グループ二・大学生
グループ二・大学生
私は神崎君の背中で身を小さくして、そこから顔を覗かせていた。
今、私の目線の先には幽霊がいる。
「やっと、姿を見せてくれたな」
神崎君は何一つ動じることなく、目の前の幽霊に話しかける。彼には、本当に恐怖と言う感情が無いのだろうか。
「…………」
幽霊はさっきから黙ったままだ。
青いような、無色のような半透明の姿をしていた。身長からして、小学三年くらいの女の子だろう。体の半身が火で焼かれたように黒い。顔の右半分が焼けただれたようになっていて、頭蓋骨らしきものがまだらに見えている。見ているだけで心が締め付けられる、痛々しい状態だった。神崎君が言っていた通りなら、この子があの事件の被害者なのだろう。
「単刀直入に言おう。俺達を元居た場所へ還す気はあるか?」
神崎君は藪から棒に言った。
「ちょっと、神崎君。もう少し丁寧な言い方があるでしょ」
私は、彼にだけ聞こえるような声で囁く。いくらなんでも、その態度はまずいと思う。子供とはいえ、相手は多くの乗客を虐殺した怨霊のはず。気分を悪くされたら、元の場所へ還してもらう云々の前に私達が殺されてしまう。
女の子の霊は潰れていない片方の目でこちらを見つめてくる。死んだ魚のような瞳には、生気といった光が少しも感じられない。見られていると言うより、捕まえられているとでも言うのだろうか。私はその瞳から目を離せなくなっていた。
このまま黙っていても無駄だと思ったのだろう。だんまりを決め込んでいた霊がついに口を開く。
(わたし、おにいちゃんたちをかえすつもりはないよ)
「何故だ」
(だって、おにちゃんはきづいたもの。このでんしゃのひみつに。なにもしらないまま、わたしたちのところまできてくれたら、かえしてあげたかもしれないのに)
女の子の霊は口元を三日月のように吊り上げる。人形のような笑みに、私は体中の毛が逆立つのを感じた。
「走るぞ!」
「えっ?」
神崎君は私の腕を掴んで、隣の車両に向かって走り出す。走りながら後ろを振り返ると、丸い眼球と目が合った。
私は神崎君に腕を引かれるまま、息をつく暇も無く走り続ける。もうずいぶん長い事、それも全速力に近いスピードで走っていた。心臓が破裂しそうに痛い。息を吸えば、かさかさになった喉がかきむしられるように痛む。なんで、私がこんな目に。
「大丈夫か?」
少々辛そうな息遣いで神崎君が声をかけてくる。さすがの神崎君も、これだけの距離を全速力で走れば疲れるのだろう。自分もきつい筈なのに、私に気を配ってくれた事が少しばかり嬉しかった。
「うん……」
本当は全く大丈夫では無い。でも、神崎君に余計な心配はかけたくなかった。
「そうか」
神崎君はそう呟いて、急に足を止めた。丁度、貫通扉の前まで来たところだ。
姿こそ見えないが、後ろからはあの霊が着々と迫ってきている筈。
「どうしたの……神崎君……早く逃げないと」
「ああ。ここからは君だけで行け」
「何を言ってるの?」
「霊には体力と言うものが無い。それに対して俺たちの体力は有限だ。このまま走り続けても、いつかは追いつかれる。だから、俺が時間を稼ぐ」
平然と、それがさも最善の策であるかのように言う。
「駄目だよ。神崎君も一緒に逃げようよ!」
私は神崎君にすがりついた。彼は私を冷ややかに見据え、静かに溜め息をつく。
「いや、それは出来ない。この電車の秘密を知ってしまった以上、俺はどちらにしろ助からない」
確か、あの霊もそんな事を言っていた。でも。
「それだったら、私だって……」
「俺が君に教えた事は、ほんの一部分。核心に迫るような事は教えていないつもりだ」
私の心に何か尖った物が刺さったような気がした。結局、私は神崎君に信頼されていなかったんだ。お互いの情報を共有する事も出来ない。そう考えると、なんだか悲しくて、涙が溢れだしそうになる。
そんなみじめな私を見るなり、神崎君は「ふっ」と鼻で笑った――そして、私の頭をそっと撫でた。
「君のような、俺に対して明るく接してくれる奴は初めてだ。一つ聞くが、何故、君はそこまで俺を構おうとするんだ?」
神崎君にそう聞かれて、溢れ出した涙が引っ込みそうになる。それはもちろん、神崎君が好きだからで。その正直な気持ちを答える事が出来る筈も無く。
「それは、その、なんていうか」
唇が震え、言葉がたどたどしくなる。どうしよう、今の私すごい焦ってる。神崎君も、なんで今聞くのかなあ。
「まあ、いい」
私の様子を見かねたように神崎君は言った。私はほっとしたような、残念だったような気持になる。
「もう少し早く、君と出会えていたら……俺は、君の事を……。短い間だったが、君と過ごした時間は悪くなかった。ありがとう、汐梨」
「えっ?」
今、私の事を汐梨って呼んだ。あの神崎君が私を、しかも下の名前で。
ふと、扉が開くような音がする。ここと反対側の貫通扉を見ると、そこにあの霊がいた。
「もう来たか。君は早く、隣の車両に行け」
「でも……」
「君を死なせたくないんだ」
私は逃げるようにそこから走り去った。私は神崎君の言葉に突き動かされたのか、自分でもよく分からない。ただ、あんな顔でそんな事を言われたら、神崎君の傍に居づらいじゃない。
私の背後で「それでいい」と呟く、神崎君の声が聞えたような気がした。
いつの間にか、私は線路の上を歩いていた。
暗闇の中に引かれた一本の線路。
どうやってここまで来たのかはよく覚えていない。でも、別に思い出さなくてもいいと思った。
さっきまで足が締め付けられるように痛んでいたが、今はそうでもない。ここが寒くて私は両腕を抱えているのか、それとも暑くて私は汗をかいているのか。まるで、自分の体が自分の物じゃないみたい。頭の中に、神崎君の顔が何度も浮かび上がってくる。
私は、なんで逃げたの? 怖かったから? 神崎君の思いを無駄にしたくなかったから?
「いやだよ」
私は神崎君と一緒にいたかった。もっと色んな話をしたかったよ。
「会いたいよ」
でも、会う事は出来ない。だって、神崎君はもう……。
朦朧とした意識の中でひたすら歩き続けていると、一つのドアに突き当たる。
それは古くさびれた様子の木製のドアだった。線路上にひっそりと佇んでいる。
ここに入ったら、私は死ぬんだろうな、と何故か思った。
死んだら、神崎君と会えるのかな? 父さんとも会えるよね? どうせ生きて帰れても、私は独りぼっち。もう、私は疲れたよ。どんなに歩いても出口は無く、私はたくさんの物を失った。このまま生きて帰っても、その後は伽藍堂の生活を続けるだけ。そんなの虚しすぎる。そんな生活を送る事は死んでるも同じだ。だったら、いっその事……。
私はそのドアをゆっくりと開き、中へと足を進める。
「もう、私は置いて行かれたくない。だから、私から会いに行くよ」
グループ二・大学生 エンド




