ここにいるのは危険なんじゃ」

「どっちにしろ、危険なことには変わりない。どうしても早死にしたいなら君だけで避難しろ」

 私を置いて行くかのように、神崎君はさっさと歩いていく。

「ちょ、それってどういう意味」

 早死するってどういう事だろう。私は神崎君の跡を追う前に、車窓の向こう側を眺める。

 車窓は真っ赤だった。自動ドアから見える真っ黒な世界とは異なり、車窓のほぼ半分以上を赤色が占めている。赤い窓には黒い斑点のような穴がぽつぽつと開いていた。

 黒い部分が外の景色だとすると、この赤色は一体なんだろう。気になった私は、車窓にぐっと顔を近付けた。

「えっ。 手形?」

 窓についている赤色は人の手形だった。無造作に、そして大量に張り付いている赤い手形。指紋や掌紋がくっきりと残ってある事から、この電車にすがりつくような意思さえ感じられる。

 私は後ろを振り返った。思った通り、反対側の窓にも無数の赤い手形があるようだ。衝突したというのは少なくとも物では無い。

 そう言えば、さっきのアナウンス。何かと衝突したとは言わず、何かが衝突してきたと言ったような気が。それはつまり、人の手が故意に衝突してきたという事になるのではないだろうか。

 お腹の底から地響きのような震えが伝わってきた。頭が目まぐるしく回転しているような感覚になる。よそう。考え過ぎると、私は自分を保てなくなるかもしれない。

 引戸を開けるような音を聞き、神崎君が次の車両に移ろうとしているのに気が付いた。

「ちょっと! 置いてかないでよ!」

 神崎君の姿が視界から消えようとしたので、私は急いで走り出した。

(……ウッ……、オ……カナイ……)

 ん? 何か今聞こえたような。少し迷ったが、私は足を止めて今の音が幻聴かどうかを確認する。

(……オイテ……イカナイデ……)

 体が一気に冷えだす。今の声ははっきりと聞こえた。酷く掠れた声で誰かが、置いていかないでと言ったのだ。

「誰? 誰かいるの?」

 背後、シートの上、窓の外と目を移したがそこに人の姿は無い。

(……オイテイカナイデ……)

 それでも、人の声が聞こえる。さっきの声と微妙に声質が違い、二人以上いる事が分かった。聴覚が無意識に研ぎ澄まされ、聞きたくもない声が耳に入り込んでくるのだ。

 次第にその声は感情を爆発させるように大きくなっていく。地獄の底から這い上がってくるような掠れた声。四方八方からそれは飛び交い、私の方向感覚をじわりじわりと削り取っていく。

「止めて! 置いてかれたくなかったら、勝手に出てきて付いて来ればいいでしょ!」

(…………)

 私がおもいっきり叫ぶと、ぴたっと声の嵐が止まった。やっと収まったと私は心底安心する。

「馬鹿か、お前! 早くそこから離れろ!」

 神崎君が血相を抱えて、隣の車両から怒鳴り散らしてくる。

「もう、平気。心配しないで」

「外をよく見ろ!」

 大丈夫だと言っているのに。私はしぶしぶ車窓を見ると、言葉を失った。

 赤い手形の隙間――さっきまで黒い部分だった箇所――を丸い眼球がぎっしりと埋め尽くしている。まるで、外から私を覗き見ているようだ。すべての眼球から食い入るような視線を私は浴びていた。

「あっ、ああっ……」

 恐怖の余りに声が喉を抜けない。手足ががたがたと震え、体中から冷や汗が吹き出してくる。

「こっちだ!」

 私は神崎君の声に頼るしかなかった。とにかく、神崎君に誘導されるがままに夢中で走り出す。

(……マッテ……クレ)

(……オイテクナ……)

 背中に降り注ぐ悪魔の声に私は一切耳を傾けない。足音は無いが、確実に奴らは追いかけてきていている。私があんな事を言ったから? 

「絶対に後ろを振り向くな」

 念を押すように神崎君が言う。

「分かってるよ!」

 一瞬でも後ろを振り向いたら死ぬ。動物の生存本能とでもいうのだろうか。本能的にそう直感した。

 別の車両に移動すると、ぽーんという機械音を合図に自動ドアがすべて口を開ける。次の車両、また次の車両も待ってましたとばかりにドアが開いていく。

「どうやったら、あいつらを振り切れるの?」

 私はこの一本道を永遠に走り続けなければいけないのだろうか。後ろからは、姿形も無い恐怖の塊が迫り来る。待て、置いてくな、こっちへ来い。私の走る足を今にも掴もうとしている。

 神崎君が貫通扉に差しかかったところで、急に立ち往生してしまった。

「神崎君! 早く!」

「くっ! 駄目だ。開かない」

 神崎君が扉の取っ手に手をかけ、開けようと何度も力を加えている。

「嘘でしょ」

 私は神崎君を押しのけ、自分で扉を開けようと試みる。

 扉はびくともしなかった。何度も取っ手を引こうとしても、少しも動く気配を見せない。

「なんで」

 扉に付いている小窓の向こうにはまだ電車内が続いている。なのに、まるで飾り物のように扉が張り付いて開かない。

 終わった。私は逃げ場を失ったのだ。奴らの気配がすぐ後ろまで近づいてくる。ここで私は、今まで見てきた死体のように無残に殺されるの? 迫りくる恐怖に耐えきれず、私の意識はすっと遠のいていった。


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