5.心配りはすれど、心配は致すなよ [Album Ver]
『心配りはすれど、心配は致すなよ』
これは、以下のひふみ神示の一文から連想したものです。
「先の取越苦労は要らんぞ、心くばりは要るぞと申してあろがな」
「先の取越苦労」が心配(不安)。
「心くばり」は備え(想定)になるでしょうか。
神示の神様一流のユーモアにも感じましたし、同時に「心配」という単語についても気づかされました。
「心くばり」だったとは!
読んで字の如くなのですが、今まではそれに気づかなかったのです (ᐢ ᵕ ᐢ)。
ところで、”備えは要るが、心配は要らん”の意味ですが、次の様に考察します。
備えをしないのは、全くの運まかせになってしまうので備え(想定)は必要。
そして、”ある程度”備えたらば心配(不安)は不要。
ある程度というのは、何時もいつも万全な備えが出来るとは限らないからです。
また、いくら万全な備えをしていても失敗する事はありますし、そもそも、その備え(想定)自体が全くの見当違いの可能性もあります。
つまり、森羅万象”でたとこ勝負”です (ᐢ ᵕ ᐢ)。
事が起きた時に”いかに対応するか”です。
そして、備えの完成度に囚われてはいけません。
起きた際の成功率を上げる為の、”備えをし、要らぬ心配をしない”のです(備えるのは成功させる為の手段であって、備える事自体が目的ではない)。
・万全な備えをしたからといって、慢心して以降の対応を疎かにしては失敗する(→不慮の事故に対応できない)
・備えが不十分だからといって、不安がっていては成功するものも成功しない
万全に備えたからといって慢心せず、備えが不十分だからといって不安がらない。
成功裏に収める事こそが、最も重要なのです。