グループ一・高校生
グループ一・高校生
電車内は不気味なほど静かで、辺りは非常に薄暗かった。携帯のライトで足先を照らしていても、それより先は黒い靄がかかったようにはっきりしない。先の見えない狭い通路に閉じ込められたような息苦しさを感じる。いつもの電車内にあるシートや広告なども、今の僕には不安を掻きたてられる不気味な物体にしか見えない。
「なあ。今、何両目にいるんだ?」
僕は不安を間際らそうと適当に話題を挙げた。学校で他愛もない雑談をしているみたいに何も考えないよう。誰でもいいから会話をして、現状に気がいかないようにしたかったんだ。
「そうだな……。俺達がいた最後尾の車両から数えると。たぶん四、五両ぐらいじゃねえ?」
みんなを先導するように前を歩いていた秋山が、こっちをちらっと見て返事をした。
この電車は確か、六両編成だったと思う。だとすると、次の車両ぐらいに運転席があるはずだ。
「そうか。てことは、もう着くはずだな」
秋山が貫通扉を開き、次の車両へ入っていった。僕達も秋山の後に続き、ぞろぞろと中へ入って行く。
みんなが車両を移り終わった、その時だった。どこからともなく不協和音のような音楽が流れ、車内アナウンスが聞こえてきた。
『本日は……この電車を御利用いただき……誠に有り難う御座います。車内の……ご案内をいたします』
そこでアナウンスはぷつりと途切れる。アナウンスには所々ノイズ音が混じっていて、とても気持ちが悪かった。
「なんだ? 今のは」
山下が震えた声でぽつりと呟く。みんなも山下と同じような事を考えているはずだ。何故、このアナウンスが流れたのかと。
「車内の案内をするって、してないじゃない」
恐怖で身を小さくしている中村さんがそう言った直後、自動ドアがその言葉に応えるように開いた。車内の照明もそれに呼応し微量の光を放ち始める。
開かれたドアの先は真っ暗ではない。だが、普通の景色が広がっている訳でも無かった。
「なんだ、これ。どうなってるんだ?」
ドアの先もここと同じ電車の中だった。それは車窓からも確認できる。その車内にあるドアの先も同様。電車の走行に合わせ、天井から垂れている吊り革がゆらゆらと揺れている。繋がっている車両は全て同じ動きをしているみたいだ。まるで、遊園地にあるミラーハウスの中にいるみたいだ。一体、どこまでこの光景が続いているのだろうか。
「もう! なんなのよ!」
中村さんが頭を抱え込み、激しく動揺する。彼女は色白な肌をさらに白くさせ、瞳の奥に恐怖を宿らせていた。元々、彼女は臆病な性格なのかもしれない。
「美咲ちゃん、落ち着いて」
今にも暴れ出しそうな中村さんを静川さんがなんとか落ち着かせようとする。
「中村。ぎゃあぎゃあわめいても仕方ねえんだ。そんな子供っぽい事は止めて、とにかく落ち着け」
少々厳し目な態度で秋山も加勢する。彼の表情は険しく、中村さんの事を鬱陶しがっているように見えた。中村さんの事が嫌いなのだろうか。
「ちょっと、秋山君。そんな言い方は良くないよ」
静川さんが秋山の言動に異を唱えた。
「別にいいじゃねえか。事実を言ったまでだろ」
「そういう問題じゃなくて、少しは気を遣った言い方があると思うの」
二人の声に少しずつと強くなっていく。
まずい。このままだと口論に発展してしまうかもしれない。高校生活において、時折この二人は何かと衝突する事があった。性格の違いもあったが、何より道徳に対する価値観の違いが大きな原因だといえるだろう。しかし、気が合う時は周りもびっくりするぐらい意気投合するのだが。
とにかく、二人を止めないと。今は仲間割れをしている場合じゃない。僕は二人の睨み合う間に割って入る。
「まあまあ。秋山は自分なりに彼女を気遣ってる訳だし。だけど、秋山もちょっとは言葉を選ぶようにした方がいいよ」
「そうだ。みんな、もっと仲良く行こうぜ」
秋山は分が悪そうに「チッ」と舌打ちをすると、「悪かったよ」と自分の非を認めた。なんとか水際で口論は防げたようだ。
「だけどよ。これはみんなにも言える事なんだぜ。一人が不安を口にすると、周りまでそいつの不安に感染しちまう。こういった状況にこそ、冷静な態度が必要になるんだ」
秋山はおごそかな口調で警告するように言った。一時期不良グループと絡んでいた彼の言葉には、僕達を納得させるだけの説得力が込められている。彼は僕達の知らない所で、これと似たような状況を何度も経験してきたのだろう。
秋山は「いくぞ」とみんなに声をかけ、再び歩き出した。僕達も彼の足取りをたどるように追う。
「さすが秋山。こういう時こそ頼りになるぜ」
山下が秋山の肩に腕をかけ、冷やかすようにはしゃいだ。山下は屈託の無い笑みを浮かべている。あいつ、よくこんな状況で笑っていられるな。
「まあな。俺も、朋樹や裕介の事だって頼りにしてるんだぜ」
秋山はくだけた表情で、山下と僕の顔を交互に見た。僕のどこが頼れるのかは分からないが、山下が頼れる理由は分かる。
僕達のクラスで、山下はちょっとしたムードメーカーで名が通っていた。友達との接し方や場の盛り上げ方が上手く、こいつと一緒にいて気分を悪くする奴はいないだろう。大して面白いギャグを言う訳でもないのに、こいつがいるだけでクラス中は自然と明るい雰囲気に包まれるのだ。ただ、こいつにも少しばかり困った短所がある。それは、暗い雰囲気や険悪なムードが苦手だという事である。だから、場を明るくしようと無神経な発言をしてしまう場合があるのだ。最終的に処理できない空気になると、無責任にもさじを投げてしまう。そういった事から、こいつはお調子者とも呼ばれている。
山下はこんな時でもマイペースを貫き、明るく気丈に振る舞う。こうしていると、普段の学校にいるみたいだ。
僕は歩き続けている内に妙な違和感を覚えていた。おかしい。僕達はかれこれ十何両も車内を移動したはずだ。この電車の車両編成は確か六両。あきらかに車両の数が増えている。
僕達の先頭を歩く秋山が急に歩みを止めた。その後ろを歩いていた僕と山下は危うく、秋山の背中にぶつかりそうになる。
「おっと! 急に立ち止まってどうしたんだ?」
「そうだぜ。急ブレーキは危険だって、誰かに教わらなかったか?」
秋山はゆっくりとこちらを振り向いた。彼の顔はどこか腑に落ちないような表情をしている。きっと彼も、いつまで歩いても車掌がいる運転席にたどりつかない事を不審がっているのだろう。
「みんなも気づいているんじゃねえかと思うが。どうだ?」
「ああ。分かってる。いつまで経っても運転席に着かないのが、変だって事だろ?」
僕の答えを聞き、秋山はこわばったように頷いた。
「そうだ。もしかすると、さっきのアナウンスでこの電車がおかしくなっちまったのかもしれねえ」
「って事は。簡単に目的の場所へたどり着けないってことか」
僕は落ち着き払ったように言ったが、内心では取り乱しそうになっていた。ここからすぐに脱出出来ると思っていたのが、無理な事だと分かったからだ。みんなも僕と同じ心境だろう。
「私、疲れた」
中村さんは近くのロングシートに力無く座り込んだ。身も心も脱力仕切ったようにうなだれている。
「そんな事言ってる場合じゃ……」
「いいじゃないか、秋山。それに少し休めば、この状況を打開する方法が思いつくかもしれないだろ」
また秋山がきつい事を言い出そうとしたので、僕は彼の前に飛び出しそれを遮った。秋山が納得しそうな理由を言ってみたのだが、
「……そうだな。確かに一理ある」
秋山はなんとか納得してくれたようだ。
「みんなはどう思う?」
それを聞くまでは無いだろう。当然、全員一致で僕達は休憩する事になった。
静川さんが心配するように中村さんの隣に座る。その向かい側のシートに秋山と山下が座った。
秋山達の方を見ると、なにやら不気味に微笑んで僕を見ている事に気がつく。秋山達は僕と目が合うと、静川さんの方を顎でしゃくった。どうやら、僕の心は彼らに筒抜けのようだ。
僕は心優しき親友達の厚意に甘え、静川さんの隣に座る事にしよう。
「静川さん。隣、座ってもいいか?」
長い友達付き合いとはいえ、無断で隣に座るのは気が引けた。相手は気にしなくても、僕が気にしてしまう。少しよそよそしかったかもしれない。
「うん。いいよ」
彼女は僕に笑いかけ、快く返事をしてくれた。シートの上をぽんぽんと軽く叩き、自分の右隣に来るように促してくる。僕は照れくさりながらも、彼女の右隣に腰を下ろす。
静川さんの隣はいい匂いがした。心が安らぐような甘く温かい匂いだ。腰ぐらいまですらっと伸びた長髪は目を奪われるほどのつやが出ている。少し力を加えれば折れてしまいそうな細い腕。僕は思わず生唾を飲み込みそうになった。
「ねえ。宮本君」
いきなり自分の名前を呼ばれて跳ね上がりそうになる。それは不意打ちだ。僕のやましい気持ちを見透かされたようで心臓に悪い。
僕は一息つき、清純な自分を取り戻してから言葉を返した。
「何?」
「美咲ちゃんの事、どう思っている?」
「えっ」
静川さんが突拍子の無い事を聞いてきた。冗談で聞いてきたのかと思ったが、彼女の顔は真剣そのものでふざけている訳ではなさそうだ。どうも質問の意図が読めない。
「やっぱり。宮本君も気持ち悪いと思っているの?」
色々と考えて口ごもっている僕を見かねたように、彼女は言った。
「いや! そんな事は思ってないよ!」
「本当に?」
僕は嘘を言っていない筈だ。だけど、妙に心の内が読まれているような気がして焦ってしまう。
「ああ。でも、どうしてそんな事を聞くんだ?」
彼女は少しためらった素振りを見せ、何かを決心したように立ち上がる。
「ちょっと……」
あまり人には聞かれたくない話らしい。それに中村さん本人が隣にいるのだ。静川さんが車両の隅っこに移動し、僕もそれに黙ってついていく。
人目をはばかるように車両の隅で話すのは、ちょっとした密談をしている気分だ。
「宮本君も聞いた事あると思うけど。美咲ちゃんはクラスの人から……いじめられているの」
その声は、彼女の間近にいる僕ですら聞き取りにくい声量だった。僕は耳を澄まして黙々とその話を聞き入る。
「と言っても、私自身がそれを見た訳じゃないのだけど。美咲ちゃんがある日、自分がいじめられている事を私に教えてくれたの。いじめの内容はとても過激なものだったわ」
それは初耳だ。中村さんがいじめられているらしいという噂は聞いた事がある。だが、いじめられているという断定された話は聞いた事が無かった。
「悪口を言われるだけの時もあれば、私物を傷つけられる事もあったそうよ。それも、美咲ちゃんが薄気味悪いという理由だけで。……みんなは知らないのよ。美咲ちゃんがすごく優しくて、気が利くいい子だって事を」
微弱な声ながらも、言葉に込められた感情がひしひしと伝わってきた。中村さんを思う気持ち。そして、その彼女をいじめる生徒への怒りが。
「美咲ちゃんわね。みんなより早く学校に来て、私達の教室をきれいに掃除しているのよ。自分のクラスメイトが気持ち良く、一日を過ごせるようにと思って。彼女はとても強い子なのよ。自分をいじめるクラスメイトにさえ、思いやる心を忘れてないんだから」
静川さんは今にも泣き出しそうな様子だ。彼女の目元は潤み、溢れだしそうな涙を必死で押さえているのが分かる。
「じゃあ。なんで中村さんは、自分がいじめられている事を他の人に言わないんだろう」
「私も宮本君と同じような事を本人に言ったの。だけど美咲ちゃんは、他人から安い同情は受けたくないって。それに……」
「それに?」
「言ったって、誰も助けてくれないから」
それは彼女自身が自分を責めているような言い方だった。
確かにそうかもしれない。仮に中村さんを助けようとしてくれる生徒がいたとする。彼女をいじめている生徒達は、その生徒を相当鬱陶しがるだろう。そうすると、いじめの矛先はその生徒にまで向けられる事になる。わざわざそんな危険を冒してまで、大して親しくも無いクラスメイトを助けようとは思わないだろう。
中村さんはそれを理解した上で、今の自分にできる事を精一杯やっているのだ。あるいは、他の生徒を自分と同じような目に遭わせたくないからだろうか。だから彼女は、安い同情は要らないと言ったのかもしれない。
僕は中村さんの事を誤解していたようだ。彼女は静川さんが言った通り、本当に強い子だと思う。彼女は辛い現実を受け止める強さを持っている。だけど、その一方で現状に抗う意思を捨てているような気がする。
中村さんの事をもっと聞こうとした矢先、秋山が横やりを入れてきた。
「おい! 裕介と静川! ちょっとこっちに来てくれ!」
仕方ない。後で本人に詳しく話を聞こう。
秋山と山下は立ち上がって、天井よりやや下の方に目線を落としている。そこに何かあるのだろうか。
僕達は首を傾げながら、急いで秋山達の元へ駆け寄った。
「どうしたんだ? 秋山」
僕の問いかけに秋山は顔を動かさず、自分が見ている方向へ指先を向ける。
「あれを見てみろ」
秋山の顔が嫌に引き締まっている。決していいものを見つけた訳ではないだろう。彼の指差す方向には、一体何があるんだ。僕は彼の指先を目で追った。
「えっ……?」
そこには無数の広告らしき長方形の紙が、横一列に隙間無く貼られていた。広告だと断言できないのは、それに書かれている内容がとても不可解な物だったからだ。
“……はこどくにしんだ だから、……がほしかたったんだ だから、この……”
それ以外は何も書かれていない。これと同じ内容が濁った赤色の文字で他の紙にも書かれていた。意味が分からない。そもそも、こんな気味の悪い事を書いた紙を公共の乗り物に貼るだろうか。
「マジでどうなってやがるんだ。この電車は」
この他にも似たような物が無いか、僕は車内を隅々と見回す。すると、自動ドアと天井の間にある壁に路線図らしき物を見つけた。
「秋山。あれは何だろう?」
僕は一直線にその路線図らしき物の真下に行った。みんなも僕の後を追うようについて来る。
僕は照明の薄明かりを頼りに、そこに書かれている事を声に出した。
「薄茶色の紙に赤い直線が引いてある。その直線上の右端には“すたーと”、左端には“ごーる”と乱れた字で書いてあるな。それに、直線上の“すたーと”の近くには黒い点が打ってあるみたいだ」
僕はみんなの反応を見ようと、後ろを振り返った。秋山と山下は喉を低く鳴らし、その路線図らしき物をじっと見つめている。静川さんも似たような感じで、可愛らしく口元に片手を当て考え込んでいた。こんな状況じゃ無ければ、無条件でときめいていただろう。中村さんはまだ、疲れたようにシートの上でうなだれている。
なんとなく、車窓の向こう側を見やった。先程と全く変わらず、ここと同じ造りをした車両が際限なく続いていた。車内を外から合わせ鏡で映したような光景だ。こんな異様な光景でも、僕を神秘的な気持ちにしてくれるのだから不思議でならない。
僕の視界に一瞬、ほんの一瞬だけ人影が映り込んできた。
「ん?」
僕は自分が見た物が信じられず、目を擦った。
どんな人かは分からなかったが、確かにそれは人影だった。ただ一つだけ印象に残っている特徴がある。人影は全体的に青白い格好をしていた事だ。
「ん? どうしたんだ、裕介」
僕の横顔に秋山の視線を感じた。どうしよう。この事を秋山達に教えた方がいいのだろうか。でも、僕の見間違いかもしれないし。
「……いや、なんでもない」
結局、言わなかった。僕のあやふやな視覚情報によって、これ以上みんなを混乱させたくなかったからだ。
僕はそのまま車窓の外を凝視したが、先程の人影はもう現れなかった。きっと、僕の気のせいだろう。不安や恐怖からありもしない物が見えてしまうなんて良くある事だ。
僕は気持ちを切り替え、そこから視線を外した。
「あー! 意味わかんねえ。こういうなぞなぞ好きな朋樹なら、何かわかんじゃねえの?」
お手上げ状態らしい秋山が不躾に山下を頼り出す。そうか。今、山下は推理系の漫画やゲームにはまっているらしい。だったら、僕達よりはるかに頭の回転が速いはずだ。
山下はスイッチが入ったように探偵っぽいポーズをとり、ゆっくりと口を開いて語り出す。
「この路線図? には、“すたーと”と“ごーる”と書かれているから、迷路の見取り図みたいな物だと推察できる。そう仮定すると、この黒い点は現在地を示しているに違いない。ただ、妙なのが。この迷路の道筋を表していると思われる線が直線一つしかない事だ。普通、迷路ってのは道が複雑になっているものだろ?」
いかにも年代が古臭そうな探偵口調だ。一見、冗談で探偵を演じているようだが、彼の神妙な表情を見るとそうではないらしい。
秋山は山下の考えを聞き、納得するようにうんうんと頷く。
「なるほどな。朋樹が言った通りだとすると、この電車が迷路みたいになっちまったのも頷けるな」
確かに。山下にしてはなかなかいい意見だ。だけど、情報が少ないせいとはいえ、その説明はあくまでも仮説に過ぎない。
「でも。その説明が正しいとして。誰がこんな物をつくったんだろう?」
「それもそうだな。まあ、そもそもこんな事が普通の人間にできるかは疑問だがな」
秋山の言葉を最後にみんなは再び黙り込んでしまう。僕達に分からない事が多すぎて、何も理解できない。仮定の上で仮定の話を転がすしかなく、実質的な話が一歩も進まない。
「……よし。とにかく、先を進みながら考えようぜ」
みんなはどこか晴れない表情で秋山の元に集まった。中村さんは少し元気になってきたようで、瞳の奥に彼女の持つ強さが浮かび上がっているようだ。
「いいな? 俺達はさっきと同じように車掌がいる運転席を目指すぞ」
僕達は再び、薄暗い電車の中を歩き始めた。