プロローグ
プロローグ
気がつくと、私は駅のホームにいた。
ただ、最初は周囲をぼんやりと眺めているだけだった。次第にぼやけた意識がはっきりとしていくと、自分が今、現実世界に戻ってこれた――あの地獄のような場所から生還できた――という事を実感し始める。途端、私はその場に膝から崩れ落ちた。これからまたのんびりとした日常を過ごせるのだと思うと、感動で涙が溢れ、抑えきれなかった嗚咽が喉からじわじわとこみ上げてくるのだった。
この感動をひとしきり噛み締めた後、なんとか落ち着いた私は、顔を上げて頭上にある時計に目をやった。
時刻はすでに午後六時を回っていた。辺りに目を向けると、ホームは帰宅中らしき会社員や学生達で辺ごった返している。彼らは怪訝そうな目つきをし、床に崩れ込み涙顔の私をちらちらと見ているようだった。群衆の会話や足音、アナウンスの声などが入り混じって聞こえ、とても耳障りだ。いつもは鬱陶しく感じられるそれらも、今の私にとってはかけがえのない、自分の生きている事への証のように思えて嬉しくなった。とはいえ、いつまでも周囲から奇異な視線を注がれては、私にも恥ずかしいという感情がふつふつと蘇ってくる。
そこへタイミング良く、相変わらずの口調で淡々と喋るアナウンサーの声が流れてきた。
『間も無く、×番乗り場に、××行き、普通が到着します。危険ですので、白い線の内側までお下がりください』
それを聞いた周囲の人達は私から視線を外し、何事も無かったように近くの×番乗り場へ集まっていく。私の目の前に生きた人間の横長い壁がつくられる。こうやってその群がった人間の壁を客観的に見ると、なるほどあいつらにとっては食べ放題のバーも同じ恰好の餌達のようだ、そう思えた。
早鐘を打つように鳴る電車の接近チャイムと共に、左方向から電車が近付いてきた。電車はホームへ近づくにつれ、徐々に減速し、人の群れを支える×番乗り場を前に停止した。電車のドアが音を立てて開くと、そこへ大勢の人が一気に流れ込む。その様子を見た私は、まるで電車という怪物が人間という食い物を吸い込んでいるようだと思った。
ふと、何の縁か電車内で楽しそうに喋っている学生に目がいく。五人ぐらいの集団で、とても仲が良さそうだ。何故、ふと目がいったのかと思えば、何の事はない。彼らは私の学生時代に通っていた学校の制服をきていたという、それだけの事であった。
もしかしたら、この五人――いや、この電車に乗っている全ての人はこれから恐ろしい目に遭うかもしれない。あのおぞましい地獄から生還できる人は、この中に何人くらいいるだろうか。
全ての人を乗せ切って間もなく、ホームに鳴り響く車掌の笛の音を合図に電車のドアがためらいも無く閉じられた。死んだように停止していた電車は目を覚ましたように息を吐き、鈍い動作から徐々に速度を出しつつ進み始める。その進行方向はちょうど、太陽の昇る方角とは逆であった。
私はただ、それを見送るしかなかった。